歯車の好転 side.影人
清洞夫婦が、框矢に話し掛ける。その声は震えている上、小さくて良く聞き取れない。
そんな彼らの言葉に框矢も何か答えるが、どうやら否定の意だろう、とは感じた。
さぁて、どうするか。
全てが終わったら何事も甘んじて受ける、と言う框矢の意思は尊重したい。
だけど、俺だって唯一の親友を、わざわざ刑務所送りになると分っていて手放す程、出来た人間じゃ無い。
「なあ」
「はい」
小声で声を掛けて来たのは鮫島さんだった。
「.……何とか、ならないのか」
何とか、っていうのが框矢の事を指すのは解ってる。でも……どうしろって言うんだ?
職歴として、鮫島さんは警察官の肩書きは持っていたが、それは過去の話。
長官に掛け合って、何とかなるなら俺だってとっくに行動に移してる。
しかもここには、現役警察官の榊原さんが居る。きっと、見逃しはし無いだろう。
だから、俺は隙を見て逃げるつもりで居たんだ。框矢を連れて、日本の憲法、法律が手を出せない海外に。
「框矢の意思は尊重したいですが、俺はそんなに出来た人間じゃありません。……隙を見て逃げます」
逃げ……?!と目を瞬かせる鮫島さんに、静かに、と人差し指を口許に当てる。
「先程も言いましたが、俺は多少英語力があります。金だって、金庫内の額を換金すれば、片道搭乗券くらい楽に作れるはず。
途中から交通手段を変えて、更に日本から離れるつもりです」
「長官に相談してみるか?」
「相談した所で難しいでしょう。彼は陸上自衛隊の長であって、警視庁や警察庁の長官ではありませんから」
「……」
苦虫を噛み潰したかの苦い表情になる彼。
そんな時だったんだ。ずっと黙して居た榊原さんが、声を掛けて来たのは。
「影人。蓄音機の中に録音された音声は、編集出来るか?」
「え?ええ、可能ですが……」
そりゃあ、俺が作ったからな。
編集は出来なくは無いけど……どうして、そんな事を聞くんだ?
思わず鮫島さんと顔を見合わせる。
「編集の痕跡を残さず出来るなら、俺が言う通りに内容を変えてくれないか。
……これは他言無用に」
そこまで言われて、漸く気付いた。
彼は、証拠の改竄をする気だ。
「榊原、警察官のお前が何故……」
鮫島さんの呟きに似た言葉に、ふっ……と微かな、腹を据えた様な、はたまた親が子を見る優しげな笑みにも見える表情になった。
「……気紛れかもしれん。幾ら公安として、捜査に凡ゆる手段を行使しようと、俺だって感情はある。
彼らを見て、とてもじゃないが框矢を逮捕する気にはなれない」
その言葉に、そっと框矢と清洞夫婦を見やる。框矢を抱き締め、泣き崩れて居る二人。
眼を疑ったさ。框矢が、泣いていたんだから。
「俺は公安だから、そもそも框矢を逮捕するには課が違う。彼の担当部署は刑事課だろうからな。……だが、これでは職務怠慢かもしれないな。私情を挟むなんて、警察官失格だ」
そうは言いながら、榊原さんの表情は柔らかなもので。
「俺達公安は、目的達成の為には批難を受けるような事をする場合もある。俺達はそういう事に慣れているからな、その後の対応は気にしなくて良い」
榊原さん……。
まさか、現役警察官の彼が協力してくれるとは思わなかった。だけど、このままだと、バレたら確実に彼は懲戒解雇だ。
いや、それだけじゃ済まないかもしれない。
幾ら框矢の為とは言えど、榊原さんまで巻き添えにするわけにはいかない。
「鮫島さん。長官に連絡をとれますか」
ちらっと鮫島さんを見やり、早口で告げる。
「ああ」
「では框矢の件、そして榊原さんの件を報告し、協力を仰いで貰えますか?本当なら仰ぐべきでは無いのは重々承知しています。
でも以前、あいつから保護する為に、長官はあなたをSPから直属の部下へ移籍させました。可能かどうか聞いて下さい。下手をすれば、榊原さんは刑務所行きとなり兼ねません」
「おい、俺の事は気にしなくて良いと……」
「それで框矢が助かったとして、代わりにあなたが刑務所に行ったら、俺も框矢も一生後悔する」
「鮫島です。夜分に申し訳ございません。実は……」
向きを変え、鮫島さんが長官に電話を掛けたのを機に、パソコンへ蓄音機を繋ぐ。そしてイヤホンの片側を榊原さんに渡して、耳に着けた。
「何処から削り、何処を付け加えれば良いですか?」
「そうだな、先ずは……」
最大速度でキーボードをタイピングし、様々なページを表示させては必要に応じてクリック、スライド、コピーに貼り付けを繰り返す。
そして蓄音機に録音された内容を全て、可視化文章化した。
「ここからこの部分を削除し、ここは付け加える。次はこっちを……」
彼の指示に従い、あっちを消しこっちを足す、と言う操作を繰り返す。繋げて違和感の無い様に、余分な背音声を消し取り、出来上がったデータ。
それは、俺達にとって都合の良いものになっていた。
框矢が社長室に入り、あの男から野望の全貌を喋らせる。そして、框矢があいつが人質を何度も取った事に静かに圧し殺した怒りの声音。
データはたったそれだけに縮まっていた。
その他、框矢が対峙する度にあいつの部下を殺して来た事も、DNA鑑定により明確になった清洞夫婦の事も。
框矢の怒りの爆発で振動した部屋の音も、彼があいつを無価値だと冷徹に発言したのも。
洗脳の事も、框矢に不利になる音声データは全て消して無くなったんだ。
「框矢は俺の指示で行った事にする。強制協力させた、とでも周りには言っとくさ。彼も被害者だからな」
「……」
不敵に笑みを浮かべる榊原さんを見て、本当にこれで良かったのか?と思わなくも無い。
けれど、框矢を助ける為にはこうするしかなかったんだ、多分。
そう思う事で、自分を納得させるしか無かった。
「影人」
「あ、鮫島さん。どうですか?」
通話を終えた彼を見上げると、腰を下ろし、俺と榊原さんに向き直った。
「明日、長官邸に来るように言われたよ。俺と影人、榊原、框矢、清洞夫婦も。一から全て聞いて、その上で判断するそうだ」
「そうですか……」
若しかしたら、そこで捕まる可能性も無くは無い。幾ら框矢に良くしてくれていたとは言っても。
「ただ」
鮫島さんが微妙な顔つきになる。
「ただ?」
「長官は既に結論に達して居る、そんな気がするんだ。一応話は聞くが、それは上辺だけなんじゃないかって」
「それはどういう意味ですか?」
「いや、俺も良く分からないんだけどな」
腑に落ちない、もやもやとした気分のまま、その後も鮫島さんや榊原さんと話していた。




