第三十二話 世界一高価な爆撃機
二〇一七年六月二日時刻1200、
米国、ミズーリ州、ホワイトマン空軍基地
X+三十一日
核兵器搭載せよ!
その命令が下された時、この世界一高価な爆撃機を包する基地はにわかに色めきだった。
B2スピリットステルス爆撃機。
出動命令が下ったのはそれだ、米空軍の持つ、核兵器を搭載可能な戦略爆撃機だ。
「核攻撃、なんですよね、少佐」
二人の空軍士官がB2用格納庫の中に置かれたアルミのテーブルについている。
操縦士、リチャード・マッコイ大尉は飛行服に身を包んだ準備万端の格好で問うた。
「そーだよぉ〜。ワシントンも本気なんだねえ」
間延びした喋り方のディック・デリカット少佐はピーナツを頬張りながら答える。
核の搭載作業が終わるのを待っているのだ。
「その……攻撃対象は、国内、なんですよね?」
「うーん、どう定義したもんかなあ? 大統領演説の時の情報公開は見ただろう? 三次元的に考えるもんじゃないよ。スクウェアの向こうは国内なんてレベルじゃない。異世界なんだ。そこを間違えないようにね」
マッコイ大尉はあまり納得していないようだった。
核を使うという重大任務をまさかネヴァダの砂漠で行うとは……。
スクウェアの内部の広さを知らない人間には当然の感覚だった。
デリカット少佐は不安そうなマッコイを見て破顔失笑。
「まあまあ気にしなさんな。俺たちは命令どおりやるだけ。責任を負うのはペンタゴンとホワイトハウスの仕事さね」
その時、出撃準備完了の声がかかった。
B61mod11核爆弾地表貫通型。
今回の作戦に参加する二機のB2爆撃機はこれを六発ずつ計一二発搭載していた。
五つの目標--フライングクロコダイル発生地点四ヶ所、敵策源地--に二つずつ投下する予定だ。
効果が限定的と認められた場合には最後の二発もだめ押しで使う。
数時間かけて全ての目標を回り順繰りに地表貫通型核を投下する任務だった。
今回の任務のB2の識別暗号はシルバーバレット、魔族を打ち倒す願いを込めて。
「シルバーバレット1、離陸。続いてシルバーバレット2、滑走路に進入せよ」
「うひょー、こうやって離陸する瞬間がやっぱり醍醐味だよねえ」
操縦桿を握ってもいないのにこんなことを言う無邪気なデリカット少佐。
それとは対照的に横に座るマッコイ大尉は胃が痛くなる思いだった。
陸軍将兵を一万数千人飲み込んだ異世界……そこに自分たちは向かっている。
なんということだ。
生きて帰れるのだろうか。
核を使うことの心配は生還できるかの心配に変わっていた。
(ああ、胃薬を飲みたい)
マッコイ大尉は心底そう思った。
「重く考えちゃうのは仕方ないよねえ」
デリカット少佐。
隣の座席のマッコイ大尉を見る。
「ま、損な性格だよね。だからこそ君が正規操縦士で僕が兵装担当士官なのかもしれないよ。君の方が繊細なこの機体の扱いに向いているから」
「そうでしょうかあ……うっ、胃が痛い」
「まあまあとりあえず何も考えず飛んでてよ。核投下のスイッチを押すのはこっちの仕事なんだし」
その時、無線にノイズ混じりの音声が入った。
既にB2はスクウェア近傍まで飛行していたから、近傍のネリス空軍基地から飛び立った護衛戦闘機の声だ。
「こちらF/A-22、識別暗号レッドジャケット。そちらの護衛任務に着く。頼むぞ、奴らを核でぶっ潰してくれ」
答えるのはデリカット少佐。
「ああ、まかしといてねえ。異世界の敵をそのまた異世界まで吹き飛ばしてやるよぉ」
プフッと吹き出す声が無線越しに聞こえた。
デリカット少佐の間延びした喋り方を初めて聞く人間の半分はこうして笑うのだ。
一方地上では必死の戦闘がおこなわれていた。
「撃て撃て撃てえええええ!!」
スクウェア内部から飛び出ようとするワイバーンベイビーの群れ。
以前から比べれば非常に小規模とはいえ、将兵達も必死で応戦しなければ止められない。
車両運搬型CIWSがもっとも単位あたり撃破数が高かった。
20mmガトリングが唸る、トビトカゲが落ちる、何匹も、何匹も!
しかしワイバーンベイビーは次々現れる。
地上からの通信でその様子を知る航空部隊。
八機の護衛のF/A-22が加勢するか? と地上軍に問うている。
「こりゃスクウェアに入るどころじゃないかもなあ。バードストライク、いやトカゲストライクでとんでもないことになるよ」
デリカット少佐が言う。
マッコイ大尉が、
「確かに。対空阻塞としては理想的かもですね」
F/A-22八機の護衛を連れ、上空を旋回するB2スピリット。
このままではスクウェアには入れそうにない。
しかし、突破口が開かれた。
地上部隊の携帯対空ミサイルの連べ撃ちだった。
百のスティンガーミサイルが順に発射され、百の別々の目標に着弾した。
急遽の対フライングクロコダイルの訓練の賜物だった。
露払いは済んだようだ。
「よーし、異世界へいよいよ突入だぁ」
合計十機は高度を限界まで落とし、スクウェアをくぐった。
ヘルメットを振る地上部隊の声援を受けながら。
二〇一七年六月二日時刻1300、
米国、ネヴァダ州、グルーム・レイク空軍基地から数キロ、スクウェア地球側入口
X+三十一日
「博士、少しは睡眠を取ってください。それか、最低限食事だけでも……」
魔法を目にして以来、不眠不休で実験に望むメーリルを心配してのギャレット大尉の言葉だった。
今やスクウェアの目の前に設置された研究室兼メーリルの寝泊まり場所は拡大され、どの研究機関の施設とも遜色ない規模になっていた。
メーリルはため息を吐くと向かっていた研究用ラップトップから振り返り、ギャレットの方を見る。
画面から目を話すのは数時間振りだった。
「兵隊さんが命を国家に捧げたっていうのに、私が睡眠時間を捧げることくらい、なんだって言うのよ」
「しかしですね博士……」
「ええい! もう! 魔素が暗黒物質なのはわかってる! でも一旦それがあのスクウェアを通った以上、我々の世界の物質と相互作用するはずなのよ! それなんで……」
ギャレット大尉にはわからない話だった。
だが、メーリルが行き詰まっているのはわかる。
食料品管理のテントに行って、暖かいコーヒーを入れてもらってくる。
パソコンの前で頭を抱えるメーリルに出してやる。
彼女はちらりとそれを見ただけでありがとうの一言も言わなかった。
相当参っているらしい。
こういう時は会話が最適だと判断し、ギャレットは話しかける。
近くのパイプ椅子に腰を下ろすと、
「一体何に行き詰まってるんです?」
と聞いた。
メーリルは一瞬「お前に何か言ってわかるのか」と言う意地の悪い目をしたが、すぐにギャレットの気遣いに微笑んで、
「ああ、魔素が我々の世界の何とか変わってるかの話よ」
と言った。
「大尉、暗黒物質は我々の世界とは重力でのみ相互作用するわ。つまり、まだ発見されてないけど……重力を生み出す重力子と相互作用するってことね。魔素っていうのも同じものよ本来。でも、暗黒物質でできてるはずの『異世界』に、我々は行き、触れることができる。これはスクウェアが原因よ。あそこを通ったものは強力な相互作用を得るらしいの。魔素もそういう相互作用を、つまり重力以外の相互作用を持っているはずなのよ。でもそれが見つからないの……」
「なるほど」
ギャレット大尉は言った。
あまり理解できていなくても。
「さっさと見つけないと、あの世界を解明する糸口も見えて来ないわ」
メーリルはあらゆる記録装置で得られたデータを羅列したノートパソコンの画面に目を戻す。
ギャレット大尉がまた言葉を投げかける。
「なにか、意外なものかもしれませんよ。今まで見落としてるような……」
「ええ、そうね」
見落とし……。
ふと、メーリルは今まで何度も目にしている空間放射線と、機器で生み出した人工放射線の値を見る。
特に放射性物質を使った実験の時の項目を。
なんということもない数値だったが、メーリルはそこに偏りを見つけた。
「中性子線……」
「なんですって? 博士」
メーリルはガタッと椅子から立ち上がる。
「そう! 中性子線よ! 中性子線の値が不自然に低いんだわ!」
ギャレットはポカンとして、
「それが何を意味するんです?」
と聞いた。
「魔素は中性子線のエネルギーを奪ってるってことよ!」
メーリルは明らかに興奮していた。
不眠のハイが表出していた。
「博士、つまりそれは何を意味するんです?」
「天然の減速材……つまり、魔素が一定量以上満ちている空間では、核分裂連鎖反応が起きにくくなる、つまり……」
メーリルは天井を仰いだ。
「異世界では核は使えない……」




