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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
266/292

光、統べる者 17.

組対会議室に張り詰めていた緊迫感は、棚倉たなくらの行動で更に加速する。

彼の血走った目が一瞬、ほんの一瞬、栂井とがいを睨んだ。

精神感応を許可なく使えない碓氷うすいでも、その憤慨混じりの情動が手に取るようにわかる。

その目は『余計な事をするな、邪魔をするな栂井』とはっきり言っていた。

そして走り出す棚倉。強化ガラスが破られた窓に向かって。


棚倉と栂井の二人が奈執なとりの差金であることは想像がつく。が、白楼を出てからクレヤボヤンスだけで状況を追っていた碓氷はやはり腑に落ちない。

栂井の行動、その無抵抗の意図は? 奈執は栂井に何をさせているのだ? 脚に銃弾を受けていながら床の崩落を止める?……仮に棚倉との連携と見るならば、SAT隊員達の命を握り脅すため? いや……

釈然としない。が、今の碓氷が取るべき行動は一つしかなかった。


私に出来るのだろうか、などと考えている猶予はそれこそ皆無。

碓氷は放った。三本の『光の帯』を同時に。

第二階層を走る二本は棚倉の頭部へ一本、そして栂井の頭部へ一本。第一階層へと伸ばした一本は床下へ、床を支えている栂井の『赤紫』を斬り払い、自ら支え直す為に。


碓氷が、自分に出来るのか? と刹那不安を抱いたのは失神させる能力のことだ。

特殊査定班からの『人を失神に至らしめる能力』報告は未完の段階であり、懸案事項の部分が残っている。

かつて赤羽根あかばね博士が皆月岸人みなづききしとに気絶させられ、その自覚症状や事後検査を彼女自ら行い、血管迷走神経反射性失神との仮説を立てた。

簡略的に言えば脳細胞のシナプス間を伝道する微電流に異常を発生させ、自律神経系に瞬間的な失調を起こさせる。すると脳の防衛反応として血流が一時的に鈍り、前兆的な自覚症状を感じる間もなく失神する、といった内容だ。


碓氷の不安は、失神させられるかどうか、ではない。

後遺症無く気絶させることが自分にも出来るのだろうか、という危惧だ。

と言うのも、脳で血流循環量が適度に確保出来ない状態が長引くと場合に寄っては大量の脳細胞壊死を起こしてしまう。いわゆる若年性脳梗塞と同じ症状だ。

特に栂井翔子。人の脳細胞は六歳頃までに約九割が形成され、十二歳頃に大人と同等まで成長する。

まだ成長過程にある可能性が高い彼女に、一時的であっても脳の血流停滞が及ぼす悪影響は怖い。

決して子供に対し使っていい能力ではない、と赤羽根博士の所見にもあった。


一人に対し慎重にそれを行うのならば、能力を加える時間的、範囲的な調節も出来よう。

しかしながら、今は二人同時だ。しかも落ち掛けている床を支えるテレキネシスも発動している。

片や床の損壊状態を配慮しつつ支え、片や手加減の度合いも定かではない失神の誘発。

自律神経への影響や加減など全く判らない碓氷にとって、それが簡単な精神操作であるはずがない。


抵抗を示さない栂井まで気絶させる必要は無い。……というのは現場の都合だ。

指示は『光の帯』を放出している栂井を止めろ、だ。

長官の言葉で言うなら化物少女を潰せ、か。

気絶させて見せるしか方法が無いではないか……。

そして状況は悪化する。

当然のように抵抗する棚倉によって。


「こっ、高次元……碓氷さん! あんた!」


分断か!?

切り刻んで殺そうと言うのか?

頭を狙っているのか!

首か! 首を落とそうって言うのか!

殺されないぞ! 俺は絶対に殺されないぞぉ!!


碓氷が放つ『灰色』から必死に身を交わす棚倉。

それは文字通りの“必死”さであり、碓氷に手加減させる隙など与えてくれない。


…棚倉!


物理的な拘束が必要だと考えた碓氷は、第二階層の『灰色』の先端を第一階層に次元変換する。

それが視える棚倉も死にものぐるいで応戦、碓氷と棚倉のテレキネシス戦となった。

互いに掴み止め、斬り払う、能力の応酬。

すぐ近くに不気味に佇む赤い魔女の存在、その威圧感が棚倉の焦燥感を煽り立てる。

碓氷と反目の位置にいる様だが棚倉にとって魔女は警察側の使い手、決して自分の味方ではない。

次第に本数が増え、精神力の高揚に伴い発動速度が速くなるテレキネシス。

回り込む棚倉の『灰色』が会議室の床や天井に荒々しい抉り跡を刻んで行く。


ドサッ


突然倒れる少女。

碓氷の能力で意識を失った栂井だ。


「あ……あ、あ……」


声を出したのは湖洲香こずかだった。

その目は一瞬カッと見開き、瞬きと同時に瞳に溜まっていた大粒の涙が二つ、ポタ、ポタと床に落ちた。

指先はわなわなと震え、顔は紅潮していく。


…う、碓氷さん、何を、何を……


能力を消せって言いましたわよね……

動くな、って言いましたわよね……

それで?……

あなたに従おうとしていたのよ……

碓氷さんのところへ行くって、従うところだったのよ……

それで、それで、栂井さんに、この子に……


「……なにをしたの……」


言葉と共に無意識に体外に滲み出す赤い能力霊体。

それに気付いた碓氷は湖洲香の足元にズガッと『灰色』を一本突き立てた。


「動くなと言っている! 少し眠らせただけだ!」


湖洲香は眉間に深い縦皺を寄せ、クッと歯を食いしばった。

やり場のない苛立ちと怒りが沸点を超えている今の彼女にとって、それは例えるなら既に導火線が無くなり爆発が始まっている爆弾を素手で押さえ込むような自制。

横たわる栂井を前に、握った両の拳をわななかせながら『赤』を収める彼女。


しかしながら油断はならない、と碓氷は湖洲香への警戒を解かない。

その脳裏には白楼事件直前の赤い魔女が過っていた。

刑事局で拘束した仔駒雅弓こごままゆみを連れ去るため赤羽根博士と一度この警察庁に押し入った魔女。

我々刑事局の使い手刑事が束になって確保に当たったが、彼女はそれを退けた。

ある者は骨折させられ、失神させられた者もいる。

碓氷もその時の魔女との精神感応に触れ、その意識下に浮き沈みする思念を垣間見た。


『悪い人はどうなっても自業自得』


彼女なりの正義があったことは碓氷にも良く分かる。

でも、在ってはならない。自業自得、という定義付け。相手の動機を細部まで掘り下げない雑な定義。

警察庁刑事局職務の一端を担う使い手、そのラボ教育を経た我々には、理解は出来ても同じ警官として許容出来る感覚ではない。


碓氷たちが使う“赤い魔女”という表現には、畏敬の念と蔑視の念が同時に介在する。

能力の優秀さと真面目な気質、だが、教育で矯正されなかった直情的な部分。

『私の目的はこれ、邪魔者は排除』、という思考に短絡的に結び付ける偏った正義感が、強大な能力を持つ湖洲香には害になる……これは大なり小なり刑事局捜査課の使い手達に共通する認識で、碓氷は特に蔑視の念が強かった。


司令室のモニターを覗き込む次長が眉をひそめる。


「なんだ? 化物が倒れたな。警視監、どういう状況ですかな?」


佐海さかいもモニターを食い入る様に見る。

倒れた栂井、碓氷を険しい表情で睨んだまま佇む湖洲香、その碓氷は棚倉の方を向き、やや猫背で手をブルッ、ブルッと時折震わせている。棚倉は真っ赤な顔全体にびっしりと汗を浮かべ、一人で床の上を右へ左へとふらついている。


「おそらく、ですが……」


佐海は移動中の風見巡査の現在位置をちらっと見てから、続けた。


「……栂井翔子は碓氷巡査の能力で失神、抵抗する棚倉仁と巡査の攻防が続いている、のだと見受けます。」

「母殺しは何をしている?」


その言い方はやめろ、と佐海は内心思ったが、表情には出さない。


「若邑特査員はもともとテロ分子ではありません。碓氷巡査の指示を遵守しているのだと思われます。」

「それならば早くSATに少女を回収させたまえ。」

「危険です。ご存知の通り碓氷巡査にテレキネシスを許可しております。目には見えませんが巡査と棚倉の間で攻防が続いているなら巻き込まれます。会議室の中は見えない凶器が飛び交っていると考えて頂きたい。」

「見えない、凶器?……」


腕組みしつつモニターに顔を近付けた次長をよそに、佐海は今一度GPSモニターに視線を移した。


…この位置だとあと二十分、いや十五分か……早く来てくれ、風見君。


そう思う一方、先刻入っていた県警本部長からの連絡が佐海の頭を痛める。

それは、刑事局長である自分の指示を無視した対応。

許可を出さなかった、ある人物の同行。

真面目で温厚、普段は腰の低いあの本部長が弱々しい声で、だが毅然として言い放った。


『私の一存でございます。覚悟は出来ております。』


要請したのはおそらく赤羽根博士か遠熊倫子班長だろう。


紅河くれかわ少年がここに来る。


どんな理由があろうともこんな抗争に関わらせてはならない一般市民。

どんな理由があろうとも、だ。


苦悶の表情を浮かべる佐海に、更に厄介な事態が舞い込む。

白楼からのオンライン、緊急連絡。


…山本光一が脱走!?


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


光一が最初に瞬間移動テレポーテーションした先は県の民間総合病院、都筑医院だった。

隅々まで熟知している言わばマイホームにあり、人が誰も来ない“あかずの部屋”へ飛ぶこともわけない。


…警察庁に行く、とは言ったけど、直接行くとは言ってない。


白楼の病衣のままというのもなんだし、単に身支度くらいしてから行こうと思っただけなのだが、透視で外出着を選んでいる時にふと目に入ってしまった。

いつも世話になっている看護師たち。

厳しい人、明るい人、説教くさい人、それぞれだが、皆一様に親身に世話をしてくれた。

もう会うこともないと思うと、どこか感傷的な気分が過る。


あかずの部屋の暗がりの中で、無い右腕と左脚を補っている能力霊体にしゅるしゅると包帯を巻きつつ、一方で光一は一番近いホームセンターを透視した。


…うん、夏だし、これなら苦手な人はいないか、な。


物質転送テレポーテーションにより彼の手元に現れたのは、水まんじゅうと水ようかんの詰合せ。

包装紙に『光一がお世話になりました 皆さんでどうぞ 石井』と書き、タイミングを見計らってナースステーションにこっそり転送した。


…そう言えばおじさん、どうしたかな。


必然的に気になる石井のこと。

自分は警察に逮捕されたのだろうから、保護者代理の石井も聴取は受けているはずだ。

しかし光一はさほど心配はしていなかった。実際、自分の犯行に関することについて、石井は一切知らないのだから。


痛む節々に顔をしかめつつ光一が腕を通した服装は黒いカジュアルシャツにライトイエローのスラックス、同じくライトイエローのサマージャケット。

金色ではないが、いかにもっぽくて良いではないか、と洒落っ気を出す。

どうせ『包帯の男』とすぐに気付かれるだろうし、中学の制服など着て行く気にもなれない。

それと、光一は普段使っている車椅子も引き寄せた。

実は車椅子など必要無いのだが、演出するなら徹底した方が良い。


透視で病室のデジタル時計を見る。日付は七月二十五日、金曜と表示されていた。


…あと四日……奈執さんは最後のピースに辿り着いたのか?


奈執には結果的に『抹殺対象』という伝え方になった若邑兼久わかむらかねひさ

実のところ殺す必要があるのかどうか結論には至っていなかったのだが、廃病院での赤い魔女との対峙で光一自身が倒されるか警察に捕まるかした場合は抹殺、という取り決めになっている。

若邑博士は悲劇の連鎖の起点では決して無い。

が、連鎖の鎖を血生臭く塗り変える悪魔のわざを振るう、その一人だ。

遠熊蒼甫と若邑博士の人工能力者出産研究など、跡形もなく消し去るべきもの。


穂褄ほづまにより、北海道の蹴蘭山けらんざん研究所資料室に封印されていた人工能力者研究関連の資料も全て焼かれた。

以前それを確かめに訪れた奈執が、透視で灰になった庫内の資料を確認している。

同時に奈執は、研究所の古見原啓子所長やその時研究所にいた深越美鈴も遠熊倫子も穂褄の焼却行動には気付いてもいなかった、と報告している。

全くもって奈執志郎という男は人を欺き秘密裏に事を進めることに長けているようだ。


…って事は、ここからは僕も奈執さんの水面下の動きに騙されないようにしないといけない、って事になるかな。


奈執にとって包帯の男である『金色』はもう引退、隠居した存在。

味方をも欺く罠を張っていても何ら不思議ではないし、むしろそういう狡猾な男だからこそ光一も後を託すことが出来た。

しかしながら、今の光一には脱走者の中で共有した計画には無かった案件が一つ増えている。

それは自分の引きずる未練……


…さて、と。


身体の節々の痛みは相変わらずだが、バルビツール酸の影響が薄れて来たのか重い頭が多少晴れてきた。

飛ぶ前に、警察庁の透視に入る。


…碓氷、棚倉、栂井、若邑……近付いているのは南條、風見……ふぅん、なるほどね。


光一は奈執を探した。

彼の第二階層クレヤボヤンスはそのスペックが異常に高い。

球体視界の全方位を網羅しても、半径四キロメートルなどという生易しい物理距離ではなく、その七百五十倍、半径約三千キロメートルを同時に知覚出来る。

かつて散り散りになっていた脱走者達をいち早く見つけ出し集めることが出来たのも光一の能力スペックがあってのことだった。


…あ、いた。あそこは、えーと、香川? 瀬戸内海かな……仔駒こごま狩野かのうも近いな。


魂の光が明滅して視える『能力者』。

刑事局の悪行に関わった能力者以外にも何人か見受けることがある。

緑養の郷にも刑事局にも全く関わらなかった能力者。

そういう“無関係な使い手”も光一のクレヤボヤンスに引っ掛かることがあるが、仲間に引き込むという発想を彼は持ったことがない。

そんな発想はそれこそ刑事局の『能力者狩り』と同じだからだ。

光一は警察庁に意識を戻した。


…うん、いるな、あれ。


若邑の背後。

美馬恒征を瞬時に眠らせた、例の『眩しい光の傍観者』。

その性質を調べておきたい、と以前は考えたものだが……光一の性格上、あまり出たとこ勝負的な行動も取りたくはない。

かと言って躊躇している場合でもなさそうだ。

もちろん伴瓜ともうりの要請である若邑の取り抑えなど最初からやる気はないが、碓氷と棚倉が争うなど愚かしい上に、栂井は気絶をしている様子。

計画が円滑に進んでいる様には到底見えない。


奈執のいる四国へと意識を向ける。

御笠一巳の母親との接見ならまだそのタイミングではないはずだ。

なぜ四国に、それも使い手三人が?……


どちらにテレポーテーションするべきか。

警察庁か。

四国か。

光一は暗がりの中で静かに車椅子に腰掛け、目を細める。

そして……しばし考えた後、テレポーテーションの初動に入った。

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