百九十一:君と過ごす夜に花を
(瞑想……やらなきゃよかった)
十数分後、清は顔を赤くして、今にでも呻いてうずくまりたくなっていた。それでも、灯にはこの場で座って待つと言ったため、息を吐き出すしかできない状況でいる。
清は瞑想をした結果、魔力の流れを感じとれると同時に、空気を面積として相手の形を理解してしまったのだ。
灯のお風呂を覗いたわけではないが、実質覗いたような形になっている。
清の気持ちには、行き場を失った後悔だけが渦巻いていた。
そうこうしているうちに、リビングの方へと向かってくる小さな足音が聞こえてくる。
「清くん、上がりましたよ。……本当にずっと瞑想していたのですね」
灯はリビングに顔を覗かせるなり、ここまでやるのですね、と言いたげな視線を飛ばしてきている。
清は意地でも姿勢と位置だけは崩していないので、灯は呆れたような笑いを浮かべていた。
(灯、本当に着たんだな)
そんな灯の姿は、清が選んだ白色のワンピースパジャマを着用している。またお風呂上りなのもあってか、わずかに露出した肌が血色のいい艶やかさを強調していた。
灯が片手を胸に当てる仕草であるため、薄青色の紐リボンがワンポイントとなり、灯の魅力を更に引き立てているようだ。
清は顔を隠すようにうつむきながら視線だけを灯に向けていたが、灯は清の変化を察知してか首をかしげている。
「清くん、顔が赤いようですが……大丈夫ですか?」
「えっと、これは、その」
「私は大丈夫ですか、と聞いただけで詳細までは聞いていませんよ?」
「だ、だよな」
「……もしかして、良からぬことを?」
清は自爆をする勢いで灯の言葉にはまり、言葉がくぐもるようだった。
灯は確かに詳細までは聞こうとせず、清の心配をしただけなので、これは耐性が欠如していた清の自業自得だろう。
灯はゆっくりと歩を進め、清の前に立って見下ろしてきている。
清は灯から出る妙な圧を感じ、しぶしぶと事実を口にした。
「えっと……瞑想をしていましたが……瞑想の中で灯の形を理解して、何と言うか、その、困っていました」
「……新種の覗き魔?」
そう言って首をかしげる灯に、清は慌てて横に手を振った。
「ち、違う! 俺が覗きをするわけないだろ! 灯の嫌がることはしたくないから」
「でも、ある意味で覗いた、のは事実なのでしょう?」
淡白ながらも鋭い指摘をしてくる灯に、清はぐうの音も出なかった。
不本意とはいえ、灯の体のラインを理解してしまった、という揺るがぬ証拠が清の中にはあるのだから。
ふと気づけば、灯は笑みを宿して清の頭を撫でてきていた。
小さな手の感触は、愛おしいほど温かな感覚で、清の気持ちに安らぎが注がれていくようだ。
「ふふ、清くんがそんなことをするような人ではない、と私が一番理解していますから」
「……灯」
「恥ずかしがる清くんは珍しかったのでからかっただけですよ」
清はむず痒さを感じつつも「心臓に悪いからかいはやめてくれ」と呆れるしかなかった。
「がっつかないのは安心もありますが、不安でもありますね」
と、灯は言って、くんくんするようにぎゅっと抱きついてきたので、清は静かに受け入れておく。
お風呂上りなのもあってか、灯の体はもっちりとした柔らかさに温かさを兼ね備えており、心地よさを感じさせてくる。
透き通る水色の髪は優しく揺れ、時の流れを伝えてきていた。
透き通る水色の瞳がこちらを見上げた時、星の明かりを宿しているのではないか、と勘違いするほど瞳は輝いていた。
柔らかな笑みを浮かべる灯に、清は思わず息を呑んだ。
「同じ匂い」
「ああ、同じだからな」
清は灯の言葉に共感して、灯の背をゆっくりと優しく撫でる。
灯はくすぐったかったのか、ぴくりと体を震わせ、もう、といった様子でこちらを見てきていた。
「湯冷めして風邪ひくのも良くないし……部屋、行くか」
灯がうなずくのを見て、清はそっと灯の手を取る。
お風呂上り後の灯と階段を上がる、という不思議な感覚を、今後忘れることは無いだろう。
灯が自身の部屋に持ち物を置いてきた後、清は灯の手を引き、自分の部屋の前まで足を進めた。
改めて灯を自分の部屋に招くと考えれば、若干のむず痒さはあるものの、清は決心して息を吐く。
灯は気にも留めた様子を見せず腕に寄り添っているので、清の部屋に入り慣れているのだろう。
部屋に入れば、普段の自分の部屋と何の変りもなかった。
ただ、今は灯がパジャマ姿で部屋に居る、という一つの幸せの予兆を除いて。
「なんというか、改めて考えると恥ずかしいな」
「ふふ、私は魔法世界でも夢が叶うので嬉しいですよ」
「灯らしいな」
魔法世界でも、というのは、現実世界で灯と一緒に寝たことがあるので、灯はそれを意味して指しているのだろう。
灯が安心して眠れるのであれば、清は自分をささげても構わないと思っているため、一応揺るがぬ精神を持っている方だ。
清はカーテンの隙間を気にも留めないようにし、自身のベッドの布団を避け、そっと座る。
「……入るか?」
灯の方を見て言えば、灯は何故かそわそわして落ちつかないようだ。
ふと気づけば、灯は後ろの手で何かを隠し持っているようで、清は不思議と気を引かれていた。
「灯、それは?」
「その、これですよ」
灯は小さく呼吸をし、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
そして清の隣に腰をかけ、隠し持っていたものを目の前に差し出す。
清の前に姿を現したのは、耳に花飾りをつけた白いうさぎのぬいぐるみだ。灯の腕にすっぽりと収まるくらいの大きさで、つぶらな黒い瞳に魅力のぬいぐるみとなっている。
清はそのうさぎのぬいぐるみに見覚えがあった。いや、見覚えが無いといけないもの、とでも言うべきだろう。
「私の大事なぬいぐるみです」
「灯の部屋にあるぬいぐるみって、やっぱりそれだったのか」
灯は小さくうなずき、うさぎのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめてみせる。
灯の瞳はうるおいを見せ、ちょっとした暗さを見せていた。それでも表情に出ないのは、過去を乗り越えているからかもしれない。
灯が見せてくれたぬいぐるみは、月夜が現実世界で行方不明になる前、灯にプレゼントとして渡していたものだ。
その直後に月夜は行方不明になったため、小学生の頃の幼い灯からしてみれば悲しみが大きかっただろう。
あの日に泣いていた灯を泣き止ませるのに、清が街中を巡ってヘアピンを見つけたのは、このうさぎのぬいぐるみから始まったのだ。
泣き止んだ灯がうさぎのぬいぐるみを月夜からプレゼントされた、と今の様にぎゅっと抱きしめながら話していたのを聞いたので、清は鮮明に覚えていた。
灯は今でも月夜が行方不明と思っているため、ぬいぐるみを見ては思い出してしまうのだろう。
清は寂しい過去に溺れてしまいそうな灯を見て、静かにそっと頭を撫でる。
撫でられると思っていなかったのか、灯は顔を上げ、じっとこちらを見てきていた。
「このぬいぐるみ、私の宝物です」
「うん、知っている」
清はそう返した後、ベッドの奥の方へと移動し、布団に足を入れた。
「灯、寒いだろうし、入れよ」
「うん」
灯は枕の頭、清との中心になる位置にぬいぐるみを置き、ゆっくりと清の方に寄り添ってきていた。
ぬいぐるみに見られている恥ずかしさが湧き出そうになりつつも、清は布団を手に取り、灯と一緒に入るように布団をかける。
ベッドが清と灯でおさまる広さであるため、灯とぴったりとくっつく距離感となっていた。
灯の体温を直で感じられる、そんな安心できる距離感。
「温かいです」
「灯が寒くないならよかった」
「清くんと居れば、寒くないですから。心から温かいですからね」
「ありがとう、嬉しい」
不器用な言葉を一つこぼし、清は笑みをこぼしていた。
灯は清の場所に居場所を見つけるようにもぞもぞと動き、居場所を見つけてか、うずくまるように胸に頭を当てていた。
そんな可愛らしい灯の仕草に、清は思わず鼻で笑う。
透き通る水色の瞳がこちらを見てきては、柔らかな笑みをその顔に宿していた。
「甘えん坊め」
「清くんにだけですから」
「俺も灯にしか甘えないから、そうしてくれ」
「素直ですね」
「灯の前だけだ」
顔を見合せ、気づけば二人で小さく笑い合う。
ふと上に視線を送れば、うさぎのぬいぐるみがつぶらな黒い瞳でこちらを見てきているように思えた。
まるで、幼い子が親の気まずさを見てくるような、そんな視線にすら思えてしまう。
「なんか、見られているみたいで恥ずかしいな」
「じゃあ、親は子を見て成長する、ということで」
それだと俺は捻じ曲がっているな、と清は言いたくなったが、今は言わないでおく。
この幸せを崩したくないのと、清自身、月夜や満星を親の様に見て成長したいと思えたからだろう。
自分の親が悪い、といって自分の罪を認めず、誰かを疑うような、そんな自分に清はなりたくないのだから。
清は、無力な自分でも変わることが出来る、と灯との恋を知って理解したつもりでいる。
自分が変わりたいと思える瞬間は、出会いや偶然で、唐突に舞い降りるのだから。
「灯、そろそろ電気を消しても大丈夫か?」
灯がうなずくのを見て、清は布団からそっと手を出す。
普段はリモコンで操作しているが、灯の前なのでかっこつけたくなって、指を鳴らして豆電球に切り替えてみせる。
暖色の色が部屋に明かりを灯し、穏やかな雰囲気を導き出していた。
その時、カーテンの隙間から月の明かりは差し込んでいたらしく、暗い部屋の中に青白い光を差し込ませてくる。
青白い光に灯は照らされ、見えていた透き通る水色の瞳は輝きを帯び、清の目に灯の笑みが尊く映りこむ。
(……久しぶりだな、この感覚)
清は思わず息を呑み込み、灯を更にぎゅっと手繰り寄せていた。
「灯と一緒に寝られて、よかった」
「ふふ、まだ寝ていませんし、夜は長いですよ」
「……あのさ」
灯が笑みを宿して言ってくるのを見て、清はそっと呟いていた。
灯のピクリと動いた振動は、気持ちを優しく撫でてきているようだ。
「はい、どうしました?」
「あの、灯が嫌じゃなきゃ……こうもくっついていると、俺は男だから、少しだけ触れたい」
「ま、清くん……お、お手柔らかに」
灯の震える声が残るうちに、清はそっと灯を求めるように抱きしめるのだった。




