第39話「貝殻」
2026/8/21 改訂
夜会の翌朝、食堂へ入ると、お父様の声がいつも以上に響いていた。
「アディちゃんから聞いたぞルカ!昨夜、あのコルナーロの小倅に一歩も引かずに言い返したそうじゃないか!『僕には家族がいる!』とな!父さんは感動で涙が止まらんぞォォッ!」
パンを片手にそこまで叫ばれると、昨夜ダンテと向き合った時より恥ずかしい。向かいではお母様が紅茶を勧めながら苦笑していて、その顔までどこか嬉しそうに見えた。
「お父様、大げさだよ…」
ハムを口へ運んで誤魔化したけれど、頭に残っているのはダンテのことだけじゃない。白く曇った真珠と、泣いていた貴婦人の顔が、朝になっても消えてくれなかった。
「…ねえ、ロレンツォ兄さん。昨日の夜会で、泣いていた女の人がいたよね。真珠のネックレスが曇ってしまったって…」
「ん?ああ、コンタリーニ伯爵夫人だな」
帳簿から顔を上げた兄さんは、紅茶を一口飲んでから声を落とした。
「あの真珠は、亡くなったご主人の形見らしい。ジェンティーレとの貿易が盛んだった頃に手に入れた、最高級の東方産だ。…湿気と汗で風邪をひいたらしいが、あれじゃもう値打ちも半減以下だな」
「直せないのかな?」
「無理だ。宝石商も匙を投げたらしい。表面を磨いても、一度失われた真珠の照りは戻らねぇよ」
やっぱり、普通のやり方では無理なんだ。
でも、昨夜見た濁り方を思い返すと、僕の中では別の考えがもう動き始めていた。
「僕なら直せるかもしれない」
「…は?」
「ううん、直したいんだ。…もっと強くて、絶対に泣かない真珠を、僕なら作れると思うから」
兄さんの目つきが変わった。商人の顔になっている。
「…相手は大貴族だぞ。半端な期待を持たせて失敗しましたじゃ済まされねぇ。商会の信用に関わる」
「わかってる。だから、まずは試作品を作るよ。それを見て、兄さんがいけると思ったら、夫人に連絡してほしい」
しばらく僕を見ていた兄さんが、やがて口の端を上げた。
「へっ、いい度胸だ。…面白ぇ、乗った。今日の夕方までに証拠を見せてみろ。話はそれからだ」
「うん、任せて!」
◆◇◆◇◆
朝食を終えて中庭へ出ると、アディが待ち構えていた。その足元には、膨らんだ麻袋がいくつも並んでいる。
「ルカ、集めてきたよ!」
「えっ、もう!?」
袋の口を覗くと、大小さまざまな貝殻がぎっしり詰まっていた。内側が虹色に光るものもあれば、泥や海藻が残っているものもある。
「昨日のうちにルーチェたちにお願いしておいたの。朝から一緒に集めてもらったんだ」
「こんなに集まると思わなかったよ。ありがとう、アディ」
「へへっ、任せてって言ったでしょ!」
そばではルーチェさんが得意そうに笑い、リナさんが重そうな麻袋を軽々と担ぎ上げた。
「若旦那、こいつで何作るんだ?新しい鎧の材料か?」
「ううん、宝石だよ」
「はあ?ゴミから?」
まあ、そう思うよね。
工房へ向かいながら袋から一枚の貝殻を取り出し、内側を光に傾けると、薄い虹色が表面を走った。
「真珠も貝殻も、主成分は炭酸カルシウムなんだ。小さな結晶がレンガみたいに規則正しく重なって、その間をタンパク質がつないでる。その層に光が当たるから、あの独特の輝きが出るんだよ」
真珠は、貝の中へ入り込んだ異物を、自分の殻と同じ成分で何重にも包み込んだものだ。天然では、その層が偶然きれいな球になったものしか真珠にならない。
でも、僕は偶然を待たなくていい。
同じ層を、自分で並べられればいいんだ。
◆◇◆◇◆
職人街の、僕らが秘密基地と呼んでいるビアージョさんの工房へ着くなり、麻袋いっぱいの貝殻を作業台へ広げた。ビアージョさんも手を止め、また何を始めるつもりだ、とでも言いたそうにこちらを見ている。
「まずは、一番綺麗な真珠層だけを取り出します」
内側の虹色に光る層を意識しながら左手をかざし、粉砕の力を細く絞る。ただ砕くんじゃない。外側の層と真珠層の境目だけを剥がすように。
表面が砂のように崩れ、薄い虹色の欠片だけが残ると、アディがすぐそばまで顔を寄せた。
「綺麗…まるで宝石の欠片だね」
「これをもっと細かくして、粉にするよ」
虹色の粉末を作り、以前ベアリング用に作った炭化タングステンの球形の型へ入れる。さらに貝から取り出したコンキオリンを、結晶同士をつなぐ分だけ混ぜた。
ここからだ。
ただ押し固めれば、白い粉の塊にしかならない。真珠の輝きを出すには、細かな結晶を薄い層にして、何層も規則正しく重ねる必要がある。
薄い板を、一枚、また一枚と重ねていく。
頭の中にその形を浮かべたまま右手をかざし、圧縮する力に方向を与えた。炭酸カルシウムの結晶を球の中心へ向かって同心円状に並べ、層と層を密着させていく。
ピキン、と頭の奥で何かが噛み合った気がした途端、掌の下から熱が伝わってきた。
できた…?
汗ばんだ指で型を開くと、小さな球が作業台へ転がり出た。直径は一センチほど。窓から差し込む光を受けた表面には、白一色ではない、濡れたような乳白色の輝きが浮かんでいる。
思わず息を止めた。
真珠だ。
(第39話「貝殻」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「夜会で見かけた悲しそうな伯爵夫人…。曇ってしまった真珠は、もう元には戻らない。でも、だからこそ僕は作りたいんだ。汗にも酸にも負けない、永遠に輝く新しい真珠を!材料は市場のゴミ!?いや、これこそが宝の山だよ!」
「次回、『真珠の涙』。科学の力で、その涙を笑顔に変えてみせる!」




