百九十四:命の魔法、仕組まれた物語
「やっと終わったー!」
「とっきーおつかれー」
十月の終わりに差しかかった頃、中間テストの代わりとして抜き打ちテストをツクヨにされたのだ。
結果として、ツクヨが教室を後にした瞬間、常和は気が抜けたように腕を上にあげていた。
清は灯と勉強していたのが功を奏してか、四苦八苦することなく、凡ミスがない限りは心配ない状態である。
清はゆっくりと椅子から立ち上がり、机に這いつくばる常和へと近づいた。
「常和お疲れ。どんな感じだ?」
「鬼か!? 思い出させないでくれよ、訪れた休息を楽しみたいじゃないか!」
「日頃の行いだろ」
常和は苦笑いしながら立ちあがり、窓辺の方へと近寄り、窓を開けて風を感じていた。
常和の様子から見るに、抜き打ちテストをされると思っておらず、よっぽど疲れているのだろう。
平然としている灯と心寧の次元が違うだけで、本来であれば常和の反応が普通なのだろう。
清自身、努力の合間を縫って勉強に取り組んでいた分、感覚が変わっていたのかもしれない。瞑想を多くしていたのもあり、集中力が以前よりも向上し、細かな精神切り替えを出来るようになったのだから。
小さな積み重ねが結果として出るというのは、嬉しい事この上ないだろう。
ふと気づけば、清が自席に戻ったのを合図にしてか、心寧が灯を引き連れて近寄ってきていた。
「そういえば、まことーは努力の具合どんな感じ?」
「魔力感知の範囲を限定できたのと、魔法のブレを無くせたくらいかな」
「相変わらず、とっきーに勝るとも劣らない天才肌だねー」
何故か心寧が呆れたように言ってくるため、清は首をかしげるしかなかった。
十月の中旬から下旬にかけて、清は魔法に力を入れ始めていたのだ。
いくら魔力の制御や極められるようになったとはいえ、魔法を打つ、という感覚は別物に過ぎないのだから。
清は常和と軽い模擬試合を幾千と重ね、課題であった魔法を打つ際に平均以下の力になるという現象を克服している。
魔力の流れを理解し、自然的に身をゆだねられるようになったおかげだろう。
常和や心寧、灯が居たからこそ、清はここまで上り詰められたと実感している。
「ふふ、努力が実っていますね」
「灯、ありがとう」
「お二人さんの笑みって、焼け野原製造機だよなー」
「とっきー焼きもち?」
常和が窓の方から聞いていたのか、灯と清の会話に胸やけを起こしたらしく、むず痒そうに苦笑していた。
清と灯がはっとなれば、心寧が「気にしなくても大丈夫だよ」と言いつつ、後ほど常和にご褒美を上げると言っていた。
灯とはいつも通りの会話であるが、常和から見た灯と話している清は『めちゃくちゃ柔らかいんだよな』と言っていたので、それが原因だろう。
清に自覚がないとはいえ、傍からすれば甘い空間に見えるのかも知れないのだから。
常和の方を見た時、カーテンが風になびいて揺れを見せ、時間の流れを伝えてきていた。
「あれから気になっていたんだけどさ、命の魔法、って結局何なんだ?」
「清くん、聞いてないって言っていましたよね」
「灯は聞いたみたいだけど、俺は本当に聞いてないからな」
心寧は常和が教えているとばかり思っていたのか、常和の方を驚いた様子で見ていた。
常和は気まずくなったようで、目を泳がせ、苦笑いしながら外の方へと目をやっている。
そんな常和に呆れてか、心寧はため息一つこぼしていた。
「まことー頑張ってるみたいだし、うちが教えてあげるね!」
「心寧、ありがとう」
「ふふ、良かったですね」
心寧は喜んだように手で音を鳴らし、表情に笑みを浮かべていた。
清としては、命の魔法を知るという行為そのものは、弟である紡に近づく道標であると思っている。
いくら魔法や知恵があったとしても、その者の覚悟や本質、感情を知れなければ偽善者に過ぎないのだから。
清が感謝をすれば、心寧は息をそっと吸って、真剣な雰囲気を創り出していた。
「基本的な話からになるけどね……『命の魔法』って言うのは、本来の魔法と違って、魔石を通さずに使う禁忌の魔法なの」
「魔石を通さず……禁忌の魔法?」
「うん。絶対とは言えないけど、古くから伝わる消し去られた魔法の一つで、強い信念と覚悟が無いと扱えない魔法とされてるの」
清は気づけば息を呑み、のめり込む様に聞き入っていた。
紡と拳を交えたことがある清からしてみれば、心寧から明かされる事実は共感せざるを得ないのだから。
魔法を使わずに身体の力だけで勝負してきていたのも、魔石を通さないとなれば納得しかなかった。
魔石は魔法陣を経由する役割を持つような代物なので、魔法陣を使わないとなれば、魔力そのものを帯びた拳を振るうしかないだろう。
「この先は嘘であってほしい歴史なんだけど――清、聞く覚悟はある?」
「……知るためだ、教えてくれ……教えてください」
灯は清の様子に異変を感じたのか、寄り添うように手を握ってきていた。
受け止めると決めた以上、進むしか道が無いのも事実だ。
「命の魔法はね、命を対価に爆発的な身体能力と魔力を自分勝手に得られるから……禁忌の魔法、すなわち『命の魔法』ていうの」
「命を対価に、って……」
聞き間違いであってほしかった。
心寧は、嘘じゃないよ、と言わんばかりにそっと横に首を振っている。
命が対価……その対価が示す意味は、清の憶測が正しければ寿命を指しているだろう。
歴史だとはいえ、爆発的な身体能力に魔力、その全てを清は身で実感し、強さを体験しているのだから。
また我がままに扱う力での上位互換であると言われた命の魔法が、ここまで奥深い魔法の歴史を隠していたとは、日常では知る由もないだろう。
気づけば、清は逆の手を握り締め、心寧の目を真剣に見ていた。
「心寧、救う方法は無いのか」
「命の魔法自体、星の魔石と関わりが高い歴史を持つ上、今話したのは事実かもわからないんだよ?」
「……それでも俺は、救う方法があれば知りたいんだ」
清は言葉を振り絞り、一つ一つの言葉を紡いでいた。
偽善者だ。エゴだ。偽りだ。今の清からすれば、その言葉全てがどうでもよく思えてしまう。
灯は心配してか、静かに背に小さな手を当ててきている。
ふと灯の方を見れば、透き通る水色の瞳はうるりとした様子でこちらを見てきていた。
清は、灯と心寧の視線で我を取り戻し、ゆっくりと息を吐き出す。
「……紡に命の魔法を使わせるようにしたのは間違いなく自分が原因だ。だけど、家族と縁を切ったとはいえ、あいつは、血を分けた兄弟だから、救いたいんだ」
「……清くん」
「あいつが魔法を忘れて、日常を過ごせるようにするためにも」
清がうつむいた顔を上げて言い切れば、心寧が手を鳴らしていた。
心寧は手を鳴らしているが、その表情は真剣そのものだ。
「救う、ね。その優しさは命取りになるけど、貫き通す覚悟はあるの?」
「ああ……俺の覚悟は、とっくの等に決まっているからな」
「清くんらしいですね」
暗い表情を消しさるくらいの覚悟で言い切ったのもあってか、灯は安心したように柔らかな笑みをこぼしている。
清は息を整え、澄んだ瞳で二人を見た。
「魔法に壊され、魔法に救われてきたから、魔法なら出来ると思うんだ」
「根拠のない自信だけど、前向きな清らしいね」
「私に出来る事なら手伝いますからね」
心寧は俯瞰した様子で聞いているが、心寧の事なので情報は提供してくれると清は信じていた。
魔法の庭という地を貸してもらっている分、これ以上心寧の手を借りるのは申し訳ないと思う気持ちはあれ、手がかりは心寧が握っていると思えるのだから。
どれだけ壁が高くとも、手を伸ばせば届かない壁はない、と言えるようにするためにも。
清が、紡に届かせられるように鍛錬しないとな、と思っているその時だった。
「――清さ」
不意に空気を裂くような鋭い声、その声の持ち主は――窓から俯瞰して聞いていた常和だ。
たった一言で圧をかけ、雰囲気を変えた常和から呼ばれた名は、明らかに今までとは違うと清でも理解できた。
けだるげでもなく、ただ真剣に言葉を口にしたと、直感が理解していたのだから。
常和は寄り添っていた窓から離れ、その場で直立して鋭い視線でこちらを見てきていた。
カーテンが風に扇がれた時、清は息を呑んだ。
「不誠実で迷いのある刃がさ、命の魔法を使うと決めた覚悟があるやつに、本当に届くのか?」
常和の言葉に、清は思わず足を一歩引いていた。
今までの常和からは理解しがたい、冷たい言葉は心に刺さる棘のようで、清は手が震えてしまう。
この時、太陽は半分雲に覆い隠され、教室に差し込んでいた光は暗さを呼び、常和の表情に光と影を生みだしていた。




