第三十話 サビナの場
魔王ゼナビリアスの前には戦闘服とフル装備に身を包んだ三体のミイラがいる。
いや、水分が抜けたミイラというよりは不自然なほど老化したようにも見えた。
時間加速魔法をまともに食らった結果だった。
(これじゃ使えないや……)
カダヴェラが『寝た子は起き出す』で『動く死体』に出来ないかどうか確認して、しょげ返る。
「サビナ。遠隔魔素通信によれば、あらゆる場所で我が軍は勝利を収めたらしいぞ」
魔王がそんなカダヴェラの姿を眺めながら言った。
「幸いなことですね」
「当然といえば当然だ。そのためのプランを用意して来たし、実際にあの手駒達にはそれだけの能力がある」
手駒。
自分たちをそう呼ぶことに対し少なくともサビナ自身はなんとも思っていない。
それでいい、手駒でいいのだ。
来るべき人間絶滅の日のためなら、自分は手駒でいい。
それがサビナの考え方だった。
「してサビナよ」
「はっ!」
魔王は下を指差しつつ言う。
「まだ、階下にはネズミがいるようだ。……やれるな?」
「はい、仰せのままに……」
サビナは闇へと消えた。
『自由転移』。
自在に空間を跳躍できる魔法であった。
サビナが文字通り消え去ると、魔王はふうとため息を吐いて玉座に座る。
合衆国大統領との会話。
予想通り、大した中身のないものとなった。
言いたいことはたくさんあるが、それを言えば自分が地球出身の転生者だとバラすことになる。
バレたとてどうと言うこともないだろうが、明かす理由はない。
何か未知の搦め手でも取られないとも限らないのであるし。
彼の頭からは聖書の章句を口にしてしまったことはすっぽり抜け落ちていた。
ブラヴォーチーム、チャーリーチームはそれぞれ魔王城の外壁を爆破し、内部に潜入していた。
時間との勝負だろう。
よしんば重要な対象がいなくても、なんらかの情報を持って帰れれば良い。
それが行動規範だった。
しかしガーフィールド少佐との連絡がつかなくなって以降、2チームは選択を余儀なくされていた。
すなわち、撤退か、継続か。
「こちらブラヴォー小隊、ヘリに戻るべきと思料する」
と、ブラヴォー分隊隊長、ケネス・ブラック大尉が言うが、チャーリー分隊隊長クリス・ガーバー大尉は、
「こちらチャーリー、まだ何も得られていない」
「ガーフィールド少佐からの連絡は?」
「敵重要人物と接触、との連絡以降、ない」
「やっぱりやられたんじゃ……」
ブラック大尉は答えない。
それが本当だとしても、任務を単なる失敗に終わらせたくはなかった。
その時、無線越しに声が入った。
「ベータ、チャーリー、撤退せよ。大統領命令だ」
上空で旋回中のヘリの第4号機からの伝言だった。
「撤退ィ!? チッ、じゃあやっぱ少佐は……」
悪態を吐くブラック大尉だったが、途中で口を噤んでしまう。
「誰か来る……っ!」
チャーリー分隊11名は石積みむき出しの廊下、その曲がり角に身を隠す。
息を潜める特殊部隊の豪傑たち11人。
革靴のコツコツと言う音。
非戦闘員か?
ブラック大尉は部下に小型の鏡を使って角に隠れたまま音のする方を確かめさせた。
確認した部下は振り返る。
「分隊長、燕尾服の、エンペラーの茶会にでも出ていそうな女です。多分、めちゃくちゃ美人」
「この城の執事か? 拘束しよう」
極秘任務故の融通、非戦闘員の殺傷も許可されていたが、ここは殺さずに行きたい。
情報のためにも、だ。
女は廊下の角のところで立ち止まっていた。
まるでこちらに位置を知っているかのように。
どういうことだ?
まあいい、所詮相手は素手の……。
ブラック大尉はH&Kに安全装置をかけて脇に吊るすと角から飛び出し、自由になった両手でもって女に摑みかかる。
首を抑え、手を掴み、石畳の床に引き倒し……。
「動くな」
言葉が通じることは事前に分かっていた。
すかさず部下たちも飛び出してきて、女を組み伏せているジョネスの周りを囲む。
周囲に銃口を向けながら。
ブラック大尉は床の女に猿轡を噛ませた後、体重を乗せ続ける。
窒息してしまわないように気をつけながら。
女の背中を抑えつける膝を通して呼吸の律動が伝わって来る。
両手を後ろに回させて、結束バンドで固定。
これでいい。
事前の取り決めでは拉致は想定外だったが、この事態はまさに望外だ。
女性をこんな風に扱うのは本意ではないが、仕方ない。
ヘリまで運び、そこで今回の任務を終了としよう。
女に乗せていた膝をどかし、肩を掴んで立たせた。
その時である。
女の肩に手を置いていたブラック大尉が、その接触点からひきずられるように空中で一回転し、石の床に叩きつけられた。
「うぐっ!?」
自分で飛んだように見えなくもなかったが、実態は違う。
女ーーサビナアルナの体術がそうさせたのである。
周りの部下たちも一瞬唖然としたのち、そのことに思い至ると、
「何をする!? もうそれ以上動くな! 動けば発砲……ぐう!?」
しかし、彼らはそれ以上何も言えなかった。
まるで押しのけられるかのように、女を中心として発生したなんらかの力場のせいで吹き飛んだのである。
「ぐっ、お前ら、どうした……? ぐえっ!」
まともに頭から落ちたが故、少しの間朦朧としていたジョネスが回復し、起き上がろうとしたが、叶わなかった。
女が革靴で男の二の腕を踏んだのである。
仰向けのまま、手も足も一切動かすことができなくなるジョネス。
二の腕のあるツボを踏まれると完全に身動きが取れなくなるのである。
「一体どんなものかと少々いいようにされてみましたが……」
女が言う。
「魔法すら持たない人間というものはやはりこれほどまでに弱いのですね」
ミシリ、と女がブラック大尉の腕に体重をかけた。
「ぎゃあああ!!」
激痛にのたうつも、動けないブラック大尉だった。
「ふう、あなた方への興味は尽きました。死んでもらいます」
ブラック大尉の部下たちの中には起き上がって発砲する者もいたが、無意味だった。
相手は魔王の盾、サビナアルナ。
最強の防護魔法使い。
彼女を中心として張られたシールドにとってはサブマシンガンの弾など蚊に刺されるよりも……。
そのシールドが膨張する。
廊下の中、通路に満ちるように、箱の中の風船のように。
「ぐううう!?」
サビナの足元のブラック大尉が苦痛の呻きをあげる。
他の部下たちもだ。
全員、壁に押し付けられるように張り付いている。
目に見えない壁、幕、シールド、そういうものによって壁に押し付けられているのだ。
「ぐううう……つ、潰れちまう……」
サビナの足元のブラック大尉に一番圧力がかかっていた。
やがてそれは耐え難いものになっていき……。
「げぎゃっ」
頭蓋骨がパキッと潰れた。
他の者、内臓が口から飛び出る者、前へ向けていた手が折れる者、胸を圧迫されて呼吸ができなくなるもの。
だいたい数パターンの死に方で、ブラック大尉の部下たちも死んでいった。
「こちらブラヴォー分隊、チャーリー、応答せよ……ダメか!」
ガーバー大尉がブラック大尉に無線機越しに呼びかける。
魔王城の一角で、部下たちが不安そうにガーバー大尉の方を見る。
大尉はその視線を見返す。
安心しろ、決まっている、もちろん一目散にお家に帰るさ。
そんな感情を込めて。
「…………アルファ、チャーリー応答なし。ブラヴォー分隊、これよりヘリに戻る」
行きはヨイヨイ帰りは怖いとも言うが、自分で爆破して来た道を変えるだけの行程は、全く障害のないものだった。
(ヘリよ、いてくれ……!)
こういう時の特殊部隊員が必ず思うことをガーバー大尉やその部下たちも願った。
果たして、そこにはちゃんとヘリが駐機していた。
「乗れっ! 乗れっ!」
訓練された通りの動きで、ブラヴォー分隊は一人も欠けることなく、ヘリに乗り込んだ。
ステルスヘリが戦士たちを乗せて高度を上げていく。
他の分隊を乗せていたヘリも帰還しない隊員に見切りをつけ、危険な敵陣から飛び立つ。
大抵、アメリカ人の死体を残すことこそが最もタブーな任務が多いのだが、今回は仕方ない。
生きていようといまいと、見棄てる他ない。
たとえ、三分のニを失う大打撃でも……。
四機のヘリが編隊を組んで飛び立っていく。
光学迷彩でお互いの姿が確認できないから、赤外線シーカーでやりとりしつつ、だ。
この飛行訓練は完璧に仕上がるまで随分かかったものだ。
生き残った者たちは窓から望む魔界の風景に何を思うのか……。
突然、窓の外にカッ、と赤い花が咲いた。
オレンジに花開く炎の花だ。
……一番ヘリ、コールサイン、アーリーバード1だった。
「何事が!?」
ガーバー大尉が外を眺めようとした時、彼の乗るヘリも空中の花と化した。
サビナのシールドの膨張速度は音速以上まで高められる。
それは衝撃波を生み出し、本気で膨張させればTNT火薬キロトン級の衝撃を生み出すことも可能だ。
その膨張力を生かし、熱でも可視光でも電波でも探知できないヘリに向け、搭乗している人間の魂の波動だけ頼りに、破壊された壁の破片を飛ばした。
それだけのことだ。
サビナの、人体の持つ複雑なベクトルすら一瞬で捉える究極とも言える精密動作があれば可能だった。
「あっけないことですね」
それだけ言うと、サビナは魔王城の奥に姿を消した。
これにより、今回の米軍威力偵察・暗殺部隊は全滅したことになる……。




