三話(後編)
「失礼いたします」
早朝、部屋のノックの音と人の声で目が覚めた。
隣で寝ていたリオンも、もぞりと動いた。
「あらあら、まあまあ………!」
リオンの侍女と一緒に入ってきたエミリーはひと際大きな声を出した。
「お嬢様、部屋にいないと思ったら、あらあらまあまあ!!!」
「エミリー……おはよう……」
半分寝ぼけながら目をこすると、エミリーの笑顔が引きつった。
「ほら、身支度しますよ。部屋に戻りましょう」
乱暴な手つきでアンジェを立たせ、背中を押す。
「それでなくてもお嬢様の支度には時間かかるんだから」
ふらふらした足取りに構わずに、エミリーはぐいぐいと押した。
アンジェを部屋の外に出すと、エミリーはくるり回って部屋の中に一礼した。
「リオン様、お騒がせいたしました。また朝食で」
「……ああ、うん。また……」
リオンもまた眠そうな声で返す。
「ほら、行きますわよお嬢様」
ドアを閉めるとエミリーはアンジェの手首を力を込めて掴む。
冷たい手。そして、笑顔。
(よかった、エミリー笑ってる)
と思った瞬間、風を切るような急ぎ足で部屋に向かった。
(痛い……!)
脚の早さよりも掴まれた手首が痛い。
骨が折れてしまうのではないか、という力だ。
血流が止まり、指の先は紫になって痺れてきた。
ものの数秒で部屋に戻ると、エミリーはアンジェを部屋に投げ込んだ。
「さ、お風呂に入りましょうね」
いつも通りの笑顔のエミリー。しかし、
「……今日は一段と汚いですから」
そういった瞬間、エミリーの表情から笑みが消える。
昨晩の燭台の光で浮かぶ怖い顔を思いだし、アンジェは震えた。
とても乱暴に服をはぎ取り、露になった背中をバシン! と叩く。
皮膚には鋭い痛み。内臓まで届く鈍い痛み。
「けほ……!」
思わず咳が出た。
「汚すぎて虫がいたので」
「そ、そう……」
じくじくとした背中が気になるが、エミリーは浴室に連れていった。
いつも通り頭の上から勢いよく手桶で冷水をかけた。
水口をひねり、手桶に水をためる。
何度も何度も繰り返す。
(どうしたの、エミリー……)
永遠に続くのかと思うほどの冷水に、アンジェは不安になった。
エミリーが壊れたかとすら思った。
やっと手桶の嵐が止まったと思ったら束の間、爪を立てて頭皮をこする。
(あれ、せっけんは……?)
何もつけずに、エミリーは頭皮をガシガシと擦った。
擦り切れて血が滲むんじゃないかと不安になる。
(痛い……)
いつもなら、綺麗になるため。と笑ってくれるのに、今はにこりともしない。
「……エミリー……?」
つい名前を呼ぶと、手が止まった。
「……ああ……なんでしたっけ……ああ、せっけん……」
ぶつぶつと言いながら、固形せっけんを取り出して頭にこすり付ける。
(ま、まだ洗うの!?)
傷ついた頭皮にせっけんが染みる。
「ごめんなさいお嬢様。今日寝不足で……今ちょっと寝ていました」
「そうなのね……私も今日、眠かったわ」
「あらまあ! それは大変ですね、しっかり目を覚まさないといけません!」
グリグリと傷口にせっけんを押し当てられる。
「大丈夫、私がすぐに目覚めさせます」
先ほどの覇気のなさが嘘のように、力強い言葉が笑声として降り注ぐ。
いつもの調子が戻ったようだ。
(エミリーも眠かっただけなのね)
顔や首、腹部など弱い部分に固形せっけんを押し当てられながらアンジェは安堵した。
やはり、いつも通りのエミリーが安心する。
最後に十回ほど冷水をかけられて、アンジェは浴室から出された。
(今日のお風呂時間、長かったわ……)
朝からぐったりと疲れた。
しかし、いつも通りコルセットを極限まで締め、エミリーの選んだ煌びやかなドレスを身にまとう。
キシキシの髪をきつく結い、パラパラと散らばる髪を手で払う。
エミリーの手の中に残った髪もぱっと床に捨てた。
そしていつもより豪華な髪飾りで装飾した。
「これで誰が見ても美しいお嬢様ですよ」
「ええ、そう……ありがとう」
少し頭が重い。バランスをとるのが大変だ。
「それじゃあ、朝食に行きましょう。……リオン様もお待ちです」
「ええ、そうね」
重い頭を手でなでながら、アンジェは食堂へ向かった。
今日もこの世界には優しさが満ちている、はずだった。




