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マガイモノ〈未改訂版〉  作者: 海陽
マガイモノ
52/60

合流

「清洞朔さん」


「はい……」


気を失った框矢の体勢を軽く直し、朔に振り返った影人。


「もう、ここに用はなくなりました。奥様と一緒に来られますか?まずは彼を寝かさないといけませんし」


丁度目を覚ました翠に、朔が掻い摘んで事情を説明すると、行くわ、と即決した。


「慶と離れ離れになるのはもうたくさん。……でも、どうやってこのビルから出れば良いんでしょう?」


框矢と朔夫婦は堂々と表から帰れるが、影人は裏から侵入したのだ。


更に框矢は気を失っている為、その事を聞かれでもすれば、説明が出来ない。


「大丈夫です。俺に任せて下さい」


二人の心配を余所に、影人が緩く微笑んだ。


「行きましょう。

申し訳ないのですが、エレベーターを開けて頂けますか?」


「あ、ああ」



エレベーターに乗り込み、下降する中で、朔は影人の背にある息子の顔を見ていた。


消耗し切った、疲労の濃く出る面。


漸く再会出来たのに、何故、こんな事になったのか。慶は無事なのか、と不安が渦巻いた。



「慶は……、どうしてこんなにも消耗し切ってしまったんですか」


「……」


影人は、ちらっと框矢を見、直ぐに前に向き直る。


「框矢は、自分がどうなろうと大して関心を持ちません。でも親しい人や恩人など、大切に思う人間が人質に取られたりすると……感情のブレーキが効かなくなる時があるんです」


「感情のブレーキ?」


影人はええ、と一つ頷くと、緩慢に口を開く。


「ずっと実験台とされて来た過去のせいで、彼には楽しい、嬉しいといった、プラスの感情が元々あまり無いんです。今はだいぶ増えましたよ?でも、実験の激痛、そんな目に遭わせた施設の大人に対しての恨み憎しみ、そして不信感が強かった。

だからなのかもしれません。非情になる事が容易かったのは」


吐息し、室内の階を示す電光掲示板を見上げる。


「俺達の恩師は、施設から逃げ果せた框矢を保護した人でした。框矢を初めて、人間として対等に接してくれたんです。そして生きる為の知識と知恵を与えてくれた。33番の呼名しか無かった彼に、框矢の名を与えたのも恩師です。

親であるあなた方を知らなかった框矢には、恩師は親に等しい存在で……何よりも大事な人でしたし、今もそうでしょう」


「……」


緩慢に朔を見る影人の眼には、何の感情も見えない。


気絶した親友を背にして、何を思うのかも夫婦には不明確でしかなかったが、それでも彼の言葉に耳を傾けていた。


「あの社長の所為で、框矢は二度も職を失い、その時々に世話になった人を人質に取られました。

職場の社長、そして上司。あなた方の前には、俺達の恩師を人質にされています。……大恩があり、慕う恩師を取られて、框矢は怒りのあまり我を忘れてしまった。

それが、あの衝撃波の正体です」



相手への威嚇と殺したい程の怒り。それが言葉にならず、無音の喚声となったのだ、と更に告げられ、朔と翠は顔を見合わせた。



「あの衝撃波は一般人には毒です。恩師はずっと、内戦を生き抜いて来た人でしたから耐えられました。でも耳、目共に塞がなければ何らかの支障を来たすと思います。あれは……芯からの慄きの情を、その場に居る者に植え付けてしまいますから」


不意にエレベーターの扉が開き、影人が降りたのを見て、朔達も慌てて後に続いた。


がらんとした、何も無く扉だけが並ぶ広い通路。


「……ここは?」


「二階です。

この会社は、一階は受付ロビー、三階から上が社員達が勤務する各部署や課が置かれています。二階は資料などの倉庫群ですが、今は大きな取引等もありませんから、滅多に社員は降りて来ません」


こっちです、と迷い無く歩き出す影人に付いて、通路を渡り、階段を下る。


そして非常口の扉で立ち止まると、朔に框矢を預けた。


「……俺は一度、恩師が人質になった時、あの衝撃波を受けています。耳を塞げと言われて、反射的に従った直後に。今回のは二度目になりますから、平気で居られた。でもあなた方は違います。俺達の様に、非情にならなければいけないやり取りをしているわけじゃない」


影人が特殊な器具で扉を弄りながら、そう口にした言葉。


「君も、経験したのかい?……その、恐ろしい事を」


「……」


恐ろしい事、か……と頭の片隅で反芻した。


今の影人にとって、恐ろしい事というのは框矢のと縁が切れることだが、現在框矢は自分の近くで生活している。


だから恐ろしい事、と言われてもすぐには思い付かなかった。


「無いと言ったら嘘になるんでしょうが……今のところ、思い当たりません」


今、ここで轢き逃げされた両親の事は言わないでおこうと、影人は緩く頭を振ってみせる。


キィ、と微かな軋みと共に、薄暗い階段に外の眩しい光が差し込んだ。


野外の非常階段の踊り場に出る三人。だが、何故か警報ブザーは鳴らなかった。



「……何でブザーが鳴らないんだ?普通は鳴るものなんじゃないのか」


「実はこの非常口だけ、故障中なんです。滅多に社員が来ない所為もあるのでしょうね、見落とされたのでしょう。さ、行きましょうか。近くに俺が一日だけ借りた、アパートの部屋があるんです。それからお話します。あの社長の事など、話せる事の真実を」


再度框矢を背負い、朔と翠を先導する影人。彼が宣言した通り、呆気なく感じる程に、三人はビルの敷地外へと出たのだった。




***************




「框矢!」


借りた一室のドアを開けた途端、玄関へ駆け寄って来たのは鮫島だった。


「丁度良かった、手を貸してもらえます?取り敢えず寝かさせたいので」


「もちろん。……枕代わりと言っちゃなんだが、俺の荷物に頭を乗せれば良い」


じゃあ、と影人から体格の良い男に息子が引き渡されるのを茫然と見つめる朔達。


「お二人もどうぞ。狭いですけど」


影人の声にハッとして、靴を脱いだ。


パソコンが数台に何かの設計図。部屋の大半を占める機器のそばには、榊原が座っていた。


お互い無言で頭を下げると、朔達は腰を下ろした。


「清洞さん。彼は框矢の元上司に当たる、鮫島武司さんです。現在は陸自長官の直属部下をしておられます。そしてこっちが、榊原浩輔さん。公安警察官です」



二人が警察官、の単語にピクッと反応する。だが、影人が見抜いて言葉を継いだ。


「……彼は確かに警察官ですが、あなた方の息子さん、慶の担当部署ではありません。彼は、社長の逮捕の為に来ています」


「しかし……」


「あなた方が何度も警察に相談していて、何もして貰えなかった事は知っています。その不信が未だに拭えないのも。俺も同じ経験をしていますから」


淡々と告げていく影人。その反応は様々だ。


鮫島は辛そうであったし、榊原は苦汁を舐める様な苦い表情をしていた。


朔達は驚きと僅かな不信感を面に出していた。


「君は、結婚していないだろう?何故……同じ経験だと……?」



「……影人。言って良いのか?」



鮫島の声に、ええ、と静かに頷くと、朔達を見る。


「俺は14で親を失いました。信号無視の轢き逃げで即死だった。……当時の担当警察官達は、犯人が国会議員だと分かると事件を隠蔽しました」


「!!」


「余程当たり所が悪かったのでしょうね。両親の顔は、辛うじて本人だと判る酷い損傷を負っていました。身体の複数ヶ所の骨折やひびは勿論、内出血も酷かった。救いは、二人が即死だった事くらいでしょう。だらだらと、辛い痛みに悶えなくて済んだのですから」


淡白な口調のままに言葉にし、一度口を噤む。だが直ぐ声を継いだ。


「俺は警察官が嫌いです。日本警察が憎いです。その思いは一生消える事は無いでしょう。誇りである父母を奪ったあの議員も、その部下も、隠蔽した警察も……生涯の敵です。

でも、父や母を失わなければ框矢には出会わなかった。彼と親友にはなれなかった。そう思えばこそ、俺は明るく生きていられるんです」



静かに笑う影人は、夫婦には精神は強いが酷く脆くも見えた。



さて、と微笑を収めた影人が二人に向き直ると、彼らも面持ちを新たにする。


「事の真相は、お二人はもう殆どを知っていると思いますが……。框矢が、あなた方に自分に触れてはいけないと言った理由。それをお話します」


無意識に生唾を飲み込む朔と翠に、影人は先程と全く変わらぬ抑揚で話し出した。


「あの男……青馬衣社長は、巷では眉目秀麗で慈善家として知られています。でもそれは表面上、上辺だけです」



己の腕を過信し、政治に手を出そうとした。近隣の国の政治の頂点に立とうとし、更にはこの日本をも手中にしようと目論んだのだと告げた。


「勿論、あの男の手腕は確かなものだったんでしょう。一代であの食品会社を創立したのですから。政界にもツテがあることから、人脈も広いと言えます」


一つ嘆息し、でも、と続けた。


「あれは冷酷な人間です。自分に利益が齎されるかどうかで、人を選びます。利益にならないと判断次第、容赦無く切り捨てる。

表では穏和な社長を演じながら、裏ではそんな野望を秘めて行動していたんです」


不意に、あ……と朔が声を漏らした。


「慶が、秋田で私達と会った時……去り際に言っていたんだ。追手を掛けられていて、自分は有益と判断されたようだ、と……」


「あの男は野望の為に、武力となる人材を集めていました。国の政治に手を出すのですから、武力が必要になると踏んだのは、的を得ていたと思います。

そして部下を集め始めた。あの男の最大の武器は話術です。巧みに引き寄せ、己の話を正当化する。そして相手を納得、賛同させてしまうんです。その総数は、恐らく万に届くでしょう」


「そんなに……?」


「ええ。国を乗っ取るだなんて、普通は同感すらしないでしょう。ですがあれは、洗脳と言っても良い」



洗脳。



その単語に、二人が固まった。


まさかそんな恐ろしい事をしていたのか、と。



「まさか、慶まで……」


洗脳を受けたのか、とは声に出来なかった。洗脳なんて単語を口にしたくも無ければ、自分達の息子が洗脳されたなんて肯定を聞きたくもなかったからだ。



そんな夫婦の怯えに似た心配を他所に、影人が明るく笑った。



「框矢は洗脳されてませんよ。でなければあの男に楯突く筈がありませんからね」


何が愉しいか、クックッと尚も笑いを堪える。


「あの男から野望を聞き、部下になれと誘われた際、阿呆らしいと一蹴したそうですよ」



息子が仏頂面で誘いを蹴ったのを想像し、心底ホッとしたのと同時に吹き出した朔。


自分が昔、高校の部活勧誘を蹴った時の事と見事に重なったのだった。


所が一転、スッと顔を引き締めた影人に、釣られて朔達からも笑みが消えた。


「あの男は、框矢を我が物にする為に何度も手を伸ばしています。框矢は実験の所為で、驚異的な身体能力の持ち主ですからね。部下数十人分以上を、彼は一人で担ってしまう。

框矢からしてみれば、あの野望は本当に興味が無かったんでしょう。だからあの男が近付いて来る度、返り討ちにしています」


返り討ち。


それならば、と頭中を過った。が、影人の顔つきに明るい変化が見えない事に、不吉な予感も走る。


「……俺達の師は、刀工で名を知られ、至高とされる人です。彼に気に入られ、框矢は餞別として刀を貰いました。瀧宗なる日本刀と、村雨なる短剣を」


「し、しかしそれは憲法で……」


ええ、と朔の声に首肯した影人。けれど、答えたのは鮫島の方だった。


「その点は心配ありません。框矢は、陸自長官直々の所持許可証を持っています。俺が仲介として入っていましたから、間違いありません」


「え、?」


「……SPは護衛任務を主とします。SPも警察官ですし、拳銃は所持します。もし使用したい物があるなら、と聞いた時、瀧宗を示して来ました。拳銃より扱い易いから、と」


「……」


「清洞さん」


「……はい」


黙してしまった二人に、影人が再度声を掛ける。


「もう、薄々気付いているでしょう?」


翠が朔の服裾を掴み、不安気に夫を見るも、朔は硬い表情のまま。


「框矢はSPで長官が襲われた際のみならず、あの社長と対峙したその全てに置いて、瀧宗を振るっています。あの男も、その部下も、皆……框矢を捕らえる為に武器を手にしていた。時には、彼一人に数十人もの人数で相対した。

素手ではどうしようも無かったんです。捕まれば、国家に関わる犯罪に手を貸す事になり兼ねない上に……框矢自身、興味が無い事はしたく無かったから」


「本当だったんですか……慶が、人を殺したと言うのは」


項垂れ、力無く聞く朔に、はい、と影人の容赦無い単語が届く。


「あの男の部下、その殆どが框矢によって死にました。彼も、もう殺めたく無いと言っていました。でも仕方無かったんです。あの手から逃れ、生きるには」



漸く会えた息子が、自分に触れてはいけない、と告げた意味を、やっと理解した朔と翠。


「框矢は……見掛けは綺麗でも、幾度と無く、返り血で血塗れになりました。染み付いた血、死者の臭いは簡単には消えない事を知ってます。

だから、触らないように言ったんです」


そんな……。



微かな、呻きに似た音が朔から漏れた。


息子が殺人者と言う事実を明らかに突き付けられ、打ちのめされる。


しかしそれを上回るのは、やはり息子が生きていて、再会出来た喜び。


生きていた。立派に、五体満足で成長していた。だが人の命を奪っていた。



生きる為に鶏や牛の命を貰う、医師として尽力したが患者を死なせてしまった。



框矢のは、それとは全く別次元の事である。


不意に、影人が立ち上がって出て行った。そうして暫くして戻って来ると、朔達、鮫島、榊原と全員を見回した。


「今日はここに泊まりましょう。大家に許可を貰って来ました。まあ、この畳の上で雑魚寝ですけどね」


努めて明るい声音で言う。


「鮫島さんと榊原さんは、許可が下りればにして下さい。俺とは事情が異なりますから」


口ではそう付け加えながら、目でも会話を交わす。


“まさかまた百万渡したのか?”


“いえ、百十万渡しました。明後日には絶対撤収しなくてはいけませんが”


“……そりゃそうだろうなぁ”


“計二百十万か。……額が多過ぎやしないか。人間は欲深いからな、渡し過ぎると悪い方へ転がるぞ”


“まあ、そうですね。でもご心配無く。俺だって伊達に情報屋なんかしてませんよ”



僅か数秒でそんな会話を交わすと、まだ目を覚ましていない框矢へ視線を流す。そして彼を見つめる清洞夫婦にも。


「……清洞さん。受け入れられますか?」


「え、?」


受け入れられるか、というのは無論、框矢の事だ。


「難しいようなら、また秋田へ戻れば良いんです。あなた方はご自宅へ戻り、今まで通りに暮らせば良い。框矢は自分の宣言通り、有罪判決が下されたらそれに従うでしょう。十数年は出てこられないかもしれませんが、彼は異議無く、甘んじて受けるでしょうから」



その声に瞳が揺らいだのは、朔達だけでは無い。鮫島も苦く悔しい気持ちを滲ませていた。


冷静なのは影人と榊原のみ。


影人の言葉は、冷酷に、棘となって夫婦に突き刺さった。


「そんな……。そんな、また慶と離れるなんて」


「あなた方は、俺や框矢からすれば、無垢な存在なんです。白くて、裏側の穢れ一つ負ってない。

現にお二人は、彼が人を殺めた事を知って……その動揺も収まっていません」


当然と言えば当然ですが、と腰を下ろす。


「……君は、平気なのか?」


「ええ。框矢とは、もう五年は一緒に暮らしてますからね。それに俺だって、似たようなやり取りはしてます」


至極何でも無い事を話す様に口にする。


「下手をすれば銃口を向けられる、そういう目にも何度か遭っています。だから俺と框矢は、自分の命を客観視し、他人の物のように見ている事が多い。

……とは言っても、やはり親友が奪われるのは嫌なものです。法を犯しているとはいえど。それに俺だとて例外じゃない。だから俺は、拠点を移すつもりでいます」


「え?」


反応したのは、朔達では無く鮫島。


もしや、自分の手の届かない所へ行くつもりなのか、と漠然とした不安が過る。


「拠点を移す……?何処に」


「言ったら、拠点移動の意味が無くなるじゃないですか。でもまあ、海外です」


まるで、近所の公園にでも行って来る、とでも言うかの如くあっけらかんと答えた影人。


「幸い、俺は多少ですが英語が出来る。場所を変えた所でコンピュータを操る技術力が変わるわけじゃない。あれは元々、横文字を駆使しますからね。

それに資金も然程困ってませんし。銀行で換金すれば、其れなりの額にはなると思います。框矢も現地で過ごせば、少しずつ片言ぐらい話せる様になるでしょう」


「……」


「便利屋はどうするつもりだ?」


黙り込む鮫島と、静かに、冷静に問うた榊原。


「辞めますよ。あれはカモフラージュの為にやっていた仕事ですから」


二人を順に目にし、答えた影人の言葉には迷いは一切無かった。



「私達はどうすれば……」



朔が不安を滲ませ、狼狽えながら呟く。彼らの中では、まだ喜びと困惑、迷い、悲しみが混じり合い、混沌としていた。


「お二人が決める事です。

俺は親友であっても、框矢の兄弟や身内ではありません。あなた方と彼が決めた事に、口を挟む権利は無い」


そんな時だった。



「……身体が鉛みたいだ」




「框矢!」


「慶ッ!!」


目を覚ました框矢に、一斉に視線が集まった。


ゆっくり上体を起こした框矢を襲ったのは、体当たりに等しい、翠の抱擁。


「慶、慶……!良かった……っ」


「……」


框矢は一瞬苦しげに表情を歪めたが、直ぐに平常に戻る。そして緩慢に、縋り付く様に自分を抱き締める彼女を見下ろした。


「大丈夫か?框矢」


「……ああ」


苦笑する影人に短く応じ、既に半分泣いている翠をどうしたものか、とぼんやり眺めたのだった。

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