第12話「返済」
運命の日。
マルチェッロ家の屋敷の玄関ホールに、重苦しい空気が漂っていた。
時刻は正午。銀行家、エンリコへの返済期日だ。
「…まだなのか、ロレンツォたちは」
父ジョヴァンニが、落ち着きなく広間を行ったり来たりしていた。
今日までに利子として、金貨100枚を用意できなければ、この屋敷は銀行に差し押さえられ、家族は路頭に迷うことになる。
母イザベッラは静かに紅茶の準備をしているが、その手元もわずかに震えていた。
ドンドンドン!
無遠慮に扉を叩く音が響いた。
「ひぃっ!?」
「来たわね…」
扉が開かれ、入ってきたのはエンリコだ。
「ごきげんよう、マルチェッロ家の皆さん。…おや?荷造りはまだお済みでないようですな」
エンリコは嫌味な笑みを浮かべ、ハンカチで鼻を押さえた。まるでカビ臭いとでも言うように。
「な、なんの真似だエンリコさん!まだ期日の正午には時間がある!」
ジョヴァンニが抗議するが、エンリコは冷ややかに鼻を鳴らした。
「形式上のことですよ。どうせ払えやしないでしょう?かつての名家も地に落ちたものですな。さあ、さっさと立ち退いていただきましょう。この屋敷は、既に『次の買い手』が決まっているのですから」
「次の買い手だと…?」
「ええ。コルナーロ家の方々が、この土地を倉庫にしたいと熱望されておりましてね」
エンリコの言葉に、ジョヴァンニが絶句した。
コルナーロ家。
マルチェッロ家を没落させた宿敵が、最後に住処さえも奪おうというのか。
「さあ、衛兵!不法占拠者を排除したまえ!」
「待てよ、タヌキ親父」
玄関の奥から、ドスの効いた声が響いた。
ロレンツォだ。
その後ろには、ルカとアディも続いている。
「ロレンツォ!」
「遅くなってすまねぇ、父さん。…おいエンリコ。随分と気が早いじゃねぇか。まだ鐘は鳴ってねぇぞ」
ロレンツォはエンリコの前に立ちはだかり、見下ろした。
エンリコは不快そうに顔をしかめた。
「ふん、悪あがきはやめなさい。利子の金貨100枚…まさか用意できたとでも?」
「ああ、できたぜ」
ロレンツォは懐から革袋を取り出した。
ジャラッ、と重い音がする。
「ここにある。きっちり数えな」
ロレンツォが袋を差し出す。
だが、エンリコはそれを受け取ろうともしなかった。
彼はニタニタと笑い、とんでもないことを言い放った。
「おや、連絡が行っていませんでしたか?当行の方針が変わりましてね」
「ああん?」
「あなたの家の『信用格付け』が下がったのですよ。ですから、利子だけの返済は認められません。…元金を含めた全額、すなわち『金貨一万枚』を一括で返済していただかないと、抵当権を行使させていただきます」
場が凍りついた。
金貨一万枚。
それは一部の超裕福な商会の全財産に匹敵する額だ。
それを今すぐ払えというのは、死ねと言っているのと同じだ。
「なっ…!そんな無茶苦茶な話があるか!」
「契約書には『銀行が必要と認めた場合、早期返済を求めることができる』とあるのですよ。さあ、払えないなら出て行け!」
エンリコが勝ち誇ったように叫ぶ。
これが大人のやり方だ。法と契約を盾に、弱者を踏み潰す。
ルカは悔しさに唇を噛んだ。アディも衛兵を睨みつけている。
だが。
「…ククッ、ハハハハハ!」
突然、ロレンツォが高笑いを始めた。
エンリコが不気味そうに後ずさる。
「な、何がおかしい!気が触れたか!」
「いや…予想通りすぎて笑っちまっただけさ。コルナーロの息がかかったお前が、素直に金を受け取るとは思ってなかったからな」
ロレンツォの眼鏡がギラリと光った。
「おいルカ、アディ。…『アレ』を持ってこい」
「うん!」
ルカとアディが、後ろに隠していた大きな麻袋をドン!と床に置いた。
床板がきしむほどの重量感。
「な、なんだそれは…?」
「耳の穴かっぽじってよく聞けよ、エンリコ」
ロレンツォは麻袋の紐を解き、中身をぶちまけた。
ジャラララララララッ!!
黄金の濁流が床に溢れ出した。
金貨、金貨、金貨。
船主組合での競売で勝ち取った、580枚の金貨の山だ。
「なっ、ななな…!?」
エンリコの目が飛び出さんばかりに見開かれた。衛兵たちも槍を取り落としかける。
「こ、これは…どこでこんな大金を!?」
「商売の稼ぎだ文句あるか!ここにあるのは金貨580枚だ!」
ロレンツォは金貨の山を踏みつけ、エンリコを睨み据えた。
「利子の100枚に加えて、元金の一部として480枚を繰り上げ返済する!文句あるか?ええっ!?」
「ぐぬっ…!」
エンリコは言葉に詰まった。
全額返済ではない。
だが、元金の相当数を繰り上げて返すと言われれば、もはや「信用がない」という理屈は通らない。ここで断れば、銀行としての正当性を失う。
エンリコが、最初に言った言葉が仇を成した形だ。
「…ちっ」
エンリコはギリギリと歯ぎしりをした。
「…よろしい。今回は受け取ってあげましょう。ですが忘れるな!まだ借金はたっぷり残っているのだぞ!次は容赦しないからな!」
エンリコは部下に金貨を回収させると、逃げるように屋敷を出て行った。
バタン!と扉が閉まる。
嵐が去った後のような静寂。
「…勝った、のか?」
ジョヴァンニが呆然と呟く。
ロレンツォが大きく息を吐き、崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。
「ああ…勝ったぜ、父さん。首の皮一枚だがな」
「うおおおおおん!ロレンツォォォ!ルカァァァ!アディィィィ!お前たち最高だァァァ!」
ジョヴァンニが号泣しながら息子たちと娘(?)に抱きついた。
イザベッラも目元を拭っている。
ルカはアディと顔を見合わせ、ハイタッチをした。
「やったねルカ!」
「うん!これで家は守れたよ!」
家族の歓喜の輪の中で、ロレンツォだけが窓の外――コルナーロ家のある方向を睨んでいた。
「…だが、これは宣戦布告だ。奴らは本気で潰しに来るぞ。…次は金だけじゃ済まねぇかもしれん」
その言葉に、ルカも表情を引き締めた。
借金の一部は返した。だが、戦いは始まったばかりだ。
それでも、ルカの手には確かな希望があった。
材料工学という知識と、頼れる家族、そして最高のパートナー。
これさえあれば、どんな敵だって怖くはない。
(第12話「返済」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「借金返済の興奮も冷めやらぬ中、ついにあの日がやってきた!一ヶ月の航海を終えて、カイさんたちの船団が帰ってくる!カイさん、驚いてくれるかな?そして…アディとの婚約はどうなるの!?」
「次回、『帰還』。海の男は、結果ですべてを語る!」




