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第39話 今日を、全部覚えていたくて

 (これで笑顔になってくれたら嬉しいな)


 郊外のショッピングモールは、休日らしい賑わいに包まれていた。


 家族連れ、学生、カップル。

 人の流れが絶えない。


「すごいね……」


 結衣が周囲を見回すと、隣から楽しそうな声がした。


「お祭りみたい!」


 アイルはきらきらした目で天井を見上げている。

 吹き抜けに吊るされた装飾も、行き交う人々も、すべてが珍しいらしい。


 その横顔は、子どものように無防備に輝いていた。


 そのとき、背後から人の波が押し寄せてくる。


「わっ……」


 バランスを崩しかけた瞬間、手を掴まれた。


「こっち」


 自然な声。


 アイルはそのまま結衣の手を引いて、人混みをするりと避ける。


 通路の端まで来て、ようやく止まった。


「大丈夫?」


「あ、うん……」


 答えながら、ようやく気づく。


 手が繋がれたままだった。


 温かくて、指先がしっかり絡んでいる。


「人多いから、離れたら危ないでしょ?」


 当たり前のように言う。


「……嫌だった?」


「い、嫌じゃないけど……」


 心臓が落ち着かない。


 アイルはほっとしたように笑った。


「よかった」


 そのまま手を離さない。


 まるで迷子の子どもを守るみたいな仕草だった。


 なんか、弟っていうか——むしろ保護者に近い。


 


 色とりどりのペンや絵の具が並ぶ店内に入った瞬間、アイルの歩き方が変わった。


 さっきまでの軽さとは違う、真剣な目で棚を見て回る。


「すごい……」


 そっと指で触れる。


「こんなに種類あるんだ」


 結衣は思わず笑った。


「好きなの選んでいいよ」


「ほんと?」


「うん」


 アイルは一本一本、丁寧に確かめ始めた。


 まるで宝物を選ぶみたいに。


 手に取っては戻し、また別のものを手に取る。


 その真剣な横顔を見ていると、この人が絵を描くことをどれほど大切にしているか、自然と伝わってくる気がした。


 しばらくして、満足そうに頷く。


「これにする」


「それだけ?」


「うん。あとは紙があれば描けるし」


 必要最低限。

 無駄がない。


 その潔さが、アイルらしかった。


 


 昼時の喧騒の中、空席を探して歩き回る。


「ここ空いてる!」


 アイルが嬉しそうに手を引く。


 向かい合って座ると、二人のトレーには違う料理が並んでいた。


 結衣はパスタ、アイルはハンバーガーとポテト。


「……ちょっと交換する?」


 アイルの目がぱっと輝いた。


「いいの?」


「半分こね」


 フォークで巻いたパスタを差し出すと、アイルは一瞬だけ躊躇して、素直に口を開けた。


「……おいしい」


 次に、ポテトを差し出してくる。


「はい」


「ありがと」


 なんでもない行為なのに、妙にくすぐったかった。


 向かいで頬張るアイルの顔が、本当に嬉しそうで、それを見ているだけで自分まで温かくなる。


 


 帰り道、アイルが突然立ち止まった。


 帽子売り場の前だった。


 一つ手に取り、結衣の頭にそっと乗せる。


「これ、似合いそう」


「え?」


 鏡を見ると、柔らかい色のキャスケットが映っていた。


「かわいい」


 真顔で言う。


「似合ってる」


 頬が熱くなった。


「……アイルの方が似合いそうだけど」


 試しに、別の帽子を彼に乗せる。


 少し大きめのハット。


「……あ」


 似合う。


 びっくりするくらい。


 首を傾げる仕草すら様になって、思わず言葉が出なかった。


「ほら、やっぱり」


「そう?」


 二人並んで鏡を見る。


 周囲から見れば——完全にカップルだった。


 なんか、恥ずかしい。


 でも、悪くない。


 


 夕方の光の中、人もまばらなベンチに並んで座った。


 アイルは早速スケッチブックを取り出す。


「少しだけ描いていい?」


「今?」


「うん。忘れないうちに」


 ペンが走る。


 迷いがない。


 結衣は横から覗き込んだ。


「相変わらずすごいね」


「そう?」


「アイルの絵って、見てると安心する」


 手が止まった。


「……安心?」


「うん。なんか……幸せな気分になる」


 アイルは少しだけ照れたように笑った。


「そっか」


 そして静かに言う。


「それならよかった」


 少しの沈黙。


 風が、木々を揺らした。


 アイルはスケッチブックに目を落としたまま、ぽつりと呟いた。


「……僕ね」


 ペン先が止まる。


「他のみんなと違って、世界樹の世話をするのが……苦手だったんだ」


 結衣は何も言わず、ただ聞いた。


「ずっと同じ場所で、同じことを繰り返すのが、息苦しくて」


 静かな声。


「それよりも、家にこもって絵を描いてる方がずっと楽しかった」


 苦笑する。


「キリはね、いつも褒めてくれたんだ」


 優しく、懐かしそうな目。


「すごいって。もっと描けばいいって」


 一拍。


「それが嬉しくて、ずっと描いてた」


 風が止む。


「……でも」


 声が少しだけ低くなる。


「それが、僕たちを追い詰めたんじゃないかって、ずっと思ってた」


 結衣の胸が、少しだけ締めつけられる。


「キリって、言い出したら止まらないでしょ?」


 思わず小さく笑う。


「うん……分かるかも」


 アイルも笑った。


「『アイルの絵はここで埋もれたらダメだ』って」


 遠くを見る。


「ある日、突然言い出して」


「……外の世界へ連れ出してくれた」


 声がほんの少し明るくなる。


「本当にワクワクしたんだ」


 目が輝く。


「見るもの、聞くもの、全部が新鮮で」


 でも、と続ける。


 少し困ったように笑いながら。


「キリは、僕が絵を描き続けられるようにって、すごく頑張ってて」


 スケッチブックをそっと撫でる。


「人間がどうしたら絵を買ってくれるのかとか、街のことを全部調べたり」


「初めて行く場所でも、事前に全部把握してて」


 肩をすくめる。


「時々、無茶なこともしてたから、ちょっと心配だった」


 一瞬、寂しそうな顔になる。


「……でも」


 ゆっくりと顔を上げる。


「この世界に来てから、キリがすごく楽しそうにしてるのが見れて」


 声がやわらぐ。


「僕は、それが嬉しいんだ」


 夕日の光が、金の髪を照らした。


「今までは……ずっと、僕のために動いてたから」


 少しだけ寂しそうに笑う。


「僕が守られてばかりで、キリの世界が狭くなってたんじゃないかって、ずっと気になってた」


 視線を遠くへ向ける。


「でも今は違う」


 はっきりと言う。


「僕以外の誰かとも、ちゃんと関わって、楽しそうにしてる」


 一拍。


「それを見ると、ああ、もう大丈夫なんだって思える」


 小さく笑う。


「だから……結衣ちゃんがキリと仲良くしてくれてるのも、すごく嬉しい」


 結衣はしばらく何も言えなかった。


 二人の間にある時間の重さが、夕日の中でゆっくりと伝わってくる。


「……二人とも、優しいんだね」


 アイルは一瞬きょとんとして——ふっと笑った。


「そうかな」


 少しだけ誇らしそうに。


 


 気づけば、風が少し冷たくなっていた。


 結衣は無意識に肩をすくめる。


 そのままぼんやり空を見上げて——


 意識が、遠のいた。


 



 目を開けると、視界が少し低かった。


 温かい。


「……あれ?」


 隣を見る。


 アイル。


 自分の頭が、彼の肩に寄りかかっていた。


「ご、ごめん!」


 慌てて離れる。


「寝ちゃってた……!」


 アイルは優しく笑った。


「いいよ」


 穏やかな声。


「可愛い寝顔だった」


「なっ……!」


 顔が一気に熱くなる。


「ごめん、重かったでしょ!」


「全然」


 さらっと言う。


「むしろ安心した」


「安心?」


「結衣ちゃん、最近ずっと頑張ってたから」


 優しい目。


「ちゃんと休めてよかった」


 言葉が出なかった。


 


 玄関の前。


 アイルがバッグから何かを取り出した。


 スケッチブック。


「これ」


 差し出す。


「今日のお礼」


「え?」


 開いた瞬間、息が止まった。


 笑っている結衣。

 パスタを食べている姿。

 帽子をかぶって照れている顔。

 キリと話している様子。

 ノクスと並んでいる姿。

 豊と笑っている場面。


 全部、優しい線で描かれていた。


 今日一日が、そこにある。


「……すごい」


 声が震える。


 アイルは少し照れくさそうに笑った。


「頑張ってる結衣ちゃんに大サービス」


 そっと頭に手が置かれる。


 優しく、撫でる。


「これで笑顔になってくれたら嬉しいな」


 結衣はスケッチブックを抱きしめた。


「……ありがとう」


 その声は、ほとんど涙に近かった。


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