特別任務 side.鮫島
「私達が自衛隊の鍵重長官に……」
驚き、奥さんと顔を見合わせる清洞さん。框矢と言えば、影人から聞いてとっくに腹を据えたのか、何の感情も示さなかった。
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「久し振りだな、框矢」
「お久しぶりです長官。何度もご迷惑をおかけし申し訳ありません」
「何を言う。さあ、座りたまえ。皆さんもお座り下さい」
穏やかに柔かに微笑みながらソファを勧められ、清洞さんはおずおずと、影人と榊原は少し硬い表情で座る。
メンタルで一番ゆとりがあるのは框矢だろうな。
「君が公安の榊原浩輔だな?……先ずは礼を言う」
「俺は何もしておりません。その様な言葉をお受けするのは筋違いです」
そんな台詞に、長官はフッと笑うと清洞夫婦へと目を向けた。
「清洞さん。私が陸上自衛隊長官、鍵重治信です。……短期間で様々な事を知り、大変だったとか。どうぞ気を楽にして下さい」
「そんな……もったいないお言葉を……」
すっかり恐縮して、框矢とは正反対。
「君は?」
そう聞いたのは、影人に対してだ。
「俺は法鴉影人です。框矢とは親友の間柄にあります。お見知り置きを」
幾分落ち着いたのは、きっと框矢が長官に対して物怖じしていないから。
一通り全員と言葉を交わし、長官は框矢へ目線を戻した。
「鮫島君から話は聞いた。あの男とまた接触したそうだな」
「はい」
「君にご両親が居ると判明したのは、実に喜ばしい事だ。あの男は今頃、逮捕されているだろう。私とて大事にしたいわけでは無いからな、私服警官に覆面車両で向かわせた。あやつの社員も、その周りも逮捕されたとは思わないはずだ」
「ご配慮有難うございます。……長官は警察にツテがあるのですか。無いものかと思っていましたが」
「ああ、まあここ最近だかな。それなりの地位に居る男だ……何、心配は要らんよ。信用が置けるのは私が保証する」
そうですか、と警戒心を瞬時に消した框矢の隣で、清洞さんが目を白黒していた。
まさか息子が、長官と親しげに会話するなんて思ってもみなかったんだろう。
「慶、長官に失礼じゃ……」
朔さんが框矢を咎めようとした時、それを長官が遮った。
「良いのです。框矢とは知らない仲では無い」
やんわりと彼を掌を向けて抑え、また框矢と話し出す。
「あの男は勿論だが、君も有罪は免れまい。だが、榊原君と影人君が居るのは、それをさせない為であろう?」
「……」
「正直、君は彼の部下を倒し過ぎた。峰打ちに抑える事も、当時は考えられなかったのだとは想像も付く」
その声は咎めるのでは無く、ただ淡々としていた。
長官は、框矢をどうするつもりなんだろうか。
彼を罰するのであれば、框矢だけを呼べば良い。影人や榊原達までこの場に呼び寄せる必要は無いのに。
「俺は、終身刑だろうと服すつもりで居ました。この手で瀧宗を振るい、それだけの事をして来ましたから。
でも。親が見つかり、こんな事になった今は……どうしたら良いのか、分からなくなりました」
少し俯き、息を漏らすかのような低い声。框矢を少し見ていた長官は、不意に影人へと顔を向けた。
「影人君」
「はい。……どうぞ呼び捨てでお願い出来ますか」
柄じゃありません、と続ける影人にふっと笑う。
「では影人。君はどうするつもりかね?」
「逃げます。海外へ」
きっぱり、はっきりと。影人はそう言い切った。
「逃げる?框矢を連れてか?」
「はい」
数秒の沈黙、そして。
「ふふ……アッハッハッハッ」
「……え?」
「ち、長官……?」
長官は笑っていた。それも心底楽しそうに。
「逃げる……そうか、逃げるか。だがこの国の警察は甘くないぞ。国際手配でもされたら、地球の裏側であろうと追われるだろう。それでも逃げるか?」
笑いを抑えきれないまま、愉しそうに影人へ問い掛ける。
影人は真剣に言ったつもりだったんだろうが、笑われてポカンとしていた。
「榊原君。君も彼らと逃げるかね?」
「俺は警察官です。本来は彼らを追わなければならない職です。……日本に、残らなくては」
「本来は、か。君の本心は違うと言っているようなものだぞ」
「……」
長官がじっと彼を見つめると、ぽつりと漏らしたんだ。
「俺も警察官である前に、感情ある人間です。彼らの過去を知り、夫婦のあの喜び様を見てしまって尚、捕らえる気には到底なれませんでした」
「ほう」
「そもそも、公安は框矢のような者を捕らえられる課ではありません。社長の件で俺は動いていましたら」
ふむ、と顎を撫で、暫く考える素振りを見せると、清洞さん夫婦へ声を掛けたんだ。
「清洞さん、貴方はどうなさりたいですか。率直な考えをお聞きしたい」
「……」
翠さんと顔を見合わせ、少しして朔さんが長官へと顔を向けた。
「私達は、二十数年……息子見つけられず、いつか会える事だけを希望に生きて来ました。会えた今、二度と離れたくはありません。
……しかし、殺人は恐ろしい罪です。償って欲しいのも本心です」
彼の言葉に確かに殺人罪は重い、とゆったりと頷く。けれど出てきたのは、框矢を擁護するものだった。
「框矢は知っての通り、違法な人体実験に晒されて来ました。他人と違う感情があるのも事実。だが、私は彼をそこいらの殺人犯とは違うと見ておるのです」
「それは……どういう意味でしょうか」
「通常、その類いの犯罪者は自分を正当化します。何かしら、己の欲求を満たしたいが為の理由が存在するのですよ。遊ぶ金が欲しかった、腹が立って殺人欲求が抑えきれなかった、という様に。
框矢にはそれが無い。ただあの男から身を守る為、それだけです」
「しかし……」
「勿論、彼がして来た事は仕方が無かったとは言え、法的にも許される事では無い。一度だけなら正当防衛と認められるでしょうが、三度四度と繰り返せば過剰防衛、殺人罪になってしまいます」
「……」
「だが、本心を言えば、私も彼を刑務所に行かせたくは無いのですよ」
「?!」
その言葉に驚いたのは俺だけじゃない。清洞さん夫婦も、影人や榊原も。框矢も驚愕に目を見開き、長官を凝視していた。
「彼の身体能力は素晴らしいものです。しかも未だに伸び続けている。私は、彼に自衛官の能力向上を手伝って貰いたいのです」
長官は茫然としている清洞さん達に、柔らかな笑みを投げかけたんだ。
「框矢」
「はい」
スッと真顔に戻り、框矢を見据える。
「私の命を受けるつもりはあるかね?」
「どういう命令かにもよります。親に都合が悪くなるものであれば、お受けは出来ません」
こんな立場では拒否は出来ない。それでも、はっきりと意見を述べるのは框矢の良い所。
俺は、そう思うんだ。普通なら、恐縮してしまい何も言えない事が殆どだから。
「それは問題無い。無論、影人も榊原君もだ」
「分かりました。お受けします」
親友や親に支障が出ないと分かった瞬間、彼は即答した。どんな命令が下されるのかも不明確なのにも関わらず。
「框矢……良いのか?どんな命令なのかも判らないのに」
思わず聞いていたんだ。
もし、それでとんでもない内容だったらどうするんだ。
けれど框矢は。
「俺一人で背負って済むなら、それで良いんです」
穏やかに笑ったんだ。
長官はうむ、と一つ頷くと、框矢を呼んだ。
「君は先ず海外で生活する事になる。国内では、匿うには無理があるのだ。君はずっと、框矢として生きて来た。“清洞慶”は既に行方不明者となって久しい。
国内では未だ行方不明者として登録されたままだが、框矢として国籍を取りたまえ」
「はい」
「だが、日本国籍を取得してはならん。外国国籍を取るように。影人」
「何でしょうか」
不意に影人へと視線を向けた長官。
「君は先程、框矢を連れて海外へ逃げると言ったな。その決意は変わらないのかね?」
そんな言葉に、影人は迷い無く首肯する。すると長官は、満足気な笑みを浮かべたんだ。
「宜しい。では君は、今後も框矢と生活したまえ。国籍も框矢と同国に変えると良い。詳しくは鮫島君に任せる」
「はい、お任せ下さい」
一つ礼をする。
さて、と……とひと息吐いて、長官の表情が引き締まったのに釣られ、框矢の面持ちも真剣味を帯びた。
「框矢。君には半年に一度、一ヶ月間陸自駐屯地に滞在し、自衛官の実技相手をして貰うつもりだ」
「実技……相手ですか?」
真剣味を醸していた彼の表情に、困惑の色が混じる。
「まあ、戦闘技術だな。今日まで自衛隊は、国内では自衛の為の組織として認識されているが、海外では軍隊としての見方が強いのだ。現に災害救助や自衛だけを行っている訳では無い。
軍事力とは言われ兼ねんが、それなりに力を付けておかねば実際に役には立たんのだよ」
「はあ……」
「間違ってはならんのは、これは君の義務だという事だ。協力要請しているのではないし、慈善活動でも無い。半年に一度、それも君が現役を退くまで一生続き、負わねばならん義務を君に課する。これには一切の手当、支給は付かぬ。
良いかね?君が犯した罪は、その一生を掛けて国に尽くす事で償いとなる」
「……」
「刑務所内で淡々と服すか、国の為に尽くす事で服すかの違いだ。
一年の内の二ヶ月以外は何の制約も課さない。アルバイトなり、趣味なり好きに過ごしたまえ」
「分かりました」
そうして暫く、長官は框矢と瀧宗所持の持続や、清洞さん夫婦との事を話し合うと俺に目を向けた。
俺も框矢達と暮らしたいが……役目上、難しいだろうな。
そう思っていたんだ。
「鮫島君」
「はい」
「十日内に、五人の国籍の取得変更手続きを終わらせられるかね?」
「は……五人、ですか?」
外国籍を取るのは、清洞さん夫婦と框矢、影人だけのはずじゃ無かったか?
残り一人は誰だ?
「君もだ、鮫島君。どうかね、出来るか?」
「はい、可能です」
「宜しい」
何故俺まで国籍変更しなきゃいけない?
そんな疑問は残るものの、 それが長官命令なら従うのみ。
出来る、と言い切った俺に、長官が次に継いだ言葉。
「では君に、表立ちの直属部下として最後の特別任務を下す。君は框矢達と共に、日本を出て暮らす様に。
彼の監視役を申し渡す。何か起きた場合は報告するように」
「は、はい。承知致しました」
監視役……?
命令を受けたものの、首を傾げる俺に長官がニヤッと笑った。
「何、監視と言っても名ばかりの役目。彼らの住所と生存が分かれば良いのだ。引越す時などに報告してくれば良い。
鮫島君が抜けた後は榊原君、君に直属部下として働いて貰う」
「え?……あ、はい。精一杯務めさせて頂きます」
榊原が目を白黒させながらそう答え、長官は穏やかに笑っていた。




