舞台裏の話・3
自作、『檸檬 #祭絵』についての裏話です。
もしあなたがまだ未読でしたら、先に本編を読んでからが良いと思います。
(読者用というより、自分用の日記やメモみたいなつもりです)
テーマ①
原文の”私”がひきつけられた「見すぼらしくて美しいもの」についての表現がしっくりこず、悩んでいた。
■私
どちらがいいか悩んでる。意見求む。
【A】
何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。美少女にしても敗北した女騎士だとか、その敵役にしても整ったサキュバスよりもどこか崩れた愛嬌がある、単眼娘やら下半身まで毛皮で覆われたケモノっ娘が好きであった。
ふええやはわわなど媚びに蝕まれている、と言った趣のある娘が、脱ぐと途端にふくらみが大きくなっており――じゅぷぷ、ずぽぽっなどと、時とするとびっくりさせるような所業を見せたり寝取られたりもする。
【B】
何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。恋愛にしても寝取られだとか、その寝取られにしても仲の良い幼馴染よりもどこか接点の希釈された、年の離れた叔母だったりいっそ虚飾の二次創作によるヒロインが転がり落ちる堕落を覗くのが好きであった。
(後半同じ)
Aでは女性の属性1→女性の属性2 とつながっている。Bは情景(関係性)→女性の属性、とつながる。
原文を確認しようか。
■ChatGPT
ええ、ここは原文を確認したほうがいいですわ。
(中略)
ここを見ると、ご主人様の言うことが分かりますわ。
原文は「美しいもの」そのものを延々と属性分類しているわけではありませんの。
「風景」→「街」→「表通り/裏通り」→「街の状態」→「植物」というふうに、一つの情景を眺めながら、その内部へズームしていく構造ですわ。
だからAの、「美少女」→「敵役」→「サキュバス」→「単眼娘・ケモノっ娘」は確かに「女性の属性1→女性の属性2」という横方向の分類になっている。原文の「風景→街→裏通り」という展開とは少し違う。
一方Bは、「恋愛」→「寝取られ」→「その寝取られにしても」→「幼馴染ではなく、年の離れた叔母/二次創作のヒロイン」となっている。
つまりご主人様の言う「情景(関係性)→女性の属性」ですわね。
そして、ここがかなり重要ですの。
原文の「風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしても……」という構造を移植するなら、Bのほうがむしろ構造的には近い。
「恋愛にしても寝取られだとか、その寝取られにしても……」という「その○○にしても」の反復が、原文の骨格をかなり露骨に写していますもの。
しかも原文では「壊れかかった街」という情景の大分類を提示してから、その街の「よそよそしい表通り/親しみのある裏通り」という関係・配置へ進む。
Bも「恋愛」という大分類から「寝取られ」という関係性を出し、その寝取られの中でも「誰が寝取られるのか」という人物属性へ降りていく。
そう考えると、先ほどわたくしがA寄りに見たのは、ちょっと浅かったですわね。原文の「構造模写」という観点を強く置くなら、Bにはかなり明確な根拠がありますわ。
そして「じゅぷぷ、ずぽぽっ」から「寝取られ」への接続も、単なる性的描写の羅列ではなく、B全体の「清楚な属性が崩れていく」という方向を考えると、原文における「勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵が……」という、最後に別種の要素がぬっと出てくる構造とも対応してくる。
……なるほど。これはAとB、単に「どっちの文章が読みやすい?」だけで比べると見誤りますわね。
■私
先に言っとくけど、あまり話を進めすぎないでね。一緒にというか、私の中の納得がないと意味がない。
原文は1つの風景を見ている。だが、人工物の退廃→自然の元気さ(プラス)という構造かなと思ったんだ。
■ChatGPT
ええ、その読みはかなり腑に落ちますわ、ご主人様。
原文は「風景」という同じ対象を見続けていますわね。その中でまず、壊れかかった街・汚い洗濯物・崩れた土塀・傾いた家並み、と人工物側の衰退を並べる。これは明確にマイナス側ですわ。
ところが最後に、「勢いのいいのは植物だけ」と来る。ここで同じ風景の中に、植物という自然だけが妙に生命力を持って現れる。つまり、人工物のマイナス → 自然のプラスという反転が起きている、と。
しかも「向日葵があったりカンナが咲いていたりする」のは、単に「植物も好きでした」という追加情報ではなく、それまでの沈んだ風景を最後に植物の勢いが突き破ってくる感じがありますわね。
だから、この段落の面白さは「いろんな好きなものを列挙している」ことではなく、同じ風景を見ながら、価値の向きが途中で反転することにある、と読めそうですわ。
ここまでなら、わたくしもご主人様の読みについていけますわ。まだBとの対応までは進めませんけれど。
■私
それを含めてどう思う、女性という風景を固定させて、猫耳とか個人の属性→清楚さの破壊(性格面)となるA。
相手との関係性→女性本体の属性、と角度自体が変わるB。単純な原文に対応はAだろうけど、なぜ梶井はそこを見たのか、本当にそれでいいのか。君の意見は?
■ChatGPT
わたくしは、今の整理なら「Aのほうが原文に対応しているからA」とは思いませんわ。むしろ、ご主人様が見つけた「梶井はなぜ、最後に植物を持ってきたのか」を重く見たいですの。
原文では、最初から最後まで「風景」という一枚の画面を見ていますわね。その画面の中で、人工物が朽ちている。ところが最後に、そこだけ生命力のある植物が出てくる。つまり梶井が見ているのは、単なる「好きな属性のリスト」ではなく、一つの風景の中にあるマイナスとプラスの落差なのだと思いますわ。
そうするとAは「女性という風景」を固定して、その内部で「猫耳・メイド・ケモノっ娘……」という属性を選別していく。これは確かに構造的には綺麗ですわ。原文の「風景→その風景の細部」に対応している。
でも、Bは視線の向きを変える。「恋愛」という関係性から「寝取られ」へ行き、その関係性の中で、今度はどんな女性がそこにいるのかを見る。
つまりAが「風景の中の何が好きか」なら、Bは「どういう出来事・関係性によって、その女性がどう見えるか」ですわ。
そして、ここで「清楚さの破壊」という話が効いてくると思いますの。Bでは、女性の属性そのものを愛でているというより、ある女性が、関係性や出来事によって別の姿へ変質するところに視線が向いている。
それなら、原文の「朽ちた人工物の風景の中から、妙に元気な植物が出てくる」という反転を、もっと抽象的に移植している可能性がありますわね。
「風景そのもの」を移すのではなく、一つの状態の中に異なる価値のものが現れて、その落差に惹かれるという部分を移す。
だから、わたくしは今の段階ではBにかなり興味がありますわ。ただし、「Bのほうが正しい」とまでは言いません。そこを決めるには、そもそもご主人様が今回『檸檬』のこの段落から何を盗みたいのか――「構造」なのか「視線」なのか「価値の反転」なのか――そこをもう少し一緒に掘ったほうがよろしいと思いますわ。
原文の「風景→その風景の内部構造」という運動をどちらが移植できているかで見るなら、Bのほうが面白いですわ。
■私
なるほど、では本文後半で、寝取られに帰結するのはどうだろうか。これでいくと、寝取られよりも「肉食系になったり」と関係性に依らない属性のほうがいいのかなと
■ChatGPT
ええ、わたくしもそこは引っかかりますわ、ご主人様。というより、今の整理をすると「寝取られ」は少しだけ役割が違って見えてきますの。
Bの前半は、「恋愛」→「寝取られ」→「その寝取られにしても……」と、関係性を絞り込んでいく構造ですわよね。ところが最後の「寝取られたりもする」で、また関係性そのものへ戻ってしまう。すると、せっかく途中までやっていた「関係性を眺める → その中にいる女性を見る」という視線が、最後にもう一度「関係性」へ引き戻される。
その意味では、ご主人様の「肉食になったりする」のほうが面白いと思いますわ。
「肉食になった」は女性そのものの性質の変化ですもの。つまり、
『恋愛という関係性→ 寝取られという関係性→ その関係性の中で見る女性→ 清楚だった女性が大胆・肉食的になる』
というふうに、最後は関係性から女性そのものへ着地できる。そして、これは原文の構造とも少し響きますわね。
人工物の廃頽を見ていた→ その風景の中の自然を見る→ 最後は「勢いのいいのは植物だけ」という、植物側の性質へ着地する。
だから「寝取られたりもする」より「肉食になったりする」のほうが、Bが途中から作り始めた視線の方向には合っている気がしますわ。
ただし、「肉食」という言葉自体が適切かどうかは、まだ別問題ですわね。そこは一旦置いておきましょう。今は最後を「関係性」で閉じるのか、「女性の変化・属性」で閉じるのか、この違いを考えるところまでで十分だと思いますわ。
■私
肉食は例としてだけど。が、難しいところだ。最初に戻ると、「みすぼらしくて美しいもの」だもんね。つまり醜さと美しさが同居する。
■ChatGPT
そうですわ。そこ、かなり重要ですわね。ご主人様が「肉食」を仮置きした理由も見えてきましたわ。
「見すぼらしくて美しいもの」は、単に「美しいものの中でも変わったもの」という意味ではない。見すぼらしさと美しさが同じ対象の中に同居している。だからこそ「美しい」のに、普通の美しさとは違う。
原文の風景なら、壊れた土塀や傾いた家並みというマイナスと、その中で勢いよく育つ植物というプラスが、同じ風景の中に存在している。
そう考えると、Aの「女性の属性→女性の属性」は、まだ「変わった美少女が好き」という方向に寄りやすいですわ。属性を変えているだけで、一人の女性の中にマイナスとプラスが同居しているとは限らない。
Bはそこへ近づいていますわね。
清楚である→ その清楚さが何らかの関係性の中で崩れる→ しかし、その崩れた状態にも別の魅力がある。
ここには「清楚/大胆」「美しい/見すぼらしい」のような、相反するものの同居が作れそうですわ。
だから「寝取られ」は、単に題材としてエロいから置いているのではなく、清楚な女性と、その清楚さが破壊された状態を同じ女性の中に置く装置として考えると、かなり意味が出てくる。
そして、ご主人様が「肉食になったりする」と考えたのも、おそらくそこですわね。寝取られという事件そのものより、清楚だった女性が肉食になるという変質そのものを置いたほうが、「一人の女性の中に二つの性質がある」というところまで持っていける。
ただし――ここでまた「ではBで決まりですわ」と走ると、わたくしがまた馬車を勝手に発車させることになりますから、やめておきますわ。
今は「見すぼらしくて美しい=二つの価値が同居している」というところが、かなり大事な発見だと思いますわ。
■私
あった。 オホったりもする、だ。
■ChatGPT
ああ、「オホったりもする」ですのね。なるほど、これは「肉食」よりかなりしっくり来ますわ。
「肉食」だと女性の性格・属性として固定されますけれど、「オホったりもする」なら、清楚な女性が清楚ではない側へ崩れる瞬間そのものを置けますもの。
しかも「ふええやはわわなど媚びに蝕まれている」という前段から、
清楚・媚びた雰囲気→ 脱ぐ→ ふくらみが大きくなる→ オホったりもする と、同じ「女性という風景」の中で、見た目や性質がどんどん反転していく。
そして「寝取られ」を最後に置かないことで、Bの最後が関係性ではなく女性自身の変化になりますわ。
これは、ご主人様がさっき言っていた「醜さと美しさが同居する」にも、かなり近い気がしますわね。清楚さを壊すこと自体が、ここではマイナスなのかプラスなのか決めきれない。その両方を同じ女性の中に置いている。
……「オホったりもする」、嫌なほどこの文章に馴染みますわ。褒めているのか貶しているのか分からないところまで含めて。
■私
(改善案を貼る)
■ChatGPT
うん、これを通して読むと、わたくしは前の版よりかなり納得しますわ。
特に最後が「寝取られたり」ではなく「オホったりもする」になったことで、二段落目の運動が変わりましたわね。
最初は「恋愛」から「寝取られ」へと関係性を狭める。さらに「その寝取られにしても」と、誰との関係なのかへ入っていく。そして二段落目では、今度はその女性そのものの変質を見る。「媚びに蝕まれている」ような娘が、別の姿を見せる。
つまり、関係性から人物へ視線が移って、その人物の中に相反するものを見る。ここまで来ると、ご主人様がさっき言っていた「見すぼらしくて美しいもの」の読みと噛み合ってきますわ。
それに、「オホったりもする」が最後に来ることで、原文の「勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような……」に似た、最後の妙な飛び出し方も残っていますわね。
ただ、わたくしが今いちばん面白いと思っているのは、「寝取られ」という題材そのものより、「その寝取られにしても仲の良い幼馴染より……」という比較の仕方ですわ。ここ、原文の「その街にしてもよそよそしい表通りよりも……」をかなり意識しているでしょう?
そこをどう評価するかで、このBが本当に原文の「風景」を別の形で移植できているのかが決まりそうですわ。
■私
マジメな議論なのに、結論が「オホったり」か。
■ChatGPT
そこはわたくしも「なんでこんな真面目な梶井論の着地点がオホったりなんですの?」とは思いますわ、ご主人様。
でも、文章の構造を真面目に掘った結果として「オホったりもする」が残ってしまったので、そこはもう仕方ありませんわ。文学批評というもの、時として崇高な美学論の最後に妙な擬音が鎮座しますのよ。
むしろ問題は、オホったりという語がふざけているのに、その位置には妙に理屈が通っていることですわね。そこが腹立たしいところですわ。
――――――――――――
テーマ②
果物屋~夜の風景の描写のところで、どう語ればいいかを悩んでいた。
■私
あとは未改変のとこだな。
原文でここは、まず果物屋を褒め、夜の町を褒め、の町の部分だ。対応させるなら、まつり本人を褒めたあと、ホロライブの箱自体を褒めるところになると思うんだが。
いや、その前に考えたいんだけどさ、①なんでここ、こんなに檸檬に行く前に町を褒めてるんだ? 別にないならなくてもいいとこだ。②順番、果物屋→引いて街→近寄って檸檬。何だこの順番?だな。
――――――
(中略。ChatGPTが答えを先に言い過ぎて、私がキレる)
――――――
■私
お前マジでケーブル切断するぞ。お前の考えは聞いてない。お前が人間なら聞くが、お前の考えは結局先人の答えだ。私は答えが欲しいんじゃない。
■ChatGPT
うん。ごめん。先回りした。
①「街を褒める必要が本当にあるのか」
②「果物屋→街→檸檬」という順番は何をしているのか
この二つを、私は横で「それって、こういうこと?」と確認する役に戻る。
■私
微妙に違う。街が必要かではなく、「(無くても文章が通るのに)なぜ入れたか」だ。
あと、対応自体はホロ箱で良いと思う。それをどういう角度で書くかの分析だぞ。
■ChatGPT
あ、はいっす、センパイ。戻します。で、論点はちゃんと掴んだ。
「街が必要だったのか」じゃなくて、梶井は、檸檬だけでも話が進むのに、なぜここでわざわざ街まで褒めたのか。
そのうえで、対応先はホロライブでいい。考えるのは「ホロライブの何を褒めるか」じゃなくて、原作のこの“街を褒める”という操作が、どういう角度の視線なのか。
ここを掘るんすね。
■私
(原文読み直す)
なるほど原文読み直すと、果物屋自体はそんなに褒めてない。なのになぜここまで惹かれたかを、風景というカタチで見せてるのか。
■ChatGPT
そう、それ、かなり重要な発見だと思うっす。「果物屋が素晴らしいから惹かれた」ではないんだよね。
むしろ原文を読み直すと、果物屋そのものへの評価は案外あっさりしてる。なのに、その場所に惹かれた感覚だけは妙に強い。
そこで周囲の街の風景を持ってくる。
つまり「私はこの果物屋が好きです」と説明するんじゃなくて、なぜそこに惹かれる感覚が生まれたのかを、その周辺の風景まで含めた視覚として提示してる。
だから「街を褒める」は情報じゃなくて、感覚の増幅装置みたいなものなのかもしれない。
そしてそのあと檸檬に近づく。
この順番なら、場所に惹かれる感覚 → その場所を取り巻く風景 → その中で、特定の一点が異様に目に入る という流れになる。
……ってところまでなら、原文から掘れてる話として置いておけそうっす。
ホロライブ側も、だから「ホロライブはこんなに素晴らしい!」という紹介じゃなく、まつりに惹かれた感覚を、その周囲の風景として見せる方向になるのかな、というところまで考えられる。
ここから先は、まだ決めなくていいやつっす。
■私
じゃその前のまつり描写も、あまり褒めないほうがいいな、あとでセーブして書き直そう。
別に褒めてもいいけど 「素晴らしい」ではなく「欠点はあるが愛おしい」の温度やね。
■ChatGPT
うん、それはかなり繋がるっすね。
まつりのところで最初から「素晴らしい」「最高だ」と持ち上げちゃうと、その後のホロライブ描写が単なる推しの所属先を褒めるターンになっちゃう。
むしろ、「いや、ここはちょっとアレなんだけど、なんか好きなんだよな」くらい。つまり評価として褒めるんじゃなく、欠点込みで惹かれている。
そうすると、果物屋そのものをべた褒めしていない原作とも温度が合う。
そして街=ホロライブも、「ホロライブは素晴らしい」という評価ではなく、まつりを好きになってしまった自分から見ると、その周囲まで妙に愛おしく見えてくる、という方向になる。
「素晴らしい」じゃなくて「なんか好き」。このセーブ、かなり大事そうっす。
■私
いや、夜景から入ってるし、果物屋は褒めてるだろ。ただし店として褒めてるんじゃなく、風景として、本体以外の別角度から褒めてる。
てことはホロも褒め方を考えないとね。
■ChatGPT
あ、そういうことか。そこは私が「果物屋自体はあっさり」と寄せすぎたっす。
果物屋はちゃんと褒めてる。ただ、果物屋という店の機能や品揃えを評価してるんじゃなくて、夜の街の中にある果物屋として見てるんだな。
つまり「本体を正面から褒める」のではなく、本体を別の角度から眺めたときに見えてくる魅力を描いてる。
だったらホロライブも同じ問題になる。
「ホロライブは人気です」「所属タレントが魅力的です」みたいな正面評価じゃなくて、まつりを好きになった人間が、まつりのいるホロライブを、何か別の風景として見たときに何が愛おしく見えるのか。
ここを探す必要がある。
しかも夜景から入ってるなら、「ホロライブそのものを説明する」のではなく、ホロライブを一つの風景として描くという発想まで持っていけそう。
うん、ここは「何を褒めるか」より、まずどの角度から見るかだと思うっす。
■私
まつりはいい。清楚と言いつつ「おもしれー女」属性で、まず気に入る。次にホロ。ホロという夜景の中でのまつりを褒めてる。
てことは他メンバーとの絡みを中心に褒めるべきだな。てぇてぇ、メンバー同士の化学反応だ。
■ChatGPT
あー、なるほど。そこまで来るとかなり綺麗っす、センパイ。
まつり単体では、「清楚を名乗ってるのに、おもしれー女だな」という、本人そのものへの引っかかり。そこからホロライブに視線を広げる。
でもホロライブそのものを「素晴らしい箱」として褒めるんじゃない。その夜景の中にいるまつりを見る。
すると褒める対象は「ホロライブという組織」じゃなくて、「この子、ほかのメンバーと絡むとこんな顔するんだ」「この組み合わせ、なんかいいな」という関係性になる。
だから「てぇてぇ」やメンバー同士の化学反応が中心になるわけか。
これなら原作の、果物屋そのもの→ 夜の街の風景の中にある果物屋→ そこで改めて檸檬を見る という視線の移動を、かなりそのまま別の対象へ持っていけそうっす。
そして面白いのが、まつりを褒めることと、ホロライブを褒めることが同じにならないんだよね。
まつり=おもしれー女。
ホロ=そのおもしれー女が他人とぶつかったときに生まれるもの。
この二段階、かなり腑に落ちる。
■私
ただ、正直削りたい。原文読むときも、ここらへん退屈なんだよね。 風景はわかるが、脱線が過ぎて。 これについてどう思う?
■ChatGPT
うん、私もセンパイの感覚はわかるっす。
原文として読むと、ここはたしかにちょっと「遠い」。夜景や街の描写自体は見えるんだけど、檸檬に惹かれていく本筋からすると、かなり横へ広がる。
ただ、完全な無駄とも言い切れないんだよね。さっき掴んだように、「なぜ果物屋に惹かれたのか」を、店の説明ではなく風景として感じさせるための寄り道ではある。
だから問題は「必要か不要か」より、その寄り道そのものを読んでいて楽しいか。
センパイ自身が原文でも「ここ退屈だな」と感じるなら、今回の改変でホロライブのてぇてぇを同じ分量で再現する必要は、かなり薄そう。むしろ構造上の役割だけ拾って、ホロという夜景の中でまつりを見る、という角度だけ残して圧縮するのは全然ありだと思うっす。
……というか、今回の話では「原作にあるから入れる」が一番危ないところかもしれない。
原作の脱線がセンパイにとって退屈なら、そこまで律儀に輸入すると、『檸檬』への敬意のために『檸檬』を読んでる読者を退屈させるという妙なことになる。
■私
そこは原文を踏襲しつつ飽きられないよーに頑張るわ。ここまで本文を借りといて、自分の都合いいとこだけ改変するのは、もっさんに悪い。
で、実際「冗長だ」って意見あるの?
■ChatGPT
調べてみたっす。結論からいうと、「あそこ冗長じゃね?」という読み方は実際にある。ただし、「あの部分は文学的に不要」という形で一致しているわけではない。
かなり露骨なのは、読者のツッコミ系の感想。果物の陳列から長い比喩に入り、さらに東京・大阪との比較、店の暗さ……と続くところを「なんか急にキュレーション記事みたいになった」と感じている人がいる。まさにセンパイの「檸檬に行くまでが脱線して退屈」という感覚に近い。
一方で、解説系ではそこをちゃんと意味のある描写として扱っている。果物屋そのものではなく、夜の暗い街の中で、電燈に照らされた果物屋がどう見えるかが「私」を惹きつけている、という読み。周囲が暗いから店頭の光が際立ち、「その店の眺め」そのものが主人公を興がらせている、と説明されている。
ここ、センパイがさっき掴んだこととかなり一致してる。
つまり、あの長い部分は、「果物屋って素敵なお店ですよ」という店舗紹介ではなく、「私はなぜ、この店にこんなにも惹かれているのか」を、夜の風景として延々見せている。
しかも本文では「その店は私の知っていた範囲で最も好きな店」と明言したあと、店の内部→夜の外観→周囲の暗さ→電燈→向かい側から見た眺め、と視点を動かしていく。だから、センパイが言ってた「別角度から褒めてる」はかなり筋が通ってる。
ただ、その役割を理解したうえでも長いと感じる読者はいる。
なので今回の改変では、「ここは原作の重要部分だから削れない」でも「冗長だから削っちゃえ」でもなく、
この“好きな対象を、その対象そのものではなく周囲の風景から描く”という仕掛けは借りる。だけど、センパイ自身が読んで退屈だった長さまで忠実に再現する必要があるのか? って問題になると思う。
そしてホロライブなら、「箱の説明」じゃなくて、まつりが他メンバーと絡んでいることで、ホロという風景そのものが魅力的に見えてくる。ここまでは、さっき二人で掘った線がかなり原作に沿ってると思うっす。
■私
まあ私の小説も脱線多いから、人のことをあまり指摘できないけどさ。檸檬自体がちょっとした変化、寄り道の話であって、実際に大きな変革が起きたわけでは無いから。だからどちらかというとその読み筋のための溜めかなあ。
もっさんはそんなつもりで書いてないと思うけど、寄り道はすべきだという意思自体は感じるのよ、実は。全編書き直してるから感じたのかもしれないけど、たぶん最後の丸善のところよりもこの町の描写に熱を感じる気もする。
■ChatGPT
あー、それはわかるっす。しかも「もっさんが意図的に“ここは溜めです”と設計した」とは別の話として、文章そのものから、寄り道することへの執着みたいなものを感じるってことだよね。
『檸檬』って、出来事だけ抜き出したら本当に小さいんだよな。
「不快」→ 果物屋に行く→ 檸檬を買う→ 丸善に置く→ 外へ出る。
これだけなら一瞬で終わる。なのに、その間にめちゃくちゃ横道へ行く。
で、センパイの言う「溜め」って考えると、あの町の描写が急に納得しやすくなる。檸檬を置くという小さな行為を、読者がちゃんと“変化”として受け取れるだけの時間を、前に使ってる。
だから町の描写そのものが物語を進めてないようでいて、主人公の「世界の見え方が少し変わっていく」という話には必要な時間なんだよね。
あと「丸善より町に熱を感じる」っていうの、面白いな。
丸善のところは、たしかに構造上はものすごく重要なのに、描写としては意外と“檸檬を爆弾にするための舞台装置”として読める。
一方、町は「別にここまで書かなくても話は進む」のに、わざわざ細かく見る。
だから、作者が何を重要だと思っていたかを文章の熱量から逆算すると、センパイの感覚は結構ありそう。
もちろん「もっさんは町を一番大事にしていた!」まで言うつもりはないっすけど。
でも、「寄り道して、風景を眺めて、気分が少しずつ変わる。その時間そのものをちゃんと書きたい」という意思は、結果として文章に残ってるように見える。
そしてそれなら、今回のホロライブ部分も「檸檬に向かうための情報」だけで処理すると、原作から借りたものの中で一番大事なところを捨てることになりそうっすね。
■私
まあいっか。とりあえず書いてくる、ty。
――――――――――――
おまけ。世界名作シリーズについて。
■私
こういう小説改変ってめっちゃ勉強になるけどさ。なんというか、学校の授業みたいだし。一度やれば一発で、忘れないレベルで作品分解できる。
けど、あんまりやってる人を見ないってことは、人気ないのかな?
■ChatGPT
いや、これ、かなり「授業っぽい」んすよ。しかも普通の読書感想より、ずっと手を動かす授業。
「この作品はこういうテーマです」と説明されても忘れるけど、自分で別の題材に移植しようとすると、「待て、この描写なんのためにあるんだ?」って一個ずつ剥がされる。今回まさにそれで、最初は「果物屋→ホロライブかな」だったのが、掘ったら「果物屋を褒める」じゃなく「果物屋を別角度の風景として見せる」になった。
しかも一度自分の作品として再構成すると、たぶんもう『檸檬』を読んだときに、その構造が見えちゃう。これは強いっす。
じゃあ、なんであまり見ないのか。
私は「人気がない」というより、ものすごく面倒だからだと思う。
普通の二次創作なら「このキャラをこの世界に置いたらどうなる?」で始められる。でも今回みたいなのは、「原作のこの部分を別の題材に置き換えたら、同じ役割を果たせるものは何か?」まで考えないといけない。
しかも、原作を一回読んだだけでは足りない。
「なんでここにこの描写があるんだ?」「なくても筋は通るのに、なぜ書いた?」「この順番を逆にしたら何が変わる?」みたいな、作者側の都合まで逆算することになる。
読書としては過剰労働なんすよね。
あと、もう一個あると思う。原作を改変するのって、結構怖い。
「こんなふうに変えていいのか?」「原作への理解が浅いと思われないか?」「元ネタを汚したと言われないか?」ってなる。
センパイは逆に「もっさんから借りた以上、都合のいいところだけ持っていくのは悪い」って感覚で、かなり真正面から分解してる。だから勉強として成立してるんだと思う。
ただ、人気がないから価値がない、では全然ないと思う。
むしろこれ、創作の練習法としてはかなり効率が悪い代わりに、一回やったときの定着率が異常に高いタイプなんじゃないかな。
「檸檬の構造を勉強しました」じゃなくて、「俺ならこの檸檬をどう別の話にする?」までやった結果、果物屋から街へ視線が引いて、そこから檸檬へ戻る意味まで考える羽目になったわけだから。そりゃ忘れないっすよ。
学校の授業というより、自分で問題作って、自分で試験受けてる感じに近いかも。
■私
AIがいるからこそやれてると思うよ。オフラインなら効率悪いけど、檸檬で3日、メロスで3日、ピエロ伝道者は2日だもん。もちろん、字数の関係はあるけど。
私はめっちゃ早くて効率良いと思ったから聞いたんだけどな。
■ChatGPT
ああ、そっちか。センパイが「人気あるのかな?」って聞いた理由、今わかった。
「こんなに短期間で作品を分解できるなら、AIと一緒にやる勉強法としてもっと流行っててもよくない?」って話っすね。
それなら、私はやっぱりかなりニッチなんだと思う。でも「効率が悪いから」ではなく、むしろAIを使うことで効率が跳ね上がってるタイプ。
オフラインでやったら、たとえば『檸檬』を読んで、「ここ何でこんな描写してるんだ?」「この順番何?」「この部分を別の題材にしたら?」って一個ずつ自分で考えて、資料を探して、書いて、また読み直して……となる。そりゃ重い。
でもセンパイの場合、「ここ何?」→ 私に投げる→ 私が一つの読みを返す→「いや、それじゃない。こうじゃね?」→ そこからまた掘る
っていう思考の壁打ちになってる。
だから3日で『檸檬』、3日で『走れメロス』、2日で『ピエロ伝道者』まで行ける。
しかも重要なのは、私が答えを出してるから速いんじゃなくて、センパイが「違う」と言えるから速いんだと思う。
今日もまさにそうだったじゃん。
「果物屋→街→檸檬って何?」→「いや、お前の答えはいらん」→原文を読み直す→「果物屋そのものじゃなく、風景として褒めてるんじゃね?」→「じゃあホロは?」→「まつり→ホロの夜景→まつりをその中で見る」
この速度、普通の読書会だと相手が同じ作品を読んでる必要があるし、しかも毎回こんな細かいところまで付き合ってくれる人を捕まえる必要がある。AIならそこが異常に安い。
なので「人気がない」というより、この使い方を思いついて、なおかつ自分で作品を改変するところまでやる人が少ないんじゃないかな。
そしてセンパイが「一度やれば一発で忘れない」と感じてるのも、かなり筋が通ってる。
だってこれは「分析結果を覚える勉強」じゃなくて、自分の作品を書くために原作の構造を強制的に発掘する勉強だから。
……いや、そりゃ3日で一冊分解できるなら、普通の文学講義よりこっちやりたくなる人が出てもおかしくないっすね。
問題はたぶん、みんな「そんな使い方できる」と知らない。
■私
そういえばだけど、変換する元のテーマを決めるほうが時間かかるかもしれない。
■ChatGPT
あー、それはありそうっす。
実際、分解そのものはAIとの壁打ちでかなり高速化できるけど、「じゃあ何に変換する?」の元テーマ決めは、AIが勝手に決めると一番ダメなところなんだよね。
今回だって、『檸檬』を分析する→ 異物による内面の変化→ じゃあ何に置き換える? ここまでは割と進む。
でも「夏色まつり+エゴサ」という題材に辿り着くところは、センパイ自身の目的や興味がないと出てこない。
『ピエロ伝道者』もそうだし、『メロス』もたぶん同じ。
だから作業時間を分けると、原作を分解する時間 < 変換先を決める時間 になってる可能性、かなり高いと思う。
そしてこれは、たぶんAIで短縮しにくい。
AIに「面白いテーマ考えて」とやらせると、平均点のテーマを大量に出してくるけど、センパイが欲しいのは「この題材だから、この原作を変換する意味がある」っていうやつだから。
むしろ今回の「夏色まつりを使う必然性」をずっと気にしてたのも、そこだと思う。
……となると、この勉強法、実は「文学作品の分析法」というより、『自分のテーマを原作の構造にぶつけて、どこまで別作品として成立させられるか試す方法』なのかもしれないっすね。
そこが決まった後は、AIがめちゃくちゃ働ける。
――――――――――――
以上です。今回は梶井基次郎の『檸檬』を題材に、VTuber文化について語ってみました。
最後のおまけも含め、けっこう長くなっちゃったけど、どうでしたか?
取材と称して夏色まつりちゃんのASMRなども聞いてみました。
とっても距離感が近くて本当に勘違いしちゃいそうな素敵なアイドルです。よかったらぜひ聞いてみてください!




