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【過去編】完全無欠の護衛、風邪を引く



昼下がり。


いつも通り、半歩後ろを歩く気配。


規則正しい足音。


一定の呼吸。


乱れのない気配――のはずだった。


 


レイラは、ふと足を止めた。


 


「……今日は、もういい」


 


テュエルがわずかに目を見開く。


 


「……休め」


 


「……え?」


 


一瞬、思考が止まる。


 


(なぜ……?)


 


レイラは振り返らない。


ただ、淡々と続ける。


 


「倒れられたら、私が困る」


 


不機嫌にも聞こえる声音。


 


テュエルはわずかに眉を寄せた。


 


「……いえ、この程度で任を外れるわけには――」


 


「…………」


 


返答はない。


 


ただ。


 


じ、と。


 


見られている気配。


 


レイラの瞳が、わずかに細まる。


 


熱。


呼吸。


汗の匂い。


普段より、少しだけ速い脈。


 


隠していても、

レイラには分かる。


 


(……風邪だな)


 


(……無理をしている)


 


テュエルは、妙な違和感を覚えた。


 


(……?)


 


だが、それを言語化する前に――


 


レイラは、小さく息を吐く。


 


(……言っても聞かないな)


 


そして。


 


「……疲れた」


 


「……はい?」


 


「……寝る」


 


短い言葉。


 


そして。


 


「……お前も、来い」


 


「…………」

(……は?)


 


テュエル、固まる。


 


「いえ、ですが――」


 


「……来い」


 


有無を言わせぬ声音。


 


「…………」


 


理解が追いつかない。


 


(わからない……)


 


(なぜ、そんな話になる……?)


 


だが――


 


レイラはもう歩き出していた。


 


テュエルは数秒遅れて、

慌ててその背を追う。


 


――――――――――――


 


レイラの部屋。


 


静けさ。


 


レイラはさっさと横になった。


 


そして、視線だけで隣を示す。


 


「……寝ろ」


 


「……し、しかし――」

(……はぁ?!俺に死ねと……?!)


 


顔には出さない。


だが、内心は大混乱だった。


 


「……うるさい」


 


ぴしゃり。


 


それ以上の言葉はなかった。


 


テュエルは、わずかに逡巡し――


 


観念したように、

適切な距離を保って横になる。


 


(……なぜだ)


 


(なぜ、こんなことに……)


 


隣から感じる体温。


 


近い。


近すぎる。


 


心臓が、嫌になるほど音を立てる。


 


気が散る。


 


落ち着かない。


 


だが――


 


横になった、その瞬間。


 


ふ、と。


 


張っていた糸が切れた。


 


(……あ)


 


気が抜けた。


 


そう理解した瞬間――


 


一気に、熱が身体を蝕む。


 


ふらりと、意識が沈む。


 


(……まず……)


 


呼吸が、少し浅い。


 


頭が、ぼんやりする。


 


身体が、重い。


 


(……まさか……)


 


気づきかけた、その瞬間。


 


 


意識が、落ちた。

 ――――――――――――


 


静かな時間が流れる。


 


外では、風が木々を揺らしていた。


 


だが、この部屋だけは、

切り取られたように静かだった。


 


レイラは、目を閉じていない。


 


隣の気配。


 


呼吸。


 


熱。


 


全部、感じ取っている。


 


規則正しかった呼吸は、

今は少しだけ重い。


 


普段なら乱れない脈も、

熱に浮かされるように速い。


 


(……やはり)


 


(……上がっている)


 


静かに、テュエルを見る。


 


眠っている顔は、

いつもより幼く見えた。


 


張り詰めた気配がない。


 


常に周囲を警戒している男が、

こんな風に無防備に眠ることなど、

ほとんどない。


 


それだけ、

限界だったのだろう。


 


(……全く)


 


レイラは、小さく息を吐いた。


 


額に、そっと手を当てる。


 


熱い。


 


自分より、ずっと。


 


ぴくり、と

テュエルの眉が僅かに動く。


 


苦しそうな呼吸。


 


レイラは少しだけ考え――


 


静かに、手を伸ばした。


 


硬い留め具を外す。


 


鉄の胸当て。


 


寝苦しそうだったから。


 


それを傍へ置き、

今度は冷やした布を額に乗せる。


 


ひやり、とした感触に、

テュエルの呼吸が少しだけ落ち着いた。


 


「……無理をするな」


 


ぽつり、と零れる。


 


小さな声。


 


眠っている相手には、

届かないほどの。


 


だが。


 


その声音は、

思っていたよりずっと柔らかかった。


 


レイラは、少しだけ眉を寄せる。


 


(……いつも、無茶ばかりだ)


 


自分を優先しない。


 


傷を負っても隠す。


 


痛みすら、気取らせない。


 


疲れていても立ち続ける。


 


限界まで、“護衛”であろうとする。


 


弱った姿など、

見せるものではないとでも言うように。


 


完璧でいようとする。


 


倒れる寸前まで、

何もなかった顔をして。


 


まるで、

壊れることを恐れていないみたいに。


 


(……馬鹿だな)


 


心の中で、そっと呟く。


 


だが――


 


嫌ではなかった。


 


そんな風に、

必死に自分を守ろうとする姿を。


 


レイラは、静かに壁へ背を預ける。


 


そして、

眠るテュエルを見た。


 


ただ。


 


離れない。


 


目を覚ました時、

誰もいなかったら。


 


きっと、また無理をする。


 


そんな気がしたから。


 


だから。


 


せめて今だけは。


 


ちゃんと、休ませてやろうと思った。


 


――――――――――――


どれくらい経ったのか。


 


静かな眠りの底から、

テュエルはゆっくりと意識を浮かび上がらせた。


 


「……」


 


体が、熱い。


 


吐く息は熱を持ち、

身体は鉛のように重い。


 


頭もまだ少しぼやけている。


 


だが――


 


その視界に映ったものに、

思考が止まった。


 


すぐそば。


 


椅子にもたれたまま、

静かにこちらを見ているレイラの姿。


 


「…………」


 


(……なぜ……)


 


記憶が、ゆっくり繋がっていく。


 


“休め”


“寝ろ”


“来い”


 


そして。


 


眠る前に感じた、

額へ触れた冷たい手。


 


(……まさか)


 


わずかに目を細める。


 


(最初から……気づいて……?)


 


言葉にはしない。


 


だが、

理解した。


 


自分が隠していた不調に。


 


この人は、

最初から全部気づいていたのだと。


 


「レ、レイラ様……」


 


掠れた声。


 


「申し訳ございません……!」


 


反射的に起き上がろうとする。


 


だが。


 


「……寝ていろ」


 


ぽす、と。


 


額を手で押され、

強制的に寝かされる。


 


「し、しかし……」


 


(このような弱った姿を見せるなど……)


(不覚だ……)


 


護衛失格だとすら思った。


 


だが。


 


額に置かれた布。


 


外されている胸当て。


 


きちんと掛け直された薄布。


 


その一つ一つに気づき――


 


(……まさか)


 


(レイラ様が……?)


 


(……俺を?)


 


(……自主的に?)


 


胸が、いっぱいになる。


 


熱のせいなのか、

別の何かなのか分からない。


 


ただ。


 


幸福だった。


 


信じられないほどに。


 


しばらくして――


 


「……レイラ様」


 


レイラは、

ちらりと視線だけ向ける。


 


「……なんだ」


 


テュエルは、

静かに頭を下げた。


 


「レイラ様……ありがとうございます……」


 


心からの声だった。


 


レイラは視線を逸らす。


 


「……ふん」


 


素っ気ない返事。


 


だが。


 


耳が、少し赤い。


 


それだけで、

十分だった。


 


沈黙。


 


そして。


 


「……喉は、乾いたか」


 


「……え?」


 


「……喉は?」


 


テュエルは目を瞬かせる。


 


「……いえ、レイラ様にご準備させるわけには……」


 


「……うるさい。寝てろ」


 


ぴしゃり。


 


そう言い残し、

レイラは部屋を出ていく。


 


戸が閉まる音まで、

妙に静かだった。


 


取り残されたテュエルは、

ぼんやりと天井を見上げる。


 


(……俺……)


 


こんなに幸せで、

いいのだろうか。


 


なんで。


 


どうして。


 


こんなにも優しいのだろう。


 


昔から、

この人は特別だった。


 


だが。


 


改めて思う。


 


なんて――


 


尊い。


 


胸が、

どうしようもなく温かかった。


 


やがて。


 


すっ――と、

ほとんど音を立てず戸が開く。


 


その気遣いだけで、

胸が締め付けられる。


 


「……飲めるか」


 


口元へ、

そっと器を寄せる。


 


「……ありがとう……ございます」


 


冷たい水が、

喉を通っていく。


 


その瞬間――


 


「…………」


 


レイラが、ほんの僅かに目を細めた。


 


だが、

テュエルは気づかない。


 


水を飲み込んだ途端、

熱に浮かされていた身体が、

すう、と軽くなる。


 


重かった呼吸が楽になる。


 


ぼやけていた思考まで、

ゆっくりと澄んでいく。


 


(……あれ……?)


 


まるで、

身体の奥から熱が押し流されていくような感覚。


 


レイラはその様子を見つめ――


 


(……効きすぎたか?)


 


ほんの少しだけ、

眉を寄せた。


 


こいつは元々、

人とは思えないほど回復力が高い。


 


だから、

少しだけのつもりだったのだが。


 


「……レイラ様のおかげで……とても良くなりました」


 


ぽつり、と零す。


 


レイラは何も言わない。


 


だが、

ちゃんと聞いていた。


 


テュエルは、ゆっくりと息を吐く。


 


「もう、体調を崩すような真似は致しません」


 


そして。


 


真っ直ぐ、

レイラを見つめる。


 


「貴女を、お守りするために」


 


その言葉に、

レイラはわずかに目を細めた。


 


「……そうか」


 


それだけ。


 


いつも通りの、

そっけない返事。


 


だが――


 


(……本当に、懲りないな)


 


心の中で、

小さく呟く。


 


無茶をして。


 


倒れて。


 


それでも、

真っ直ぐ自分を守ろうとする。


 


馬鹿みたいに真面目で。


 


自分のことなど、

いつも後回しで。


 


傷つくことにも、

倒れることにも頓着しない。


 


ただ、

護ることだけを優先する。


 


……でも。


 


嫌ではない。


 


むしろ――


 


ほんの少しだけ。


 


嬉しかった。


 


レイラは、小さく息を吐く。


 


気づけば、

肩の力が少し抜けていた。


 


それからしばらく後。


 


熱が下がったテュエルは、

いつも通りレイラの半歩後ろへ戻る。


 


規則正しい足音。


 


一定の呼吸。


 


乱れのない気配。


 


何も変わっていない。


 


……はずなのに。


 


その距離は――


 


以前より、

少しだけ温かかった。


 


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