第54話 売れた、その先で
(需要は伸びる。だが供給は、そう簡単には増えない)
リニューアル当日、開店前だというのに、店の前はすでにざわついていた。
色とりどりののぼり。
簡易テント。
そしてその横に並ぶキッチンカーが三台。
唐揚げの香ばしい匂い。
甘いクレープの香り。
鉄板の上で跳ねる焼きそば。
通りがかる人が足を止め、自然と人だかりができていく。
「……すご」
結衣は思わず立ち尽くした。
「こんなになるとは思ってなかった……」
「想定内だ」
背後から、落ち着いた声。
乃久栖は腕を組んだまま、入口周辺の人の流れを観察している。
「外で“足を止めさせる理由”を作れば、人は中にも流れる」
「理屈は分かるけど……」
結衣は苦笑した。
「こんなに来る?」
「来る」
その一言に、なぜか結衣は笑えなかった。
――本当に来ている。
目の前で、人が増えていく。
シャッターが上がる。
「いらっしゃいませー!」
人が、一気に流れ込んだ。
カートの音。
レジの電子音。
人の話し声。
新しくなった売り場の中で、ひときわ目立つ一角があった。
入口すぐ横、簡易テーブルと木箱で組まれた小さな特設コーナー。
白い紙に、黒い文字。
――“稲宮米店の米使用”
シンプルなのに、なぜか目に入る。
その上に、出来立てのおにぎりが並んでいた。
「結衣ちゃん、追加お願い!」
「はい!」
声が飛び交う。
だが――
「すみません、これどうやって操作するんですか?」
レジ前で、戸惑う声がした。
新しいレジ。
画面を見つめたまま、手が止まる。
後ろに、列。
視線が、集まる。
頭が一瞬、真っ白になる。
――その時。
昨日渡されたあのファイルのページが、頭の中で開いた。
“トラブル対応手順”。
操作が分からない時は、一人で抱え込まない。
一度止めて、確認して、再開する。
「少々お待ちください」
はっきり声を出す。
隣のスタッフに目で合図を送る。
「次、お願いします」
列を止めない。
自分は一歩下がる。
マニュアルを開き、該当ページを確認し、操作をなぞる。
ピッ。
画面が戻った。
「……できた」
小さく息を吐く。
再びレジに戻る。
「お待たせしました」
手が、止まらない。
少し離れた場所で、その様子を乃久栖が見ていた。
「……問題ない」
誰にも聞こえない声で呟く。
その目は、すでに次を見ていた。
だが、すべてが順調なわけではない。
「袋が足りません!」
別の場所で声が上がる。
「バックヤード!」
誰かが返す。
――だが、少し遠い。
一瞬のロス。
そのわずかな“詰まり”を、乃久栖は見逃さなかった。
「店長」
「はい」
「補充位置を前に出せ。距離が無駄だ」
「……確かに」
店長がすぐに動く。
数分後、レジ裏に予備の袋が積まれた。
動きが、滑らかになる。
店内は忙しい。
だが、不思議と“崩れない”。
誰かが止まりかけても、すぐに立て直す。
迷っても、思い出す。
どうすればいいかを。
惣菜コーナーの一角。
平台を一つ増やし、白いクロスをかけた簡易スペース。
木箱を重ねただけの簡単な作りなのに、不思議と目を引く。
その上に並ぶおにぎりと――
“稲宮米店の米使用”
シンプルなラベルが、静かに存在を主張していた。
「……減り、早くない?」
惣菜コーナーで作業していたスタッフが、小さく呟く。
並べたばかりのはずのおにぎりが、目に見えて減っていた。
「さっき補充したばっかだよね?」
「うん……」
一瞬、顔を見合わせる。
こんなに出るとは思っていなかった。
だが――
「……店長に聞いてみる」
一人が、決めたように言った。
「惣菜、追加出し検討中です」
小さなノイズと共に、店内ピッチから声が流れた。
結衣はレジを打ちながら、わずかに耳を傾ける。
「売れ行き想定以上。早めに出してもいいですか?」
一瞬の間。
「……出していい。様子見ながら調整して」
店長の声が返る。
乃久栖はそのやり取りを聞きながら、わずかに目を細めた。
意思決定の速度が、上がっている。
昨日までと、明らかに違う。
惣菜コーナーに戻ると、「OK出ました」という声に空気が少しだけ軽くなった。
「じゃあ、もう一段前に出そう」
「こっち空ける?」
「うん、それで見やすくなると思う」
手が動く。
声が重なる。
誰かの指示ではない。
自然と「こうした方がいい」が形になっていく。
「……いい流れだな」
乃久栖はその様子を静かに見ていた。
設計は、機能している。
ほんのわずかに、口元が緩む。
その視線の先で、おにぎりがまた一つ、誰かの手に取られた。
結衣はレジを打ちながら、ふとその光景を目の端で捉えた。
稲宮米店のお米が、知らない誰かの昼ごはんになっていく。
それだけのことなのに、胸の奥がじんわりと温かかった。
仕事を終えて稲宮米店に戻ると、豊が帳面を広げているところだった。
「お兄ちゃん、今日すごかったよ」
口から言葉が出るより先に、笑顔が出た。
「おにぎり、想定以上に出てさ。お客さんも喜んでくれて――」
言いながら、今日使った米の量を伝える。
豊の手が止まった。
「……今日だけで、それだけ?」
「うん。思ってたより全然多くて」
豊はゆっくりと視線を帳面に落とした。
一枚、また一枚。
ページをめくる手が、少しだけ早くなる。
普段は大雑把な豊が、こんなに真剣な顔で数字を追うことはめったにない。
結衣は、だんだん胸の奥がざわつくのを感じた。
「……お兄ちゃん?」
「ちょっと待って」
短く言って、豊はまたページをめくる。
指先が、数字の並びをなぞる。
「俺、数字そんな得意じゃないけどさ」
ぽつりと、言う。
「それでも分かる」
一瞬、言葉を飲み込んでから。
「このままだと――」
わずかに、声が低くなる。
顔から、さっきまでの色が消えていた。
「絶対、足りなくなる」
沈黙が落ちた。
店の外からは、いつも通りの音が聞こえている。
夕方の住宅街。
自転車の音。
遠くで子どもの声。
さっきまで胸にあった高揚感が、静かに形を変えていく。
帳面の数字が、今日一日の温かさを、少しずつ塗り替えていった。
結衣は、何も言えなかった。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
第2章は、「お店を変える」というテーマを軸に描いてきました。
作中に出てきた出来事の多くは、実際に現場で起きていることや、私自身が見てきた経験をベースにしています。
うまくいかないこと、噛み合わないこと、思うように進まないこと。
どれも特別なことではなく、日常の中にある「リアル」です。
本当は、変えたいと思っている人はたくさんいます。
でも、実際に何かを変えるのはとても大変です。
時間がない。
お金がない。
人が足りない。
特に体力のない中小企業ほど、その壁は高くて、簡単に乗り越えられるものではありません。
そして、現場でどれだけ頑張っても、
経営者の考え方一つで止まってしまうこともあります。
逆に、どれだけ良い方針があっても、
現場が動かなければ、何も変わりません。
だからこそ――
この第2章では、
「誰か一人ではなく、みんなで動いた時に、少しだけ前に進む」
そんな瞬間を描きたいと思いました。
現実では、ここまで綺麗に進むことばかりではありません。
それでも、お話の中くらいは――
頑張る人が、少し報われる。
積み重ねたものが、形になる。
そんなエピソードを、描いてみたかったんです。
また、作中に登場した補助金や仕組みについても、実際に存在するものを参考にしながら描いています。
少しでもリアリティを感じていただけていたら嬉しいです。
ここからは少し番外編を挟みつつ、
第3章へと進んでいきます。
次は、さらに現実に近い問題――
「米」を巡る状況の変化にも踏み込んでいく予定です。
そして同時に、新しい展開の中で、
これまで理性で全てを処理してきたあの魔王が、未知の感情に振り回されていくことになるかもしれません笑
そのあたりも含めて、温かく見守っていただけたら嬉しいです。
改めて、ここまで読んでくださりありがとうございました。




