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リリィ 思いつくままに書きとめたささやかな覚書と一切の崩壊。無力な愛、ひとつの不幸、ただ愛を愛とだけ欲したある価値の概念  作者: 夜行(やこう)


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433 肉料理:レーヴェ・フロムダール(27)

老人が入った袋が結ばれる。もはや顔は見えないが、兵士に担がれた長い袋はなお動き続け、荷台に押し込められると動かなくなった。たくさんの食糧は地面に置かれ、土埃のあがる作業が終わると兵士の列はヴァンダールへ帰還を始めた。司祭風の男は本当に約束を守った。誰も殺されることはなかったのだ。安堵が広がる。私たちは怖がりすぎていたのだろうか。食糧も新鮮で、苗も種も肥料も、数節を生きていく充分な量があった。私たちは彼に感謝すべきではないのか。

だが目の前に積み上げられた木箱は、男一人の命の質量でもあった。


誰も何も喋らない。どこか心がばらばらになった気配があり、平衡が保たれた静けさが戻って来ても座ったまま、何もすることができないでいる。私たちは何故、なんのために生きているのだろう――――持っているはずの答えがここにはない。


村外へと続く道をゆく列に、その規則正しく胸を張って歩く背中に、若者の怒りに染まる眼光が刺さる。いたるところに絶望が在った。だが何もかも長続きしない。怒りも絶望さえも土埃をあげて遠ざかる長い列が連れて行ってしまう。あとの村は静かで、家に戻る者もあれば、倉庫に行く者も、狩りに行く者もあった。"平然と生きる"ことを強いられる。心がすり減る音がいたるところで聴こえているが、それもまた有耶無耶になっていく。


問おう、悪魔とは一体誰のことを指すか。


人の詰まった麻袋はヴァンダールでの退魔の祭事に用いられ、生きたまま市中を引き回される定めにある。その定めを許している教会や、指示をしている教職者、麻袋に石を投げて棒でたたく民衆。そして事実を知りながら何の手立てもない私や、祭事に参加しないものの異議を申し立てない民衆も、誰もが悪魔の条件を満たしているのではないか。


では、誰しも悪魔足り得る資格を有しているなら、後戻りのきかぬ一歩を後押しするものは何であるのか。


私たちは善人と悪人の素質を持って生まれてくると仮定しよう。

例えば私は他者が侵害されるのをみた時、失われゆく命や尊厳に憐憫を感じる。何かが失われたという感覚は、相手のものであり、私のものではない。相手の情感をつぶさに感じ取ることもできず、光景や表情から、あるいは情景を説明する言葉から悲哀や虚しさを推し量っただけのもので心模様をつくりあげている。いわば"模倣"である。

他者の痛みはその者のものでしかない。ならば悲報に直面して痛みにあえぐ私の心は、悲しみを推察しただけに過ぎないということだ。自分と近似している相手であるという前提から、近似した情感を予測して成り立たせているのだ。


このように人は究極的なまでに一己の独立した生き物なのだ。相手を推し測ったり他者の視点に立つことができると錯覚するが、あくまで内に蓄積された記憶や経験から情感を予測し、自分だけの境界を類推しているに過ぎない。ならば、善と悪の境界も予測の集積値によって成り、同一のものは存在しないということになる。私たちが誰一人同じ価値観、相貌の者がいないように、境界もまた数多存在し、合致することはない。


一般的に善である悪であるとされるものを取り込んで自身の善悪を育てていく過程で、情報を取捨選択する自由は個人に任される。だからこそ人は分かりあい、決別も、対立もしてしまう。互いの持つ境界が異なるからこそ、視点が異なり、総体としてのまとまりは不完全だ。だが集合としては補い合う完全なものに成り得るのではないだろうか。片翼だけを持つ人が互いを抱きしめながら初めて飛翔できるように。私たちは対岸にあってこそ、手を取りあうために進んでいくのではないだろうか。


けれども現実と理想は乖離している。私たちは自身に足りない部分を補うこともできるが、自分を守る為に他者を傷つけている。他者を愛しながら、見捨てることができる。他者を傷つけた唇で、癒すこともできる。人の中で生き、互いに影響し合いながら、その予測の外にあることには無関心だ。

獣のように叫び、血で血を洗い、移ろいを終えてみれば、そこに跡形も残っていない。後戻りのきかぬ一歩はいつでも自らの足で踏みだしている。


では悪魔足り得る個人の問題なのだろうか。ゾアルである娘とギンケイの娘を向かい合わせて、互いが友人になることは決してないといえるだろうか。私の腕の中の少年がゾアルであると判明する前、家族を得て、種族関係なく汗をかき、働いていたことは周囲を騙していたことになるだろうか。

私たちはとうに境界を飛び越え、手を携えて飛翔することができていた。種族や規律などという言葉の枠ではなく、単に都市、住居、職業を包括するヴァンダールという透明な膜を押し広げて、完全な総体として共存していたのだ。






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