9.アルマジロと顔を見合わせたはいいが
アルマジロと顔を見合わせたはいいが、彼のつぶらな黒い瞳には、特段の意志らしきものは宿っていなかった。
おそらくこのアルマジロ、特に何も考えていない。事態が動くのをなんとなく待っているだけだ。
というかこの状況、わたしが動かしていかなければいけない流れなのだろうか?
そんなこと、わたしに期待されても困るのだが。
なんだかわたしは、急激にめんどくさくなってきてしまった。
「ふーん。そうなんですね。神(自称)は、勇者がいないと魔物みたいになっちゃうんですね。
それは大変ですねー。頑張ってください! 応援はしませんけど! では!」
やけくそ気味に叫ぶと、アルマジロがぎょっとしたような目でこちらを見た。
「ところでマスターって、頼めばカフェ・モカとかも作ってくれるかな?」
しかしカタツムリの話をふると、もじゃもじゃのことは宇宙の彼方にすっ飛んでいったようで、アルマジロの目は一瞬でカッと血走った。
「あっったりめーだろーがぁ! カフェ・モカだろうがラテだろうが、なんでもござれだ!
ラテアートもめちゃくちゃうまいんだぜ! 俺、何度も飲んでるけどね! 何度も!」
それは素直にうらやましい。いいな。
すでに興奮しきっているアルマジロの上からどいてやり、わたしは立ち上がった。
「ちょっと、ちょっと、待ってって!」
もじゃもじゃは、必死な声をあげた。
「そこは、えーっ! どうして!? とか、盛り上がるところでしょ。
僕、かわいそうじゃない? ねえ、かわいそうじゃない?」
かわいそうでもないし、かわいくもない。
「ちょっとすれ違った程度のわたしにそんなこと言われても。」
もじゃもじゃは、もじゃもじゃと懸命にかぶりを振った。
「違うの、すれ違ったんじゃない、引っかかったの。それも運命的に、なの。」
「はあ。」
そんな恣意的な主張をされても困る。
「とにかく、わたしたち、まだ全然コーヒー飲めてないんですよ。カフェに戻りたいんですけど?」
そうなのである。アルマジロなどは、まだ一滴もコーヒーを飲んでいないのだ。誤解もだいたい解けたところだし、アルマジロがそこまで邪悪な存在でないことはもう分かっている。事故とはいえ、ここまで連れてきてしまったのはちょっと気がとがめるし、大好きなマスターのコーヒーを飲ませて、一息つかせてあげたいなと思う次第だ。
「そんな、そんな、やだやだぁ!」
しかしもじゃもじゃは、まるで駄々っ子のようにわっと泣き伏した。
ごん、と大きなもじゃもじゃの頭が激突した地面が揺れる。小さな黒い目からは、ぶわぶわと涙が噴き出し、流れ落ち、飛び散る。そのままもじゃもじゃは、地面をごろごろと転がりまわり出した。
うわー、とわたしは思わず口を押さえた。
その行動自体にももちろんドン引きだが、そのタフさにもびっくりだ。確かに柔らかめの地面だとはいえ、石のような固いものや、折れた木の枝のようなものも普通に転がっているのである。
スーパーマーケットで駄々をこねる三歳児がどんなに頑固でも、怪我をしたら転がり回るのはやめるに違いない。
しかしもじゃもじゃは、全く止まる気配を見せない。むしろどんどんエスカレートしていく。もじゃもじゃの涙であたりの土はぬかるみ、転がり回るもじゃもじゃの体じゅうはすっかり黒い泥まみれだ。
さすがに狂気のようなものを感じはじめたころ、アルマジロがつんつんとわたしの横腹をつついた。
「なあなあ、人間。」
「なに?」
「俺、思うんだけどさ。なんかあのもじゃもじゃ、大きくなってない?」
「うーん……、確かに……?」
わたしは改めて、その大きな毛むくじゃらの生き物を見つめた。絶え間なく転がり回っているので、はっきりとは言えないが、確かにその体は一回りふくらんだように見える。
「この世界の生き物って、みんなああいう感じなの?」
「それ、どういう意味だよ。っていうか、この世界、って何? お前、どこから来たっていうの?」
おっといけない。口がすべった。
「まあ、話すと長いから。また今度。」
適当にごまかしたときだった。
「うわああああああ!」
ひときわ大きな叫び声が上がり、もじゃもじゃはものすごいスピードで、森の中の細い小道を転がり出した。
わたしとアルマジロがぽかんとしているうちに、もじゃもじゃは森の奥へと見えなくなってしまった。
これでもう帰れるのかな、と思った時だった。
べちゃ! という、何かやわらかいものと固いものが勢いよくぶつかる音が、森じゅうに響きわたった。
鳥たちが、驚いたように飛び立つ音が聞こえる。ざわざわと落ち着きのない気配が、あたり一帯に漂った。
わたしは、アルマジロと顔を見合わせた。
しばらく、どちらも何も言わなかった。
再び森じゅうがしんと静かになる頃、ようやくアルマジロが口を開いた。
「なあなあ、人間。」
「なに?」
「一応、見に行ってみたほうがいいんじゃねえかな。
ほら、まだ俺たちも帰れないみたいだし?」
「——うん。」
気が進まなかったが、わたしは頷いた。
◇◇◇
もじゃもじゃが転がっていった、森の小道をたどる。
涙でぬかるんでしまった地面は、まだぐちゃぐちゃだ。少しでも乾いていそうな部分を選んで歩くのだが、靴はしっかり泥の中に沈みこんでしまう。
この靴はとりかえられるだろうか、とわたしは暗澹たる気持ちになった。
親切なカタツムリの話を聞いた限りだと、人間向けの靴なんて、まず取り扱っているお店はなさそうだ。
わたしの必死の努力もむなしく、すっかり靴が泥だらけになった頃、わたしたちはようやくもじゃもじゃのところにたどり着いた。
「こりゃあ——、」
アルマジロが絶句する。
わたしも言葉を失った。
わたしの眼前に燦然と聳え立つのは、見間違えようもない、あの白い壁だった。
その白い壁に、まるで巨大な血痕のように飛び散るのは、真っ黒な、大量の泥だ。
そしてその壁の下に力なく身を投げ出しているのは、あのもじゃもじゃだった。
「お、おい、これ……、」
「うん……、」
どういうわけかわからないが、今度はこのもじゃもじゃが、この壁にぶち当たったようだった。
生きてるかな。
わたしは、もじゃもじゃの近くに、そっとしゃがみこんだ。
次回の更新は、17日の予定です。
少し間が空きます。
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