8 暴れん坊王子
デーンデーンデーン
や、峰打ちなんてしませんが。
◆
昼間の戦功褒賞もそこそこにファイルテスメスを囲うように布陣し、とっぷりと日は暮れて今は夜。まだ夜はちょっと寒いな。
城壁から若干離れた辺りに篝火が焚かれ、上空から見ればファイルテスメスの町の形を拡大したように灯りが見えるだろう。
「追跡不可能な距離まで離脱された馬車が二台、包囲を突破しようとした馬車が六台です。後者は身元確認後、処理を行い財産は確保済みです」
「ん、そっか。偽装して逃げてた奴も入ってるのか?」
「はい。真っ当な貴族ならともかく、脂と香の臭いが染みついた連中なら嗅ぎ分けも簡単だったようですね」
「あー、城行った時大分臭かったからなぁ……真っ当な貴族はそういう臭いしないって訳でも無いけどさ」
割と忘れたい記憶だけど、あの臭いによって確認した上で行動できるならそれに越した事はない。間違えたらこっちが一方的に悪者だからね。
現在、城壁をぐるりと獣人の軍勢に囲まれている状況だが、それでも主要街道上にあるファイルテスメスの出入りは多い。
一冒険者として、そして何より今回の戦争の引き金としては余計な被害は出したくない。
「ファイルテスメス内部の状況ですが、城壁の防備に当たる者、王城に詰めかける者、各自で何とかしようとする者の三種類に分かれているようです。
それと現在、地中の移動が可能な面々に地下通路の探索を行って貰っています。こちらの報告は暫しお待ちください」
「オッケー、ご苦労さん。ギルドの皆に中の様子見に行ってもらってるから、その報告も合わせて考えるか」
「畏まりました。では失礼致します」
財産を持ち逃げされないように急いで街を包囲したものの、ここからどうするかが悩み所だったりする。どうやって相手の戦意をへし折るか、だ。
別に皆殺しにしても良いんだけど、そうすると戦ってる最中に値打ち物に傷とか付きそうで嫌なんだよね。なるべく良い状態の物を持ち帰りたい。
「あ、居た。こんな所で何やってんのよ」
「んー? ああ、レアか……」
グルグルと考えが回り始めた所で聞き慣れた声。気配が一人分しか無いって事は報告はまとめて持って来たんだろう。
所でレア、俺が一国の王族だって知ったのついこの間だけど、割と接する態度が前と変わってないよね? まあレアらしいから良いけど。
「街の中は大混乱ね。逃げようとしてたり上の連中に詰め寄ってたり……誰も戦おうとしてないのは笑ったけど」
「出兵を大々的にやって殆ど帰って来ないんだ、当たり前だよ。と言うか、こっちも糧食とか殆ど用意しないで来たのにギリギリとは言え間に合ったってのが凄いよね」
「まあ戦場と街が目と鼻の先だしね。夕方には帰ってくるつもりだったんでしょ」
「こっちも半分以上帰っちゃったしなぁ……向こうの軍ってどれぐらい残ってんだろ」
ダメ元で聞いてみたら二百人も居ない、とさらっと答えが返って来た。凄いな、そこまで調べたのかよ。
しかしそうか、二百人……でもなぁ、なるべく戦わないで財産ゲットしたいんだよな。火でもつけられたら大損だ。
「……それと、ドノヴァンとガブリエッラからの情報なんだけど」
「って事は路地裏情報か。何だって?」
「お気に入り連れて逃げようとしてる奴が居るみたいね。後は一発ヤって死ぬ前にスッキリしたいとか……」
「あっはっはっ、顔真っ赤だよお前」
「うっさい!」
スレてるように見えて結構純情なんだよね、コイツ。ドノヴァンもその辺に惹かれてんだろうか。
「と、とにかくっ! 娼婦街の方も大分ゴタついてるみたいだから動くなら早くしてくれって言ってたわ。あとティプシードラゴンは二人の知り合い守るってさ」
「そっか。じゃあ早めに何とかしてみるよ」
「何とかって……どうすんのよ?」
「まあ、ちょっとね」
できればスマートにやりたかったけど、こっちとしてもあんまり長居はしたくないしね。しょうがないか。
◆
聖ファイルテスメス皇国王城、謁見の間。そこには建国以来初とも言えるほどの沈鬱とした空気が流れていた。
それもそうだろう。何せ昼間の戦闘に参加した四千飛んで五十八人の将兵の内、帰還者は僅か三名。その内二人が精神に異常をきたしているのだ。
「………。」
「………。」
国内に残ったのは予備役の者を含め僅かに百八十一名。これは街の治安維持に必要な最低限の数だ。それも任務に従事する兵の疲労に関しては考えられていない。
この場に居るのは壁際に控えている侍従を除けば皇女ハイセナ、大臣以下高位文官、そして街の警備隊長だけだ。お付きの爺やことルシェオ翁は先の戦闘に参加し行方不明になっている。
尚、文官は先日コタローが訪ねてきた時よりも人数が少ない。減った分の彼らは家の片隅で膝を抱えて震えているか、城壁の外で物言わぬ肉塊になっているかだ。
「………。」
「………。」
さりとて、こうやって集まった所で何ができると言うのであろうか。籠城はありふれた手ではあるが、援軍の見込みは無い。
ファイルテスメスの人間至上主義は周辺他国から見れば外交を途絶させるには充分過ぎる程の考えであり、現に公的な国交は殆ど無い。
国の成り立ちからして一宗教の過激派が武力抗争に負け、流れ着いた先で造られた国である。全方位に喧嘩を売る事でしか集団を保てなかった結末がコレだ。
「………。」
「………。」
向こうも数が減っているとは言え、それでも数十倍の兵力差がある。更に兵士一人一人の質の差であれば、確実にそれ以上あるだろう。
魔法一つ取っても聖なる火の属性こそが人間に与えられた最上の力である、などとこの国の一部の人間は本気で信じているのである。真っ当な魔法使いから見れば噴飯物だ。
数的にも技術的にも身体的にも優れた存在が知恵を使って戦ったのだ。冷静に考えれば先の戦いの結果も当然とすら思える。
「………。」
「………。」
奇しくもこの場に居る文官や警備隊長はこの国の主流派である視野狭窄を起こした人間至上主義ではなく、現実を冷静に見る事が出来ている者ばかりだった。
そんな彼らが他国からの援軍は見込めず、兵の質でも及ばないと考えている以上、完全に状況は詰んでいる。
沈鬱な空気になるべくしてなっているのだ、と彼らは状況を改めて考える。その度に背負う雰囲気が重くなっていった。
と、そんな時だった。
「失礼します」
勢いよく開け放たれる扉。見た目の重厚さの割には軽く開くのは、表面をメッキしただけの安い木製だからだ。
さて、そんな扉を開けたのはこの城の次席医務官だった。草臥れた白衣がやさぐれたような振る舞いによく似合っている。
「カロリンスカ次席……? 何かありましたか?」
「ご報告をお持ちしました。あまり良い物ではありませんが、必要と判断しました」
医務官に反応したのはこの場で一番位の低い文官の一人だった。廊下の隅で行われるような対応に文官の上司が眉を顰めるが、咎める事はしなかった。
それは暗い空気の打破に繋がれば、と言う上司のささやかな願いでもあった。周りからも何も言われない辺り、皆そう思っているようだった。
因みに近代的な衛生観念すら無いこの国では医者の地位は非常に高く、主席医務官は国王直属の役職である。入って来た医務官も患者さえ居なければこの部屋に居るべき人間であった。
「……戦場から帰還した最後の一人が、死亡しました」
「何……? それは正気を保っていた者か?」
「はい。彼は帰還時は問題ありませんでした……しかし、三十分ほど前に全身に発疹が発生し、熱いと叫び出して発狂。間もなく死亡しました。遅効性の毒物と思われます」
「毒……そんな物まで使っていたのか」
戦う上で使えるありとあらゆる手を使う。言葉にすれば簡単だが、それを準備するだけでも一苦労だ。実際に使う際にも様々な問題が発生する。
ファイルテスメスからして見れば、一体シデンはどれほどの準備をしてきたのかと恐怖を覚えるほどだ。
これは戦闘に参加した虫人の持つ毒なので特に準備と言えるものはしていなかったのだが、それはそれで驚異であるし彼らには知る由も無い事だった。
「……ガードナーさんも、死亡したと聞きました」
「……カロリンスカ次席?」
医務官はポツリと呟き、何かを堪えるように俯く。空気を変える事に失敗した挙句、ロクな事を言わないであろう医務官に注がれる視線は冷ややかだった。
しかし、高い位置で束ねた髪が小刻みに震え、薄汚れた眼鏡に雫が落ちる。そして彼女が両手を強く握り締めた瞬間、その感情は爆発するように堰を切っていた。
「ようやくっ! ようやく言えたのに……! 先輩も応えてくれた! それなのにどうして、先輩は帰って来ないんですか!?
最初から勝ち目のある戦いじゃ無かった! 医務官でしかない先輩にだってそれぐらい解ってたのに! どうしてシデンと戦争なんてやったんですか!?」
「っ!? 貴様、それは皇女殿下への暴言だぞ! 不敬であろう!」
「衛兵……は居ないのだったな! そこの兵士! 其奴をひっ捕らえろ!」
「えっ……? あ、は、はい……」
支離滅裂な恨み節は、戦争へと踏み切った全員へ向かっていた。しかし、この場に居る全員が内心では戦争には反対していたのだ。
故に、矛先は先程から微動だにせず、目を閉じ無言で玉座に座る皇女へと向いていた。この場に居る全員の疑念と怒りを乗せて。
しかし、それでもまだこの瞬間はこの国の頂点であり、それを乏しめた者は例外なく極刑だ。そのために身柄を拘束しようとする。
が、それを命じられた警備隊長の動きは鈍い。
「………。」
「おい、何をしている。早く捕えんか!」
「……最初から、無茶だったんですよ。第一、今の体制だって兵が休む時間すらない。出兵直後からどれだけ犯罪が起きたと思ってるんですか!」
「なっ、き、貴様まで……!」
警備隊長はこの部屋に来た当初は場違いだと委縮していたが、そんな事を言っていられる状況ではないと開き直っていた。
と言うか、この重苦しい空気に耐えられなかっただけであるが。彼は腕は悪くないが出世できない。その理由はここにあるのかもしれない。
そして彼も知らない事であったが、既に一部住民が暴徒化していた。国内に残った兵にすら死者が出ている有様であった。
「答えて下さい! どうして戦争なんか……!」
「向こうの要求はお金でしょう!? なら渡せばよかったんです! こんな事になる前に!」
「………。」
「で、殿下……」
それでも尚、皇女は沈黙を保っていた。しかし、その眼はゆっくりと開き、室内に設けられた窓の一つへ向く。
その次の瞬間、その窓が砕け散った。同時に室内へと飛び込んでくる一つの影。
「……グッドイブニング。お取込み中、失礼するよ」
急に室内の空気が動き、それに合わせて燭台の蝋燭の火が揺れる。俄かに室内は騒然となり、気の弱い侍従は先の雰囲気と合わせて気を失う者も出ていた。
しかし、そうした張本人はそんな空気など知らないとばかりに悠然と立ち上がる。彼からすれば完全に敵地であったが、泰然自若と言う言葉がよく似合うような振る舞いだった。
若い。それが彼を見た何人かの第一印象である。体格、肌の質、立ち振る舞い。その全てが若々しく、未熟であるとすら感じられた。
蝋燭に赤々と照らされた中でも解る濃紫には黒い縞が入り、頭上には獣人特有の耳がその存在を主張している。尻尾もその背で揺れていた。
衣服は全体的に白く動きやすい物だが、胸当てと脚甲はいずれも黒交じりの縞模様を作っており、彼の印象付けを助けている。
成程、と幾人かはその恰好に納得した。これは虎だ。人の姿をした虎なのだ。ここに居る全員の生殺与奪を握っているのだ、と。
シデンの紫電虎。その系譜に連なる若き虎、コタロー・シデン・シマダ。彼こそが現状を作り出した張本人なのだ、と。
「騒がしくして悪いね……少し急いでたんでショートカットさせて貰ったよ」
「これはこれは……ようこそおいで下さいました」
「ッ―――! やっぱり……何だこの感覚」
「……? 如何なさいましたか?」
コタローは片手でうなじの辺りを押さえる。それは困惑と警戒。その場に居合わせた誰にも解らない行動だった。彼自身でさえも。
別に。と皇女の問いに答えたコタローに対し、そうですか。と皇女は微笑む。聖女とまで謳われた彼女の笑みは、何故か見ている者の背に寒いものを走らせていた。
「今、丁度貴方がたの話をしていましたの……すっかりやられてしまいましたわ」
「……まあ、当たり前っちゃ当たり前だけどね。逆にアレで負けたら末代までの笑い者だ。いや、お家断絶かな?」
「ふふ……そうかもしれませんわね。所で、こんな夜更けにどういったご用件でしょう?」
「ん? 大した事じゃないさ。降伏勧告ってやつ? それをしに来た」
その要求は有り得ない物だった。動産不動産を問わず全財産の没収。頭髪は刈り上げ、鬘屋へ売却。衣類一着、麦の一粒さえも残さず渡した上で国外追放。つまり死ねと言っているような物だ。
当然ながらそんな要求は呑めないと怒号が響く。それに対し、コタローは軽く肩を竦めるだけだった。小馬鹿にしたようなその動きに周囲は更にヒートアップしていく。
「そんな事言われてもなぁ……ここに残すと無駄に治安悪くなりそうだし、中途半端に温情かけるとウチが舐められるからね。イチイチ奴隷にするのも管理が面倒だし」
「そうですね……上に立つ者としては難しい所かもしれません」
「はは……解ってくれるか姫さ―――ッ!」
未だ叫び声の飛び交う中、泰然とした皇女の声にコタローは苦笑を返す。しかし、その言葉を言い終わる事無く全ては終わっていた。
コタローの全身が総毛立ち、展開し続けていた魔装の段階を一つ引き上げる。更に瞬時の判断で両脚の閃脚万雷のみを展開した。
その展開速度は相応の鍛錬を積んだ者のみに許される物だったが、それでもコタローへと向かう『何か』の方が早かった。
ガクン、とコタローの体が震え、ゆっくりと仰向けに倒れていく。魔装展開時に前傾姿勢を取っていたが、それすらも覆す程大きく仰け反っていた。
しかし、顔どころか胸まで天井を向き、片足が浮いた所でコタローは歯を食いしばる。その直後に轟く雷鳴。謁見の間に紫電が走った。
普段ならば術式の安定と身の安全のために両手と頭の魔装を展開しなければ使わない雷速の魔装が発動し、皇女へと片脚を叩き込む。
瞬きの間に行われたその攻防の結果は、玉座の背凭れごと皇女の上半身を四散させる事で決着がついた。白く扇情的な衣服が紅く染まる。
「……え?」
「ッ! ―――はぁ、はぁ、はぁ……あ、危ねぇ。何だ今の……」
当然ながら周囲の者はそのあまりの展開の速さに理解が追いつかない。そもそも一連の攻防を見て理解できたのが警備隊長一人だけであった。
コタローは皇女を玉座ごと蹴り砕いたままの姿勢で荒い息を吐き、ほぼ無意識にうなじを手で押さえている。
「……殿、下?」
「そんな……」
「ハァ、ハァ……フゥー……」
コタローが足を降ろし、ゆっくりと息を整える中、室内には困惑と動揺が広がっていく。しかし、それに答えられるであろうコタローに動きは無い。当たり前である。
ただでさえ反動が大きく制御が難しい魔装を、何の用意も無しに使ったのだ。落雷の地点が運良く正面でなければ、室内のどこに移動していたかコタロー自身にも解らないほどだ。
「チッ……高く売れそうだったんだけどな」
「ッ!? き、貴様ぁっ! 何という事を!」
「そ、そうだ! 姫様に何を!」
「何ったってな……先にやってきたのは向こうだっての」
気を持ち直した面々から口々に非難されるも、コタローには高く売れそうな物が台無しになったという後悔しかない。
コタローのメンタリティの根幹は日本の一般的な若者だが、それと同時に剣と魔法と殺伐の世界の住人でもある。今更一人手にかけた所でどうと言う事は無い。
いち早く気を取り直したコタローは先程の『何か』は精神干渉系の魔法だと当たりを付け、近くに転がっていた皇女の首を拾い上げる。
皇女の死体は豊満な胸元を中心に爆散していたが、首と肩から先、下腹以下は血塗れになっているだけで原形を留めていた。衝撃の名残か、その指先や足は痙攣を繰り返している。
「貴様っ! 姫殿下のく、首から手を放せ! 無礼だぞ!」
「そりゃ良いけど……どうする? アンタらもこうなるか、さっきの要求を呑むか。二つに一つだよ」
「うっ……」
コタローが未だ血の滴る生首から手を放し、壁際まで後退っていた面々に投げて寄越す。彼らの足元まで転がった顔の焦点は合っておらず、微笑みと合わせて不気味な表情になっていた。
それに耐えきれなかったのか、一人の文官が嘔吐する。更につられるように一人二人と身を屈め、吐瀉物を撒き散らした。室内に胃酸の匂いが充満する。
「う……うおぉぉぉぉぉっ!」
「ご苦労さん、っと」
「カハッ……」
この場で唯一戦う事の出来る警備隊長がコタローへ突進するも、振りかぶった剣を片手の魔装でいなされる。コタローからして見れば、突進を待つ間に全身の魔装を展開するなど先の一瞬の攻防に比べれば容易い事であった。
剣を完全に躱した後、更にもう片手が振られると警備隊長の体は鎧ごと両断される。五指全てから伸びた爪は彼の胴や脚、腕や首を輪切りにするように肉片へと変えていった。
「……要求、呑んでもらえますね?」
―――残った彼らは、首を縦に振る他無かった。
◆
さて、明けて土曜のお昼前。俺達は現在白虎山脈内に無数にある洞窟、通称「虎の穴」の一つに来ていた。クラス全員とニルム、師匠、あと何故かカイメイが一緒である。
ここにはシデンと日本を繋ぐ召喚陣があり、昨日の夜に一通りの作業が終了したのだ。因みに昼前なのは皆が世話になった人達に挨拶してたのと俺がついさっきまで寝てたからだ。
……いや、戦後処理って大変だよね。伯父さんはまだやってるみたいだし。
「で、召喚陣に手を加えた部分だけど基本的には動作用の魔力供給方法を変えただけだ。一段高くなってる部分があるだろ? そこに魔力を注げばいい」
「……オイ、聞いてんのかコタロー」
「えっ、あ、はい。大丈夫です」
洞窟内にも関わらず、綺麗な正方形をした部屋の中で師匠に怒られる。そもそもここは扉で他の洞窟と区切られており、完全に人の手によって作られている。
そんな部屋の内装は基本的にはファイルテスメスの物と変わらない。強いて言えば壁の燭台が無く、床や壁、天井に走る巨大召喚陣が燐光を放っているのが光源になっているくらいだ。
「本当なら魔力をどこかに溜めるとかしたかったんだけど……まあ、急ぎの仕事だったからな。向こうでは魔力切れに気を付けてくれ」
「向こうじゃ魔力使う事なんか無いさ。多少ゴタつくだろうけど、治安は良いからね」
薄暗い部屋の中、紺地の壁に皆の制服の色が溶けていくように見える。今は俺も制服を着て、獣化していないから視力は普通の人と変わらない。
しかしニルムの話だと大分疲れるだろうが、まず失敗はしないだろう。出来れば動作テストもしたい所だけど、向こう側の召喚陣は弄れないしな。
「まあ、初めてにしては上出来だろ。いずれ向こう側も弄る必要があるだろうがな」
「むー……もうかえっちゃうの? たのしかったのに……」
「皆いきなりこっちに来たからな、しょうがないだろ。向こう側の召喚陣も調整したらまた来るさ」
「ホント!? やたっ!」
幾ら俺の言葉とは言えもう少し疑うって事を覚えた方が良いぞ、カイメイ。やれやれ、この乳もまた暫くはお預けか。
「さて、それじゃあ長々と話す事も無いし帰りますか。皆、この召喚陣に乗ってる板に手を乗せて魔力を注いでくれ」
「お、おう」
「アホ姫はこっちだ」
「にゃー」
俺は召喚陣に魔力を供給するための術式が書かれた板に手を乗せ、皆も同じようにするようにと言う。皆もゾロゾロとそれに続いた。
一方、カイメイは師匠に首根っこ掴まれて召喚陣の外に連れ出される。遂ににゃーって言いやがったコイツ。
「さて、どれぐらい注げば起動するかな……っと」
「よっしゃーガンガン入れるぜー。この数日間の地獄の特訓の成果を見せてやる!」
「いや、アレ師匠の授業の初歩の初歩だぞ?」
「何それ怖い」
本当の地獄ってのは魔力量の底上げとか魔力効率強化の事を言うんだ。それがほんの数日で終わると思うなよこの野郎。
と、ある程度魔力を注いだ所で背骨を臍の方へ引っ張られるような感覚が始まる。よし、足りたな。
「召喚陣内への魔力充填を確認。ちゃんと起動したみたいだな……他の箇所の術式も問題なし、か」
「やったな、ニルム! じゃあカイメイ、またな! 師匠もありがとうございました!」
「ばいばーい!」
「次はちゃんとここから来い。良いな?」
俺は手を召喚陣に乗せたまま、俺達を見守る三人へと別れを告げる。この感覚もすっかり慣れっこであり、体はまともに動かないが首ぐらいはそちらを向ける事ができた。皆は微動だにしてないけど。
さあ、帰るか。
◇
「ん……よし、成功だな」
いつの間にか閉じていた瞼を開き、ぐるりと部屋の中を見渡す。が、真っ暗で何も見えないので獣化してからもう一度見渡した。
そこはさっきの部屋とソックリだが、壁や天井には裸電球が幾つも吊るされているのが大きな違いだった。また、扉は固く閉ざされており、俺達が手を置いていた魔力充填用の板も無い。
「帰って来た……のか?」
「何も見えない……えっと、光の珠っと」
「うぉっ、まぶしっ」
アホな事をやっている連中を他所に、俺は扉の横にあるスイッチを付ける。すると部屋中にある電球に光が灯り、皆の姿を照らし出した。
「ちょ、マジで眩しいんだけど……あ、電球?」
「ああ、俺ん家の召喚陣。ここから出ればケータイも繋がる筈だよ」
「……電池切れてんだけど」
「それもそっか。あ、んじゃ後で雷魔法で充電する方法教える?」
皆は目を細めながら部屋の中を見渡す。その間に俺は鉄の扉を大きく開け放った。手入れこそしてあるものの、年代物の鉄扉は重低音をたてながら開く。
扉の先はまるで坑道のように木で補強されており、その通路にも裸電球が揺れている。その通路は三十メートルもしない内に途切れ、外へとぽっかりと開いていた。
外は明るく、召喚陣に問題が起きて居なければこっちでももうすぐお昼の筈だ。
「できんのかよ」
「出来るよ。さ、皆出た出た。俺は電気と扉閉めてくから」
「おっしゃー! 帰るぞー!」
「責任取らされんのかなぁ、俺……」
皆はゾロゾロと通路を歩いていく。その足取りは心なしか皆軽い。最後尾の先生は胃が痛むのかお腹を押さえてたけど、多分大丈夫じゃないかな?
俺は電気と戸締りをチェックし、皆の後ろを歩く。そして通路から出るのと同時に獣化を解除した。こっちの空気は臭いからね。
……でもまあ、こうして見慣れた街並みを見ると臭いのも悪くは無いかな。
雑多で緑が少ないけど、これを見ると『帰って来た』って気がするんだよね。
「ここってコタんちの裏の山……だよな?」
「そうだよ。右の方から降りれる道あるから……そうそれ。そこ下りてけばウチの裏に出るよ」
適当に踏み固められた獣道も同然の坂を皆は怖々降りる。いや、これでもマシな方だよ? 雨降ってたらマジで崖だもん、コレ。
「よっと……あー、成程。ここに出るのか」
「外から見ると気付かないでしょ。さ、お帰りはこちらー」
木々や斜面に隠され、ここへの出入り口は言われないとまず気付かない。この山はマモル他数人と駆け回ってたけど、召喚陣は崖同然の所にあるから普通気付かないんだよね。
「……やっぱり」
「あ、かーちゃん」
皆を家の前に誘導すると、スパッと響くサンダルの音。カイメイに似た……と言うか、カイメイが似た女性が立っている。
……うん、まあ。言うまでも無く俺のかーちゃんだ。
「扉が開く音がしたからね……向こう、行ってたんだ」
「うん。ファイルテスメスに召喚されちゃって……ただいま」
「……うん、お帰り。お昼、できてるわよ」
……それじゃあ皆には悪いけど、一足先に帰って休ませてもらおうかな。ホント疲れたよ、今回。
「後始末、大変そうだなぁ……」
◆
―――当人すら気付いていない事であるが、コタローの後頭部、うなじよりやや上の髪の毛で隠れてしまう辺り。
そこに、黒い雷の紋章がある。
◆
と言う訳で完結です。全部書き終わってから予約投稿してました。
主人公がトラブル回避しまくるせいで見せ場が全然無いのは……まあ、こんなもんですよね、正直。
余裕があれば夏休みの五公国旅行編とか書こうと思ってたり。マジで旅行するだけなんで敵とか多分出ませんが。
……そう言えば主人公のキャマード出すの忘れてたな。まあ良いや。