8. 子供たちの邂逅
夢を見た。
昔々の夢だ。
私がまだ、師匠にも神様にも会ってなかったころ。
お父さんは村の薬師だった。
薬草を取ってきて、調合して、村のみんなや商人さんに売っていた。
村で一番頭が良くて、優しい人だった。
そんなお父さんが、薬草採りに向かった森の中で、獣に襲われて死んだ。
私は六歳だった。
村の猟師が見つけた時にはもう余り部分しか残ってなくて、でも、それは間違いなくお父さんだった。
お母さんは悲しみながらも、お父さんの後を継ごうとした。
薬師なんて簡単になれるものじゃない。でもお母さんは頑張った。
七歳になった私も薬草採りに行ったりしてお母さんを手伝った。
そんなお母さんは私に絶対手伝わせない仕事があった。
試薬の試飲だ。
お母さんはお父さんからちゃんと薬学を学んだわけじゃない。
お父さんの残した本や手書きのレシピを再現するにも、テストが必要だったのだ。
たくさん失敗して、それでもお母さんは薬を作って、売って、私を育ててくれた。
でも私が九歳になった頃、中毒で死んだ。
そうなることは、少し前から分かっていた。
それから私は商人さんに無理を言って、薬草売りとして生活費を稼ぐことになった。
今にして思えば、商人さんには何も旨味が無かったろうな。
辺境までやってきて、子供でも摘める薬草を買うだけなんて。
当時の私も薄々は分かってた。
だから、商人さんが、まだ人間だった頃の神様を連れて来た時、私は精一杯協力しようと思ったんだ。
「そうだ。その時に、神様は商人さんから『意思疎通の魔法』を習ってたんだ。私は練習相手になって張り切ってたな」
商人さんが神様を『同郷』というのも、よく分かってなかった。
まさか隣界人だったなんて。
まあ、あの頃の私は異世界と異国の区別が付かなかったと思うけど。
それで、えーと。
そうそう。練習相手をしてくれたお礼にって、神様が薬草採りを手伝ってくれるようになったんだ。
近所の黒い森。魔力を吸って成長する『黒檀』が並ぶ森だ。
魔力が黒檀に吸われちゃうから魔獣も魔法花も無い。危険は少ないけど旨味も少ない、そんな森。
そこに、師匠もいたんだっけ。
びっくりしたなー。
正体不明の黒い塊と出くわしたと思ったら、神様が急に話し始めるんだもん。
ヒノモト言葉だから同郷の商人さんも話せるって言ってたのに実際には話せなくって。
それから、師匠が『意思不通の呪い』に罹ってるって明かされたんだ。
「それから色々あって、師匠は『若き竜』を、神様は『真実の神』を討ち果たしてしまう。
まあ、竜はともかく、『真実の神』は私の故郷の主神だったから、ほどなくあの国は滅んでしまったけれど」
「そうして貴女はお二人と共に旅に出たのですね?」
声を掛けられ、私は振り向いた。
思い出の光景、戦争が始まる直前の荒野に、私と、見知らぬ女性が立っていた。
「あなたが、フォストレアさんですか?」
女性は目を伏せて頷く。
綺麗な人だ。
絵画にあるような華奢で華やかな美人じゃない。旅人であり医療従事者である、戦士然とした美少女だった。
「私は二人にせがんで旅に同行させてもらいました。
最初は隣の国の孤児院にでも預けられるのかと思ったけど、置いていかれそうな気配を感じるたびに私は頑張って駄々こねたんです」
親にも言った事の無い我儘だった。
それだけ二人と離れたくなかったんだと思う。
今考えても、どうして商人さんじゃなくて二人を選んだのかは分からない。
でも、後悔はしていない。
「私は、ついていく人を間違えました」
フォストレアさんが沈んだ声で言う。
背景は荒野からうってかわって、鬱蒼とした密林の中になった。
この木々は、フォストレア教皇国の皇都に向かう道中で見た気がする。
「私は旅の一族の中に生まれ、必死で大人たちについていきました。
気が付けば私は『癒しの魔法』を使えるようになり、大人たちはこぞって私に「その力を何に使うべきか」を教えてくれました」
一瞬、脳裏に群がる大人たちの顔が浮かんだ。
「私は教えられたとおり、来る日も来る日も人々を癒していました。村や町に辿り着いた時には、そこに住む人たちも癒しました。
大人たちが私を使ってお金を稼いでいることは知っていましたが、それでも、私は誰かを救えるのならと力を使い続けました」
「そうして力不足に悩むようになり、神に成ることにしたんですか?」
「はい。そうすべきだと大人たちが言っていましたから」
フォストレアさんは顔を上げて微笑む。
大人に言われたから。でも、フォストレアさんはそれでも人を癒したいと思っていた。
「利用されても良い。人である事を辞めても良い。私には、そんなことより、涙を流して喜ぶ人々の方が大事だったから」
「……わかりますよ」
私もおぼろげに覚えている。
薬師だった父に、涙ぐんで何度も頭を下げていた人たち。
私はそれに憧れて、薬草の種類だけは何個か覚えたりしたんだった。
「遅れてしまいましたが、来てくれてありがとうございます、フォストレアさん。私はクロエ、薬師見習いです」
「お招きいただきありがとうございます。私は癒しの女神、フォストレア。クロエさんのお噂は信徒を通じて聞かせて頂いています」
ぺこりと頭を下げ合う二人。
丁寧で柔らかい人だ。
とりあえず話す限り歪みは感じない。
「フォストレアさん、率直に聞かせて下さい。あなたとフォストレア教は今、どんな状況なんですか?」
尋ねると、女神の表情が曇る。
再び伏せてしまった顔、その視線の先で、再び風景が移り変わっていった。
次に浮かんだ光景は、フォストレア教皇国の皇都。
それもかなり古い。恐らくは建国直後のだろうか。
「初代教皇メイエンは、私で稼いだお金で国まで興し、私に言いました。癒しだけでは足りぬ、国を作り、民を守らねば、と」
皇都には王冠を被った厳つい大人が立っている。
あれがメイエン教皇。稼ぐだけでなく国まで興したとなればかなりの敏腕だろうか。
彼が神官の筆頭となり、フォストレア教を大きくしたのだろう。
「当時、昇神後も顕現したままで人々を癒し続けていた私は、増え続ける患者と救えずに死なせてしまった人たちに追い詰められ、自分の無力さを呪う日々でした。神に成れば救えるはずだと安易な力に飛びついて、それでも足りなくて、絶望していたのです」
移り変わる風景の中で、過去のフォストレアさんは必死で人々を癒し続けている。
でもその数は減らず、増え続けていく。
神官たちも手を尽くしているはずなのに。
「国を興すと言ったメイエンは正しかったとすぐに思い知らされました。
あの頃の人々は皆疲れ果て、生きるために必死でした。だから怪我を負い、病に罹ってしまうのです。
生活を豊かにしなければ。その為には民の生活を守る国が必要でした」
景色は更に移り変わり、国が豊かになっていく。
それにつれて、人々には笑顔が増えた。
フォストレアさんは疲れ果てた顔で、それでも頭を下げて礼を言う人々に笑顔で返していた。
それも長くは続かない。
国が栄え、民の生活が安定し始めても、患者は減らなかった。
それどころか増えていった。
国外から次々と『癒しの権能』を当てにして人が集まってきていたのだ。
また救えない事が増えていく。
だけど、国は繁栄していった。
癒しの代価として多額の献金を受け取っていたから。
「神に成り、国を興してもなお、人々を救うには足りませんでした」
もう十分でしょう。とは、言えなかった。
風景の中のフォストレアさんはどんどん痩せこけていった。
メイエン教皇がどんどんと華美になっていくのに、フォストレアはいつも血濡れの白衣ばかり。
神でなければとうに衰弱死していただろう。
この頃にはもう、人々の感謝の声を聴く余裕すらなくなっていた。
「そんな私にメイエンは神域へ昇ることを提案しました」
救えなかった人を前に涙を流すフォストレアさん。
その後ろで、メイエン教皇が笑いながら提案する。
まるで悪魔のような教皇に、しかしフォストレアさんは乗せられてしまったのだ。
「神域に昇ると何かあるんですか?」
神様は神域に上がったが、半分降りてきている。それが信者にしか見えない半透明状態の「あれ」だ。
顕現と違って信者以外と接触できない。
それでも半分神域に浸っているのには何か理由があるんじゃないかと思っていた。
「はい。神にとって最も重要な、意識の拡張が起こります」
「拡張……」
「肉体に囚われず、意思を解き放ち、信仰を寄る辺に世界という大海に溶け込む。
そうしてようやく『概念』と成り、人の身を脱したと言えるのです」
そうする前の私はただ強い力を持っただけの人間と変わりませんでした、とフォストレアさんは言った。
肉体に留まり続ければ、見るのも聞くのも肉体に依存してしまう。
目が無くても見、耳が無くとも聞く。それが神。
神はもっと遠くを見渡し、広くを聞き取り、不覚に触れなければならない、とは、私の神様の言葉だ。
「メイエンの助言は決して的外れな物ではありませんでした。それでも人々を置いていくことを不安がった私に、メイエンはこう言ったのです」
――それならば、神の力は全て私共に預けて行かれるが宜しい。貴方様の帰る時まで、必ずや民を守り抜きましょうぞ――
「それが、私を騙すための言葉だったのかは今も分かりません。
ただ、その言葉を信じ全ての力を預けて神域へ向かった私は、気付けば帰れなくなっていたのです」
予想は、半分ほど合っていた。
健康とは無縁の精神状態で、常に追い詰められていたフォストレアさん。
そんな彼女に『安価な薬』を差し出した者が居た。
追い詰められていた彼女は、自らの意思で、その薬に手を出してしまう。
そして、帰ってこられなくなった。
「……それは、信仰のせいですか?」
「はい、おそらく」
神は概念。信仰は力にもなり、歪みにもなる。
大聖堂で聞いた「フォストレアは大神に至るため神域を昇った」という話、あれを信者たちが信じてしまえば、フォストレアさんは大神になるまで帰れなくなったとしてもおかしくない。
その後で歪んだのか、帰還不能がそもそもの計画通りだったのか。
とかく、女神不在が長引くほどに、フォストレア教は歪められていった。
「明確に帰還の妨害が生じたのは後世です。私の顕現を禁ずると、教典に追記されました」
「ああ、それは……」
やはり女神の帰還は神官たちにとって都合が悪かったか。
彼らが欲しいのは女神の力だけ。それが手元に有るのに、持ち主の帰還なんて不都合に決まっている。
「でもそのおかげで『力』と『意思』は切り離されたまま、なんですね?」
私の問いに、女神が頷く。
これが、歪んだ信仰の中で、女神が歪まずにいられる理由。
神官たちが必死で遠ざけていたからこそ、結果的に女神の心は歪まず純粋なままでいる。
「ですが……」
女神の表情が、曇った。
「貴女はゼノロスによくして下さいましたね。
私もあの子を通じて、私の信徒たちがどうなっているのかを知りました。とても、とても、許しがたい事です」
「そう、ですね」
それでも救われる人は居る。……なんて事は、きっとフォストレアさんが一番知っている。
他ならぬフォストレアさん自身が「神官が暴走したとしても、でも救われる人がいるなら」と思い、我慢してきたのだろう。
気付けば女神はボロボロと大粒の涙を流していた。
「ゼノロスは貴女に頂いた薬を飲んですぐに眠りました。
よほど疲れていたのでしょう。昼寝のつもりが、夜までぐっすりでしたね。
私の生きていた時代と違って、あんなによく効き、毒の無い薬が有るなんて知りませんでした。
それに、たった数時間ぐっすり眠っただけで、あんなにも前を向けるのだということも」
「知らなかった……」
やっぱり、フォストレアさんは不健康なまま神に成ったんだ。
神に成って歪められたんじゃない。子供の頃から都合よく歪められ続けていたんだ。
薬も、睡眠の重要性も、何も知らずに育てられた。
いや、そんなものじゃない。
改めて夢の中の風景を思い出す。
彼女は、あの子は、子供のまま酷使され、子供のまま神に成った。
神に、成ってしまったんだ。
もうフォストレアさんは生きることも死ぬことも出来ない。
大人に良いように使われ、人を癒すだけの概念となった。
歪むことはあっても、もう、「ただの女の子」には戻れない。
人としての幸せは二度と取り戻せない。
神々は人を見捨てた。
人を神域に召し上げないからだ。
――なんて、どうして考えてしまったんだろう。
フォストレアさんを見れば一目で分かる。
神は、人の供物だ。
人が救われるために造り上げられた人類救済装置だ。
神が人を救っても、人は神を救わない。
救わないし、救えない。
救いようがないからだ。
泣き続けるフォストレアさんを見て、私は今更怒りが込み上げて来ていた。
魔法を切った影響もある。けどこの怒りは、抑え込むべきじゃない。
私はそれを噛み締めるように拳を握った。
「あの子は、宗派分けを考えているようです。
癒しの力は授からずとも、私の意志を受け継いで、人の身で出来る範囲で人々を癒していきたい、と」
だからあの子はもう大丈夫、と、泣き顔のままにっこりと笑う。
「あとは私の問題です」
その言葉は、子を見送る親のようだった。
ゼノロスさんと一緒に行かないのか、とは、聞けなかった。
そんな自由がない事は分かっている。
それ以上に、フォストレアさんが『逃げられない』ことを知っている。
フォストレアさんは知ってしまった。
私を通して、世界の現状を。癒しの女神が居なくても人類は幸せに暮らしているという現実を。
そして私も知ってしまった。
やっぱりこの国は『癒しの神秘』以外の治療行為を拒んでいた。
医学・薬学の進歩を阻害し、健全で大衆的な『医療』を排除する、『フォストレア教』こそが人類の敵だと。
高価な薬?
安価な薬?
とんでもない。
こんなものは、ただの『麻薬』だ。
「……覚悟決めたんですか?」
「はい。今と未来、両方癒したいですから」
笑う女神。
涙は止まらない。
知ってしまった以上、この子は決して止まれない。
諦められやしない。
例えどれだけフォストレア教が腐っていても、この子の心だけは『本物』なんだから。
大人たちに都合の良い性格。
悍ましいはずなのに、当の本人はどこまでも健気で美しい。
気が付けば、私もぼろぼろと泣いていた。
だから私は、踏み込んだ。
「フォストレアさん。実は私には三つの極めた魔法が有るんです」
言って、フォストレアさんの手を取る。
驚いた様子の女の子は、涙目をぱちくりとしばたかせた。
「『神降ろしの魔法』と『意思疎通の魔法』は、分かりますよね?
今、夢の中でフォストレアさんと会えているのも、他国出身の私が問題なく会話できているのも、この二つの魔法のおかげです」
「はっ、はい。便利だと思います……」
そうでしょうそうでしょう、とニコニコの私。
涙は止まらないけれど、それでも笑う。
フォストレアさんに、知ってもらいたいから。
「そして最後、三つ目の魔法、『復元魔法』」
言うと、フォストレアさんが目を伏せた。
そうだよね、知ってるよね。
きっと私を通して、私の過去を知ったはず。
全部じゃないとしても、きっと部分的でさえ『復元魔法』の恐ろしさは分かるだろう。
人の手に余る、決して手の届かない『癒しの魔法』。
それと同じで「人には扱えない魔法」とされながら、全く別の意味を持つ。
人の手に負えず、決して手を出すべきではない『復元魔法』。
世には『復元魔法』の使い手がいる。
その人たちは修理屋や修繕屋を営み、例外なく「無生物」のみを復元する。
私と師匠は違う。
対象は自分と、自分の魂が通う愛用品だけ。
それでも私たちは禁忌とされた魔法を習得し、極めたのだ。
何回も、何万回も、自分の身体をグチャグチャに破壊しながら。
「肉体って全部繋がってるらしくってですね、部分的な復元は肉体の断裂を引き起こすんです。
無生物でもそれは同じで、だから復元士は全体を復元するんですけど、それも生物には出来ません。
設計図になる魂が生命活動に伴い常に変化しているから、らしいです。
書き換わり続ける設計図を基にして復元すると、どうしても『ブレ』が生じて、部分復元と同じように断裂が起きちゃうんです」
説明しながら、実際に使って見せる。
右腕の部分復元。使った瞬間、復元した部分としてない部分の境目で腕がわかれた。
全身の全体復元。使ってしばらくすると、肌がどんどん変色して、血を吐いた。脳もぐちゃぐちゃだから夢の中じゃなきゃ即死してる。
「どうして……」
「どうもこうも努力あるのみです。
何度も何度も復元して、失敗して、治療して。
師匠は全部ひとりで成し遂げたっていうんだからすごいですよね」
「そうじゃ、ないです」
ちょっと師匠自慢を挟んでみると、フォストレアさんが首を振って否定した。
フォストレアさんの手を握った私の手を振り払い、今度はフォストレアさんが私の手を握る。
「どうしてそこまで頑張れるんですか? どうしてそこまで抗えるんですか?」
こんなに、こんなに痛くて苦しいのに、と。
フォストレアさんが、ぐちゃぐちゃになった私を『癒しの権能』で治してくれる。
夢の中だから平気なのに。
って、ああ。そうか。
私って信者扱いだから、私の『痛み』をフォストレアさんも感じ取ってしまうのか。
私は平気でもフォストレアさんは違うんだった。悪いことしちゃった。
「どうして、神に縋らなかったんですか?」
「……」
フォストレアさんの手が、震えていた。
神に縋る。
それは、一般的な意味だけではない。
神に縋るの意味は二つ。神に救ってもらおうとするか、神に成ることで力を得ようとするか。
フォストレアさんは神という力に縋った。
私は縋らなかった。
その違い、その理由は、単純だ。
「私が救いたかったのが、その『神』と、『神の如き者』だったからです」
神様と師匠。
あの二人は神なんかじゃ救えないから、神に縋らなかった。
ただそれだけだった。
私には『安価な薬』さえ見つからなかっただけなのだ。
「クロエさん……」
握られた手が、更に強く握られる。
重なった手の上に、二人の涙がぽたぽたと流れ落ちる。
救いようがない者を、それでも救いたいがために。
きっと私たちは似ているんだ。
「だから、何でも言ってください。
頼ってください。
私はきっと、神様の力にだってなりますよ?」
とびきり明るく言い切って、私は渾身のウインクを決めた。
涙がパチッと弾けたのは内緒だ。
自らを救おうとしない者は、神であっても救えない。
私もまだ、救えない人を救う力はない。
でも、差し伸べた手を取ってくれるのなら。
私は、
「クロエさん」
「はい!」
「私を――」
どうか私を、
――殺してください――
と、フォストレアさんは口にした。
「――任せて」
私は、握ったままの女神の両手に、力を込めて返した。




