それでも愛息子 side.朔
慶の親友の影人に連れられて、アパートの一室に入った私達。
そこには、慶のSP時代の上司と、警察官を名乗る榊原と言う男が居た。
公安だろうが無かろうが、警察官、と聞いただけで抵抗を感じてしまう。
彼らは一度も、慶の為に動こうとはしなかったのだから。
だけど影人は、公安の彼を庇うかの様に言葉の保護壁を立てたんだ。彼は慶の担当者じゃ無い、あの社長の件でここに居るのだと。
そして私達と同じ経験をした、と彼は言った。
“俺は14で親を失いました”
事件は隠蔽され、犯人は捕らえるどころか匿われた。警察は、被害者家族では無く犯人を護った。
影人は、恐ろしい事を経験したのか?と聞いた私に、今は思い当たらないと答えた筈。どう考えても恐ろしい事なのに、何故、思い当たらないと言ったんだろうか。
“余程当たり所が悪かったのでしょうね。両親の顔は、辛うじて本人だと判る酷い損傷を負っていました。身体の複数ヶ所の骨折やひびは勿論、内出血も酷かった。救いは、二人が即死だった事くらいでしょう。だらだらと、辛い痛みに悶えなくて済んだのですから”
淡々と、表情も声音も変えずに告げていく。それが逆に恐ろしかった。
想像したくも無いが、彼の両親の遺体を思い浮かべてしまい、その余りに酷い姿にきつく口を結ぶ。
生々しく無惨な、両親の遺体を彼は……たった14歳で見たのだ。まだ、その先も明るく幸せに暮らして居ただろう未来を奪われ、たった独りで。
“俺は警察官が嫌いです。日本警察が憎いです。その思いは一生消える事は無いでしょう。誇りである父母を奪ったあの議員も、その部下も、隠蔽した警察も……生涯の敵です”
その言葉は、きっと彼の本心。影人も、警察から見捨てられていた。
“でも、父や母を失わなければ框矢には出会わなかった。彼と親友にはなれなかった。そう思えばこそ、俺は明るく生きていられるんです”
そう言って静かに、あたかも悟りの境地に至ったかの如く笑った。
……強い。
それしか、思えなかったんだ。
実年齢は私達が言うまでも無く上なのに、精神年齢は彼が格段に高い。
私達は慶を奪われたが、影人は両親を奪われた。そして警察からは見放された。
確かに、私達と同じだ。
彼は一息吐くと、さっきと全く変わらない抑揚で話し出した。
青馬衣社長の裏の顔、本当の姿。
温和な物腰とは正反対の、自己利益主義。用無しと判断すれば容赦無く切り捨てる。
他国を、日本を手中にと狙う大それた野望とその手段。
慶は……その手駒にされようとしていた。
そして洗脳。
知れば知る程、あの社長は途轍も無く恐ろしい人物だったのだ、と実感が迫って来る。
野望を聞き、洗脳された人は多い。なのに慶は、阿呆らしい、と一蹴したと言う。
さすがは私の息子だと誇らしくなると同時に、学生時代の一欠片が蘇り笑ってしまった。
けれど。
慶は、殺人を犯していた。
洗脳の単語以上に、彼のその言葉は私と翠の思考を固まらせるのに十分な効力を発揮した。
武器を持ち迫って来る社長の部下達。
それに捕まらない為に、日本刀を操り罪を犯した。
どうしようもない状況だった。慶一人でなら、その身体能力で逃げれたかもしれない。
でも、相対する度に人質を取られては逃げれなかった。それも世話になった人ばかりを社長に取られて。
自分一人が逃げるなんて、慶には出来なかったんだ。
相手を思う心を持っていたという事に、安堵する気持ちもある。
でも。
息子が人を殺した、という事実は酷く重くて、まるで泥沼にはまった心地にさせた。
不意に、黙っていた影人が口を開いた。
慶を受け入れられますか、と。
「難しいようなら、また秋田へ戻れば良いんです。あなた方はご自宅へ戻り、今まで通りに暮らせば良い。框矢は自分の宣言通り、有罪判決が下されたらそれに従うでしょう。十数年は出てこられないかもしれませんが、彼は異議無く、甘んじて受けるでしょうから」
槍で、身体を貫かれた気がした。
影人は、私達に戻れと言ったのか……?
また慶と離れて、秋田へ戻り何事も無かった様に暮らせ、と?
そんな事、出来ない。できるわけが無い!
「そんな……。そんな、また慶と離れるなんて」
私の服裾を掴み、寄り添い座る翠から漏れた言葉。それは、翠だけで無く、私の本心でもあったんだ。
影人は、自分や慶にとって私達は無垢の存在なのだと言ってきた。
裏側の穢れを何一つ負って無い、白く綺麗な存在なのだと。
そう告げてきた彼自身は、動揺すらしていない。
親友が、殺人をしたのに……何故平然として居られるんだ?
「……君は、平気なのか?」
「ええ」
ずっと共に暮して居るから、と頷き、私達を見据える。
「下手をすれば銃口を向けられる、そういう目にも何度か遭っています」
至極当たり前の事の様に話すけれど、それは勿論、日常化する様な事では無い。
平然と話せるという事は、影人もそれなりの場数を踏んで、肝が据わっているという事。
そんな場数、その若さで踏むものじゃないのに。
影人は、自分達は自分の命を客観視し、他人の物のように見ている事が多いのだ、と更に告げる。
「やはり親友が奪われるのは嫌なものです。法を犯しているとはいえど。それに俺だとて例外じゃない。だから俺は、拠点を移すつもりでいます」
拠点を移す。
それは多分、住んでいる場所を移すということだろう。それも、慶と一緒に。
慶の元上司と言った鮫島と言う彼が、動揺した様に影人に行き先を尋ねた。
その答えは海外だった。
彼は、慶を連れて行こうとしている。日本の法律が届かない海外へ。
便利屋は?と問う公安の彼の声には辞めますよ、とはっきり言い切った。
あれはカモフラージュだったから、と。
二度と会えないと思っていた息子が生きていた。
立派に成長し、人としての常識や知識を兼ね備え、他人を思う心も持っていた。
でも。
法を犯していた。それも人の命を奪うと言う、恐ろしい罪を。
慶と二度と離れたく無い。けれどその罪はとても重く、惨いもの。
警察官なのに……公安の彼も、慶の元上司の彼も殺人については何も言わないし、動く気配も無い。
影人の仕事が何なのかも判らなければ、コンピュータ、英語力、そしてカモフラージュ?
一体何の仕事をしているんだ。
銃口を向けられる事もある、とも言っていた。
そんな物騒な事に巻き込まれる程、特殊な職なのか。
慶には罪の大きさを認識して欲しい。償って欲しい。
けれど……償うという事は、服役するという事だ。そうなれば、必然的に慶とは離れて暮らす事になる。
どうして殺してしまったのか。峰打ちにして、気絶で済ませることだって出来たんじゃ……。
離れたく無い、けれどきちんと罪を償って欲しい。
「私達はどうすれば……」
相反する思考の中で、半ば縋る様に漏れた言葉に、影人は答えたんだ。
「お二人が決める事です。
俺は親友であっても、框矢の兄弟や身内ではありません。あなた方と彼が決めた事に、口を挟む権利は無い」
“あくまで、決めるのはあなた方です”
影人はそう言ったのだ。
身内でも無い自分には最終的決定権は無い、と。
そんな時だった。
「……身体が鉛みたいだ」
「框矢!」
「慶ッ!!」
元上司の彼と、私が慶を呼んだのはほぼ同時。
「慶、慶……!良かった……っ」
ゆっくり上体を起こした慶に、タックル紛いに飛び付いた翠。その勢いのまま、止める間も無く慶を腕に包み、縋り付く。
一瞬、慶の表情が苦しげに歪んだのは気のせいだろうか。
「……」
何も言わず、翠をただ見下ろす慶。半ば泣いている彼女を、微かに困惑の色を浮かべて見ていた。
「……慶?」
翠を引き離すでも無く、抱くても無い彼をそっと呼ぶ。
「どこか、具合の悪いところはあるかい?」
「いえ、大丈夫です」
淡く首を振る。その他人行儀な返しに身体が瞬間的に固まった。
私達は親なのに。慶は……私達の息子なのに。
「慶……?私を、朔さんを親とは見てくれないの……」
か細い彼女の声に、緩く否定を示す。
「俺に、触れてはいけない。あなたが穢れる。……俺には資格が無い」
資格……?何の資格だ。親子である事に、何の資格が要る?
血の繋がりが証明された。それだけでは親子と言ってはいけないのか?
「何の資格……?そんなもの、要らないでしょう?鑑定で親子だと判定された、それだけじゃいけないの」
「……」
固く、きつい表情を崩さない慶。暫く間を置き、緩慢に口を開いた。
「あなた方も、俺が何をしてきたか……知っているはずだ。そんな穢れた手で、あなた方に触れられる程、俺は図太くない」
「「!!」」
「どうか、離れて下さい。死臭と穢れが移ってしまう」
だから。
だから、翠に触れようとはしないのか。
そんな事の為に、漸く会えたのに身を引き、また離れようとするのか?
あんなにも、罪の大きさや償い……様々な感情に取り巻かれ、迷っていたのに、慶が目覚めて翠が抱き付くのを目にした瞬間、全てどうでも良くなってしまった。
勿論、罪は一生掛けてでも償っていかなければならないだろう。
だけど。そこに寄り添う事ぐらいは出来る。
ずっと、親として何もしてあげられなかった。今更、とも思わなくは無いが、そばにいてやりたいんだ。
慶の隣に膝を付く。そして、そっと彼の手を取った。
刹那、慶の身体と顔が強張るのが判ったけれど、構わず両手に包み握り締める。
「知っているよ。お前が……あの社長から逃れる為にしてきた事も、お前が大切にしている人の為にとってきた事も。……それでも。お前は私達の子供だ」
慶の瞳が、初めて揺らいだ。
「その罪は、一生背負っていかないといけない。人の血に塗れ、怖れられるだろう過去を背負っていても。……それでも、お前は私達の、愛息子なんだ」
だから。
どうか、私達の前から再び消えたりしないでくれ。
「慶……?」
微かな動揺は、手を握る私にも伝り……翠の呼名に少し大きくなった。
「……私達ではお前を見つけてはやれなかった。だけど、一日だって忘れた事は無かったよ。きっとお前は何処かで生きて居る、そう信じる事で生きて来られたんだ。
どんなに恨まれても良い、どんなに嫌われても良いんだ。だから……一度だけで良い、私達を、親として呼んでくれないか」
近くに居た公安の彼が、影人に話し掛けるのを機に、元上司の彼もそれに加わったのを尻目に捉える。何か会話する声音も聞こえていた。
でもそんなものは、ただ耳を素通りしていくだけ。
「恨むなんて、出来ません。今まで、存在すら知らなかったのに……いきなりそんな感情は抱けません」
俯き、少し弱った声が届く。その顔は見辛い。
「慶」
どうして、私達を見ようとしない?お願いだから……私達を見てくれ。
「あの時。
初対面だった俺に、快く屋根を貸してくれた。そんなあなた方に、俺の過去は知られたく無かった。恐れられたく無かった。……俺には、眩し過ぎたんです。他人の血に浸かり塗れた俺には、痛いほどに」
「……っ」
「知らない方が良かった。知らなければ良かった。……そうすれば、俺は迷い無く、刑に服す事が出来たのに」
「慶、どうしてこっちを見ないんだ」
「俺は、どうしたら良いんですか。あなた方のそばに居たくなってしまう……願ってはいけないのに」
気付いたら、彼を抱き締めて居た。
「“願ってはいけない”なんて、言わないでくれ。これからはずっと一緒だ。漸く会えたのに、また離れるなんて……私達には出来ない。耐えられないんだ」
腕に更に力を込め、立膝で慶の頭部もろとも胸に押し付ける。
「慶、お願い……」
涙で顔が崩れたまま、翠も慶を見つめる。
ツッと慶の頬に一筋、流涙を見て確かに聞いたんだ。掠れた、それでも紛れも無く私達に向けた、彼の声を。
「……父さん、母さん……」
もう、声にも言葉にもならなかった。
慶が私達を、父さん母さんと呼んでくれた事に慟哭した。
翠は過呼吸を起こしそうな程、泣き崩れて慶に縋り、顔をその胸に埋めて。
慶は今度は避けようとせず、しっかり彼女を抱き締めてくれた。
しきりに、謝罪を呟きながら。




