第三十五話 決戦前夜
二〇一七年六月三日時刻1800
魔界、魔王城、地下、魔素を蓄積する部屋の一つ
X+三十二日
「キューピの様子はどうだ?」
サビナアルナを伴って現れた魔王はこの部屋を管理するデーモンに向かって言った。
デーモンは突然の魔王の訪問に赤い肌のバカデカイ身を縮こまらせて恐縮した。
「へ、へえ! 順調に魔素を供給しておりますです、はい!」
「ふむ」
装弾筒付き有翼徹甲弾をまともに食らったキューピディダシアは、さすがの強大な物理防御力をもってしても瀕死の重傷は免れなかった。
なんとか自分に致命傷を与えた戦車を潰し、魔王城に帰還してきたが、その時には息も絶え絶え。
すぐに魔王が『時間逆行』をかけるも、時間魔法が効果を及ぼさない、魂を構成する魔素に関しては、流出を元には戻せなかった。
そこで、、こうしてこの地下室に安置して回復を図っているのである。
部屋は濃度の濃い魔素のせいで淡い青色のぼんやりとした光に包まれている。
それが石製の臥台に横たわったキューピを照らす。
じっとそれを見つめる魔王。
--何を思っているのだろう。
サビナは疑問を持つ。
この男が転生して来て以降、幾度となく抱いた疑問だが、それが氷解することはなかった。
理解不能な、心を開かない寡黙な男。
キューピを心配しているのでないことは確かだった。
カダヴェラを可愛がっているのはわかる。
そして、あのシェリーという人間の娘のことも。
あの娘の生活上の世話はサビナに一任され、彼女がいないときはカダヴェラがシェリーを相手した。
(少なくとも、自分とカダヴェラが魔王から贔屓されているのは確かだ、何故ならあのシェリーという娘の世話を一任されているのだから)
サビナはそう結論づけると少し嬉しくなった。
「行くぞ、サビナ」
「ハッ」
踵を返して部屋を後にする魔王について行く。
「スクウェアは今はワイヤーネットに覆われているのだな?」
「はい。インプの報告によればそうのようです。ワイバーンベイビーでは潜ることも破ることもできません。それに、もう魔素が……」
「ククク、手はいくらでもあるさ。おい、働いてもらうぞ、蟲の王よ……」
金色の鎧の下で、キシシ、という音が鳴った。
玉座の間に戻る間に、とある部屋の扉の前でシェリーが座り込んでいるのを魔王が見とめた。
「こんなところでどうしたんだい? シェリー」
シェリーはばっと飛び起きると、
「あのねー、魔王様! カダヴェラがこの部屋に入って行くのを見たんだけど、なかなか出てこないのー!」
確かこの部屋は……。
カダヴェラ直筆ののたくった魔界文字で「にんぎょうさんのおへや」と書いてあった。
「……シェリー、君にも一番仲のいいお友達にも見られたくない秘密の部屋があるだろう?」
「えー?……うん」
「カダヴェラにとってはこのお部屋がそうなんだ。だから、シェリーもこのお部屋のことは秘密にしておこうね?」
「そういうことなら……わかった! 魔王様!」
「よし……」
魔王はサビナの方をちらりと見た。
嫌な予感を得る彼女。
「サビナ。代わりに遊んであげなさい」
「な!? 何故私が……」
「いつも世話をしてあげているのは知っている。だからこそ気安いだろう。カダヴェラの他にも遊び相手を用意してやりたいしな……」
サビナは開いた口が塞がらない。
彼女の愛しき魔王にとってこの少女は一体なんだと言うのだろう。
早々に魔王は立ち去って行ってしまう。
じっ、とシェリーに見つめられるサビナ。
いつも着替えだのの世話を焼くときはカダヴェラのところへ行くことばかり考えているのに、サビナ自身に興味を持たれるのはなんとも……。
「で、では、人間を投げ飛ばすコツでもお教えしましょうか……? それとも、つぶてを飛ばす際の軌道計算とか……」
「なにそれー!?」
二〇一七年六月五日時刻1000
米国、ネヴァダ州、グルーム・レイク空軍基地から数キロ、スクウェア地球側入口
X+三十四日
魔素がなくても、方法はいくらでもあるのだ。
米国に艱難辛苦を与える方法は……。
ブロウズ曹長は軍のメンタルケアの精神科医との面談の後、スクウェア脇のテントでメーリルとアルゥールと会っていた。
スチール製の椅子に座ったブロウズは見るからに沈痛な顔をしていた。
テーブルのコーヒーはとっくに冷めている。
「奥さんと娘さんのことは本当にお悔やみ申し上げます」
と、メーリル。
「ああ、どうも……」
ブロウズは力なく言う。
「では、聞き取りはここまでです。ご協力ありがとうございました」
大まかな魔界の状況について、唯一こちら側の人間でその目で様子を見て来たブロウズ。
彼であれば何か新しい観点から情報を提供してくれるのではないかと考えたのだが、肩透かしを食らった形。
メーリルは椅子から立ち上がり、テントを立ち去ろうとして、もう一度彼を見る。
しかしなにを言うべきかもわからず、そのまま出て行く。
「ブロウズ君よ」
アルゥール。
言うべきことはもう十分言ったのだが、何か言ってやりたいのだった。
「復讐する気持ちはわかるが、相手はあまりに強大だ。どうじゃ? ここはひとつ、わしに復讐の役を譲ったらどうじゃ? 確実に惨禍をもたらしたあのにっくき魔王の喉元に剣を突き立てると約束しよう」
「ありがとうよ……命の恩人さんよ」
ブロウズは勇者の方を見る。
「だがこれは、俺自身のけじめなんだ。俺の好きにさせてくれるか?」
悲鳴が聞こえる。
メーリルの声だ。
ブロウズとアルゥールはばっとテントから飛び出る。
彼らが見た光景は……。
「なんじゃこりゃ……」
スクウェアから飛び出る黒い雲。
ワイバーンベイビー?
いや、もっと細かい。
虫だ。
虫の大群が滲み出てきたのだ。
目の粗いネットの隙間を楽々と超えて。
どんどん虫でできた黒雲が広がった。
羽虫の大群を見上げるブロウズ達。
アルゥールは腰を抜かしたメーリルの元に走ると手を貸す。
ギャレット大尉が走ってくる。
「博士! 危険です! どこか、密閉された空間に!」
全員でそんな場所を探す。
幸い、無人機中継用のトレーラーが見つかり、博士をそこに押し込めた。
「くっ!?」
他の軍人や勇者達は無防備なまま虫達に身を晒すことに……。
しかし、黒雲は彼らには目もくれず行くとかのいくつかの筋のような群れに分裂すると方々へと飛び去って行く。
数が膨大だから、別れて飛び去っても、川の流れのように群れが尽きることはなかった。
「一体こりゃ……」
ブロウズが呟いた。
虫達は全米で猛威を振るった。
人間に積極的に危害を加えることはなく(虫の群れに飛び込んで窒息死したものは大勢いるが)、ただただ求めるのは農作物だった。
小麦も、畑の野菜も、全て食い尽くしてしまった。
後に残るのは残骸だけ。
全米でそれが起こったのだ。
米国は食料輸出国から輸入国に転落した。
二〇一七年六月八日時刻1200
米国、全米ネット
X+三十七日
もはや一刻の猶予もない。
米政府はこんな放送をした。
テレビで、ネットで。
「政府はあなた達の力を必要としています。陸軍は異世界へ侵攻します。しかし同時に、あのスクウェアを覆う石棺も建設します。いいですか? 二つの方策を同時に執り行うのです。どちらも困難な事業となるでしょう。ですから、あなた達の力が必要なのです。可及的速やかに巨大な輸送力が欲しい。石棺建設のための資材を運搬するトラックが欲しい。全米の運送業の方々、どうかお力をお貸し願いたい」
愛国トラック野郎達は湧いた。すぐさま大型の愛車を駆ってスクウェアに集った。
もはや機密も関係ない。
大勢の人間がスクウェアを見、その巨大さに圧倒された。
しかし、米国のやる事業のスケールの大きさを甘く見てはいけない。
これを覆うコンクリの棺を建設するなど、朝飯前なのだ。
二〇一七年六月十日時刻0700
魔界、スクウェア付近
X+三十九日
これまでにない規模の部隊集結。
ストライカー装甲車、M1戦車、対空CIWSトレーラーという構成は前回と同じだが、自走榴弾砲、砲兵部隊まで従え、規模はさらに大きくなっている。
そして今回は空軍の支援。
乾坤一擲。
これでダメなら、もう、建設中の石棺をより強固にする他ない。
前方のストライカーの中、勇者パーティ一行と、本人の強い要望で作戦参加が決まったブロウズ曹長が一人。
「絶対に仇をとってやるからな、アンナ、シェリー……」
泣きはらしたような寝ていないことを示す赤い目を晒しながらうわごとのように呟く。
そんな姿を見て、狭苦しい車内のアルゥール、シーザー、フリィシカ、ピクシアは哀れに思うのだった。




