一五五四 厳島前夜 (〇〇五)
~~~周防 大内氏館~~~
「将軍家からの偏諱、まことにおめでとうございます」
「あ、ああ」
「これまで名乗られていた晴英も前将軍からの偏諱でしたが、
今回の偏諱は今の将軍家、つまりは幕府からも大内家の当主として、
認められた証に他なりません」
「う、うむ」
「この幕府の後ろ盾を活かさぬ手はありません。
今こそ宿敵の尼子家を滅ぼし、さらなる版図の拡大を――」
「な、なあ陶よ」
「はい?」
「その……お前は、怒ってはおらぬか?」
「なんの話でしょうか」
「お、お前は私の晴英から一字もらい、晴賢に改名したではないか。
それなのに義長に変えてしまっては、申し訳がないというか」
「おっしゃる意味がわかりませぬ。
古い名を捨て、新たに偏諱を受けたことを喜びこそすれ、
怒るわけが無いでしょう」
「そ、そうか……」
「お言葉ですが、義長様は私の顔色をうかがい過ぎておられる。
大内家の当主としてもっと堂々となされよ」
「お、お前は私を殺すつもりはないのか?」
「!!」
「……大内義隆のようにですか?
はっきり申し上げれば、その理由がありません。
現在の大内家の実権を握っているのは私です。
わざわざあなたを除く必要が無い」
「………………」
「陶よ、義長様はお疲れの様子だ。
今日はこのくらいしよう」
「ああ」
~~~周防 陶 晴賢の屋敷~~~
「なんだあの怯えぶりは。
傀儡にされると承知で当主の座を引き受けたのではなかったのか?」
「お前は杉重矩や反対派を何人も粛清している。
怖がられるのも無理はあるまい」
「俺がいなければ大内家は早晩滅びるぞ。
それを理解せずに俺を追い落とそうと図る愚か者から、
大内家を守ってやっているようなものだ」
「義長様は大友家から一人で他家へやってきたのだ。
その孤独さはわかってやれ」
「フン、大友の血も大したことはないな。
もっとマシな息子はいなかったのか」
「…………」
「義長のことはいい。
それより吉見家の動きはどうなっている」
「やはり反乱を企んでいるようだ。
数ヶ月内には決起するだろう」
「また愚か者が一人増えるのか。
いいだろう、今度は俺自ら兵を率い、叩き潰してやる!」
~~~安芸 吉田郡山城~~~
「思ったほど大内家は動じませんな。
陶 晴賢と晴英……いや義長でしたか? を中心にまとまっています。
どうせ陶もすぐに粛清されると思っていたのですが、
考えが甘かったようです」
「陶は想像以上にやるようだな。
隆景が言っていたより大物のようだ」
「そういえば隆景は大内家に人質に出されていた時に、
陶と仲が良かったのでしたね」
「陶がなかなかやるのは確かだが、
そもそも謀叛というのは多大な労力を使うものだ。
義隆を殺されたからといって、
仇討ちで陶や義長を殺してやろうとはなるまい」
「ははあ、父上の口から言われますと説得力がありますな」
「わしは謀叛などしたことはないぞ」
「おや、そうでしたか?
では父上、大内家の自浄作用が期待できないなら、
どうやって陶を打倒しましょう」
「そうだな。問題を出してやろう。
陶のように裏切りで実権を手にした者が最も嫌うことはなんだと思う?」
「ううむ。父上がわざわざ問題にされるくらいですから、
裏切り者が嫌いなのは裏切られることだ、
なんて簡単な答えではないでしょうなあ」
「……お前は性格が悪い」
「そんなこと誰にも言われたことありませんよ。
老臣からはお父上に似ておられるとよく言われますが」
「元春や隆景は素直なのに、
お前は妻に似たのだろうなあ」
「おやおや、母上が化けて出られますよ。
まあ冗談はそのくらいとして、いよいよ陶に戦いを挑むのですね」
「うむ。厳島を占拠し、そこで迎え撃つ」
「なるほど、狭い厳島ならば展開できる兵力にも制限があります。
小勢の我々にも勝ち目がありますが……しかしそれは陶も先刻承知でしょう」
「そのための裏切りだ。
まずわしの息の掛かった吉見家を反乱させる。
陶が怒って討伐に向かったところで、わしらが蜂起するのだ」
「陶はそのまま反転して厳島へ攻め寄せる、という策ですか。
それなら大内家の全軍ではなく、手勢くらいの規模にもなるやもしれません。
しかしそう上手く行きますかな」
「いろいろと手は打たせた。五分五分よりはマシの計算だ」
「わかりました。父上の運を信じましょう」
「さて、わしは十分に働いた。
次はお前の番だ」
「と、おっしゃいますと?」
「後は蜂起するだけだが、家中の意見をまとめておらぬ。
反陶・反大内に毛利家の意志を一致させるのはお前の役目だ」
「……一番面倒で重要な役目を息子任せとは、
やはり父上は何もしない謀略家ですなあ」
~~~安芸 吉田郡山城~~~
「……陶は乗りませんでしたな」
「うむ。わしは金輪際、賭け事はしないと誓おう」
「いや親父、一度負けたから次は勝てるぞ。
それが賭け事ってヤツだ!」
「フッ。どうやら兄上は賭け事で身を滅ぼすタイプのようだ」
「なんだと?」
「これこれ、このような時に争うでない。
――そうだ、お前たちには一度言っておきたいことがあった。
たしかこのへんに三本の矢を用意しておいたのだが、
ええと、どこへやったかのう。まあ無くてもよいか。
仮にここに一本の矢があったとしてだ、つまり」
「父上、訓辞を垂れるのは暇な時にお願いします。
今は一刻を争う事態です」
「親父の話は長くていけねえ。
陶はすぐに厳島には向かわず、
大部隊を編成してじっくりと攻めるつもりだぞ!」
「怒ってすぐにでも厳島に乗り込んでくると思ったのだがな。
あてが外れたのう」
「彼我の戦力差は絶望的です。
全軍で腰を落ち着けて攻められては、
戦況を覆すのは並大抵のことではありません」
「なに、あわてることはない。
わしは賭けに負けたが、陶も一つ下手を打った」
「なんのことでしょう?」
「謀略家のわしに時間を与えてしまったことだ。
じっくり攻めてくれば、それだけわしは多くの手を打てる。
それに厳島を毛利家が占拠したという事実は動かぬ。
陶はいずれ必ずこの厳島に現れる。その時が、陶の最期だ」