番外編2-5 契約は成立した
(その一言で、関係に名前がついた)
ある日の午後。
「……また?」
結衣は、机の上に並べられた二通の紙を見下ろして、思わずそう呟いた。
見覚えのあるフォーマット。
整えられた罫線。
そして、右上には――きっちりと貼られた証明写真。
(……なんでちゃんと撮ってるの)
写真の中のキリは無表情で、アイルはなぜか少し笑っている。
どちらも妙に“それっぽい”。
「準備は整っている」
隣で、ノクスが満足げに頷いた。
「……あなたはどこに座ってるの」
「監修だ」
「監修者はいりません」
「必要だ」
「なんで」
ノクスは微動だにしなかった。
結衣は諦めて、一枚目――キリの履歴書を手に取った。
「……じゃあ、やるけど」
視線を上げる。
キリは腕を組んだまま、静かに立っていた。
その隣で、アイルは興味深そうにテーブルを覗き込んでいる。
「面接、ねぇ。人間っぽくていいね」
「茶化すな」
「茶化してないよ〜」
「……はいはい、静かに」
軽く制して、結衣は姿勢を正した。
⸻
「まず、キリから」
「了解」
淡々とした返事。
結衣は履歴書に目を落とす。
そして、すぐに手が止まった。
「……志望動機欄」
一拍。
「“この店の在庫管理が非効率であったため、看過できなかった”って書いてあるんだけど」
「その通りだ」
「これ志望動機じゃなくて苦情では」
「改善意欲の表れだ」
「言い換えないで」
ノクスが手元に何かを書いた。
「何メモしてるの」
「発言の傾向を記録している」
「……仕事じゃないんだからやめて」
結衣は深く息を吸って、続けた。
「えーと。特技の欄。“無駄の発見”」
「そうだ」
「なんかこう……もうちょっと人と関わる感じのやつ、ないの?」
「無駄を発見するのは、人と関わる上で重要だ」
「そういう話じゃなくて」
キリは、わずかに首を傾げた。
本気で意味が分からないらしい。
「……趣味は?」
「効率化」
「趣味が仕事じゃん」
「余暇も効率化する方が合理的だ」
「余暇の意味が消えてる」
「ふふ」
アイルが後ろで笑っている。
「趣味の欄、キリの観察にしとけばよかったかな」
「それ書いてくれなくて本当によかった」
結衣は頭を抱えながら、次の欄に視線を落とした。
⸻
「じゃあ……自己PR」
「読んでくれ」
言われるまま、読み上げる。
「“前職では、市場の歪みを発見し、最適解を導き出し続けた。その分析力と戦略立案能力を、稲宮米店の経営改善に全力で投じる。なお、感情的な判断には原則として同意しないが、必要であれば温度を出す努力をする”」
「……」
結衣はしばらく沈黙した。
「“必要であれば温度を出す努力をする”って、自己PRに書く?」
「事実だ」
「事実だけど」
「問題があるか」
「人として働けるかどうかが若干心配になってくる」
「……」
キリが、わずかに眉を寄せた。
「機能として組み込まれれば、問題ない」
「人として。人として働いてほしいの」
一拍。
キリは、わずかに視線を逸らした。
「……その定義が曖昧だが」
ぼそりと呟く。
「最低限、支障が出ない程度には合わせる」
「言い方変えただけじゃん」
「努力の方向が、明確だ」
「同じこと言ってるじゃん」
キリは、ほんの少しだけ考えてから――
「……お前が困るなら、調整する」
「え」
一瞬、言葉が止まる。
「業務効率が落ちるようなやり方は取らないが」
「それで問題が出るなら、やり方を変える」
「……」
キリは、そこで初めて結衣の方を見る。
「それでいいか」
結衣は、一瞬だけ黙って――
「……うん」
小さく、頷いた。
ノクスが手を挙げた。
「発言していいか」
「しなくていい」
「監修として一言——」
「監修に発言権はない」
「……じゃあ、最後」
結衣は深呼吸した。
「この店で、どう関わるつもり?」
キリは、ほんのわずかに目を細めた。
そして、少しだけ考えるように視線を落とす。
「……整える」
「え?」
「在庫も、売上も」
一拍。
「今、なんとなく回ってるものを」
「ちゃんと、分かる形にする」
「分かる形?」
「どこが良くて、どこが無駄で」
「どこを直せば、ちゃんと続くか」
少しだけ、言葉を探すように間があってから――
「結衣が、判断できる状態にする」
「……」
さっきまでの「機能」とか「効率化」とは、少し違う。
「俺は決めない」
「決めるのは、お前だ」
一拍。
「だから、その材料を揃える」
結衣は、しばらく黙った。
「……うん」
小さく、頷く。
「それなら、助かる」
「了解」
一歩下がるキリの横で、ノクスが深く頷いた。
「監修として合格と判断する」
「監修に判断権もない」
⸻
「次、アイル」
「はーい」
軽い返事とともに、アイルが前に出る。
結衣は二枚目の履歴書を手に取った。
「……特技欄」
「うん」
「“人の心にするっと入ること”って書いてあるんだけど」
「得意だよ」
「……なんか怖いんだけど、その表現」
「怖くないよ」
にこにこしたまま言われると、余計怖い。
「趣味は」
恐る恐る読む。
「“いいものを見つけること”」
「うん」
「……これは普通だね」
「でしょ」
「職歴のとこ」
結衣は、少しだけ目を細めた。
「スーパーのPOP、作ったって書いてあるね」
「うん」
「……あれ、あなたがやってたんだ」
ぽつりと呟く。
「なんか、前より手に取りやすくなったなって思ってたけど」
「気づいてた?」
アイルが、少しだけ嬉しそうに笑う。
「そりゃね」
結衣は肩をすくめる。
「売り場の空気、ちょっと変わってたし」
「最初はね、普通に並べるだけでもいいかなって思ったんだけど」
アイルは軽く手を動かしながら続ける。
「“誰がどう見ても分かる”より、“ちょっと気になる”くらいの方が、手に取ってもらえるかなって」
「……ああ」
結衣は小さく頷いた。
「なんか、見ちゃうやつだった」
「でしょ?」
嬉しそうに笑う。
「……あ、そうだ」
アイルが思い出したように言う。
「名刺、見せてあげてよ」
「名刺?」
結衣が首を傾げると、ノクスがわずかに咳払いをした。
「……ある」
「あるんだ」
小さな手で懐から取り出したそれを、結衣に差し出す。
受け取って――
「……え」
思わず、声が漏れる。
黒地に、整った文字。
シンプルなのに、妙に目を引く配置。
「……これ、すごくちゃんとしてる」
「見ての通りだ」
「いや、そういう意味じゃなくて」
じっと見つめる。
「……これ、手書き?」
「左様」
「えっ」
思わず顔を上げる。
「これ、手書きなの?」
「そうだが」
「いや、ちょっと待って」
もう一度、名刺を見る。
線の一本まで綺麗に揃っている。
「……いや、うま……」
「当然だ」
「いやそれ言われても」
後ろで、アイルがくすっと笑った。
「最初、断られたんだけどね」
「“不要だ”って言ってたのに」
「だって魔王に名刺って意味分かんないじゃん」
「今も分かんないけど」
結衣は名刺を見ながら言う。
「でも」
一拍。
「これ渡されたら、ちょっと話聞こうかなってなるかも」
「……有用だった」
ノクスが、わずかに視線を逸らしたまま言った。
「認めてるじゃん」
「認めていない。事実を述べただけだ」
「はいはい」
結衣は小さく笑って、名刺を机に置いた。
「じゃあ、自己PR読むね」
「うん」
「“僕が場にいると、なんか上手くいく。理由はよく分からないけど、たぶん本当のことだと思う”」
「……」
一拍。
「根拠なしに言い切ってる」
「でも、嘘じゃないよ」
「まあ……嘘じゃないのは分かるけど」
(スーパーの改装のとき。あの場の空気が変わったのは、確かにアイルがいたからだった気がする)
結衣は、その記憶を頭の隅に置いたまま、最後の欄を読んだ。
「志望動機。“結衣ちゃんのところなら、いいものができると思ったから”」
「うん」
「……それだけ?」
「それだけ」
あっさりと言う。
「“いいものができる”って、どういう意味で言ってるの?」
アイルは少しだけ考えてから、答えた。
「素材がいいから」
「素材?」
「米も、人も」
一拍。
「いい素材があれば、いい見せ方ができる。それって、すごく楽しい仕事じゃん」
「……」
結衣は、しばらく黙った。
(ノクスの面接の時の志望動機とは、全然違う言葉なのに)
(なんか、同じことを言ってる気がする)
「……うん」
小さく、頷く。
「じゃあ、アイルもいいよ」
「はーい」
結衣は、ゆっくりと息を吐いた。
「二人とも、ありがとう」
ペンを置いて、顔を上げる。
「結果だけど」
一拍。
「採用、で」
「やったー」
アイルがぱっと笑う。
キリは、わずかに眉をひそめた。
「基準が曖昧すぎる」
「いいの」
結衣はあっさりと言った。
「もう、見てるから。スーパーのことも、店のことも」
「二人が何やってくれるか、だいたい分かってるし」
「……」
キリが、わずかに目を伏せる。
アイルは、にこっと笑った。
ノクスが、おもむろに口を開いた。
「監修として、この採用を承認する」
「監修に承認権もない」
「……では」
ノクスは構わず続けた。
「契約は成立した」
その一言で。
空気が、少しだけ変わる。
結衣は、少しだけ笑った。
「正直、今更って感じだけど」
視線を三人に向ける。
「ちゃんと形になった、ってとこかな」
一拍。
「これからも、よろしくね」
「うん」
「……了解」
「任せろ」
三人の返事が、重なる。
それから。
ノクスが、すっと手を伸ばした。
「監修料として、アイスクリームを要求する」
「監修料はありません」




