目論み
国内最大級とも謳われる某自衛隊駐屯地。厳しい警備が巡らされているその出入口に、ふらっと現れた男がいた。目深にフードを被り、余程の至近距離で覗き込まねばその顔は見れない。
「鍵重長官が居らっしゃると思うのですが、お会いしたい。通して頂けますか」
フードの男にいきなり告げられた出入口の守備隊員は、さぞ度肝を抜かれた事だろう。長官が駐屯地に来ていることは、公表されていない。勿論一般人が知るはずが無いのだから。
「通過許可証はお持ちですか」
何とか冷静にフードの男に問うと、彼は胸ポケットから運転免許証と同じ大きさのカードを取り出す。
鍵重長官直筆の署名と印が入った、特定人物しか持っていないはずの通過許可証に間違いなかった。
「し、失礼しました!どうぞお通り下さい」
直立不動の体勢で男を中へと導き、迷う様子も無く明確な足取りで駐屯地内を歩いて行く彼を見ていた守備隊員。
フードを目深に被っているが為に、新人の守備隊員は一度も男の顔を見る事が出来なかった。ふらりと現れ、フードで顔も見れない……怪しい人物にしか見えないのだが。
通常であれば危険物を持ち込んで居ないか、荷物検査や身体検査をする。だが特定人物のみが持つあの通過許可証を持つ者に関しては別だ。
“何人たりとも、その通過許可証を持つ者を詮索してはならない”
真っ先に頭に叩き込まれる隊員規律があったからだ。
何故長官が居る事を知っているのか。
何故、長官直筆の通過許可証を持っているのか。そして何故、駐屯地内をああも迷う様子も無く歩いているのか。
挙げればキリが無い疑問も、彼ら隊員がその答えを知る事は無い。
***
フードの男は、駐屯地内のある建物の前に立っていた。八桁に及ぶ暗証番号を違えること無く打ち、中に入ると守衛室に近寄る。
「長官に“A”が訪ねて来ている、とお伝え頂けませんか」
「A……ですか?」
フードを被ったまま守衛室の受付に近寄る彼は、壁向こうに立つ守衛員よりも背が高かった。が、やはりフードの中の素顔は分からない。
「そうです。そうお伝え頂ければ伝わりますので」
丁寧でありながら有無を言わさぬ物言い。守衛員は従うしか無く、長官室直通のキーを押した。
「鍵重長官、“A”がお会いしたいと訪ねて来ておられます。お通ししても宜しいでしょうか」
“直ぐ通してくれ”
「了解致しました」
「左側のエレベーターをお使い下さい。長官室に繋がっております」
「わかりました、ありがとう」
穏やかな声で言われるがままにエレベーターに乗り、扉が閉まると素早く防犯カメラの位置を確認する。その死角へ入り男は漸くフードを外した。
端正な、彫の深めの顔立ち。長い黒髪を細く背で纏めたその姿。
ダナニス・青馬衣であった。フード内から纏めた髪を引っ張り外に出すと、軽く私服を整える。そうして止まり、開いたエレベーターから長官室へと歩を進めたのだった。
“A”とは青馬衣の頭文字。長官との間のみ使われる、隠語なのだ。何故そんな隠語を使ってまで彼と会うのか。
長官にはお茶目で面白いでしょう?と言っている。少年の頃、気の合う悪友と合言葉のように使い遊んだ頃を思い出しませんか、と。
だが彼には、表の姿のダナニス・青馬衣と言う“若手実業家で慈善家”の他に、もう一つの姿があった。
それを隠す為であったのだ。もちろん、そんな事は長官は知らないと言う事は言うまでもない。
「これは青馬衣社長!」
明るい表情でダナニスを迎えた鍵重長官。ダナニスは少し困ったように笑い、彼に近付いた。
「やめて下さい、社長だなんて堅苦しい。どうぞダナニスと呼んで下さい、と申し上げたではありませんか」
「おぉ、そう言えばそうだったな。ではダナニス、今日はどうしたのかね?有名人の君がわざわざ私に会いに来てくれるとは」
「お願いがあって参ったのです。長官であればお聞き届け下さると思いまして」
にこやかに微笑み、長官へと近付くと頭を下げた。彼より背の高いダナニスが長官に左手を胸に当ててゆっくり頭を下げるその姿は、優雅と言う言葉がしっくりくる程だ。
「願いとな?まぁ座りたまえ。それから話を聞こうではないか」
貫禄ある物言いでダナニスにソファを勧め、自身も向かい側のソファに腰を降ろす。
「僕が、海外の貧困層に資金援助しているのはお聞きした事はあるかと思います」
そんな出だしで口を開いたダナニス。その顔は穏やかで、他意は欠片も無いように見える。
「本当は僕自身が現地で活動するのが筋かもしれませんが、社長などと言う身分の所為でそれもままなりません。そこで、僕自身が見極めた人材を集めて大規模なチームを作り、現地に送りたいと考えています」
「それは素晴らしい!君の行動力や人を見る目は確かだと良く聞いているよ。それでどうしたいのかな?」
「集まって頂いた方には職を辞めて頂くのですが、生活の保障をし、サポートして参りたいと思っております。
それでこの優秀な人材が揃っている陸上自衛隊から十数人、お借りしたいのです。もちろん無理にとは申しません」
申し訳なさそうな色を浮かべ、そう頼んだダナニスにうーむ……と顎を撫で目を瞑った長官。
暫くしてダナニスを見ると穏やかに笑った。
「前向きに検討してみよう。他ならぬ君の頼みだからな。何人必要かな?」
「二十人ほど……。お借り出来るのであればその半数でも構いません。僕が考えるチームの人数は百人前後としております。その他の人材は他のツテを当たってみたいと思いますので」
「分かった、最大限努力しよう。ただやはり其れなりに時間を要するのだ。半年はみてもらわねばならん」
「大丈夫です。良い返事をお待ちしております」
仮に親しい間柄だとしても、陸上自衛隊長官ともあろう者がこうも簡単に自衛隊員を辞めさせると言っても良いものなのか。
なんて事は無い会話でも、何故かダナニスと話すと彼の言う通りに事態が進んでしまう。
其れこそがダナニスの力と言えよう。もちろん長官や日本新聞社の形響などは、表向き友人のような関係をとってはいるが。
「あぁ、そう言えば」
「?」
上着のポケットから小さな包みを取り出し、目の前の机へ置く。
「長官はつい先日、就任して三年経たれたんでしたね。これは細やかではありますが、僕からのお祝いです。受け取って頂けますか?」
長官が包みを開けると、中にはシャツの袖口に付けるカフスが入っていた。
「何と……良いのかね?こんな上質な物をもらっても」
「もちろんです。長官が喜んで頂けるなら、贈り甲斐があるというものです」
穏やかに微笑み、ダナニスは内心でほくそ笑んでいた。これで仲間……いや、手下と言うが正しいだろう。人数の一部が補える、と。
ダナニスの本当の目的は、貧困層地域へ送るチームの人材集めでは無い。もちろん“人材集め”と言う点では当たってはいるが。
彼にはある野望があった。その為の人材集めだったのだ。だが彼自身にはさほどの武力や身体能力は無く、全面的に至って人並み。
飛び抜けているとすれば、その頭脳だろう。体力戦よりも頭脳戦が強いと言える。
そうして半年程。元自衛隊員を手に入れたダナニスは、彼らと真の思惑を話して自分に絶対服従する部下にした。
一種の洗脳と言ったところか。他に、彼自身で見つけて部下に引き入れた者も含め、総勢90人余。
ダナニスが長官に言ったチームの人数と同じになり、彼はどうしても手に入れたい人材を捜し出す事にした。
部下を使い、独自の情報網を敷いて手元に引き寄せたい“彼”の居場所を探っていくダナニス。
だが日本国内、一億二千万の人口からたった一人の人物を見つけるのは容易では無い、筈なのだが。
ダナニスはたった二ヶ月余で彼を捜し出してしまったのだった。