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沙州遊行記~紅砂の城市~  作者: 天水しあ
巻の六「夜更けの潜入」
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「下卑た笑い」

 あれってもしかして、入り口に差したかんぬき……。

 バン! 

 茗凛めいりんが思うと同時、いささか乱暴に扉が開いた。

 月光に刃を煌かせる男を先頭に、それぞれの得物を手にした男たちが続々と入ってくる。茗凛はとっさに、跳ね上がっていた廊下の板に手をかけた。事態を察したのだろう、やや強張った顔をあげて階段途中で足を止めている上座に一礼すると、かなり乱暴にその板を閉める。

「おまえ、何やってるんだ!」

 男たちに対峙するように素早く立ち上がっていた珂惟かいが、驚いた顔を肩越しに見せた。決して大きくはないものの明らかな責め口調――やっぱり、私を中に押し込んで板を閉めるつもりだったんだ。一人だけで何とかしようだなんて、そうはさせないんだから!

 茗凛は素早く立ち上がると、目の前に立ちはだかっている珂惟に身を寄せ、

「逃げるときは一緒って言ったじゃない」

 茗凛の言葉に、珂惟は軽く舌打ち。だが帯にさしていた、地下扉の鍵だった鉄棒を手にすると、改めて男たちに対峙する。

 彼らがじわりと歩を進めてくるのに反して二人は後ずさったが、すぐに壁に突き当たった。

「残念だったな」

 男たちの背後から現れたのは、法衣をまとった醜悪な蝦蟇蛙だった。月光に照らされた顔に、禍々しい影が落ちている。

「今日の騒ぎに気を取られている隙にと思ったのだろうが……。あれだけ長安に戻るのを嫌がっていた強情な小坊主がしおらしく帰り支度を始めるものだから、もしやと思って見張らせておったのだが、うまいことかかってくれたわ」

「――なるほど。しばいが過ぎたか」

「ワシを騙そうなどとは一〇〇年早いわ、儒子こぞうめが」

 蝦蟇蛙はくっくっとイヤらしく喉で笑いながら、

「さあて、おまえらをどうしてくれようかのお。幽霊騒ぎでこの建物に人を寄せつけぬもそろそろ難しゅうなってきたところだ。面倒だから焼いてしまおうか、あのやかましいジジイと一緒に。そうしたらジジイは病死、おまえらは駆け落ちで話は簡単。余所者と踊り子ごときが姿を消したところで、誰も騒ぎ立てはせぬわ」

 僧形から平然と吐かれる恐ろしい言葉に、茗凛は思わず珂惟の衣を強く握る。茗凛を庇うように後ろ手に回された珂惟の左手が、それに答えるように茗凛を強く引き寄せた。

 その様子を蝦蟇蛙は面白そうに眺めながら、

「それともおまえらも一緒に売り飛ばそうか。娘の方は胡姫たちには幾分劣るが、まあまあ見れる。そこそこ踊れるようだし、何より若い。そしておまえは――物好きな連中に受けそうなナリをしている。その筋で高く売れそうだな。まずワシが試してやろう」

 だらしない口から流れ出す下品な言葉に、茗凛の背筋が凍る。

 その筋? その筋ってどういうこと? まさか……。

 瞬時に浮かんだのは、隣の宿のお抱え一座の一員だった。装いのせいもあるが、どうみても女にしか見えない「彼」が、時に腕を絡ませたり、時にしなだれかかったりして連れ立っていたのは、旅の男たち。親切に道案内――というわけではないことくらい、鈍いと言われる茗凛にだって分かった。でもまあ、うん、人それぞれだからね――異文化が混入する敦煌の中でも、とりわけて猥雑な中に身を置く芸人である。大抵のことに慣れているし、寛容だと思っていた――今の今まで。

 『舞台に出たら映えそうな』いつぞやの霞祥の言葉が頭をかすめる。

 そうだけど! 確かに綺麗な顔立ちだとは思ってたけど! でもだからって、《《そんなこと》》ありえないからっ!!

 とまあ混乱で頭がぐるぐるしまくる茗凛の目の前で、当の本人はいたって冷静だ。蝦蟇蛙に鼻で笑ってみせると、

「――それが上座たる者の言葉かよ。あんたみたいなくそ坊主の相手なんざ、ごめんこうむるね」

「ほう。じゃあ今まではどういう者どもを相手にしておったのだ。まさか長安の寺で囲われていたわけではあるまいて」

「下衆が!」

 珂惟は不快もあらわに吐き捨てると、

「気持ち悪いのは顔だけにしとけよ、この生臭坊主が! 第一、せっかく行かずに済んだ『よからぬ道』に、いまさら入る気なんて、ねえよ!」

「きゃあっ!」

 いきなり身体が飛んで、茗凛は思わず声をあげた。


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