第二十一話 ドラゴン、襲撃
二〇一七年五月二十二日時刻2100、
魔界、死の森、とある洞窟
X+二十日
ブロウズはだいぶ長い間、冒険者ギルドの洞窟に厄介になっている。
出歩きたかったが、許可されなかった。
「お主と出会った時、鎧を着たゴブリンどもと出会ったじゃろ? あいつらがこの広い森をずっと巡回しておるのじゃ。この洞窟を探し出すためにな。魔法的隠蔽を施しておるから簡単には見つからんが、それでも気をつけねばならない。例えば、魂の波動を抑える訓練をしていない人間を外に出すだとかを、避けねばならんのじゃ」
魂の波動。
またわけのわからない言葉を。
どうやらこの世界には科学とは異なるものが存在するらしい。
フリィシカ婆に見せてもらった魔法というものを思い出す。
宙に突然現れる火、水、氷、光、なんだかよくわからない黒いモノ……。
最初は我が目を疑ったが、実際に目の前で起こっているのだから信じるほかない。
この世界には魔法がある。
認めねばならない。
ブロウズは洞窟内の、自分にあてがわれた部屋でうんと伸びをする。
「あー、陽の光を浴びたい」
妖精光のぼんやりした光は飽き飽きだった、そして、
「そしてできることなら……」
シェリーと、アンナの顔が浮かんだ。
それと、ヨン少尉の顔も。
「最低限ドッグタグくらい、回収したいがな。無理か……。あんな奴らが徘徊してるんじゃ……。賭けのツケ、返してもらえなかったな」
はっきり思い出すのは陸軍基地の様子だ。
行進する仲間たち。
簡易トイレの殺菌剤の匂い。
ヘリのエンジン音。
刑務所にも納入されてるクソみたいなメシの味。
兵舎の外のハンモック。
割り当てられたベッド脇の、自分の小便入りの炭酸飲料のペットボトル。
間違えてそれを飲んじまった間抜けの悪態。
何もかもが愛おしい。
ああ、俺は結局のところ死ぬほど軍隊というところが好きなんだな、と彼は思った。
生えてきた無精髭を撫でる。
もう随分地球には帰っていない。
「ブロウズ君」
部屋を訪ねてきたのは勇者アルゥールだった。
ドアのない、洞窟の横穴に木を敷き詰めただけの部屋だから、ノックはされなかった。
「ピクシアが少し嫌な波動を感知したらしい。気をつけてくれたまえ」
ブロウズはわかった、と言った。
波動ってなんだ? とは言わなかった。
「なあ、アルゥール。少し気になってたんだが……」
「なんじゃ?」
「この冒険者ギルド以外の、他の人間の国とか、そういうのに助けは求めないのか? ずっとここに隠れて篭ってるつもりか?」
「ああ、そのことか」
アルゥールはなんでもないように、
「それはできない。何故なら、我らが最後の人類だからだ」
ブロウズは口を大きく開いて驚愕の感情を表す。
「ジーザス、マジかよ……え? それじゃ何か? この百人ばかりが最後の生き残りだっていうのかよ!? 一体なんで……」
魔王じゃ、とアルゥールは答えた。
「魔王が、魔王軍が我らを虐殺し、数をここまで減らさせしめたのじゃ」
ブロウズはこの十日間で見たものを思い返す。
子供に剣を教えるシーザー、魔法を教えるフリィシカ、祈りを教えるピクシア……。
他の大人の数は極度に少なく、子供ばかりだ。
ここは託児所か? と疑問だったが、そうか。
ここはそんなに追い詰められた……。
途端に、そんな集団で最も頼られている勇者パーティの面々が切なく見えた。
彼らとて、あと一体どれだけ生きられるのだろう。
もし、いなくなって仕舞えば、この世界の人類は……。
「考えていることはわかるぞ?」
哀れみの表情が伝わってしまっただろうか?
ブロウズは気まずい思いにとらわれる。
「だからこその、移住なのじゃ。我らの種としての命脈はもはや絶たれているのかも知れぬ。だからこそ、お前たちの世界の人間と交わってでも、明日へと命を繋げなくては……」
その時、入口の方で大きな音がするのがわかった。
アルゥールの動きは素早い。
老人とは思えない、いや、ブロウズよりも素早い動きでハシゴを登って行った。
ブロウズは慌ててそのあとを追う。
入口へ向かう途中でシーザーと出くわす。両手を広げて通せんぼだ。
「行っちゃいかん! 斥候竜ですらない、本物の四つ足四枚羽根、ドラゴンロード級だ!」
「昨今大幅に数を増やしたアレか」
「ああ、今フリィシカが幻惑魔法でなんとか抑えているが、洞窟の場所がバレてる、ここは放棄せねばならんだろう……」
シーザーがブロウスの方をチラリと見た。
ブロウスは背中に冷や汗が流れるのを感じる。
ーー俺のせいか? 俺がここにきたから……。
しかし誰もそのことは責めず、素早く行動を開始する。
こういう事態には慣れっこらしい。
子供や非戦闘員(戦闘員は勇者パーティ四人だけなのだが)全員、隠し出口から森のはるか向こう側に逃げることに成功した。
残るのはブロウズと勇者アルゥール、戦士シーザー、神官ピクシア……そして洞窟の外で魔法を駆使するフリィシカのみ。
ピクシアが報告する。
「妖精光、全て魔素に変換して回収し終えました」
アルゥールがそれ聞いてうなづいた。撤収準備完了というわけだ。
「これからどうするんだ?」
と、ブロウズ。もちろん彼も武器と装備は来た時と同じようにフルで身につけている。アルゥールは、戦うと言った。シーザーも同意して、
「確かに。ドラゴンロード相手では逃げきれんだろうからな。ここで倒さねば」
と言った。ブロウズは正気か? という顔をする。
「おいおい、あんな爆音を鳴らすやつと戦えるのかよ」
「大丈夫じゃ」
と、アルゥール。
ブロウズの脳裏に小銃弾すら通さない鎧を着た魔物を一瞬で両断したアルゥールの姿が浮かんだ。
なるほど、確かにあのまさしく勇者然とした戦い方を思えばできるのかもしれない。
「ふん。我々は何度もあんなのを討伐しとるわ。舐めるんじゃないぞ、小僧」
シーザーがヒゲを撫で付けつつジロリとブロウズを見ながら言った。ブロウズは肩をすくませる。
「では行くぞ」
アルゥールの言葉に全員が一気に動く。長年培って来たチームワークに、ブロウズは感心する。
「最高位暗転魔法!」
翼を広げれば村の広場も覆えるような大きな竜。
その目の部分に暗い霧がかかっている。
フリィシカの魔法だ。
彼女は老体に鞭打ってたった一人ドラゴンロードを足止めしていた。
「早く来てくれないとわたしゃそろそろ限界だよ」
周囲の魔素はドラゴンロードの巨体の維持と度重なる魔法の使用で薄まって来ている。
さっさと移動するかしないといけない。
もたついていると肉体強化はできても魔法の使用はできない、魔法使いにとって最悪の魔素濃度になってしまう。
しかしその必要はなかった。
洞窟から影が銃弾のように飛び出ると、十数メートルも飛び上がって剣を振るった。
シーザーだった。
老いてなお強化された肉体は超人的な脚力を発揮するのだ。
魔法で強化された剣はドラゴンロードの硬い鱗を切り裂き、肩口に手傷を負わせる。
「ギャアアアアアアアアアア」
未だ「最高位暗転魔法」の解けないドラゴンロードは暗闇からの攻撃にパニックに陥る。
「手こずることはなかったな」
洞窟から現れたアルゥールは腰の剣を抜いた。
聖剣フィニエンドゥム。
かつて魔王を倒した秘宝である。
アルゥールは暴れるドラゴンロードの腹に狙いを定め、剣を大きく担いだ。
精神を集中する。
刀身の長さを超えて発せられる斬撃波で横薙ぎに一刀両断するつもりだ。
シーザーとフリィシカが巻き込まれないよう下がる。
ピクシアが万一のために防御魔法の準備をする。
ブロウズは初めて見る魔法戦闘にあっけにとられている。
「おいおい、まるでテレビゲームだな……。しかし、なんでアルゥールはずっと動かねえんだ?」
一般に「溜め」と呼ばれる行為で、アルゥールがずっと剣を担いだまま動かないでいるのはこの世界では不思議なことではない。
しかしいくらんなんでもその時間が長すぎた。
いつまでもアルゥールは動かない。
「勇者様?」
ピクシアが枯れた声で呟いた。
アルゥールの体が揺らいだと思うと、途端、吐血。
倒れこむ。
「勇者様!?」
「アルゥール! クソっ! 最高位暗転魔法が解ける……俺がもう一度剣で……」
シーザーがそう言うより早く、魔法が解けた。
ぎらりと眼光鋭く勇者パーティを睨んだドラゴンロードは、倒れ込んだアルゥールに狙いを定め、爪鋭い前足を振り上げた。
シーザー、フリィシカ、ピクシアが焦るが、間に合わない。
どうしようもなかった。
しかし、聴きなれぬ破裂音が響く。
何度も。
「オラオラオラぁ!! こっちだデカトカゲェ!!」
ブロウズがM4を放ったのだ。
狙いはドラゴンロードの目。
他の部分はとても貫けないが、目ならダメージを与えることができた。
宝玉の硬いレンズは一撃で潰すことはできなかったが、痛みで目をつぶらせることはできる。
「グギャ!?」
「うおおおおおお!!」
正直、逃げ出したいほど怖い。
ブロウズにとって想像したこともないほどの相手。
巨体。
しかしやるしかなかった。
恩人の危機だったのだから。
「限界回復」
ドラゴンロードが怯んだ隙を逃さずピクシアが魔法を唱える。
無論、アルゥールに、だ。
たちどころに回復した彼は、剣を振るい、ドラゴンロードを両断した。
「助かったぞ、ブロウズ」
そう言うアルゥールは具合が悪そうだった。
聖剣を杖代わりにして体を支えてやっと立っている。
うなだれた額に汗が光った。
「おいおい大丈夫かよ爺さん」
あまりに気安いブロウズの物言いにシーザーがジロリと非難の視線を向ける。
彼らにとっても勇者アルゥールは英雄。
敬意を払うべき存在なのだ。
「そろそろ、体が追いついててこんのう……のう、シーザー。お主もそうじゃろ?」
「弱音を吐くな、アルゥール。我らが倒れたら民はどうなる?」
「民。民ねえ……」
沈黙。誰も何も言わなかった。
八方ふさがりの状況、先の見えない、いや、確実に破局の見えている未来、彼らはそういうものに追い詰められているのだ。
「なあ、あんたら」
全員がブロウズを見る。
「やっぱ俺らの世界に来いよ。安全だし、何より刺激に満ちてる。一旦避難する、って考えもいいんじゃねえか? 悪いことは言わねえから来いよ。それが、たぶん今回の襲撃を呼び込んじまった俺の罪滅ぼしってことで」
また、沈黙。
全員、そうしたほうがいいのはわかっている。
しかし、重い決断だ。
シーザーからは絶対肯定の言葉は出てこないだろう。
下手をすれば、仲違いもあり得た。
だからこそ、最終的な決定は最重要人物がするべきだった。
「行こう」
ボソリ、と、勇者アルゥールが言った。
「行くんだ。ブロウズの世界へ。そうして切り開ける道もあろう」
誰も、反対しなかった。
民と合流し、スクウェアの方へ向けて出発したのはすぐ後のことだった。
森の入口に放置されたRSOVは置いていった。




