第三話 全てを呑み込む原初の大海 ~ケイオスオーシャン~
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「なかなかの光景じゃのぉ。水平線が見えおるわ。」
見渡す限り水、水、水。周囲三百六十度全てが水に囲まれていた。
秀隆は今、船に乗っていた。
「ヒデタカ殿は、ナグラ海は初めてか?」
その秀隆に声をかけたのは、白いローブ姿の魔術師の少女。
アンジェリカである。
「故郷の海なら行ったことはあるがの。この辺りに来たのは初めてじゃよ。それに、これほど大きな湖もじゃな。」
学術都市ニリアの西側に広がるナグラ海は、海と呼ばれているが実は淡水の湖である。
湖にもかかわらず海と呼ばれる理由はただ一つ。
広い。
無茶苦茶広い。
対岸の代わりに水平線が見えるほど広い。
海と見まごうほどに広いためにナグラ海と呼ばれる湖は、波も少なく穏やかだった。
その穏やかなナグラ海を、秀隆が乗った船はゆったりと進んで行く。
◇◇◇
さて、ライエン邸では敵対関係にあったアンジェリカが、何故秀隆と一緒に行動しているのか?
話は数日前に遡る。
ライエン邸で失態を演じたアンジェリカは、世界救世教会にて事の顛末を報告していた。
「……と言った次第で、外法聖典の存在は確認したのですが、確保には至りませんでした。申し訳ございません。」
根が生真面目なアンジェリカは己の失敗を包み隠さず報告する。
それは彼女の美徳ではあるが、失敗の目立つ無能者と思われることもしばしばである。
損な性分なのだ。
彼女の報告を聞いているのは、幹部と呼ばれる者達である。
組織内で高い地位に就いている実力者。
だが、地位の高さは人格の高潔さを意味しない。
むしろ、他人の足を引っ張ったり、仲間の成果を横取りするような、そんな方面の実力に長けた者も多い。
そうした者達にとって、自らの弱みを馬鹿正直にさらけ出すアンジェリカは格好のカモだった。
――禁忌魔導書まで使って失敗するとは情けない。
――服が破れたくらいで降伏するとは何事だ。任務の重要性を理解しているのか。
――これだから女は使えないのだ。
本人に直接言わない陰口であり、実際に失敗しているアンジェリカには言い返すことができない。
他人の失敗は蜜の味。
下種な幹部連中の嘲笑と好奇の目に、アンジェリカはただ耐えるしかなかった。
しかし、その幹部たちの陰口が唐突に途絶えた。
原因は、一人の男だった。
その男が特に何かしたわけではない。
ほんのわずかな身じろぎ。ちょっとしたしぐさ。
ただそれだけで周囲の人間が勝手に何かを感じて押し黙る。
格下を傲然と見下す者は、逆に格上に対しては卑屈になる。
幹部連中が自然と卑屈になるその男は、世界救世教会のトップ。教主と呼ばれていた。
「危険な禁忌魔導書でありアーティファクトでもある外法聖典を確保できなかったことは残念ですが、その所有者を特定し、魔法の一つが判明したことは一つの成果です。」
教主は穏やかに語る。
組織のトップである以上は清廉潔白なだけでは済まないだろう。
だが、下種な性格が顔にまで現れている一部の幹部と異なり、教主は外面を完全に取り繕うことに成功していた。
世界救世教会の理念に誠実に向き合う人格者。
世俗的な欲にまみれた幹部連中はともかく、組織の末端の者達の間にはそのように信じる教主の信奉者も多い。
アンジェリカもその一人であった。
数ある魔術結社の中でも宗教色の強い世界救世教会は、特定の神を信奉する集団ではないが、教主の言葉を絶対視するカルト的な側面があった。
「それで、その御老人は何処の組織の者とは名乗らなかったのですね?」
「はい。最初から最後まで、いかなる組織の名前も口にしませんでした。」
世界救世教会が収集しようとしているのは終末魔導書――彼らの言う外法聖典だけではない。
強力な魔術・魔法が記された様々な魔導書、今の技術では再現不可能な不思議な能力を秘めた工芸品であるアーティファクト。
外法聖典は強力で危険でぜひとも回収して自分たちで管理すべきと考えているが、他にも回収すべきものは数多くある。
件の魔法は確かに強力で危険だが、全裸の巨人になって暴れる魔法では使いどころが非常に限られる。その効果を知っている者ならば簡単には使用しないだろう。
所在が明確で、それを使って何か行う様子がないのならば、優先順位を下げても問題はない。
それよりも問題となるのが、背後関係だった。
力ある魔導書を欲しがるのは世界救世教会だけではない。
大小数ある魔術結社はもとより、国の機関から個人のコレクターまで手に入れようと画策する勢力は多い。
そんな中には、下手に関わると面倒なことになる勢力も存在する。
有力な組織の者ならば組織の名を出して牽制してきそうなものだが、極秘に動いていることだってあり得る。
実際には裏など何もないのだが、「ないこと」を証明するのはとても難しい。
結果的に、世界救世教会の名を掲げて挑んだアンジェリカを退けているのだから、秀隆の背後に何らかの組織の関与を疑うことは間違いではないだろう。
「ヒデタカ、ですか……聞いたことがありませんね。ライエン邸を攻略し、外法聖典にも詳しいほどの人材ならば名が知れていても不思議はないのですが。偽名で行動しているのか、どこかの組織の隠し玉か、それとも世間に出ることなく研究に明け暮れていた隠者か……」
全て不正解である。
だが、ここで正解を言い当てる者がいたら、正気を疑われるだろう。
「いずれにしても、この者の動向は慎重に見極める必要がありますね。アンジェリカさん、他に報告することはありますか?」
「はい、実はこのようなものが……」
アンジェリカが、少々恥ずかしげに差し出した書状を見て、教主は顔をひきつらせた。
アンジェリカや幹部たちの目があるためどうにか平静を装ったが、内心は荒れ狂っていた。
世界救世教会のカリスマを動揺させた書状の内容は、請求書だった。
名目は、アンジェリカが破壊したライエン邸に対する賠償金である。
ライエン邸は百年前の大富豪が建てた豪華な邸宅である。
加えて、からくり屋敷と呼ばれるほどに高価な魔道具をふんだんに使った仕掛けが施されている。
さらに言えば、学術都市ニリアの観光名所にもなっている。
そんな邸宅を壊したら、賠償額はいかほどになるか?
少なくともアンジェリカに払えるような金額ではない。
さらに悪いことに、請求先にはアンジェリカに加えて世界救世教会も含まれていた。
アンジェリカ自身が世界救世教会の名を出しながら凶行に及んだのだし、世界救世教会が魔導書やアーティファクトを強引に収集していることはそこそこ有名だ。
実際に、アンジェリカは世界救世教会としての任務でライエン卿の遺産を回収に向かったのだし、言い逃れは難しかった。
「幸い、ヒデタカ殿の厚意で支払いは期限を設けず金ができたら支払えばよいと言ってくれていまが、なるべく早く返済したいと思っています。」
お前では一生かかっても返済しきれねーよ! と叫びたいのを必死に堪える教主であった。
アンジェリカがライエン邸を破壊したのは、ライエン卿の遺産を秀隆に譲渡する手続きの前である。
つまり、損害賠償の請求者はライエン商会をバックに持つライエン財団だった。
今は、莫大なライエン卿の遺産を受け継いだ秀隆が肩代わりする形で返済を猶予している状態である。
アンジェリカは素直に秀隆の厚意と解釈したが、教主には別の意図が見えていた。
秀隆が立て替え賠償金であるが、支払う義務がなくなったわけではない。
秀隆が債権をライエン商会に売り渡せば、直ちに賠償金の取り立てが始まるだろう。
秀隆個人が取り立てに来たのならば、のらりくらりとはぐらかすこともできるだろうが、ライエン商会が相手となると分が悪い。
経済を牛耳る大商会も敵に回すとかなり厄介なことになる組織である。必要な物資の購入にも支障を生じ、組織の運営にも影響が出かねない。
アンジェリカ個人では支払うことのできない賠償金も、世界救世教会としてならば支払えない額ではない。
支払えなくもないのは確かだが、かなりの痛手になる。収集した魔導書やアーティファクトの一部を手放す必要が出てくるかもしれない。
教主は書状を通して会ったこともない秀隆の声が聞こえた気がした。
『ワシの邪魔をするようならば、遠慮なく取り立てさせてもらうぞ。』
これでは、背後の組織に関係なく、迂闊に手を出すことはできない。
だが、放置もできない。
手に入れた魔法を安易に使うことはないにしても、秀隆の目的が分かっていない以上安心はできない。
それ単独でも強力な効果を持つとはいえ、魔導書の一枚を手に入れただけで満足するのか?
ライエン邸を瞬く間に攻略した実力者が、他の魔導書やアーティファクトの収集を始めたら、世界救世教会と衝突する恐れもある。
今のところ分かっているのは、ライエン邸の謎を解いた知力だけであるが、魔導書を手に入れたことで戦闘においても切り札となる力を確実に一つは持っていることになる。
誰だって巨大な全裸の老人と戦いたいと思わないだろう。
ライエン邸を手に入れただけで満足したとしても、ライエン卿は魔導書やアーティファクトの蒐集家としても有名だった。その中に世界救世教会が求める魔導書が他にもあるかもしれない。
いずれにしても、世界救世教会としては秀隆の存在を無視することはできない。
それも、背後関係を調べるだけではなく、できればその行動を逐一監視しておきたい。
しかし、そこまでするには手が足りなかった。
世界救世教会はあくまでも魔術結社である。専門の諜報機関ではない。
合法非合法を問わず諜報活動を行う人員は存在するが、それぞれ重要な任務に就いていて、監視任務にべったりと張り付ける余裕はなかった。
この時点で、秀隆の優先度はそこまで高くない。
どうするべきかと悩んでいた教主が、ふと目の前でかしこまっているアンジェリカに目を向けた。
「アンジェリカさん。貴女に新たな任務を与えます。」
教主は、さりげなく請求書をアンジェリカの手に戻しながら、そう言った。
「その御老人の元に赴き、この件の侘びとして御老人の手助けをしなさい。」
「ヒデタカ殿の……ですか?」
アンジェリカは真意がつかめずに首をかしげた。
真面目な彼女としては、迷惑をかけた自覚はあるので、詫びに行くことも、そのために秀隆を手伝うことにも異論はない。
ただ、それはあくまで自分の失態だと考えていたので、世界救世教会の任務として教主直々に命じられるとは思ってもいなかった。
理解が及ばず不思議がるアンジェリカに教主は続けた。
「屋敷にとどまるようならば、大きな屋敷です下働きの仕事くらいあるでしょう。他の魔導書を求めて出かけるようならばその旅に同行しなさい。そして見極めるのです。」
そこまで聞いて、アンジェリカもこの任務の真意を悟った。
真っ直ぐ過ぎる性格で裏を読むことが苦手なだけで、アンジェリカは頭が悪いわけではない。
「もしもその者が悪意を持って魔導書を扱い、世界に害をなすようならば、その時こそは外法聖典を取り上げなければなりません。どんな手段を使ってでも。」
「その任務、承りました。この一命に変えても、必ず成し遂げて見せましょう!」
重要な任務を与えられたと感動するアンジェリカだが、教主はさほどアンジェリカに期待してはいなかった。
魔術師としては才能があるアンジェリカだが、性格がまっすぐで正義感が強過ぎるために裏の仕事には向かないのだ。
法律よりも世界救世教会の理念を優先するほどに傾倒している一方で、組織の利益になっても正義や理念に反する行為には猛然と反対する。
そんな感じで融通が利かないから、裏の仕事はグレーゾーンでも任せることができない。正義や理念に反すると思えば任務を放棄しかねない。
時に組織の暗部を垣間見てしまう諜報活動なんてもってのほか。
だが、そんなアンジェリカにも使いようはある。
陰に隠れてこそこそと監視するには絶望的に向かないが、だったら正面から相手の懐に飛び込ませればよい。
悪意のないアンジェリカが、この前の侘びだと言って手伝いを申し出れば、相手としても邪険には扱い難いだろう。
諜報活動としては期待できないが、相手に張り付いているだけである程度動向は伝わってくる。今はそれで十分だった。
こうして、アンジェリカが秀隆と行動を共にすることが決まった。
……決まった、と言ってもそれは世界救世教会の中だけのこと。
その決定を実行するには、アンジェリカが秀隆を説得する必要があった。
アンジェリカが熱心に頼み込めばどうにかなると思っていた教主は、まだ考えが甘かっただろう。
「ヒデタカ殿は手に入れた外法聖典をどうするつもりなのですか?」
謝罪をするという口実で訪ねてきたアンジェリカが、いきなりこんなことを言い出したのである。
秀隆のことを見極めろという任務に真面目に取り組んだ結果であろうが、これでは終末魔導書の奪取を諦めていないことが丸分かりである。
まずは秀隆に受け入れてもらって、それからじっくりと人となりを見るべきだろう。少なくとも教主の指示はそのような意図だったはずだ。
とことん腹芸のできない人間である。
「ふむ。ワシの目的はな、終末魔導書――お嬢ちゃんの言うところの外法聖典をすべて集めて処分することじゃよ。あれは、この世に在ってよいものではないからの。」
アンジェリカや世界救世教会の意図をうすうす察していながら、秀隆が正直に理由を話したのは、隠す気があまりないからだった。
このまま終末魔導書の頁を集めて行けば、秀隆が収集している事実はいずれ知られることになるだろう。
そして、終末魔導書を処分することについても隠す必要を感じていなかった。
強力すぎて不用意に使用すれば大惨事になる傍迷惑な魔法ばかりの魔導書である。処分することに文句を言われる筋合いはない。
特に、危険な魔導書が世に出ないように管理すると主張している世界救世教会は、管理の手間を省いてやるのだから感謝することはあっても非難することはできないはずである。
つまり、世界救世教会に対して目的を明かすことは牽制になるのだ。
まあ、そう大きな効果を期待したものではない。
正直に語ったところで相手が信じるとは限らないし、目的は認めても方法について文句を言うかもしれない。
「それならば、世界救世教会の理念と変わらないではありませんか。世界救世教会に任せても良いのではないですか?」
そして、文句は言わなくても別なことを言ってくる可能性もある。
「同じではないのじゃよ。世界救世教会とやらは魔導書を管理、つまり保管しておいて後々必要があれば使うつもりなんじゃろ。ワシはのぉ、終末魔導書を完全に消し去りたいのじゃよ。」
秀隆はかなり正直に本心を語っていた。
ただ、終末魔導書を消し去りたい理由が、読まれるのが恥ずかしいからだとは言わなくて良いことである。
「危険性をきちんと伝えれば、教主様ならば安易には使わないはず! それに、ヒデタカ殿一人で探すよりも世界救世教会として動いた方が早く見つかるはずです。」
「その世界救世教会の一員として動いていたお嬢ちゃんが手に入れられなかった魔導書の頁をワシが手に入れたわけじゃが?」
「うっ……」
アンジェリカも必死だが、秀隆も容赦がなかった。
「それにのぉ。いくら厳重に管理しておっても、強い力を保持しておれば、いつかは不用意に使って惨劇を引き起こすことは避けられないと思うのじゃよ。」
「なっ、教主様を疑うのか!?」
そこで感情をあらわにするアンジェリカを見て、やっぱり宗教っぽいと思う秀隆だった。
「そうは言ってものぉ。会ったこともない教主様とやらの何をどう信じろというのじゃ?」
「それは、その、教主様は危険な魔導書やアーティファクトを管理して世界を危機から救おうという理念を打ち立てた立派なお方で……」
「ならば、こう言ってみるかのぉ。ワシは危険すぎる終末魔導書をこの世から無くそうとしておる。この一点においては教主様とやらよりも確実に世の中のためじゃろう。そんなワシを疑うのか?」
「そ、それは、ううぅぅ……」
アンジェリカは世界救世教会や教主に傾倒して視野が狭かったり、物事の裏を考えることが致命的に苦手だったりするが、頭そのものは悪くはないのだ。
だから理解してしまった。
秀隆を否定すれば、全く同じ理屈で教主を否定することが可能だということに。
なまじ頭がよかったばかりに、教主を絶対的に思う自分の考えに他人を納得させられるだけの客観性がないことに気付いてしまったのである。
「それにのぉ、その教主様が信用できたとしても、世界救世教会が信用できるかと言うのはまた別じゃからのぉ。」
「そんなことはありません! 世界救世教会は教主様の打ち立てた理念に賛同する者の集まりです。教主様の言葉は絶対です!」
秀隆には、教主による絶対的な独裁体制を敷いた危ない組織のように聞こえたが、もちろんアンジェリカにそのような意図はない。
理想のために一致団結した結束力の硬い組織、くらいの気持で言った言葉だ。
「じゃがの、その理念に賛同して教主様の言葉に従っとるはずの者が危険な魔法を使って迷惑をかけたんじゃぞ。のお、お嬢ちゃん。」
「あっ、……」
そう、アンジェリカ自身が、世界救世教会が禁忌魔導書と呼ぶ危険な魔導書を使用して、ライエン邸を破壊するという結果を招いたのである。
危険な魔導書を勝手に使って被害を出しているのだから、この行為を正当化すると、世界救世教会の理念そのものが怪しくなってしまう。
「館が壊れただけで人死にが出なかったのは単なる幸運じゃ。本気で暴れれば街一つ壊滅することは使った本人が一番わかっておるじゃろう。世界救世教会の他の者が同じ失敗をしないとは言えまい。」
「わ、私の行いが世界救世教会の理念を汚し、教主様の顔に泥を塗ってしまったのか……」
アンジェリカは、背後に「ガーン」と言うオノマトペが現れそうな表情で固まってしまった。
「失敗はだれしもあるものじゃが、これでお嬢ちゃんがお咎めなしじゃったら、世界救世教会そのものが危険な行為を容認する危険な団体じゃな。」
「……はっ、そうだった。私はその件を詫びるためにヒデタカ殿の手伝いをするように命じられたのだった。」
再起動したアンジェリカが、ようやくここに来た表向きの理由を思い出した。
ずいぶんと遠回りしたものである。
「ヒデタカ殿、何でもするのでどうか私に罪滅ぼしの機会を与えてはもらえないだろうか?」
今更ながら、深々と頭を下げるアンジェリカを見て、秀隆は考えた。
(こんな謀り事に向かない嬢ちゃんをよこしたということは、当面ワシと敵対する気はないということじゃろう。それでもこちらの様子は知りたいから嬢ちゃんをワシに付けたというところか。)
秀隆は教主の考えをほぼ見抜いていた。
その辺り、なーんにも分かっていないアンジェリカを介して、秀隆と教主は微妙に通じ合っていた。
(この嬢ちゃんを追い返したところで別の監視が付くだけじゃろうし、扱いやすそうな嬢ちゃんを目の届く範囲に置いておいた方がまだましかのぉ。)
世界救世教会の内情までは知らない秀隆は、そう結論付けた。
「ならば手伝ってもらうとするかの。ワシはこれから終末魔導書の頁を探しに行くつもりじゃ。」
こうして、秀隆の旅にアンジェリカが同行することとなった。
◇◇◇
「おお、見えてきた。あの島じゃな。」
ナグラ海を進んできた船は、一つの島に到着した。
ナグラ海のほぼ中央にぽつんと一つだけ存在する小さな無人島は、ほとんど利用価値がないため誰も立ち寄らず、名前も付いていない。
大きな船では接岸できないため、ボートに乗って秀隆とアンジェリカは島に上陸した。
「こんなところに外法聖典――いや、ワールドエンドグリモワールだったか? ――があるのか?」
「確証はないがの。まずは調べてみるかのぉ。」
秀隆はウエストポーチに手を伸ばすと、中から黒い本を取り出した。
終末魔導書である。
このサイズの本が入るとは思えない小さなポーチだったが、この世界には収納庫と呼ばれる魔道具が存在する。
見た目の何倍もの物が入り、重さも軽減されるという優れものである。
ただし、秀隆が使って見せたウエストポーチはダミーである。
秀隆の使っている本体は左手に着けている腕輪だった。
それは、ライエン卿の遺産に含まれていた格納庫と呼ばれるアーティファクトであり、一般的な収納庫に比べて大容量高機能である。
高価でも一般に流通している魔道具に比べて、今の技術では再現できないアーティファクトは希少品である。
アーティファクトを所持しているだけで狙われる恐れがあるため、普通の魔道具を装っているのである。
「ヒデタカ殿、その本は何なのだ?」
初見のアンジェリカにとっては、怪しい黒い本にしか見えなかった。
「これが終末魔導書の本体じゃよ。中身はほとんどが欠落しておるがな。」
現在本の中に含まれている頁は二枚四頁のみ。内容よりも表紙の方が厚かった。
「終末魔導書は元の一冊の魔導書に戻ろうとする性質があるのじゃよ。じゃから、こうすると……」
秀隆は終末魔導書を地面に立てて、手を離した。
すると、ぐらりと揺れた終末魔導書は、何やら不自然に方向を変えて倒れた。
「ふむ、こっちじゃな。」
秀隆は、それを確認すると終末魔導書を拾い上げ、少し進んでまた本を倒す。
場所を変えながら同じことを何度か繰り返すと、アンジェリカにもその意図が分かるようになった。
本の倒れる方向が、一点を向いているのである。
そして、終末魔導書の指し示す地点へと到着した。
「どうやら、ここのようじゃな。」
「……何も、無いようだが。」
アンジェリカは周囲を見回すが、何もない。
元々起伏の乏しい平坦な地形に、草と背の低い木しか生えてない見通しの良い小島である。
無人島だから人工物もない。
何かを隠しておけるような場所は見当たらなかった。
「となると、地中に埋まっておるのじゃろうか? 掘り返してみるかのぉ。」
「ここは私に任せてもらおう!」
ここで、手伝うと言いつつここまでほとんど役に立っていなかったアンジェリカが張りきった。
スコップを手に猛然と地面を掘り始め……たのではなく。
「集うは土、求むるは変化、我が眼前の大地に穴を穿て。ディグ・ア・ホール!」
――ズン!
音を立てて地面に穴が開いた。アンジェリカの魔術である。
よほど気合を入れて魔術を行使したのだろう、穴からは土煙が立ち上っていた。
「はっ、しまった、強すぎた! これでは埋まっていた外法聖典が……」
「いや、上出来じゃよ。これしきでどうにかなるほど終末魔導書はやわではないからのぅ。」
吹きあがる土煙に交じって、紙切れが一枚、ふわりと飛び出してきた。
そのままふわふわと漂う紙切れを、秀隆が手に取る。
「間違いない、終末魔導書の頁じゃ。」
こうして、秀隆は無事に三枚目の終末魔導書の頁を手に入れた。
島を出て、再び船上の旅に戻った秀隆に、アンジェリカが質問した。
「それで、今度はどのような魔法だったのだ?」
さすがにもう世界救世教会に差し出せとは言わないが、やはり魔法の内容には興味があるようだ。
「簡単に言うとじゃな、水を出す魔法じゃな。」
「水を? それだけなのか?」
アンジェリカは意外そうな顔をした。
世界救世教会で禁忌魔導書に指定して危険視されている魔導書の魔法にしてはささやかに思えたのだ。
その程度ならば、自分の魔法でも可能だった。
「集うは水、求むるは生成、我が眼前に水を生み出せ。クリエイト・ウォーター!」
アンジェリカが魔術を行って見せると、拳大の水の塊が現れ、そのまま下に落ちた。
「規模が違うのじゃよ。ワシがどうやってこの場所の見当をつけたのか分かるか?」
「本を倒して、ではないのか?」
「ワシは、この辺りの地理や歴史を調べたのじゃ。知っておるか? この辺りは五百年くらい昔はナグラ砂漠と呼ばれておったそうじゃよ。」
「……は?」
アンジェリカは、思わず周囲を見渡す。
海と見まごう広大な湖は、どちらを向いても水ばかり。砂漠とは正反対の光景である。
「まさか!?」
「使ったんじゃろうな。砂漠を緑化するつもりだったのか、オアシスを作ろうとしたのか、そんなところじゃろう。」
アンジェリカは絶句した。
地形を変えると評される大魔術でも半径十数メートル程度のクレーターを作るのがせいぜいだった。
桁が違い過ぎた。
「終末魔導書があれば呪文を唱えるだけで魔法は発動するのじゃが、正しく理解していなければ思った通りの効果は得られないのじゃよ。多くの場合は効果が低くなるじゃろうが、暴走気味に強い効果が表れることもあり得るのじゃよ。」
五百年前に暴走して出現した水は、今なお引くことなく大地を覆っている。
「おそらくあの島が魔法を使った場所じゃろう。手掛かりが残っておればと思っていたのじゃが、頁が残っておったということは……失敗を悟ってあの場に埋めたのか、あるいは水に囲まれて帰れなくなったのかもしれんのぉ。」
過ちも失敗も呑み込み、ナグラ海はただ静かにそこにあり続けた。
☆☆☆
終末魔導書
No. 002
神罰の大水
呪文:
地に蔓延るは悪徳の民。
善なる人はもういない。救いの船は失われた。
天の窓開き、水を呼べ。雨となりて六日六晩降り注げ。
不浄なるモノを洗い流し、悪徳なる者を沈めよ。
全てを呑み込め、神罰の大水!
効果:
大量の水で相手を押し流す、あるいは水没させる魔法。
水を出すことだけに特化しているので、その分量が桁違いである。
加減を間違えると国ごと水没する大災害となる。
※モチーフはノアの洪水です。




