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錬金術?いいえ、材料工学です。授かったスキルで海洋国家の覇者になります!  作者: 秋澄しえる


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第38話「夜会」

 水の都セレニアの夜は、無数のガス灯と運河の揺らめきによって幻想的な輝きを放っていた。


 だが、今夜の総督ドージェ官邸「パラッツォ・ドゥカーレ」の輝きは、それらをすべて飲み込むほどに圧倒的だった。


 大運河に面した船着き場には、貴族たちの豪奢なゴンドラが次々と横付けされ、着飾った紳士淑女が降り立つ。


 その光景を前に、僕は胃のあたりをギュッと掴まれるような緊張を感じていた。


「…うぅ、お腹痛い」


「もう、しっかりしてよルカ。今日の主役はルカなんだから」


 隣で励ましてくれるアディは、見違えるほど綺麗だった。


 海の民の伝統色である深いあおのドレスは、彼女の褐色の肌によく映え、歩くたびに銀糸の刺繍が波のように煌めく。


 普段の活動的な姿も好きだけれど、今日の彼女は本当にお姫様のようだ。


「さあ行くぞ、野郎ども!ここが俺たちの新しい戦場だ!」


 先頭を行くロレンツォ兄さんが、不敵な笑みを浮かべて振り返った。


 黒のフォーマルスーツを着こなしたロレンツォ兄さんは、いつもの遊び人風情を完全に消し去り、切れ者の若手商人としてのオーラを纏っている。


「なんて煌びやかなんだ!だが、我がマルチェッロ家も負けてはおらんぞォォッ!」


 父ジョヴァンニが、大げさに両手を広げて叫んだ。


 彼もまた、古いながらも仕立ての良い正装に身を包んでいる。かつての栄光を知る男の、底知れぬ気迫(と騒がしさ)があった。


「あなた、声が大きいです。…ほらルカ、背筋を伸ばして」


 母イザベッラが優しく僕の襟元を直してくれた。


 僕は深呼吸をして、家族と共に光の大広間へと足を踏み入れた。



◆◇◆◇◆



 大広間は、まさに別世界だった。


 天井からは巨大なクリスタルのシャンデリアが幾つも吊り下げられ、数千本の蝋燭が真昼のような明るさを作り出している。


 楽団が奏でる優雅な弦楽器の調べ。


 芳醇なワインと香水の香り。


 そして、国を動かす有力者たちの談笑と、品定めするような視線。


「おや、あれはマルチェッロ家か?」


「没落したと聞いていたが…見ろ、あの靴を」


「噂の『パッソ』か。総督も愛用しているとか」


 さざ波のように広がる噂話。


 ロレンツォ兄さんはそれを心地よさそうに受け流し、知人の商人を見つけるや否や、水を得た魚のように社交の海へ飛び込んでいった。


「やあやあ、ロッシ商会の旦那!先日はどうも!…ええ、おかげさまでゴム底靴は絶好調でしてね。…いえいえ、あれはただの序章ですよ。次はもっと面白い仕掛けを用意してますから。へっ、一口乗るなら今のうちですぜ?」


 兄さんのあの度胸とハッタリは、どこから来るんだろう。


 一方、父さんは父さんで、別のベクトルで目立っていた。


「見よ、あの美しいレディを!我が妻イザベッラだ!そしてあっちでガチガチに緊張している眼鏡の少年、あれこそが我が家の至宝、天才発明家のルカだァァッ!」


 父さんが紹介するたびに、貴族たちが「ほう」と興味深げにこちらを見る。


 僕はそのたびに、ぎこちない笑顔で会釈を繰り返すしかなかった。


「…ルカ、大丈夫?」


「う、うん。ちょっと空気に酔ったかも」


 僕とアディは、人波を避けるように壁際へ移動した。


 そこには、見たこともないような豪華な料理が並んでいた。


 巨大な魚の姿焼き、山盛りの果物、繊細な細工が施された砂糖菓子。


「美味しそう!ねえルカ、これ食べていいのかな?」


「たぶんね。…でも、味がするか自信ないや」


 その時だった。


「――君が、ルカ・マルチェッロか」


 背後から、冷ややかな声が掛かった。


 その声の響きは、周囲のざわめきを一瞬で凍りつかせるような、鋭い知性を孕んでいた。


 振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。


 年齢は僕より少し上くらいか。十六、七歳だろう。


 漆黒の髪に、切れ長の瞳。


 服装はシンプルだが、仕立ての良さは一目で分かる。胸元には、二色の布を重ねた紋章――。


「…コルナーロ家」


 僕が呟くと、少年は微かに口の端を歪めた。


「自己紹介の手間が省けたな。僕はダンテ。ダンテ・コルナーロだ」


 空気が張り詰めた。


 アディが僕の前に半歩出て、警戒するようにダンテを睨む。


 コルナーロ家。


 当主ヴィットーリオが率いる、我が家の宿敵。


 マルチェッロ家を没落させ、経済封鎖と妨害工作を仕掛けてきた元凶の、その跡取り息子。


「…何の用ですか?」


 僕が精一杯の虚勢で問うと、ダンテはグラスを揺らしながら、僕を値踏みするように見下ろした。


「実物を見ておこうと思ってね。落ちぶれた家の起死回生の一手…『ゴム底靴』の発明者が、どんな男か」


 彼は鼻で笑った。


「失望したよ。ただのひ弱な子供じゃないか」


「なんですって!?」


 アディが噛みつきそうになるのを、僕は手で制した。


 ダンテの目は、僕を馬鹿にしているようで、その奥には冷徹な計算が見える。


「確かに、あの靴は面白い。だが、所詮は小手先のアイデアだ。あんなもので、沈みかけた船が浮き上がるとでも思っているのか?」


「…小手先じゃありません」


 僕はダンテの目を真っ直ぐに見返した。


「あれは『材料工学』です。素材の性質を理解し、最適な形に組み合わせる技術です。…靴だけじゃない。僕たちはこれから、もっと多くのものを変えていきます」


 ダンテの眉がピクリと動いた。


 彼は僕の言葉に含まれる「論理」を瞬時に読み取ったようだ。


「材料工学…?錬金術の亜種か。…フン、なるほど。君のその目、ただの馬鹿ではないらしい」


 ダンテが一歩近づいてくる。


 威圧感。


 だが、不思議と恐怖はなかった。彼の瞳にあるのは、単なる悪意ではなく、自分と同じ「何かを探求する者」特有の光だったからだ。


「だが、覚えおくことだ、ルカ・マルチェッロ。技術だけでは世界は回らない。金、権力、そして政治…それらを持たぬ者の発明など、いずれ強者に食い物にされるだけだ」


「…食い物にされたりはしない。僕には、守ってくれる家族や仲間がいるから」


「家族?仲間?」


 ダンテは心底つまらなそうに吐き捨てた。


「くだらない。群れなければ生きられぬ弱者の戯言だ。…真の強さは、個の卓越にこそ宿る」


 その時、会場の奥でファンファーレが鳴り響いた。


 総督ドージェの入場だ。


「…話は終わりだ。精々、道化として踊ってみせろ」


 ダンテはきびすを返し、人混みの中へと消えていった。


 残された僕は、大きく息を吐いた。


「なんなのあいつ!すっごく感じ悪い!」


「うん。…でも」


 僕は、去っていった彼の背中を見つめた。


 敵だ。間違いなく。


 でも、彼は僕の技術を「否定」はしなかった。


 ただ、それが「力」として足りていないと指摘しただけだ。


(ダンテ・コルナーロ…)


 強大なライバルの出現を、肌で感じていた。



◆◇◆◇◆



 夜会も中盤に差し掛かった頃。


 総督フランチェスコ・グリマーニによる乾杯の挨拶が終わり、会場は再び歓談の時間となっていた。


 少し人酔いした僕は、アディと共バルコニーに出て夜風に当たっていた。


 そこへ、会場の隅から啜り泣くような声が聞こえてきた。


「…どうしましょう…これではもう…」


 見ると、年配の貴婦人が、数人の取り巻きに囲まれてハンカチを目に当てていた。


 その首元には、大粒の真珠のネックレスが掛かっている。


 だが、その真珠は輝きを失い、白く濁っているように見えた。


「可哀想に…。あれはジェンティーレから取り寄せた最高級の真珠だったとか」


「汗と湿気で『真珠層』が曇ってしまったのね。もう元には戻らないわ」


「あれほどの大きさ、二度と手に入らないでしょうに…」


 周囲のささやきが耳に入る。


 真珠の曇り。


 それは、有機質の宝石である真珠にとっての不治の病だ。


 表面の炭酸カルシウムとタンパク質の層が変質してしまえば、研磨しても輝きは戻らない。


「…かわいそう」


 隣でアディが悲しげに眉を寄せた。


「あのご婦人、すごく大事にしてたんだろうな。…ねえルカ、なんとかならないの?ルカなら、何か知らない?」


 アディの純粋な問いかけに、僕の胸が痛んだ。


 ただの石ころじゃない。


 誰かの想い出が詰まった宝物が、輝きを失って悲しませている。


 ダンテは言った。


 技術だけでは世界は回らない、と。


 確かにそうかもしれない。


 でも、技術があれば、目の前の涙を止めることはできるかもしれない。


(…待てよ?)


 僕の脳裏に、以前アディと海岸で遊んだ時の記憶が蘇る。


 そして、材料工学の知識がリンクする。


 真珠の正体は、貝殻と同じ成分だ。


 アラゴナイト(炭酸カルシウム)の結晶が、レンガのように積み重なり、その間をタンパク質が接着している『積層構造』。


 それならば。


「…直せるかもしれない」


「え?」


「ううん、直すだけじゃない。…もっと強く、永遠に曇らない輝きを作れるかもしれない」


 僕はアディに向き直り、小さな声で言った。


「アディ、僕に協力してくれる?少し、貝殻を集めてほしいんだ」


「貝殻?うん、任せて!海の民の得意分野だよ」


 アディの表情がパッと明るくなった。


 僕たちはバルコニーからホールの中を振り返った。


 そこでは、ロレンツォ兄さんが相変わらず身振り手振りで商談をまとめ、父さんは母さんを自慢しながら大声で笑っている。


 家族はそれぞれの戦場で、マルチェッロ家のために戦っている。


 僕たちが勝手に帰るわけにはいかない。


 彼らの戦いが終わるまで、しっかりと背中を見届けよう。


「さあ、戻ろうアディ。兄さんたちが待ってる」


「うん!」


 僕たちは再び、光溢れる会場へと戻っていった。


 ダンテに見下された悔しさは、もうない。


 僕の胸には、新しい目標への静かな闘志が宿っていた。


 誰かの涙を拭うための、新しい『実験』の始まりだ。



(第38話「夜会」終わり)



◆◇◆次回予告◆◇◆


「夜会で見た、あの曇ってしまった真珠。持ち主の奥様、すごく悲しそうだったな。『もう元には戻らない』って皆は言うけど、諦めるのはまだ早いよ!真珠も貝殻も、成分は同じカルシウム。だったら、僕の『圧縮』スキルで、一から作れるんじゃないかな?アディが集めてくれた貝殻が、奇跡を起こす!」


「次回、『真珠の涙』。世界で一番美しい宝石を、君に」

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