最終話(後編)
(死にたかった……だけなのに……)
今目の前の光景が理解できない。
「私を歩かせるとはな」
玉座に鎮座していたガブリエルが、高御座を降りてくる。
(え……!?)
目の前に立つ、背の高い男にアンジェは震えあがった。
間近で見るガブリエルは威圧感があり、その場に座り込みたくなる。
胸の奥、唯一温かかった熱が消えていく気がした。
顔を背け、赤と黒の奇妙な模様の絨毯を見る。
「……………」
アンジェはただ、その場で震えることしかできなかった。
聳え立つガブリエルの前で更に萎む。
(私……なんでここに……)
頭の中が白くなる。
自分が誰で、今何をしているのか分からなくなった。
これは夢では? とすら思う。
しかし、目の前にいる、はっきりとした姿のガブリエルこそは実物だ。
今まで遠目でしか見ていなかった。
アンジェ自身も、なるべく見ないように気を付けていた。
その人物の服、装飾、気配。
それは、まぎれもない本物だった。
「真実を口にするまで一人ずつ殺す。言わぬならそれでいい、最後はお前だ」
最後はお前だ。
その言葉に、アンジェは気を失いそうになった。
殺してもらうつもりできた。
しかし、今の惨劇を目の前にして、死にたくない、と思った。
死にたくなかった。怖かった。
(……わたしの、せい……?)
今恐怖に渦巻いている侍女やメイドたちは、アンジェのせいだろうか。
死にたい、と願ってガブリエルに告白した、その行動が招いたのだろうか。
「あ……あ………」
少しずつ、時間をかけて質問をし、どんな答えでも首が刎ねられる。
無関係の女性たちの命が、消えていく。
涙を流しながら惨劇を見ていたアンジェは、ガブリエルを見上げた。
見下ろす表情は感情が一切なく、まるで無機物のようだった。
刺すように見下ろす、灰色の瞳。
「あ……え……え……ル、ルーシー……です………」
ガブリエルの圧と、目の前の惨状に堪えきれなくなり、アンジェは名前を紡ぐ。
「乳母を連れてこい」
ガブリエルの言葉に、アンジェは両手を顔で覆い、泣き崩れる。
(……ごめんなさい、ごめんなさい……!)
しかし、すぐにガブリエルはアンジェの腕を掴み立たせる。
触れられた場所が痛い。骨折しそうなほどの力だった。
「……う、うう……アンジェ様……」
両の腕を兵士に掴まれ、引き摺られるように目の前に連れて来られたルーシー。
涙と鼻水で顔が膨らんでいる。
ぐちゃぐちゃになった顔で、アンジェを見つめた。
「ルーシー……!」
生きていたことが嬉しくて笑顔になった。
駆け寄ろうとするが、腕を掴まれたままだ。
ぐん、と身体が動いただけで、叶わない。
「これが俺の血ではないと」
「う…ううう……」
腰が抜けているのか、力がないらないのか。
ルーシーは膝をついて両脇にいる兵士たちに支えられている。
まるで、磔にされているかのようだ。
「その話は真実か」
「……う、う、う………」
俯いてただただ涙を流し、嗚咽を漏らしている。
「言わぬなら、先にこの女を殺す」
「……っ!」
いつの間にか抜いたのか、アンジェの首元に剣が添えられていた。
首に刃が当たる。冷たい感触。
「……わ、わわわ……私が申し上げました!!!」
「誰の子だ」
「…………ジョ……ジョシュ、様です……」
ガブリエルは、アンジェの首に当てていた剣を下げた。
代わりにアンジェに握らせる。
「殺せ」
「…………?」
意味が分からない。
ただ、早くこの物騒なものから手を離したかった。
しかしガブリエルに上から握られ、逃げられなかった。
「ううう、あ、あ……アンジェ様、や、やめてください、アンジェ様!! やめて!!! ううう……!」
アンジェの姿を見て、ルーシーは浮いていた足を床につける。
逃げようとするが、兵士に両手をそれぞれ掴まれていて叶わない。
アンジェもそしてルーシーも、自分たちの意志ではなくそうさせられている、と思った。
「ああああ、申し訳ございません……申し訳ございません………!」
先ほどまで、セオやクリス、そしてアンジェを想って泣いていたルーシー。
今は情けない姿で命乞いをしている。
アンジェの目にも涙が浮かび、次々にこぼれた。
「人を殺すのは初めてか。愛いな」
「うう………ルーシー……」
手が震える。いや、手だけではない。
足も、腰も、肩も、全身が震えていた。
「ここに振り落とせ。こうだ」
「あ、あ………!」
逃げようとしていたルーシーは、兵士たちによって頭を床に押し付けられた。
首元が露になる。
「いや………いや、やめて………」
顔を背け、ルーシーを見ないようにする。
しかし、もう片方のガブリエルの手によって頭を掴まれ正面を向かされる。
「乳母が不憫だろ。いつまで恐怖を与える」
「いや……! ……ごめんなさい、やめて、お父様……」
「ガブリエルだ」
「…………?」
「ガブリエルと呼べ」
どういうことだろうか。
なぜ今名前を呼ばせるのだろうか。
(血が……繋がっていないから……?)
だから、父と呼ばれるのが不快なのだろうか。
「ガ、ガブリエル様、や、やめてください………!」
分からなかった。だから、言われた通りに必死で名前を呼んだ。
「ガブリエル様……私、ルーシーを……ルーシーを……殺したくない、です……!」
「そうか。じゃあお前を甚振り尽くしてから殺す」
「ア、アアアアンジェ様!! 早く、早く私を殺してください!! お願いします」
恐ろしい単語にアンジェが言葉を失っていると、ルーシーが泣きながら催促した。
「早く、お願いします! お願いします!」
ルーシーが懇願する。アンジェは困惑した。
(……ルーシー………?)
死にたくない、と先ほどまで言っていたのに、今は殺してという。
しかし、動けないアンジェの手を握っていたガブリエルは剣を振り下ろした。
(あ……いや……!)
目の前が白くなる。涙で視界が歪んだ。
「うぐ、うぐううう………」
ルーシーが低く呻く声が聞こえた。
アンジェは顔を歪めて泣く。
「いや、いやあ……! おと……ガブリエル様、やめて……!」
剣を手放そうとするが振りほどけない。
そして、背中にぴたりとつくように、腰を掴まれ引き寄せられた。
おぞましさに全身の毛が逆立つのと同時に、少しも動けなくなる。
「ガ、ガブリエル様……!」
「力を込めねば断てぬぞ」
アンジェの叫びは届かず、また剣を振り下ろさせられる。
(あ、あ、あ………)
涙で目が見えない。
ガブリエルの力に翻弄され、自分の意思とは関係なく身体が動いた。
絶叫に似た、ルーシーの呻き声が聞こえる。
(あ……あ……)
朦朧とする意識。
限界だった。
満足したガブリエルが手を離し、アンジェはその場に崩れ落ちる。
「……あ、あ、……ルーシー………」
もう動かないルーシーに手を伸ばす。
「ルーシー……直して、いつもみたいに、縫って……」
目からこぼれた大量の涙は、ルーシーの血と溶けあう。
「起きて……ルーシー………抱きしめて……」
髪に触れる。
ルーシーの、バラの香油の香り。
「あ、あ……ルーシー……」
もう動かないルーシーの手を掴む。
だらりと力ない。
いつも撫でてくれた優しい手の温もりは、急速に冷えていく。
「不快な話を吹き込まれ、お前も憤っていたのだろう。存分に報いを与えられて何よりだ」
放心しているアンジェに、ガブリエルは満足そうに目を細めた。
(ルーシー……セオ……ごめんなさい………)
生き残ってしまった。
死にたい、と願ったのはアンジェ。
それなのに、たくさんの人を死なせ、ルーシーを殺し、生き残ってしまった。
「あの国はろくでもない。俺のものを嫁がせ私腹を肥やした」
唖然としているアンジェに構わず、ガブリエルは吐き捨てた。
その声は冷たい中に、怒りを含んでいる。
「戦争なんて生ぬるい、滅ぼせ。誰ひとり逃すな」
「御意」
ガブリエルたちの言葉に、兵士たちが動く。
呆然とし、目の焦点が合わなくなる。
ぐわぐわと揺らぐ視界。
(……カトリーナ様、オスカー様……オリヴィア……タニア、ララ………)
小国で出会った人たちの顔が脳裏によぎる。
優しくしくれた、優しい人たち。
抱きしめてなでてくれる、笑顔のカトリーナ。
アンジェに一品必ず用意する、オスカー。
(あ、あ……そんな……)
オリヴィアの優しく可愛らしい、綺麗な声。
タニアとララの、明るい食卓。
(消えちゃう………)
はかはかとした浅い呼吸を繰り返すアンジェの頭に、手が置かれる。
髪をなでられた。
その手はカトリーナやルーシーとは違う。
伯爵とも違う。
まるで、物を触るような……なんの熱も感じない手。
「……やはり、彼女に似ているな」
ガブリエルに触られている。
そう感じたとき。
恐怖でぶれていた焦点があう。
現実離れしていた感覚から、今いる世界に引き戻された。
「……うう……」
怯えるアンジェに、ガブリエルは不気味に口元を緩めている。
灰色の瞳の中に、自分の姿が映っている。
(……怖い……この手、この目……怖い……!)
絶望の淵にいたのに、ガブリエルを認識すると恐怖に支配された。
「やはり血が似合うな、クリスティナ」
アンジェの毛先を自分の口元に当て、ガブリエルは目を細めた。
そして呼ばれるのは、母の名前。
「あの女は欠陥品だ。拒絶したまま死んだ」
淡々とした言葉の中に僅かに怒りが混じる、そんな声。
「お前はずっと傍にいろ。俺だけを仰げ」
まるで所有物を確認するかのように、頬をなでられた。
ガブリエルの指先に着いた血が跡を残す。
「完璧な、俺だけのクリスティナ」
侍女やメイド、ルーシーの死体の前でガブリエルは満足そうに笑った。
生者はアンジェとガブリエルしかいない空間。
血の臭いが充満している。
涙ではない雫が、首を伝う。
ごくり、とアンジェの喉が鳴る。
「……はい、ガブリエル様……」
歪な笑顔を浮かべ、アンジェは笑った。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ネガティブな感情で途中で離脱された方、最後まで付き合ってくださった方。
そんな方々が、時間をおいてある日、
「あんな物語を読んだ」「また読みたい」「読んでみたい」
そう思っていただけることを目標に書きました。
主人公のアンジェは純粋ゆえに空っぽです。
この部分がもどかしく感じられた方も多いと思います。
ただ、アンジェは主人公ですが、メインではありません。
人を映す鏡です。
アンジェという歪んだレンズによって、周りの善意が歪み本人たちに返っていく。
アンジェが『優しい人たち』がいると思い込んでいる世界を、アンジェの目線で読み、周りが歪むのを観察する。
これが、この物語の一つの楽しみ方になります。
いつかまた、この物語を思い出したそのとき。
ぜひもう一度、彼らが歪んでいく姿を観察しに来てください。




