計画的犯行
王女が魔王に二度目の勝利を収めてから数日後、魔王城は毎度のごとく行列ができていた。最後尾はこちら、と書かれた看板を持つ者もいれば、自家製の肉を焼いたものがしきつまった箱をぶら下げて売り歩いている者もいる。
もはやなにかの観光地かと見紛う光景に、かつての魔王城を知る者は目を疑った。
幾度も目を瞬かせ、右を見ては左を見て、自身の腰に下がっている剣に触れては離し、思わず天を仰いだ。
「いやいやいや、なんだこれ!?」
かつて決死の覚悟で魔界に降り立ち、血で血を洗う戦いを繰り広げ、たった四人で魔王にまで到達した少年――そう、勇者である。
「お、兄さん。ここは初めてかい?」
肉の箱をぶら下げた泥でできた足に話しかけられ、勇者の手が思わず剣に伸びる。勇者と同じサイズの足はくるぶしまでしかなく、平になっている表面に紐をひっかけ、箱をぶら下げていた。
「いや、初めてじゃないんだけど……」
「そうかい? それにしちゃあ、ずいぶんと慣れない様子だが……ああ、そうか。いやー、わかるわかる。ちょっと見栄を張りたい年頃ってあるよな」
ぐちゃぐちゃと泥を撒き散らしているのは、多分きっと笑っているのだろう。跳ねた泥が肉にかかるのもお構いなしだ。
「うんうん、お兄さんが初めてじゃないのはわかったよ。だけどまあ、俺はさ、ちょっとここについて話したい気分だから聞いてくれるかい?」
「あ、ああ」
気さくな足に、思わず勇者は頷いてしまう。
相手を尊重しつつ、気分を害さないようにと言葉を選んでいるその手腕は、さすが売り子をやっているだけはある。売り物の肉は全滅だが。
「これはな、魔王様に挑戦するために皆並んでるのさ。これまでは腕に自信のある奴がたまーに来るだけだったんだが、今回の魔王様は大人気で、こうして並ばなきゃいけないほどなんだよ」
「今回の? 前の魔王はどうなったんだ?」
「そりゃあ倒されたに決まってるだろ。倒されなきゃ魔王にはなれないからな」
ぐちゃぐちゃと泥が散っている。なにがそんなに面白いのだろうかと、勇者は首を傾げた。
魔王は魔界を統べる王だ。それが倒されて面白がる理由がわからなかった。人界の王が誰かに倒されたとなれば、人々は嘆き悲しむだろう。
魔界を旅してはいたが、勇者は魔王や魔物を倒すべき敵と認識していた。それゆえ、魔界の文化には疎い。
「なあ、その、今回の魔王ってのはどんな奴なんだ?」
真魔王になった魔王が王女を攫ったとばかり思っていたが、もしかしたらその新しい魔王とやらが攫ったのかもしれない。
そう思い、倒すべき敵の情報を集めようと、勇者は足に問いかける。
「お兄さん、知らないでここまで来たのかい? 流行ってるところがあると思わず来ちまうタチなんかね。まあ、そういう時期ってあるよな。わかるわかる」
うんうんと頷くようにくるぶし部分が上下する。その勢いで、表面に引っかかっていた紐がずれ、箱が地面に落ちた。
「ああ、しまった。売りもんを駄目にしちまった」
「いや、もっと前から駄目になってたんじゃないか」
「まいったなぁ、これじゃあ女将さんにどやされちまう。まいったなぁ」
くるぶしが俯くように下を向いている。まいったなぁと繰り返すだけの足に、勇者はむっと顔をしかめた。
「それで、今回の魔王ってのはどんな奴なんだ?」
「まいったなぁ。これじゃあ一週間飯抜きだ。まいったなぁ」
ここまで話をしてはいたが、勇者にとって魔物は倒すべき敵だ。その認識がなくなったわけではない。
思わず高圧的になってしまうのも、それが理由だろう。
「いいから、俺の質問に答えてくれないか?」
「どうしたもんかねぇ。売りもんを駄目にしちまったんじゃ、今日はもう商売ができねぇや。ああ、まいったなぁ」
勇者の手が腰に伸びる。
勇者は魔物に友好的というわけではない。指先が剣の柄を掠めた。
「ああもう、それ全部買ってやるから、いいから答えろ!」
だが、多少とはいえ会話をした相手を倒す気にはなれなかったのだろう。
手は剣を越え、その横にかかっている革袋を掴んで、足に突きつけた。
「おや、いいのかい。お兄さんいい人だねぇ。まいどありぃ! ……で、今回の魔王はな。聞いて驚け、なんと人間のお姫様だそうだ!」
行列が屍の山に変わったのは、それから数分後のことだった。
「お兄さん強いねぇ。あんたなら魔王様を倒せるかもな」
その山を築いた勇者に向けて、足が感心したように言う。
「俺の弟が今の魔王様にな、倒されちまったんだよ。いや、それ自体はまあ、魔界の掟だからしかたない。だけどな、弟を倒してすぐ、美貌なき者に挑戦権を与えないって触れが出たんだよ」
遠くを見るように、足が明後日の方向を向く。そして涙ながらに語った。流れているのは涙ではなく泥だが。
「それじゃあまるで、俺ら泥形種に美貌がないみたいじゃないか!」
張り上げた声で大気が震える。飛び散った泥は、堪えきれず溢れた思いを表しているのだろう。
勇者は剣を鞘に納め、魔王城を見据えた。
「だからどうか、俺ら泥形種に代わって魔王様を倒してくれ!」
足の鼓舞する声に呼応するように、勇者はなにも言わず、魔王城に向けて駆ける。
泥に美貌はないんじゃないか。
自分が倒しても代わりにはならないんじゃないか。
そんな思いを呑み込んで、ただ一直線に玉座の間を目指した。




