20.私が上着を脱いだ、まさにその時だった。
私が上着を脱いだ、まさにその時だった。
「あれ? こんにちは。」
後ろから、聞き覚えのある声がした。
どきりとしたが、大丈夫だ、まだ全てを脱ぎきってはいない。
振り返ると、そこにいたのは、ふわふわでぴかぴかのレッサーパンダだった。
「こないだは、本当に、どうもありがとう。」
レッサーパンダは、後ろ足でぴょこんと立ち上がると、ぺこりとおじぎをした。
こないだというか、わたしにとっては今日のできごとなのだが。多分、時の流れがこっちとあっちでは違うのだろう。
だが、そんなことはどうでもいいのだ。
そんなことよりも。
た、立った〜!
心の中で、密かに叫ぶ。
動物園のパンフレットなどで、よく見かけるやつだ。
レッサーパンダが、今、目の前で、立っている!
実はあれ、可愛らしくて大好きなのだ。
しかし、そこできゃあきゃあ騒ぐのは、人間が牛肉を食べたぞ! おお〜、的な感じで、レッサーパンダ本獣的には微妙かもしれない。
だからわたしは、なんでもないような顔をして両手を振った。
「いやいや、そんな。わたしも貴重な経験をさせてもらえて、すごくよかった、っていうか。」
謙遜すると、レッサーパンダは、ふさふさでしましまのしっぽを振って、にっこり笑った。
——うん、かわいい。
「あ、もしかして、これから体洗うの?
よかったら、背中、流そうか?」
お、おお。
なんだか親切な申し出があったが、これはどうするのが正解なのだろうか。
「ねえねえ。」
わたしは、頭の上でくつろいでいる小リスに、小声で話しかけた。
「なに?」
「裸になっても、大丈夫かな?」
んー、と小リスは小首をかしげた。
「ぼくは、だいじょうぶだけどね。だいたい、見てのとおり、ぼく、今もはだかだし。
こういうのって、本人がいいなら、いいものじゃない?」
うん。なるほど、確かにそうかもしれない。
言われてみれば、今まで出会った生き物は、わたし以外ほぼ全裸だった。
「ありがとう。それじゃ、お願いしようかな。」
勇気を出して、わたしは言ってみた。
◇◇◇
レッサーパンダに背を向けてシャツを脱ぐと、レッサーパンダは、ふわふわした手で、背中を流す、というか、撫でてくれた。
ふわふわの毛におおわれた手のひらの奥に、ほのかに肉球の柔らかさを感じる。
レッサーパンダは、雪の中でも滑りにくいよう、肉球の上に毛が生えているのだ。
なぜ知っているのか? それは、お気づきのとおり、わたしがレッサーパンダを大好きだからである。
「どう、力加減は?」
「ちょうどいいよ! すっごく気持ちいい。ありがとう。」
世間広しといえども、レッサーパンダに背中を流してもらった人類は多分いないだろう。
多分だが、けっこう優しめに撫でてくれている気がする。
なんだかこそばゆいような、むずむずするような感じだ。あんまり興奮してドン引きされると怖いので、ときどき深呼吸をして心を落ち着かせている。
「レッサーパンダさんも、お風呂入りにきたの?」
「うん。この森の動物は、みんなときどき来てるよ。きれいにしとかないと、僕みたいに憑かれちゃうからね。」
「憑かれちゃう?」
「そう。邪神が憑く、っていわれてるんだけど。
自分が自分じゃなくなっちゃう、っていうか。」
ん?
なんだか、聞き覚えのある台詞だ。ついさっき、わたしもそんな言葉を口走っていたような気がする。
「なんだか頭がぼうっとして、自分が裸になっちゃうような感じ?」
「うーん。
どっちかというと、自分の周りになにかがまとわりついて、思うように動けない感じかな。
最初は一生懸命もがいて、抵抗してたんだけど。そのうち頭がぼんやりしてきて、なにもわからなくなっちゃったんだ。」
そうだったのか。
こんなに可愛らしいレッサーパンダ相手に、なんということをするのだ。許せない。
ともかく、わたしが蝶にされたこととは、少し違うようだ。
というか、マダムと話した時も不思議に思ったのだが。
みんな、この場所やもじゃもじゃのことを話すとき、微妙に言っていることが違っているような気がするのだ。
魔物だの、神の庭の動物?だの。
嫌なことに、わたしが勇者(の卵)であるというところは共通しているのだが。
——いや、今は考えるのはやめておこう。
「ありがとう。交代しようか?」
「わあ、いいの? ありがとう。」
無邪気に微笑むレッサーパンダの可愛さとふわふわを、わたしは思う存分堪能したのだった。
◇◇◇
「どう、ユーシャ。まんぞくした?」
「うん!」
そうだ。わたしは、とても満足していた。
なにしろ、レッサーパンダのしっぽを洗わせてもらえたのだ。
ついでに小リスも洗ってあげたし、しっぽも洗わせてもらった。
これ以上、なにを求めるべきものがあるだろうか。
自分自身もきれいになってさっぱりしたし、なんだかんだで、裸であることにも慣れてきた。
全裸のままじゃぶじゃぶと湖から上がり、近くの木に干してある服の具合を確かめる。
気温はそこそこ高いのだが、やはり、まだだいぶ湿っていた。
あ、でも、下着はだいぶ乾いてきている。よし、着ながら乾かそうかな。
壁の近くにちょうどよさそうな木の枝が落ちていたので、服をくくりつけ、肩にかつぐ。
ワイルドなサバイバルスタイルの完成だ。
「人間って、すごいねぇ。」
小リスは感心しているようだった。
「ぼくにはとっても、まねできないや。」
——うん。どう言う意味なのか、深くは聞かないでおこう。
だってこうする以外、どうしろと?
急に、強い風が吹いた。
湖にかかっていた、白いもやが吹き流される。
ひらけた視界の向こう、湖につかっていた動物たちの姿があらわになる。
すごい、カピバラは予想の範囲内だが、キリンやカンガルーまでいる。
彼らはみんな、一様に空を見上げて驚いた表情をしていた。
わたしもつられて空を見上げて、固まった。
「あれって、もしかして……。」
「うん。そうだね。」
もじゃもじゃが、湖の光にほの明るく照らされた空を、飛んでいた。
次回の更新は、16日の予定です。
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