三話(前編)
夕方から、エミリーの笑顔が目に見えて引きつっていた。
(えっと、確か……)
いつも通りリオンと夕食。
別れるときに転びそうになり、すかさずリオンが抱き留めてくれた。
お兄様はやっぱり優しいわと喜んでいたが、その後ろで見たこともないほどの形相でエミリーが睨んでいた。
唇をかんで血が垂れていた。
しかし、アンジェと二人きりになってから笑ってはいるが少し違う。
細く笑った目ではなく、冷たい目になっていた。
(……お兄様のこと嫌いなのね)
ベッドに潜りながらそう回想する。
いつもならアンジェがベッドにたどり着く前に、すぐに明かりを消して出ていくエミリー。
しかし、今日は暗闇のなか燭台を持って横に佇んでいた。
「お嬢様、今夜は物語を聞かせて差し上げますね」
「え……? お話を聴かせてくれるの!?」
「ええ、特別ですよ」
とても楽しそうに、かつてないくらい優しい声でエミリーが言った。
アンジェも嬉しくなって笑う。
(初めてだわ! 嬉しい!)
温かい気持ちになって目を瞑る。
「これは、このお城にまつわるお話――」
急にエミリーの声が低くなった。
今住んでいる城の、過去の悲しい出来事が淡々と語り紡がれていく。
(あら……? あら………?)
気になって目を開けエミリーを見る。
燭台の光のなか、ぼうっと浮かぶ顔は無表情でとても白かった。
瞬間、腕に鳥肌が立つ。
(こ、怖い……!)
そこで理解する。
エミリーが語っている物語、それは怖い話だ。
(聞きたくない……)
毛布を頭からかぶる。震える身体。
ぎゅっと目を瞑る。
途端に、一層大きくなった冷たいエミリーの声が部屋に響いた。
(や、やだ……!)
目を瞑っても、耳を塞いでもエミリーの声が聞こえる。
怖い。
恐怖で奥歯がカチカチと鳴った。
先ほどまでの温かい気持ちはすっかり冷めた。
きつく瞑るアンジェの目の端から、一滴の涙が流れる。
「……そうして、この城では夜中に泣く女が出るそうです」
「………」
「……………」
静かになるエミリー。
(……終わった……?)
話が終わったことに安堵する。
まだ鳥肌は立っているし、毛布をかぶっているのに寒い。
恐怖で縮こまったのどはいつの間にか痛くなっていた。
アンジェは瞑っている目をそっと開けた。
ゆっくりと毛布を下げ、エミリーを見る。
燭台の明かりで浮かび上がる白い顔。
真顔で、じっとアンジェを見ていた。
(それ、怖い……)
また涙で目が潤む。背中がぞわぞわする。
すると、エミリーはふと何かに驚いたような顔をした。
空中へ視線をふらふら、と向ける。
まるで、何か動いているものを見ているかのように。
「エミ、……エミリー……?」
絞り出した声が震えている。
心の中で、やめて、と叫んだ。
「あ、あ、そんな……お嬢様、これ、この女……」
エミリーは何もないはずの天井の一点を見つめた。
そうして、恐怖で引きつった顔になる。
わなわなと口が震えている。
「キャーーー!!」
「……っ!」
エミリーは鋭く叫び、燭台を持ったまま勢い良く部屋を出て行ってしまった。
「………!!!」
煽りに煽られた恐怖心のアンジェ。
一人暗闇に取り残され呆然とする。
(やだ、やだ怖い……エミリー戻ってきて……)
毛布を頭からかぶり丸まった。
ガタガタ震える。
恐怖で心が潰されそうだ。
いくら待ってもエミリーは戻ってこない。
堪え切れず、アンジェは毛布を頭からかぶったままベッドから出る。
一人暗闇で、幽霊がいるこの場所にいることが堪えられなかった。
恐怖に駆り立てられ、急いで部屋を出た。
廊下に出たものの、怖くて部屋に戻ることはもうできない。
どうしよう、と悩んでルーシーの部屋に行くことにした。
ルーシーならきっと朝まで一緒にいてくれる。
ぶるぶると震えながら、暗い廊下を毛布を引きずりながら歩く。
ルーシーの部屋の前に着く。
ノックをするか迷い、そっとドアを開けて中を見た。
中に人はいた。
小さなろうそくの明かりで浮かび上がっている。
白い服を着て、椅子に座る姿。
ルーシー?
そう声をかけようとして、アンジェは息をのむ。
その女は、すすり泣いていた。
小さく震える肩。すんすん、と鼻を啜る音。
今一番アンジェが怖い姿の女がそこにあった。
また恐怖が全身を襲う。
足元がびりびりした。
背中がぞわっとして鳥肌が立つ。
(やだ、無理、怖い……!)
そうしてすぐにアンジェはドアを閉めて後ずさった。
同時に涙が浮かぶ。
怖くて心細くて、今にも大きな声で泣いてしまいたかった。
しかし、そうするとあの女に気付かれてしまう。
静かに泣きながら、途方に暮れた。
(どうしようどうしよう……どうして、ルーシー……)
どうしていないの、と叫びたくなったのを飲み込む。
自分の部屋に戻って一人ぼっちになるのもいや。
置き去りにしたエミリーも頼れない。
(じゃあ、あとは……)
この城で他に頼れるのはあと一人、リオンだ。
毛布を引きずりながら、また歩き出す。
(怖い、怖い、ヤダヤダ……)
リオンの部屋の前に行く。
もう一度こっそりとドアを開けて中を覗いた。
(幽霊、いませんように……!)
なかには人が一人いた。
まぎれもなくリオンで、机で本を読んでいる。
「お兄様……!」
安心して部屋の中に転がり込む。
「アンジェ!? こんな夜中にどうしたんだい?」
「お兄様! お兄様! お兄様!」
リオンに抱き着いてアンジェはわんわん泣いた。
孤独と恐怖と安心と安堵があふれ出し、心がぐるぐるする。
「……よしよし」
抱き着いて泣くアンジェを、リオンはただ優しく頭をなでた。
そうしているうちに心が落ち着いて泣き止む。
「どうしたんだい?」
「すん……あのね……あのね」
気持ちが落ち着き涙が止まる。
ぐるぐるしていた気持ちは、今は安心と安堵感だけだ。
疲弊した心に気持ちよく響き、眠たくなってきた。
「あのね、あの……怖くて眠れないの……」
「怖い夢でも見たのかい?」
「夢……? 夢、なのかなあ……」
うつらうつらと目が閉じかける。
この時間なら、とっくにいつもなら寝ている時間だ。
「そっか……。それじゃあ一緒に寝ようか」
アンジェも眠そうだし、とリオンは読んでいた本を片付けた。
アンジェをベッドに連れていき、持ってきた毛布を広げてかける。
「お兄様は……?」
「いるよ。ここに」
もぞもぞと動いてアンジェはベッドの隅に行く。
リオンはその隣に並んだ。
「すごく怖かったの……」
「今日は僕がついているから大丈夫だよ」
「すごく、すごく……泣いてたのよ……」
「そうだね、泣いていたんだね」
「怖かったの……」
うわごとのように呟くアンジェに、リオンはずっと相槌を打ってくれた。
リオンの声を聴きながら、アンジェはすっと眠りに落ちた。




