「いわくつきの仏閣」
「――出る?」
「ここだけの話ですよ」
然流は茗凛に額を寄せると、声を潜め、
「実は――あの建物には地下牢があるんです。寺院の規律を破った者を拘留するためのものだったんですが、ここ数年使われてなかったんです。そうしたら、寺に参拝に来ていた胡人(西域から来た人々の総称)の娘が、風を通すために鍵の開いていたそこに入り込んでしまったみたいで……それに気づかれないまま地下は施錠され、そのまま娘は……」
思いもよらない話に茗凛の背筋は冷たく凍った。
「確かに噂にはなっていたんです。あそこの前を歩いた何人かが女の悲鳴やら泣き声やらを聞いたって。しかもそれが胡語らしいって。――この間の砂嵐の日、振鈴の番をしていた沙弥が『出た』だか『聞こえる』だか奇声を上げて寺から姿を消したものだから、『やっぱり』って話になってて」
「姿を消したって……そういえば、最近彼を見てない気がする。あのほら、この間沙弥になったばかりの」
「そう、その彼です。家の事情で寺を出たって上座は言ってますけど、誰も信じていませんよ。そのうえ上座が人目を忍んでたびたび地下牢に下りていくのを見たっていう人が何人もいて。きっと霊を鎮めるために経を上げに行ってるんだろうって話です。そのおかげか今のところ騒ぎは寺内で収まってるようなんですが、『出る』寺だなんて、もし世間に知られてしまったら……」
言葉にならない。そんな、恐ろしいことになっていたなんて。兄さんは知ってたのかしら? いや、行者が知ってて比丘が知らないなんてありえない。知ってて、私が毎日怨念漂う寺に来るのを平気で見てたわけ? ひどい兄さん、いくらなんでもあんまりよ!
「いけない、もう行かないと。遅くなると怒られちゃいますから」
ひそかに憤慨していると、然流が突然立ち上がった。
ちょっと待って、まだあの二人何も……と然流の後ろを見ると、なんと彩花が盆を手に琅惺の傍らに控えてるではないか! 困惑気味で茶を手にする琅惺に、彩花は熱視線だ。
ちょっと! なんで誰も止めてないのよ!
天幕を振り返ると、おかみと霞祥は、新しい衣装を手に嬉々としている。あれは、彩花の家から「娘が世話になっている礼」として定期的に届けられるものだ。客人はソレだったんだ。もう、新しい衣装が来るといつもああなんだから!
珂惟はといえば、こちらに背を向けて横になっている。本当に寝てるとしか思えないんだけど!
もう、みんな使えないんだから! 茗凛は一人、心中深くで怒りながら、
「でも、まだ来たばっかりじゃない。もうちょっと、ゆっくりしてったら……」
「いや、随分ゆっくりしちゃったんで。今度は琅惺さんのいないときに来ますね」
と笑顔の然流。いや、それは違うだろ。違うって!
一人で慌てていると、計ったかのように「では参りましょうか」と琅惺が近づいてきた。見れば彩花がその後ろにガッカリした顔でまとわり付いている。対する琅惺はげんなりしていた。一刻も早く立ち去りたい様子だ。
もう引き止められない……茗凛はがっくりと肩を落とした。
琅惺は「それではお邪魔しました」と茗凛と背後の彩花それぞれに一礼する。そして思い出したように、茗凛の背後で木陰に横たわる姿に目を投げ、
「こんな昼間から寝てるなんて、さぞかし毎日面白おかしく、遊びほうけているんでしょう。上座はきっと珂惟を罰するつもりで寺内を自由に歩かせないのでしょうが、彼にとっては寺から自由に出られないほうが辛いはず。そう申し上げたのですが、上座はおとり合いになりませんでした。珂惟は落ち着きがないから、寺内のあれやこれやを探して回るのではと危惧されているんですね、きっと」
琅惺はやけに大きな声でそう言って、珍しく声をあげて笑った。そのせいか、発言を止めようと口を開いた然流もポカンとしたままだ。琅惺は彼を振り返り、
「では行きましょうか。――それではまた」
そうして二人は去っていった。
彩花が「そこまでお送りします」と後を追おうとするのを、琅惺が「大丈夫です」、茗凛が「いいから」と言って同時に止めたのは言うまでもない。




