これで最後 五
ー框矢sideー
あいつに、DNA鑑定の結果を見せつけられて。
勝手にそんな事をされていた事実に気分が最悪になるのと同時に、驚きも隠せなかった。
秋田で一宿一飯してくれたあの夫婦が、何故かここに居る。
そして、俺の親だと判明したから。
物心付いてから、ずっとFARMで実験台にされ続け、親なんて居ないと思っていたのに……。
だけど同時に、嫌な予感も拭えずに居たんだ。あいつが俺を、そしてあの夫婦をこの場へ引き寄せた。
絶対、何かある。
どこで知ったのか、施設育ちとしか話した事は無いはずなのに、施設内で実験台にされていたことを聞いて来た夫の男性。
否定は出来なかった。が、肯定も出来なかった。
「慶……っ」
妻の彼女が俺に駆け寄り、次の瞬間には抱き締められていた。
その温もりは酷く懐かしくて、胸に響いて。
だけど……俺には彼女に、夫である男性にも、自分から触れられる資格なんて無かった。
俺は人殺しだから。法を犯した事は無い筈の、清らかな彼らに似つかわしく無い。
本当は、父さん母さんと……呼びたかったけれど。
「俺は、この手で……人を殺しました」
この血塗れの死臭を放つ手で、触れてはならない。
そう思った。
触れたら最後、きっと彼らまで穢れてしまうから。
夫婦に簡単に社長が全ての黒幕で、俺に追手を掛けた真犯人なのだと告げた。
そしたらあいつ、本性を現しやがった。
不気味な笑みと共に、俺がやって来た対峙と結果を暴露。
他人の口からは知られたく無かった。あいつの口からだけは、絶対に聞かせたく無かったのに……。
でも、もう遅い。
背後で彼が妻を抱き寄せたのを感じた時、不意に、あいつの表情が更に歪んだ。
「おやおや、どこまで察しが良いのでしょうね?清洞朔さん」
舐めるように、執拗な粘着力を持った歪んだ声音。
「……何を」
何をする気だ?
最初は下請工場の社長を取り、次は鮫島さんを人質にし。最近はダイルまでその対象にした。
俺が大事に思う人間を次々に。
「今度は貴方方が、人質です」
な、にを……?
目の前のあいつは、今……何て言った?
「私の下に従い実親が無事か、目の前で彼らが苦しむか。二者択一です。さあ!」
勝ち誇ったかの如く、異様にテンションが高い台詞。
何を言われたのか、理解するのに暫く掛かった。
俺の……親を。血の繋がった肉親を、人質にした、のか?
あいつは。
「……何処まで、卑劣な……ッ」
もう限界だった。
ずっと忍耐に忍耐を重ね、聞きたくも無い野望を耳にし、バラされたく無い事を暴露され、癪に障る声を受けて来たけれど。
ブツッと何かが切れた音が頭中で響き、
声にならない、なる筈も無い堪え難く膨大に膨れ上がった怒り。
それをあいつにぶつけた。
不思議だったのは、その後も正気を保っていた事。
“瀧宗を抜くなよ……!!”
念といえば良いのか、影人の声が聞こえた気がして。それが、俺を一気に正気へと引き戻させてくれた。
あいつに対しての怒りが無くなる筈が無い。それでも身の内でその大部分を抑え込んでいられる。
でも……あ、と気付いた。
後ろには、俺の親が居る事に。
きっと、もう意識は無いだろうと思った。
武を磨いたあいつの部下ですら、俺の殺気にたじろぐ程だから……そういうものとは無縁の暮らしをして来た二人には、耐えられないだろうな、って。
ただ、それはそれで、この後のあいつへの制裁を見られなくて済むかもしれない、とぼんやり片隅で思考も巡るのも事実で。
そこには影人の背があった。それも立膝で、夫婦二人を護るかのように。
予想外だった。
何でここに影人が?
以前もこんな事があったな、とどこか冷静な考えが過る。北海道で、あいつに目潰しを喰らい覚悟した時も……。
ここに、自分の居るこの場所に、居るはずも無い親友が現れる。それも絶妙なタイミングで。
「……ありがとな、影人。助かった」
親である二人を護ってくれた。今回に限った事じゃない。
いつもお前は……俺の足りない所を補ってくれるよな、影人。
緩慢に俺へと顔を向けた影人に、瀧宗と村雨を預けると、背を向ける。
「悪いけど、預かっててくれ。こいつとは、たいまんでケリを付ける」
瀧宗も村雨も今は要らない。あいつは素手、それなら俺も素手で対しよう。
さっきの感情の暴発で、身体が重い。
重石を付けられたかの様な足を動かし、あいつへと歩み寄ろうとした時。
「框矢!」
影人の声に見返れば、意識が残っている男性と瀧宗を示す。
「説明しといてくれるか?」
正直、もう表情を変える事すら怠くて出来ない。影人は短く応じると、それ以上俺には何も言わなかった。
「お前、」
俺の声音に反応を見せるあいつに、緩慢に距離を縮めて行く。
「そんなに俺を怒らせたかったのか」
じりじりと窓際へ後退りするのを、更に詰め寄った。
「夜間工事を辞めさせ」
「……」
「下請会社を潰すと脅し」
ドン、と窓にぶち当たり、狼狽えるあいつを見下ろす。
「鮫島さんを重体に陥れ」
「ヒ……ッ」
「俺達の恩師を人質に取り、挙句には俺の肉親にまで手を出した」
グイッと襟を掴み、絞首紛いに同じ目線へと持ち上げてガラスに押し付ける。
「何処までやれば気が済むんだ?お前。……俺は言ったよな、俺にとってお前は無用の存在だと。殺しても構わない、低価値の人間だと」
「低、価値……だと……?」
「そうだ。お前が居なくとも、この日本も世界も困らない。
お前が消えても、この社会は卒無く回るだろうさ。日々、誰かしらが殺され、逮捕され、生まれ、育つこの世界では」
こいつは、社会的に実力と名声を備えている。そんな人間が逮捕されたなら、多少なりとも波紋を呼ぶかもしれない。
でも。
「お前が野望なんぞ持たなければ。お前が俺を付け狙わなければ……こんな事にはならなかった。
俺もこんな能力、一生使わずに済んだ。何度も職を変えずとも済んだのに……お前が使わせた」
「や、 野望……では無い……!」
「日本を出て活躍したい、と言うのならそれは夢かもな。……だけどお前のは、夢じゃない。正当化した野望だ。誰もそんな事望んじゃいないんだよ」
パッと手を離せば、崩れ落ちて荒い吐息を繰り返す。
「ならば……何故」
「……」
「……何故、僕の夢を聞いて来たのですか」
咳込みながらのその言葉。俺は聞きたいとは一言も言ってないんだがな。
「俺は聞きたいとは一言も言ってないぜ?お前の野望の内容は忘れたとは言ったけどな。お前が勝手に喋り出したんだ。俺の知ったこっちゃ無いね」
冷たく見下ろせば、ワタワタと逃げ出す。それはもう、人望を備えた人物と言うにはあまりにかけ離れた酷い姿。
影人が乗って来たのだろう荷物用の扉。その扉は閉まっているが、明らかにそこへ向かっていた。
感情の爆発から少しずつ貯めていた体力を、足に込めて駆ける。
もうこれで走る事は疎か、早歩きも出来ないだろうな。
自嘲の笑みが漏れた。
影人には悪いが、あいつに帰るの手伝って貰わないといけない。
体力を回復させて……今後の事はそれから考えよう。
「待て」
あいつの前に回り込み、渾身の素早さで彼の腕を捕らえる。
「俺が、逃がすと思うか?」
「や、やめ……ッ」
引き攣る顔は、恐怖一色。
まあ、そんな事に心が揺れることは微塵も無いけれど。
「お前は、もうすぐその座から引きずり落とされる。……俺には仲間が居るが、お前には居ない。部下はお前の洗脳で付き従っているだけだからな。この危機に手を差し出してくれる奴は、一人として居ないだろうよ。孤立無援、全てお前が招いた事だ。
せいぜい、社長引継ぎでもしとくんだな」
「……」
ずるりとあいつの腕の抵抗が消え、腕を放すとその場に力無く膝を着く。
「僕は……捕まるのですか……」
「……」
「そんな……何かの間違いだ。違う、そんな事が」
ブツブツ呟き続けるあいつを余所に、扉の近くの壁に寄り掛かる。そろそろ体力の限界が近かった。
「親を見つけてくれたことだけは感謝してる。……ありがとう」
「初めてですね、君から……お礼を言われるのは」
俺の声に気付き、脱力した笑みを最後に、意識を失ったのをぼんやりと眺める。
「框矢っ」
「慶……!」
遠くからの二種類の呼ぶ声に、視線を向けると、男性と影人が駆けて来る所で。
「触れてはいけない」
そっと俺に手を伸ばす男性を、口で遮る。
「慶……」
「俺に触れば、あなたにも死臭が移る。……汚れてしまいます」
「!」
「影人、悪いけど肩貸してくれ。もう体力ねえんだ」
「良いぜ」
男性を避け、影人に肩を借りて歩こうとすると、悲痛めいた声が掛かる。
「慶!……やっと会えたのに」
「……」
「私達はまた、息子を失わなければいけないのか……?」
框矢、と影人の小声に、微かに首を振る。
「俺には、その資格はありません」
こんな事しか言えない自分が嫌で仕方が無い。
本当は素直に喜びたい。彼らに触れて、実感して一緒に暮らせたらどんなに良いか!
でも……俺は、二人と共に過ごすには汚れ過ぎた。
「嬉しいです。俺の親が、あなた方だったことが」
彼に小さく笑い掛ける。と同時に、ぐらりと視界が揺れた。
「……しゃーねぇな、ちゃんと体力温存しとけよな」
ぐいっと背に引き寄せられ、あっという間に影人に背負われていた。
「重いだろ……」
「今はそんなの、どうでも良い事だろ?帰ろうぜ」
鮫島さんの慌てる姿が目に浮かぶな、と笑う声が身体に響くのを最後に、何も分からなくなった。




