第15話
ボクは震える肩を抱き抱えて、寒さに耐えるように手を合わせて息を吹き掛ける。思ったよりも、シロさんとクロさんの戦闘が長引いていた。かれこれ、一時間近く雷獣センキと激戦を繰り広げている。
『グァアアアア――』
「うらぁあああ!!」
「――――ヴリトラ、避けなさいっ!」
怒りの咆哮、迸る雷撃、天から落ちる炎柱、雷光と炎熱を防ぐ氷の世界。
そんな目まぐるしく変わる景色の前で、ボクはもう飽きてしまって、退屈で眠りそうである。というか、そろそろ寝落ちて凍死しそうだ。
「……高位、魔族って……あの、雷獣センキ、って、強いんだなぁ……」
なんとなく呟いて、頭を振って意識を保つ。しかし、眠気も寒気も一向に改善されない。そんな時、ふと耳鳴りに似た音の振動が聞こえてきた。いよいよ凍死かな、と不安になる。
『ねぇ――リィラ・アリーチェ・イージスがどこに居るか、教えてあげましょうか?』
「……ん……え!? な、ええ!? ど、どういうこと!?」
耳鳴りが消えた瞬間、囁くような甘い声音でそんな質問がされた。思わず激しく問い返す。
最初は何を言われたか分からず思考が停止したが、すぐに理解してボクは絶叫した。眠りそうだった脳みそはすかさず覚醒して、全身が熱くなる。リィラ姉さんの行方はどこだ!
『教えて、あげましょうか? キミが知りたければ、特別に教えてあげるわよ?』
「知りたい!! アナタが何者だろうと構わないです! 教えてくれるなら何でも――いや、出来ることをします!!」
『……へぇ。ことのほか、冷静ね――まあ、いいわ。減るモノではないし』
ピーン、と耳鳴りが強くなり、ボクの脳内に突如、靄が掛かった綺麗な街並みの映像が浮かぶ。ところで、周囲を慌てて見渡すが、氷の箱の中には誰もいない。氷の箱の外にも、人らしきは誰もいなかった。
どこから声が聞こえているのかも分からないが、ボクはそこに疑問を持たずに頷いた。
『――リィラ・アリーチェ・イージスは、アルファ国領にある大都市、オープニング・Cを目指していますよ? そこは、全ての始まりにして、全てが終わる街』
「……オープニング・C? どこ、ですか、それは?」
『これ以上は説明しません。ここから先、キミは、あの素敵な仲間と共に旅を続けるが良いでしょう』
あの素敵な、という響きと共に、ボクの視線は、燃え上がっている墓地に向いた。そこではシロさんとクロさんが雷獣センキと凄まじい攻防を繰り広げていた。まだ決着はつきそうにない。
リィラ姉さんが向かった先が分かったいま、もうサッサと移動をしたい気持ちになっていた。
『しかし、少しだけ誤算です。まさか不完全なままで、雷獣センキを封印から解呪することになるとは思いませんでした。本当はもっと血を吸わせて、完全体で封印から解き放つ予定でしたのに』
「あ、そんなことはどうでもいいです……あの、リィラ姉さんが向かったオープニング・Cって、どっち方面に……」
『ええ、そうね。どうでもいいことね? キミたちの旅路の果てが、幸福で終わることを望んでいますわ――まずは、あの雷獣センキを滅ぼしてみせることですね』
「――いや、そんなのが、どうでもいいんですけど!! リィラ姉さんの向かった先が、どっち方面かを、教えてくださいよっ!?」
ボクは必死になって、姿の見えない囁き声の主に絶叫した。けれど、それ以降はもう何の反応もなくなり、誰もボクには答えてくれない。
さっきまでの凍死しそうな眠気や寒気はもう吹き飛んでいた。
頭は興奮で完全覚醒しており、全身から急いでオープニング・Cとやらに向かいたい欲求が溢れる。ってか、シロさんもクロさんもサッサと雷獣センキを何とかして欲しい。ボクを放置して殺す気なのか、と理不尽な怒りさえ湧いてくる。
「ヴリトラ、遊んでないで――隙を作れ、と言っているのに!! 何をやっているのですか!?」
「ぁああん?! うっせ、馬鹿白雪!! 馬鹿白雪こそ、もっとちゃんと拘束しろよ!」
ふと見れば、ぎゃーぎゃー、戯れるような言い争いをしながら、雷獣センキの稲妻レーザービームを避けて、受けて、カウンターで巨大な轟炎や氷柱をぶつけている。
墓地と屋敷の境界線だった塀は、とっくに崩れ去っていて見晴らし良くなり、大怪獣と人間の大激戦という様相が遠目に観察できた。墓地はあちこち土が掘り起こされて、もはや地形さえ変わっており、このままだったら草一つ残らない荒野になるだろう。
けど、雷獣センキはまだまだ元気そうだ。何を遊んでいるのか。
『――――グォオオアアア!!!』
雷獣センキの大絶叫、いや威嚇の咆哮だろうか。
空気を震わせて、強風さえ発生させる勢いの怒号が夜空の下に響き渡り、天空から幾筋もの雷光が地上に落下した。それは雷の流星だ。高速で動き回るシロさん、クロさん目掛けて、ドガンドガンと降り注ぐ。紙一重で避けてるのか、二人は元気そうだけど、戦闘は膠着してる感が出ていた。
ボクは今すぐにでもリィラ姉さんを追いたい気持ちから、無我の境地になっていた。
かつてないほど魔力が漲り、全身が万能感に包まれる。身に纏った衣服、古代竜族の加護を受けているそれが、妖しげな緑光を放ち出す。
ボクの熱くなった脳みそが、無意識に真言を唱え始める。きっといまのボクは、眼がバキバキに決まっていることだろう。
「――ロゥ・グロワ・イージスが命じる。リントヴルム・白雪、ヴリトラ・アーテル・クロフォード、己の姿を解放して、速やかに魔族を仕留めよ」
ボク一人しか聞き取れない音量の真言である。けれど、真言は唱えた瞬間から、その効力を十全に発揮する。つまり、この声が仮に届かなくても、二人は逆らうことが出来ない。
真言は魔力の光となって飛んでいき、温かい緑光で二人を包んでいた。
「あら? 力が漲る――嗚呼、ロゥ。そういうことですね?」
「んぁ? おぉっと!? 本気出していいんだな!! やるぜクロさまは!!」
二人の嬉々とした声が戦闘音に混じって聞こえた。次の瞬間、巨大な雷獣センキの近くに、同じくらいか、少しだけ大きいくらいの二体の巨竜が現れる。
かたや、美しい白竜である。
全身の鱗がまるで光を放っているかのように、夜闇に鮮烈な白を浮かべている。またその体躯には、吹き荒ぶ氷雪を纏っていた。
かたや、夜に溶け込むような漆黒の竜である。
闇が具現化したような光を吸い込む鱗をして、燃えるような炎の翼で羽ばたいていた。口からは炎の息を吐き、その眼光は深紅の宝石を思わせた。
白と黒の巨竜は、空から雷獣センキを見下ろして、圧倒的な威圧感でその場を支配していた。
あの絵面だけ見ると、まさに終末が来た、である。ボクが正気だったら、人生ここで終わりかな、って感じちゃうだろう。けどいま脳裏に浮かぶのは、サッサと仕留めてくれ、という一言だけだ。
「続けて、命じる――許されるのは、一撃だけだ。一撃で存在を消滅させろ」
ボクはさらに真言を重ねた。ふたたび魔力の光が飛んでいき、白と黒の巨竜を包み込んで光らせる。
これによりシロさんもクロさんも、次の一撃だけは、限界以上の攻撃ができるだろう。その結果、周囲がどうなるかなんて、もはや考えてられない。
ボクはいま、一秒でも早くこの街から旅立ちたいのだ。とにかく雷獣センキを殺すのが先決である。
『ヴリトラ。ロゥの命令に応じるため、トドメは譲りましょう。私がこの空間を停止させます』
『上等!! クロさま、全てを灰にするからな!? 本気で防げよ、白雪――』
叫んでいるわけでもないのに、夜空が揺れるほどの音量で二人は会話する。
おそらく声に魔力が篭ってるのだろう。かなりの距離があるのに、鼓膜に響き、耳が痛い。しかも本能的な恐怖さえ感じる。心臓が弱い老人は、これだけで死んじゃうんじゃないか。ま、野次馬のことなど、知ったこっちゃないけど。
その恐怖はしかし、雷獣センキでさえ同じようだ。
雷獣センキは格の違いでも嗅ぎ取ったか、白と黒の巨竜を見上げて、萎縮したように硬直していた。それでも一応、身体を覆う紫電の出力を上げて、バチバチと防御を整えている様子が窺える。
『――あらゆる全てを停止する。時間氷結』
煌めく白磁のような鱗と荘厳な冷気を纏う白竜と化したシロさんが、白く光り輝く息を吐いた。それは雷獣センキの周囲を瞬く間に白く染め上げて、青白い空間を作り出す。
時間さえ凍らせる究極の結界空間だ。
あの結界に閉じ込められたら決して出れず、凍えていることにさえ気付かずに凍死するだろう。囚われたら最期、内側からアレを砕くのは、神でさえ困難である。
『――あらゆる全てを灰燼と帰す。燎原ノ焰』
宵闇を溶かしたような鱗と威風を感じさせる紅蓮の炎を纏う黒竜と化したクロさんが、景色を歪めるほどの熱量を宿した黒炎を吐いた。それが空間ごと凍り付いた雷獣センキを包み飲み込んだ。
太陽が具現したかのような灼熱の極致、地獄の業火とはこのことか。
距離に関係なく、ボクの全身が炎を前にしたような暑さに曝される。きっと、シロさんの結界空間がなければ、これが放たれた瞬間に墓地周辺がすべて溶けてしまったのではなかろうか。対象は熱いと感じる間もなく燃え尽きるほどの圧倒的火力である。
「……究極の氷結に、極致の炎熱。シロさんもクロさんも、こうして見ると、ホントに古代竜族なんだよなぁ……」
ボクの呟きが直後の爆発で吹き飛び、一面の夜闇は、真っ昼間を思わせるほど明るくなった。黒い炎柱があちこちから立ち上り、夜空を覆っていた雲がすべて消え去った。
魔力を感知できる人がいたら、そのあまりの高魔力に感覚が麻痺したはずだ。
感知能力の低いボクでさえ、クロさんの黒炎が振りまく魔力の余波に中てられて、一時的に魔力中毒になってしまった。魔力を持たない人たちは、この余波だけで体調を崩すに違いない。
「流石に、これで死んだ、よね?」
目を細めて、爆心地の雷獣センキを眺めてみる。流石に距離があって詳細は確かめられないが、動く気配は感じない。
これで死んでなかったら、ここらへん一帯、というか少なくともエンドロールの街は、跡形もなく滅びる道を辿るだろう。だって、これ以上の攻撃を実行する場合、クロさんもシロさんも周囲に容赦をしないに決まってる。というか、これで終わってほしい。サッサと次の街に向かいたいのだ。
ボクは目を細めて、勝負の行方を見つめる。
クロさんもシロさんも追撃をしない様子を見ると、これで完全決着したはず、だ。けど、凄まじい冷気と熱気が交互に吹き荒れて、もうもうと土煙が舞い上がっているからよく見えない。
「……クロさん、シロさん、どう?」
『少しやり過ぎたかもしれませんね……ヴリトラの超火力が抑えきれません……』
『ってか、雷獣センキとか言う奴が、脆すぎるって――白雪の氷結魔術も、思ったより柔かったし。クロさまの全力は、まだまだこんなもんじゃないぞ!?』
『……私の氷結魔術が柔かったのではなく、ヴリトラの放った魔術が格上だっただけでしょう? この程度の魔族を滅ぼすのに、まさか至高魔術を放つとは思っていませんでしたよ。深淵劫火程度で、充分だったでしょうに……』
『はぁ? ロゥは本気でって言ってただろうが!? クロさまだって、あんな雑魚に――』
二人が不毛な言い争いを始めたところで、ボクは重い溜息を漏らした。
冷気と熱気の割合が、熱気八割に増えてきて、辺りが一面、灼熱に変わり始める。どうやらシロさんの冷気がすべて飲み込まれたらしい。というか、燃えるモノが何もないのに、炎だけが暴れまわっている景色は地獄に思える。
「……シロさん、なんとかならない?」
『――ええ、承知いたしました。絶命凍気』
ボソリとつぶやいたボクに即答して、シロさんが霧状の輝く息吹をゆっくりと吐き出していた。燃え盛るクロさんの炎に、それが纏い付いていく。炎を飲み込む霧が幻想的というか、不思議な景色である。
ボクの周囲に展開されていた氷の箱が砕けて散ると、ドッと一気に爆風じみた熱気が顔に吹き付けられた。思わず目を細めてしまう。空気が乾燥してて、目がとても痛い。
だと言うのに、炎を包み込む絶対零度の霧が、空気中の光を屈折させて虹を産み出していた。およそ現実とは思えないほど、幻想的な美しい景色だ。
「これで終わった、かな? もう竜化を解いて――あ、ちゃんと服も戻してね」
ボクは夜空に視線を向けて、驚異的な威圧を放っている竜化状態のシロさんとクロさんにお願いをする。二人とも長い首をコクリと頷かせた後、光り輝く魔力で己の体を包みこんだ。
さて、と何もなくなった墓地跡を眺めながら、ボクは幻想的な景色の中を進み、炎と霧で包まれた爆心地に近寄った。
普段の衣装に戻ったシロさんとクロさんも、爆心地を囲むように立っている。
「……凄いね。あのクロさんの攻撃を直撃して、死骸が残ってるなんて……」
「雷獣の皮革は、炎系の魔術に耐性がありますからね。しかも、私の氷結結界が良い感じに盾代わりになったようです。ヴリトラの実力不足も勿論あるでしょうけれど?」
「はぁ!? クロさまの実力に間違いないだろうが!? ってか、革を燃やし切れなかった程度で、勝ち誇るなっての。馬鹿白雪の氷結結界も、クロさまの一撃で消滅してたから盾にもなってないだろ!?」
「――結果がすべてでしょう? こうして雷獣の皮革が残っている時点で――」
「はいはいはい、ストップストップ。もういいから、とりあえずアレ、触っても大丈夫そうかな?」
ボクは言い争い合う二人をなだめて、爆心地に穿たれたクレーターで転がるソレを指差す。
クレーターに転がっているのは、ビリビリと雷撃を纏う焦げた皮革と、翡翠の霊玉と呼ばれた魔獣の核である。皮革以外の肉はもはや欠片もなく、血の一滴さえ残さず燃え尽きていた。ちなみに、ソレとボクが指差したのは、転がっている魔獣の核である。明らかにヒビが入っているが、よく形状を留めているものだと感心する。
しかし、これはどうなんだろう。死んだのかな、それともここからでも復活するのかな。
「……もう完全に魔力がなくなっていますね。雷獣センキは、これで死んでいます」
ボクの疑問に、横に並んだシロさんが答えてくれる。すると、クロさんがサッとその翡翠の霊玉を拾い上げて、あちち、と掌で握りしめて熱を発散させていた。だいぶ高温だったらしい。ボクが触れたら火傷じゃ済まなかったかもしれない。
クロさんはそのヒビ割れた翡翠の霊玉を摘み上げながら、どうする、とボクに首を傾げる。
「どうしようかな……まぁ、ボクは要らないけどね? もう死んでるってことは、捨てておいても大丈夫ってことだよね? 要するに、ゴミってことだよね? シロさん、どうしたらいいかな?」
「さあ? 確かに持っていてもゴミになるでしょうけれど、単体として見ると、とても純度の高い魔力鉱石なので、売ればかなりの金額になると思いますよ?」
「あ、なるほど! そうだね。じゃあ、どっかで売ろう!」
ボクはシロさんの提案に満面の笑みで頷いた。だって、もはやシンディさんに要求していた報酬は手に入らないことが確定している。
振り返れば、シンディさんの屋敷は半壊しており、クロさんとシロさんの魔術の余波でさらに被害を大きくしている。通りを挟んで向こう側の建物は、多少魔術の被害を受けて、崩れ始めている。だいぶ悲惨だけど、ボクには関係ない。
わーきゃー、と周辺の住民の多くが騒ぎながら、暴れまわる炎とそれを包む霧から逃げ惑い、こっちを恐怖の視線で眺めていた。
シンディさんも死んだし、この混乱の中心地である屋敷に戻って、金品強奪なんてしてしまうと大問題だろう。だいたいにして、そんな火事場泥棒行為は時間も掛かる。
ボクは一刻も早く次の街に向かいたいのだから、それをするのは悪手である。ちょうどここに、高く売れそうな翡翠の霊玉があるのだから、これを売ったお金を旅費にしよう。
「そうと決まれば――次の街に向かおう、シロさん、クロさん」
ボクは屋敷とは逆の方向を指差して、爽やかな声でそう宣言した。シロさんもクロさんもすぐさま頷いて、じゃあ行こう、とボクを守るように両隣に並ぶ。
背後では、燃え盛る炎が夜闇を照らしながら、幻想的な霧で徐々に鎮火される光景が広がっている。
鎮火される瞬間、凄まじい風が吹き荒れて、同時に、魔力の余波が地面をめくり上げて、野次馬の体調をも破壊していた。
街に与えた被害は甚大だけど、ボクらにはもう関係ないから、サッサと逃げるべきである。
ボクたちはこうして、最初の街エンドロールを逃げるように後にする。
最愛のリィラ姉さんの手がかり――アルファ国領とやらの大都市オープニング・Cを目指して、とりあえず次の街に向かうのだ。
待っててください、リィラ姉さん。
ボクは何としてでもリィラ姉さんを探し出して、一生添い遂げることを誓います。
美しいリィラ姉さん。嗚呼、早く逢いたいです!
「なぁ、白雪。ロゥがニヤけてるけど、なんか嬉しいことでもあったのか?」
「存じ上げませんが――まぁ、潤沢な路銀のアテができたからではありませんか? どこに向かうのかは分かりませんけれど、ロゥが元気ならどこまでも付いていくだけです」
「まぁなぁ……しかし、クロさま腹減ったな」
二人の相変わらずの掛け合いを聞きながら、胸いっぱいにリィラ姉さんの愛を思いつつ、新しい旅路を夢見るボクであった。
長い長い旅路は、まだ始まったばかりである。
to be continued




