第三十八話 最悪の再会
ズズン……。
爆音とともに大きな振動が魔王城を揺らした。
カダヴェラに抱きかかえられながら、シェリーは魔王城の廊下を運ばれた。
(シェリーちゃんを、安全な場所へ……)
カダヴェラは一心にそれを思っていた。
「大丈夫! 大丈夫だよカダヴェラ! 私歩けるもん!」
カダヴェラは急停止して小さな体を床に下ろす。
(大丈夫なのかな……?)
「うん! 私は大丈夫だよ……あれ? カダヴェラ、喋れるの?」
喋れるわけがない。
その瞬間シェリーは瘴気に当てられて死んでしまう。
そうではないのだった。
ぽかんとしていたカダヴェラはある一つの可能性に思い至る。
(そっか! 遠隔魔素通信だ! やっと通じたんだ!)
「てれ、ってなあに?」
(いつでも何処でもお話ができるんだよ! シェリーちゃん!)
カダヴェラは嬉しくなってシェリーを抱き上げた。
高い高い。
「ほんとー? 今までお話しできなかったカダヴェラとお話できるのー?」
カダヴェラは力強く首を縦に振った。
踊りださんばかりに喜びながら。
(これからよろしくね! あたしのたった一人のお友達……)
シェリーは一時、自身の父親のことを忘れた。
二〇一七年六月十日時刻1800
魔界、魔王城から数キロ地点
X+三十九日
「かはっ!? シェリー!!」
ブロウズは飛び起きると共に娘の名を呼んだ。
しかし、返答は返ってこなかった。
「気がついたか?」
若く、澄んだ声。
ブロウズが振り向くと、勇者が心配そうな眼差しで彼のことを見下ろしていた。
「こ、ここはどこだ?」
かすれた喉から苦労して言葉をひねり出す。
二十代前半の見た目になった勇者が説明する。
二人は勇者の『自由転移』ではるか彼方へ飛んだのだった。
勇者一人ならサビナのもたらす爆圧を自らの防御魔法で防ぐこともできた。
しかし、ブロウズがいた。
娘という希望を得、もはや死ねなくなった彼を死なせたくはなかったのだった。
ゆえの、あと少しで魔王を殺せるはずのところを、撤退である。
それを聞いたブロウズが息巻く。
「さっさと同じ魔法で魔王城まで戻って奴を……」
「それは無理だ」
勇者アルゥールは冷静に答える。
「魔王城を囲む膨張した巨大な不定形が体を融け合わせて魔王城を物理的に完全に覆ってしまった。魔素流の流れが通じなければすぐには無理だ。フィニエンドゥムの蓄積していた力もほとんどを使ってしまったしな。まったく、あの一撃で仕留められなかったのが本当に悔やまれる……」
「俺の……せいか? 俺が邪魔だったから……」
「幼い娘がいるなら父親は簡単には死ねないさ」
「クソッ! シェリー!」
ブロウズはまっ平らな地面を叩いた。
とにかく二人は体勢を整えるため、スクウェアまで帰還することにする。
アルゥールの『自由転移』が便利に働いた。
二〇一七年六月十日時刻2000
魔界、魔王城深部
X+三十九日
「ぐがああっ!! がああっ!!」
サビナの爆圧の影響がなかった深部で、魔王は傷に苦しんでいた。
「魔王様!! 魔王様っ!!」
石の卧台の上に横たわる魔王に向けて声をかけるはサビナ。
カダヴェラも傍でオロオロとしている。
シェリーは怯え、離れた場所で立ちつくす。
他の幹部たちもまた満身創痍。
体を構成する鎖の量が半分になってしまったデメン、全身を切り刻まれたオグン、腹を引き裂かれて内臓を露出させたダルマ。
魔王軍は敗北し、かろうじて一人の犠牲も出さなかったのだ。
「ぐぐうううう……」
魔王の傷は深奥まで達しており、キューピのように長期間の療養が必要だろうと思われた。
数時間経って、容体が安定し始めると、魔王はサビナを近くによこした。
心配のあまり憔悴しきった彼女は、確かに魔王の意思を聞いた。
「こ、講和……」
「えっ?」
「講和だ……。準備をしろ。勇者の動きを一時的にでも止めるにはおそらくそれしかない……。インプの先触れにあの国の大統領向けに……」
「全く! 魔王様ともあろうお方が! 講和だと!? 人間と!? 反吐がでる!!」
比較的傷の軽かったダルマはすぐ全快した。
魔王城の自室、暗い中世錬金術師の研究室を思わせるそれの中でソファーに身を預ける。
一体此度の魔王様はどうしてしまったというのだろう。
ぬるすぎる。
魔王らしくない。
「ふむ……」
ダルマは肉で埋もれた顎をさすった。
「やはりあの娘、か。計画を実行に移す時だな」
シェリーは退屈していた。
どうやら魔王たちが大変なのはわかっている。
サビナは付きっ切りで魔王様の介護をしているし、カダヴェラはシェリーが入ってはいけない部屋に篭ってしまった。
石造りの廊下の壁に背を預けて足を床に投げ出してブラブラ。
少し、父親や母親のことを思い出して寂しく思うのだった。
自分を迎えにきたように見えた父、姿を見せない母。
「これはこれはシェリーちゃん。ご機嫌いかがかな?」
「ダルマさん……」
てっきり通り過ぎるものと思っていたダルマが自分の前で止まって顔を覗き込んできた時、シェリーは怖気が走るものを感じた。
しかし、次の言葉でそんなものは吹き飛んでしまう。
「実はね、シェリーちゃん。おじちゃんはね、君のお母さんをこの魔王城で見つけたんだ」
「ほんとー!?」
シェリーは飛び起きた。
人を心から信じる時の満面の笑みで。
まあ、信じようとしている相手は人ではなく魔物なのだが。
「ああ、本当だともさ。ほら、そこの部屋の中だよ」
そう言って、カダヴェラの人形部屋の扉を指差す。
シェリーは困惑して、
「で、でもそこは入っちゃいけないって魔王様が……」
ダルマはにーっと笑った。
「大丈夫大丈夫! カダヴェラもね、きっと君と一緒に中でお人形遊びがしたいはずだよ」
「お人形で遊べるのーっ!?」
「そうともさ」
邪悪なニヤニヤ顔を浮かべるダルマだった。
シェリーはもうダルマのことなど気にかけない。
扉の方に駆け寄ると小さな体を一杯に動かして開けようとする。
何せカダヴェラの体を通すための大きな扉だ。
9歳の女の子に簡単に開けられるものではなかった。
すでにダルマの姿もなくなった廊下で、シェリーは懸命にドアを開けようとし、最終的に、こじ開けた。
鍵がなかったせいだ。
内部は、魔素の淡い光で薄く照らされていた。
「カダヴェラー、どこー?」
入った瞬間、カダヴェラの楽しそうな感情が遠隔魔素通信で伝わってきた。
(あっ、シェリーちゃん。だめだよぉ、魔王様が入っちゃだめって言ってたんでしょ?)
もうシェリーも遠隔魔素通信はお手の物だ。
(ダルマさんがカダヴェラが中でお人形遊びしてるって言うから……。ごめんなさい。でもカダヴェラだけずるいよ……)
(ちょっと待って、そこにいて。魔王様からシェリーにだけは「お人形」を見せちゃだめだって……)
シェリーはカダヴェラの言っている意味がわからない。
規格外の広さを持つ、ホールのような部屋だから、カダヴェラがやってくるのにも、時間がかかった。
その間に、シェリーはあるモノを見つけてしまう……。
「あ、お母……さん?」
アンナ・ブロウズ。
彼女もまたワイバーンベイビーによって連れ去られている。
シェリーは服装と背格好で母親と判断した。
「お母さん!! 今までどこにいたのー!!」
シェリーは泣きそうな顔になりながら愛しの母親の方に走りよった。
カダヴェラの魔法で『動く死体』と化した母親の下に……。
振り返る、かつてシェリーの母親だったモノ。
それは、すでに腐りかけており……顔面の皮がずるりと剥けた。
「いやああああああああああああああああああああああああああ」
幼子の、絶叫が部屋の中を木霊した。
「ふう、ふう、シェ、シェリー……」
魔王は廊下の石壁に手を突きながらやっとの体で歩く。
それを支えるサビナ。
「……魔王様、そんなにあの娘が気になりますか?」
「余にもわからぬ、なぜなのか……」
傷ついた体……敗北の事実。
魔王は休息を必要としていた。
そう、会いたいと思ったのだ。
あの純粋そのものの娘に。
愚かな、可愛らしい憎しみを敵軍に持つ娘に。
廊下の奥から誰かが来る。
すぐにわかった。
あの細長いシルエットはカダヴェラだ。
「どうした……? カダヴェラよ、ああ、シェ、シェリーを見なかったか?」
しかし怪我で感覚の鈍った魔王でもすぐにわかった。
カダヴェラの腕の中から感じる波動はシェリーのものだった。
「魔王様…」
サビナが違和感を得る。
カダヴェラが泣きそうな表情をしていたのだ。
大口を歪ませて……。
「ど、どうしたのだ? カダヴェラよ……」
カダヴェラは無言で両手で差し出す。
死んだような表情のシェリーを……。
「ど、どうしたと言うのだ!? お、おい、シェリー! シェリー!!」
無反応。
まるで死んだような……いや、人形のようだった。
魔王はいつになく取り乱す。
サビナはどうしていいかわからない。
すぐに、魔王の困惑は怒りへと変わった。
「カダヴェラアアアアア!!」
カダヴェラはシェリーを床に下ろすと、両手で頭を覆って縮こまった。
叱られると思ったからだ。
瘴気がほとんど出ないように細心の注意を払いながら、これだけ言った。
「ダル……マ……さん、が……言ったん……だって」
「ダアアアアアアアルウウウウウウウウマアアアアアアアア!!!」
傷が開くのも構わず、魔王はダルマの部屋へと猛進撃した。
彼愛用の大剣を携えて。
ダルマの研究室のドアを蹴破る。
鉄の扉が吹き飛んで向かいの石壁を崩した。
果たして、そこに肉塊老人はいた。
「おやおや、いかがなさいましたかな? 魔王様。そんなに熱り立たれてはお身体に障りますぞ?」
「はぐらかすな。言い訳も聞かん。理由だけ言え」
剣の切っ先を向けてくる魔王に、ダルマは表情を変えることなく、言うのだった。
ダルマは脂肪だらけの顔をにーっと歪ませた。
「魔王様、いや、田中祐一よ! お前は人間を憎んでいるつもりであろうが、その実、誰よりも人間に好かれたいと思っている!」
「なに……?」
ダルマはニヤニヤしながら続ける。
「お前の魂の履歴は見たぞ……。親からは虐待され、級友からはいじめられ、唯一の親友からも裏切られ、まるで一人で泣く幼子のような魂だ! お前が魔王に転生したのは間違いだったのだよ!」
「黙れ……」
魔王は剣を握る力を強くした。
ギシシ、と金属が軋んだ。
「田中祐一! お前はあの娘の中に自分と共感できる、愛してくれる、人間の最後の可能性を見出したのだ! そんな軟弱者を魔王と認めるわけにはいかない! まずはあの娘を壊してお前を再度絶望の中に突き落とさねば!」
「黙れ……黙れ黙れ黙れええええええ!!」
魔王は剣を振り上げる。
ダルマの直上に。
ダルマは依然、ニヤニヤしていたが、その顔面は振り下ろされる魔剣に一刀両断されるのだった。
ベチャっとトマトが潰れるような音がした。
後に残ったのは、真っ二つになった肉塊だけだった。
「ハア、ハア、ハア、ハア……うっ」
いつからうしろにいたのか、よろめいた魔王にサビナが駆け寄ってきて肩を貸した。
無言で、療養室に向かう。
カダヴェラは、遠巻きに眺めていた。
「サビナ……」
ボソッと、魔王が呟く。
「なんですか? 魔王様」
「お前は、余が魔王だと認めるか?」
サビナは表情を変えずに、
「私はいつでも魔王様の味方ですよ……」
とだけ、言った。
翌日、インプの先触れによって、講和が米国に伝えられた。
百匹のインプが青い空を飛び、「魔王様の慈悲に感謝せよ」と触れ回ったのだった。
前半部完




