↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メイドイントーキョー  作者: 水色蛍
BBSのドッペル
PR
15/22

第15話:松浦リナ

 深夜26時。東京の西、三鷹市の閑静な住宅街。

 街灯が等間隔に並ぶアスファルトの道路を、灰谷の白いワンボックスカーがエンジン音を殺して滑るように進んでいた。


「……ここか」


 運転席の灰谷が車を停め、ルームランプを消した。

 車内は闇に沈み、後部座席に座るカナ、莉子、乃亜の顔が、機材のLEDランプだけで青白く照らし出される。


「松浦宅。……一見すると、ただの平和な一軒家ね」


 莉子が窓の外を睨みつけた。

 外観は、どこにでもある築浅の2階建て住宅だ。

 庭には手入れされた花壇があり、駐車場にはファミリーカーが停まっている。


「……ううん。違う」


 カナは左目を押さえた。

 深紅に充血した左目が、家全体を覆う「異常」を捉えていた。


「家全体が……『膜』に包まれてる。テレビの砂嵐みたいな、ザラザラしたノイズの繭の中に、あの家がある」


「空間位相がズレてるの。……あの中だけ、外の世界とは違う時間が流れてる」


 乃亜が膝上の携帯ゲーム機を操作しながら、淡々と告げた。


「『認識阻害』の結界も張られてる。近所の人は誰も、あの家の異常に気づかない。……中で何が起きても、ね」


「突入するぞ」


 灰谷が振り返り、短く指示を出した。


「作戦目標は、2階のリナちゃんの部屋にある『感染源』の除去。……条件は分かってるな?」


「ええ」


 カナは手元のMDプレーヤーを握りしめた。


「リナも、家族も、絶対に起こさない。……誰にも気づかれずに、終わらせる」


 もし一般人に「怪物」の姿を見られれば、その時点でアウトだ。

 記憶処理で済めばいいが、最悪の場合、彼らの精神が崩壊する。

 これは戦闘ではない。

 外科手術のような、極めて繊細な「切除作業」だ。


 車を降りたカナと莉子は、夜陰に紛れて玄関先へと忍び寄った。

 乃亜は車内に残り、遠隔で電子ロックの解錠を試みる。


『……セキュリティ、バイパス接続。……解除(アンロック)』


 インカム越しに乃亜の声が響くと同時に、玄関の鍵が電子音もなく開いた。


「けど電子キーのお家なんてリナさんの家はお金持ちなのかな」

「まあ、貧しくはない。それに記憶にも新しい『一家殺人事件』などもあったからな、世間的には防犯意識を徹底するのは正しいのさ」

「物騒な世の中…」

「今に始まったことじゃないさ」


「お邪魔します……」


 カナは息を殺してドアを開けた。

 家の中は、奇妙なほど静まり返っていた。

 いや、「音」はある。だが、それがおかしい。


 リビングのドアが少し開いている。そこから、テレビの光が漏れていた。


「……起きてるの?」


 莉子が唇の動きだけで問いかける。

 カナは首を振って、隙間から中を覗き込んだ。


 そこは、異様な光景だった。


 テレビがついている。だが、画面は真っ白な砂嵐(スノーノイズ)だ。

『ザァァァァァァ…………』

 深夜の放送終了後の、無機質な音がリビングを満たしている。


 ソファには、リナの父親らしき男性が座ったまま眠っていた。

 首をカックンと垂れ、いびきをかいている。しかし、そのリズムが異常だった。


『……グォ……。……グォ……。……グォ……。』


 まったく同じ波形。まったく同じ間隔。

 まるでサンプリングされた音声データを、編集ソフトでコピー&ペーストして並べたような、機械的すぎるいびき。


 さらに、台所には母親の後ろ姿があった。

 エプロンをつけたまま、包丁を握り、まな板に向かっている。


『トン、トン、トン、トン……』


 まな板の上には、何もない。

 野菜も肉もない。

 ただの空っぽの空間に、包丁を振り下ろし続けている。

 その動作もまた、数秒の映像をループ再生しているかのように、不自然に滑らかで、そして永遠に続いていた。


「……なによ、これ」

 莉子が顔をしかめ、吐き気をこらえるように口元を覆った。


『……家族ごと、バグに取り込まれてる』


 インカムから乃亜の声が聞こえた。


『彼らは「待機状態(バッファリング)」にされてるの。上位者がリナさんを取り込むまでの間、余計な邪魔が入らないように、昨夜の残像を繰り返させられているだけ。……放っておけば、死ぬまで包丁を振り続けるわよ』


 カナは拳を握りしめた。これが、上位者のやり方だ。

 人間を「命」ではなく、ただの「背景データ」として扱う冷徹な論理。許せない。

 彼らと会話できるもんなら、一発強めのビンタをしてから納得いくまで説明してもらいたい。


「……行きましょう。2階へ」


 カナは父親のループするいびきを背に、階段へと足を向けた。


 ミシミシと鳴らないよう、階段の端を選んで踏みしめる。

 2階の廊下は暗く、奥にあるリナの部屋のドアだけが、不気味な気配を放っていた。


「……深澄。準備は?」


 莉子が腰のホルスターから、例の新兵器を取り出した。

『MiniDVビデオカメラ・シーケンスキャプチャ』。

 銀色のボディが、闇の中で鈍く光る。


「いつでもいけます」


 カナもMDプレーヤーを取り出し、イヤホンを装着した。


 莉子が音もなくドアノブを回し、部屋へと踏み込む。

 その瞬間。

 二人の肌に、ピリピリとした静電気が走った。


「……ッ!」


 部屋の中は、昼間に見た「女子高生の部屋」のままだった。

 勉強机、散らかった雑誌、ベッド。そして、ベッドの上ではリナが安らかな寝息を立てていた。


 だが。


「……嘘でしょ」


 莉子が息を呑んだ。


 ベッドで眠るリナの体。

 その上から、覆いかぶさるようにして「黒い影」が乗っていた。

 いや、乗っているのではない。

 リナ自身の体から、影が剥がれ落ちるようにして立体化し、彼女の首を両手で絞めるようなポーズで固定されている。


 影には顔がない。だが、その頭部は、壁に貼られた浜崎あゆみや窪塚洋介のポスターの方を向いて、小刻みに痙攣していた。


『……ギ……ギギ……』


 影から、ハードディスクがクラッシュする時のような異音が漏れている。

 リナは苦しそうに眉を寄せているが、目は覚まさない。


「……あと少しで、同調(シンクロ)が終わるわ」


 莉子がビデオカメラを構え、液晶モニターを開いた。


「ナイトショット(暗視モード)、起動」


『フォン……』起動音と共に、液晶画面が緑色の暗視映像に切り替わる。

 肉眼ではただの黒い影にしか見えないその物体が、カメラのフィルター越しには、無数の「LANケーブルと血管が絡み合った肉塊」として映し出された。


「……キモい。やるわよ、深澄」


「はい! 音響遮断結界(サイレント・フィールド)……展開!」


 カナがMDの再生ボタンを押す。『PLAY』。

 ディスクが高速回転し、逆位相の音波が部屋の中に満ちる。

 これにより、この部屋で発生するあらゆる物理的な衝撃音は、外部には漏れなくなる。


「撮影(ハント)……開始ッ!!」


 莉子が録画ボタンを押した。『REC』の赤文字が点滅する。


『ギャァァァァァァァ————!!』


 影が絶叫した。だが、その声はカナの結界に阻まれ、空気を震わせるだけの振動となる。カメラを向けられた影は、レンズに吸い込まれることを拒絶するように、リナの体から触手を伸ばして暴れだした。


「させない!」


 カナが前に飛び出し、触手をMDプレーヤーから発生させたシールドで弾く。

『バチッ! バチバチッ!』

 火花が散るが、音はない。無音の火花が、暗い部屋をストロボのように照らす。


 リナの枕元で、ポスターが激しく揺れる。

 机の上のCDが崩れ落ちそうになるのを、カナは体で受け止めて防いだ。

 絶対に、物音一つ立てさせない。リナの安眠を、何があっても守り抜く。


「……解析完了! 弱点は『左心房』にあたる座標!」


 インカムから乃亜の指示が飛ぶ。


「了解! ……こっち向いて、ハイチーズ!」


 莉子がカメラのアングルを変え、影の胸元へとズームインする。

 ビデオカメラの赤外線ライトが、影の核を焼き尽くすように照射される。


 影は苦悶し、リナの首から手を離して逃げようとした。

 壁を伝い、天井へと這い上がる。


「逃がすか……!」


 莉子はカメラを振り上げ、執拗に影をフレームの中に捉え続ける。

 テープが回る音が、不気味に響く。

『ウィィィィン……』


 磁気テープに、影の時間が記録されていく。

 それは「封印」だ。奴らの存在を、0と1のデータに変換し、物理的なテープの中に幽閉する。


「……深澄! ラスト、押し込むわよ!」

「はい!」


 カナは左目の痣の痛みに耐えながら、MDの出力を最大にした。

 空間圧縮。部屋の四隅から見えない圧力をかけ、逃げ惑う影を一箇所に追い詰める。


『ギ……ギギ……ガガガ……』


 影は断末魔と共に、カメラのレンズの中へと吸い込まれていった。

 最後に残った黒い靄も、すべてテープの中に収束する。


「……カット!」


 莉子が停止ボタンを押した。『ウィ……カチャ』

 テープの回転が止まる音が、静寂を取り戻した部屋に響いた。


「……はぁ、はぁ……」


 カナはその場に膝をついた。鼻からツーと赤いものが垂れる。鼻血だ。

 脳への負荷が限界に近い。だがリナの私物に血がつかないように、服の袖で抑え拭き取る。莉子もまた、こめかみを押さえて顔をしかめている。


「……ったく。人の寝顔の横で、なんてことさせんのよ」


 二人は顔を見合わせ、苦笑いをした。

 ベッドの上では、リナが何事もなかったかのように、規則正しい寝息を立てている。

 首元にあった絞められたような跡も、影が消えたことで綺麗に消滅していた。


「……よかった」カナはそっとリナの前髪を直してやった。

「おやすみ、リナ」


 二人は痕跡を消し、静かに部屋を出た。

 1階に降りると、リビングの父親とキッチンの母親は、まだループを続けていた。

 だが、その動きは先ほどよりも緩やかになり、徐々に「正常な時間」へと戻ろうとしていた。朝になれば、彼らは何事もなかったかのように目を覚ますだろう。

 昨夜の記憶を、ただの「よく寝た夜」として処理して。


 車に戻ると、カナは泥のようにシートに沈み込んだ。


「任務完了ね。……テープ、回収したわ」

「2人もお疲れ様!」乃亜がパーカーを脱ぎ、少しぶきっちょな笑顔で迎える。

「ノアもありがとうね」「よし、帰るぞ。忘れ物はないか?」

「大丈夫。灰谷さんの仕事は残してないから」


 莉子がMiniDVテープを取り出し、ケースに収める。

 それが、今夜の戦いの唯一の証拠だ。


 翌朝。通学中の電車の中で、カナのガラケーが震えた。


【送信者:リナ】

『おはよー! なんか昨日めっちゃ爆睡しちゃって肌の調子イイかも! 今日も放課後遊ぼうね!』


 カナは画面を見て、ほっと息を吐いた。

 守れた。彼女の日常は、まだ続いている。


 その日の午後。秋葉原の第零技術局にて。椚が回収したテープを再生していた。


「……綺麗に撮れてるな。影の除去は成功だ。マーキングも消えてる」


 モニターには、暗視モードの緑色の映像が映し出されている。

 苦悶する影。それを封印する莉子のカメラワーク。完璧な仕事だった。


「……だが」椚がリモコンを操作し、映像をコマ送りした。

「ここだ。……最後の一瞬」


 影がレンズに吸い込まれる直前。カメラがふと、部屋の窓の方を向いた瞬間があった。


『ザッ……』


 ノイズが走る画面の隅。カーテンの隙間から、夜の闇が覗いている。その闇の中に。


「……ッ!?」

 その様子を見ていた莉子と乃亜は息を呑んだ。


 そこに映っていたのは、巨大な「眼球」だった。

 爬虫類のような、あるいは昆虫のような、無機質で冷酷な瞳。

 それが、窓の外から部屋の中を——眠るリナと、戦うカナたちを、じっと見つめていた。そして、その瞳の奥に、一瞬だけ浮かび上がったシルエット。

 それは、血まみれで笑う、カナ自身(ドッペルゲンガー)の姿だった。


『プツン』映像が途切れた。


「……見られていたな」椚が重い口調で呟いた。

「奴らは、リナという端末を諦めたわけじゃない。……むしろ、お前たちが守りに来ることを『学習』したのかもしれん」


 守ったはずの日常のすぐ外側に、まだ奴らは張り付いている。

 窓一枚隔てた向こう側で、その大きな目を瞬きもせずに開いて。


 三鷹の平和な住宅街。その上空には、目に見えない灰色の雲が、依然として重く垂れ込めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。