20 選定と視線と、
商人会館は開業当時、溜息や歓声のどよめきが館内のあちこちで起こるほど内外ともに美しい景観だったという。
アクエレイルの家屋は青い石を切り出した石瓦の屋根に、乳白色の石灰岩の石壁を使用するのが一般的だが、石炭を使用する場合どうしても経年とともに壁は煤で黒ずんでしまう。
そこで商人会館は石壁の上から更に石灰塗料を塗り、眩しいほどの白亜の館をべリサリウス教区の大広場前という最高の立地に構えた。
以降も壁は塗り替えられ、家具も新品と頻繁に入れ替えられている。常に真新しい内装は汚れや痛みなどなく、経年の変化を感じさせない。
商談や集会に利用される一階は同業種の結束を強め、活動の拠点として今日も多くの商人が出入りしている。
二階には大小様々な個室が用意されており宿泊も可能だったが、三階への立ち入りは固く禁じられていた。最上階は富裕層向けの特別仕様の部屋が用意されているからだ。
己の実力のみで乗り上がり巨万の富を得た商人たちは、上に立つ者の気質として懐が深く、剛毅であったが、同時に多くの者が残虐さも持ち合わせていた。三階への立ち入りを禁じたのは特別感を煽る為でもあったが、ほとんどは暴力的で非人道的な問題が露見することを避ける目的があった。門口も分けられていたため、招かれざる客が入り込んだとしてもその嬌声は一つとして漏れることはなかった。
三階――赤絨毯の通路を左に進み、突き当たりにある部屋の前に連れてこられ、あの長靴の男は心臓が飛び出しそうだったのではないだろうか。
大方一階で「着の身着のままで構わない。ただ頷けばいい」とでも言われたのだろう。荷物を人質に取って有無を言わせないのはここの担当者たちの常套手段だ。村から出てきた小作人と商人を引き合わせ、契約を結ばせる。誰に運ばれる皿に乗せるかは、彼らの心眼次第。そこに小作人への配慮はない。
三階に複数ある両開きの扉は、取っ手からして無色透明な石を削って作られており、重厚な扉は蹴り上げてもびくともしない。そればかりか廊下まで豪華な調度品で埋め尽くされており、どれも相当な高額商品だが、三階に出入りする者にとっては風景の一部に過ぎない。汗水たらし腰を痛めながらやっと一日を働ききる男には怖ろしく遠く、触れる事も憚れる世界だった。このまま扉を開けば、指先一つで命運を決められてしまう。背中に走った悪寒に吐き気を覚えても、逃げる事はできない。
結局、長旅の疲れもそのままに着の身着のまま部屋に通された長靴の男は、頷く以外に何もできず嵐のように去っていった。
長椅子に腰かけていたA・ブラットは大層冷え込んだ目を天上に向ける。「んー」と間延びした声を出しながら「足りなかったかな」と言った。
紙片に書かれている金額が気になり、片手を上げる。理力によってふわりと浮き上がった紙が、手のひらの上にやってくる。そこで男の発した「六十倍」の意味を理解する。
長椅子の肘掛けに翼を乗せながら器用に頬杖をつく男の横に腰かけた。
「量産するつもりか?」
「ですね。大きさも選択できて、味付けまで可能なんて中々稀有な発想ですから。この国ではさっきの人くらいしかやってないんじゃないですか? 塩といえば海港都市ですが、あそこは塩気があればなんでもいいようなやつらが多いので販路としてはアクエレイルで付加価値をつけるのがいいでしょうね。なのでまぁ早々に量産体制を整えて囲い込んでおけば儲けを独占できるので……あ、連盟も出資してくれますよね。ついでに商標の取得もしてくれるなら実用新案権はそっちに渡しますよ」
部屋に残っていたもう一人の角持ちの少年が顔に笑顔をはりつける。
「貴人様のご要望にお応えできるよう努力いたします」
双子のシャモア族の忠僕は役割というものを理解している。A・ブラットは彼に机上の塩を土産用に包んで欲しいと伝え、扉側の長椅子に座り直した。
商人という肩書は彼の一部に過ぎないが、どうやらうまくやっているようだ。
採光に恵まれた広く大きな出窓を睨みつける顔はお世辞にも商談に向いている顔とはいえないが。
「話の途中でしたね。とんだ邪魔が入ったと思いましたが」
「構わない。龍下に献上する品も決まったのだから、そうなのだろう?」
「まぁ……工房の経営権を差し上げるのが理想ですが、告解祭までに間に合わないのが残念です」
「財務部の悲鳴が聴こえてくる」
「利潤を追求して分配すれば、巡り巡って末端まで豊かになる、……んじゃないですかね……まあ、教会も企業経営と同じですよ」
「超然とした存在を証明する装置としての振舞いを、永続させるために?」
「わ、今あいつの口癖出そうになりました」
「飲み込んでおけ」
神に最初に創られたというパーシアス族の自負の為には、神は常に万物の頂点にあらなくてはならない。でなければ、最初の名誉をその身に受けたという誇りも露と消えてしまう。
彼は飼養されている鳥と同じく、烏口骨を持ち、パーシアス族の中でも特に珍しい「四枚羽」を持つ男だった。背中の羽だけではなく、肩の先からも羽が生えている。腕は羽毛に覆われ、骨指の形も鳥のものと同じであるため筆記具などを持つことはできない。日常の動作を理力で補っているため、苦労は感じていないだろうが、彼が彼として至るまでの道程は陰鬱の中に在る。それでもパーシアス族らしい執着は染み付いているようだった。
種族―――それは自分が持たざるものだった。
雄大な翼から意識を逸らすと、丁度目線の高さに花が咲いているのが目に入った。あれは研究室から持ってきた水耕栽培の植物で、くびれのついた硝子の器の上に球根を乗せておくだけで、水の中に白い根が生えていく。今は開花の時期を迎え、桃色の花を咲かせている。見た目が涼しく美しいが、こまめに水を変えなければ直ぐに根が腐ってしまう。見る限り、器の中の水は澄んでいた。
「換えてますよ、俺が、ちゃんと」
前髪に隠された目が妖しくしなっている。リーリートは振舞いを鑑賞されていたことに気づいて、ブラットを睨み返した。




