3-2
外ってなあに?
幼い頃、母に訊いたことがある。
『外』っていうのはね、殻がないところなの。
からがないってどういうこと?
カーティスは毎日あたたかいご飯でお腹いっぱいになって、あたたかいお部屋でぐっすり眠るでしょう。でも殻がない『外』ではそれが出来ないの。殻がない人はつめたい道の上で眠るのよ。
でもそれはお仕事しないでなまけてあそんでいるからじゃないの?
そう言うと、エリノーラは少し驚いたような顔をしてカーティスを膝の上に抱き上げた。
どうしてそう思うの?
母のびっくりした声に、カーティスは何かいけないことを言ってしまったのかと肩を竦める。
にいさまが言ってたの。
エリノーラは、竦んだ息子の気配を悟ったのか、優しく金色の髪を撫でた。
……スタンレー。小さい弟に余計なことを教えないでって言っておいたのに……。
カーティスに聞こえないようにか、天井を見上げて小さく呟く。カーティスは慌てて兄を庇った。
にいさまを叱らないで。にいさまは悪くないから。
たどたどしい言葉を必死に紡ぐカーティスに、エリノーラはくすっと笑った。
叱らないわよ。カーティスは良い子ね。
母の優しい賛辞にカーティスの頬は、ほんのり赤くなった。
さて、話を元に戻しましょう。えっと、どこまで一緒にお話したかしら。
エリノーラは息子の柔らかい髪を手で梳きながら、
ねぇ、カーティス。世の中にはお家で過ごしたくても過ごせない人がいるの。どうしてだか、分かる?
唐突な質問に答えられなかった。
……えっと……。
平等じゃないからよ。
びょうどう?
そう。皆が皆一緒じゃないってこと。『外』はね、そういう嫌な空気も、肯定している場所なの。
母の難しい言葉が理解できないカーティスは、母を見上げた。母の顔は、息子をあやすような笑顔と、上手くいかない何かに納得できないような、ふたつの色が浮かんでいた。
今は分からなくても仕方がないわ。……でも、あなたがもっと大きくなったら、ね。
「……大きく、」
なってるかな、僕。
気づいたら自然と唇がそう動いていた。誰もおらず静寂に満ちていた空間は、吐き出された空気で震える。
そうだ。…今頃フェリシアは震えていないだろうか。この厳しい寒さに、あの華奢な身体は倒れてしまわないだろうか。
今まであの恰好で生きていたわけだから、これからも大丈夫だろう。分かってはいるが、そんな想像をしてしまうことが、どれだけ自分があの少女に浸かっているかが露呈してしまうようだ。
こんな短時間で、どれだけの想いを無意識のうちに育んでいたのだろう。かつてこのようなことがあっただろうか。
読書に趣味とする石拾い、それから得意とする勉学。それらには考えることも感じることもなかった何かが今、自分のこの胸に渦巻いている。経験したこともないのに、自分の中の何かが警鐘を鳴らし呼びかける。これは貴重で繊細で、手放せば一生後悔するだろう、と。消えてしまうように、もう二度と姿を現してくれなくなるだろう、と。
フェリシアと共に行け、と。
嘘は嫌いだ。彼女に対しても自分に対しても。だから行きたいのはやまやまだ。
フェリシアは「外に行きたい」とカーティスに言った。彼女の願いや、今までの想いを叶えてあげたい。それだけだ。それだけ。
……フェリシア、君の隣に座っていたいんだよ。
嗚呼、白銀の君がただ恋しい――。
***
「さむい……」
口に出してそんなばかな、と首をぶんぶん振った。
自分は今までこの場所に居続けてきた。寒さも感じない。それなのに。
それではこの身を切るような寒さは一体どうして……。
木々が風を感じて音を鳴らす。枝と枝が重なり合う音。双方葉はない。だから、音も枯れたような擦れた音。葉が生えれば柔らかい音になるのだろうか。今まで葉をつけた枝を見たことがないのだから分かるはずもない。
自分はずっとこのままだ。そして当たり前に年月が過ぎていくのだとすれば、これからも。それはどうしてなのか。待っている人がいるからだ。それは、それだけは確か。このような厳寒な環境でも『大切』なのだと、この身体に刻みこまれたのはそれのおかげ。もしそれがいなかったら、その欠片すらないのだろう。だから、という理由だけではないが、とても大切。待ち続けることができる。また逢えたら、心がほころぶ。その腕の中に飛び込みたい。そして、もう二度と離れない。ずっと一緒に傍にいる。
逢いたい。逢いたくてたまらない。考えるだけで身が悶える。何でもいい。とにかく逢いたい。私は死なない。あいつも死なない。だから身体は待つことはできる。でも心は、待てない。限界がある。真実とは非常に残酷で、冷たい。限界を超えても、壊れないよう保持し続けるのはとてつもなく難しい。どれだけ強靭な肉体をもっても、どれだけ明晰な頭脳を持っても、どれだけ華美な容姿を持っても。……どれだけ空っぽにされた心を持っても。微かに残る生きた灯りが、修復しようと必死だ。お互いせめぎ合って、結局最後は壊れてしまう。粉々に。溶けて、溶けて、地面に取り込まれる。もう逢えなくなる。それだけは嫌だ。私は生きた灯りが少しでもいいから、あるうちに生き物として抱擁を交わしたい。あの白銀の髪にそっと触れたい。絹よりもなめらかで、透明よりも透き通り、氷よりも冷たいあの感触が好き。大好き。忘れられない、そして得難いもの。
でも今は今。その大好きな感触は過去のものだ。そして、もうとっくに白銀ではなくなっている。分かっているのに固執している。ねばねばと捕えて離さない執着。自分がそんなものだとは思いたくないが、どうやら自分を構成している一部分はそれらしい。いつか誰かが言っていた。綺麗なものだけでは動かない、と。認めたくないがまさにそう思う。いやその前に果たして自分は綺麗なのか。そもそも綺麗とは何なのだ。長い間生きてきたくせにそれすらも分からない。恐らくこれからも理解できないだろう。何故なら今までの長い時間で得られなかったのだから。杞憂だ。私だって心臓が動き、切ればそこから真っ赤な血が出る生き物だ。ときに不安や心配に心が乱される。でも乱されるだけだ、実際崩れることはなかったのだ。
崩れればそこで終わり。そうなりたくないと先程さんざん想い、願った。そのくせ、どこかでは崩れてしまえばいいと思っている。終われば、こんなに苦しむことはない。解放される。何もかもから。矛盾だ。私は何かを想うとき、必ずといっていいほどその逆のことも想ってしまう。くだらないのに、くだらないと突き放せない。これは我が種族の性なのだろうか。あいつも私のようなことをしょっちゅう言っていた。
馬鹿だ。そして限りなく愚かだ。だから離された。ひどく折檻された。挙句、あいつは白銀をはぎ取られ、私は檻房の中。私のちっぽけな腕なんか届かない遥か遠い場所。互いにどこにいるのか、どんな状態なのか、詳細は依然不明。心変わりなんてものもしているかもしれない。でも、私はしていないのだ。だから私から離れるな。どんなに遠くても、姿が見えなくても。私は遠くへ行かない。ずっとここにいる。だからお前は近くに来い。私には足がないが、お前にはあるのだから。私に足はいらない。誇りと引き換えるほどの価値があるとは思えないから。
待つ側と探す側、どちらがつらいのかと考えたことがある。しかしつまらないことだと気づいて、やめた。私は前者は会話できるくらい、よく知っているが、後者は経験したことがないからである。
そう、私はつまらないことを、つまらないのだと気づく時間があるくらい時間があるのだ。ずっとずっと、待ち続けている。寂しい。冷たい。寒い。だから、はやく温めてくれ……。
気づけば二か月近く……。おお恥ずかしや……。
明日はテストを控えているのにパソコンを触ってしまいました。いやぁ、いつものことなんですけど。
ああ、亀更新に拍車がかかって岩になってしまいました(動かない、という意味で)。
今執筆中の短編は今ちょうど三分の二くらいまで進みました! 12月31日から執筆し始めております! え、それって短編なの? ……短編です、多分。
花粉症にはつらい今日この頃を過ごす露草でした。