第69話 魔王、時間に敗北する
(ここまで積み上げた。それでも、時間だけは待ってくれなかった)
もちろん。
「絶望→制度への敗北→ノクスの再起動」の流れが見やすくなるように整えたよ。
最終日だった。
店の奥。
机の上には、書類が積み上がっている。
スキャン済みデータ。
チェックリスト。
確認済みの項目。
何週間もかけて積み上げてきたものが、今日この瞬間に集約されていた。
「……これで、全部だな」
ノクスが、低く言う。
「た、多分……」
豊の声は、かすれていた。
目は真っ赤で、いつから赤かったのかもう分からない。
何時間ここにいるのか、それも分からない。
アイルが指差し確認する。
「通帳、OK。納税証明、OK。見積書、有効期限内」
キリが画面を覗き込む。
「形式も問題なし。容量も制限内」
一拍。
「……通る条件は、満たしてる」
「当然だ」
ノクスが即答する。
その言葉に、誰も反論しなかった。
ここまでやった。
削って、詰めて、揃えて。
完璧ではないが、“落とされる理由”は潰した。
「……よし」
ノクスが、マウスに手をかける。
「送るぞ」
画面には、申請システム。
アップロード欄はすべて埋まっている。
残るは――
「申請」
そのボタンだけだった。
「……いけ」
豊が、呟く。
カチ。
クリック。
――。
「……?」
画面が、止まった。
「……重いな」
キリが、眉を寄せる。
「アクセス集中……?」
アイルが小さく言う。
画面の右上。
読み込み中の表示が、くるくると回り続けている。
「……」
ノクスは、何も言わない。
ただ、画面を見ている。
――数秒。
――十秒。
――三十秒。
誰も、口を開かなかった。
部屋の中に、PCのファンの音だけが低く響いていた。
「……遅い」
豊が、ぼそりと呟く。
その瞬間。
画面が、切り替わった。
「……!」
全員の視線が、揃う。
だが。
表示されたのは――エラー。
「……は?」
豊の声が、抜けた。
「タイムアウト……?」
キリが、低く読む。
「……再送信しろ」
ノクスが言う。
即座に、もう一度クリック。
――読み込み。
――停止。
――エラー。
「……おい」
豊の声が、震える。
「ちょっと待って、締切……」
画面右上の時刻。
残り時間が、削られていく。
「……もう一回」
ノクスが、低く言う。
クリック。
――動かない。
「……っ」
マウスを握る手に、力が入る。
指の関節が白くなっていた。
「……なんだこれは」
低い声。
「なんで通らない」
「サーバー……」
キリが、短く言う。
「全国からアクセス来てる」
「……なら弾くな」
「弾いてるんじゃない。耐えられてない」
「同じだ」
即答。
画面は、動かない。
くるくると回る、読み込み表示。
それだけが、無情に続く。
「……くそっ……」
豊が、机を叩く。
「ここまでやって……!」
誰も否定しない。
――分かっている。
これは、努力ではどうにもならない。
「……っ」
ノクスの拳が、震える。
だが――止めることも、壊すこともできない。
相手は人間ではない。
――システムだ。
怒りの向け先が、どこにもない。
「……時間だ」
キリが、静かに言った。
その一言で、すべてが止まる。
画面の時計。
締切の表示。
無情に、切り替わる。
「……」
沈黙。
誰も、動かない。
ノクスは、画面を見たまま――しばらく、そのままでいた。
それから、ゆっくりと、マウスから手を離した。
「……そうか」
低く、呟く。
怒りは、もう表に出ていなかった。
ただ――
「……これが、“制度”か」
静かに。
噛み締めるように。
その一言だけが、落ちた。
店の奥。
机の上に、再び資料が広がっていた。
だが――空気は、昨日とは違う。
重さの種類が、変わっていた。
「……つまり」
豊が、机に突っ伏したまま呟く。
「全部……やり直し……ってこと……?」
声に力がない。
というより、もう残っていない。
キリが、淡々と答える。
「正確には“更新”だけどね」
「同じだろそれ……」
顔を上げないまま返す。
「数字、変わる。見積、期限切れる。証明書、取り直し」
指を一本ずつ折る。
「……ほぼ全部じゃん……」
「そうだね」
キリはあっさり頷いた。
「だから、もう一回やる」
「やる前提なの!?」
豊が叫ぶ。
「いや無理だって!! あの地獄もう一回!?!?」
「やるしかないでしょ」
アイルが軽く言う。
「締切、次回にずれるだけだし」
「その“だけ”が重いんだよ!!」
机を叩く。
だが。
ノクスは――
「……」
静かだった。
誰かが何かを言うたびに即座に返してきたノクスが、何も言わない。
豊はその沈黙に、妙な怖さを感じた。
「ノクス……?」
恐る恐る顔を上げる。
その瞬間。
「……なるほどな」
低い声が、落ちた。
「は?」
「理解した」
ゆっくりと、顔を上げる。
その目には――怒りではなく、何か別のものが宿っていた。
「構造だ」
「構造?」
「この制度の、勝ち方だ」
豊が、固まる。
嫌な予感しかしない。
「今回の敗因は、準備ではない」
指で机を軽く叩く。
「時間だ」
「……あ」
キリが、わずかに目を細める。
「申請そのものは、通る水準に達していた。だが、“間に合わなければ意味がない”」
言い切る。
「つまり」
一拍。
「戦場は、そこではない」
「どこだよ……」
「もっと前だ」
ノクスの口元が、わずかに歪む。
「締切より前に、勝負は決まっている」
沈黙。
豊は、完全に理解した。
(あ、これまた始まるやつだ……)
「……この魔王たる私が」
一拍。
「“時間”に敗北するとはな」
「いやそこ自覚あるんだ!?」
思わずツッコむ。
だが、ノクスは止まらない。
「……これは」
視線が、鋭くなる。
「罠だ」
「は?」
「制度という名の、遅延構造」
「いや普通に混んでただけ――」
「黙れ」
ノクスが続ける。
「いずれにせよ、対策は明確だ」
「え」
「次は、遅れない」
その一言。
空気が、変わる。
さっきまでの混乱が、すっと整理されていくような静けさ。
「そのための手順を、今から組み直す」
「今から!?」
「当然だ」
迷いがない。
完全に、切り替わっている。
敗北を踏み台にして、もう次を見ている。
豊は、ゆっくりと天井を見上げた。
「……終わったと思ったのに……」
誰も、否定しなかった。




