百七十:目指すべき道の通過点
常和指導の下、ランニングを始めてから数日もすれば体は慣れるもので、今では走る楽しみが一つ増えていた。
灯と話して過ごす毎日も退屈では無いが、大切な人を思う気持ちを乗せて向かう目標途中は、風に乗って進む希望のように清は感じていた。
また、灯や常和の協力あって達成すべき目標に向かえているため、一人個人の力だけは無いのが続く秘訣として存在しているのだろう。
そんな温かな思いに更けている清は現在、家でソファに座って休んでいた。
昼下がりの時刻なためか、気づけばうたた寝してしまいそうな陽気が存在を放っている。
(……努力していることを過去の俺に言ったら、きっと信じないだろうな)
清が座ったままそっと背伸びをした時、音も気配もなく、目の前に紅茶の入ったマグカップが差し出される。
持ち手から離される小さな手を目で追えば、透き通る水色の瞳を輝かせながらこちらを見ている灯の姿が目に映りこんだ。
灯はもう片方の手に自身のマグカップを持っており、水面に波を立てないような自然な動作で、清の隣に腰をかける。
ふわりと透き通る水色の髪が地に舞い降りる時、灯は柔らかな笑みで口を開く。
「清くん、走り込みには慣れましたか?」
「ああ。慣れたけど、本気で走る常和には追い付けないから、俺もまだまだ頑張らないとなって」
「ふふ、頑張り屋さんですね」
「見えないところで努力している灯には劣るよ」
灯は「他人との努力に優劣をつけちゃだめですよ」と小さく微笑みながら清に注意をし、ゆっくりとマグカップに口をつけていた。
清は灯をうっかり怒らせてしまった、と思ったため、気づけばそっと息を吐きだす。
灯が和らぐ笑みを浮かべながら飲んでいる姿を見て、清もテーブルに置かれたマグカップを取り、静かに口にする。
灯の紅茶は、清の心を緩やかに癒す効果があるのか、さっと撫でるような香りに力が抜けるようだった。
「まあ……お二方とは生まれた環境が違いますし、追いつくのではなく、自分の目指すべき方向に行くための通過点として考えてみてはどうですか?」
「確かにその考えもありだな」
清は目標を決めればそこに向かって努力をしていくタイプのため、灯の言葉はおもむろに心へと囁いてくるようだ。
清は清であり、他人は他人である事を考えれば、その人に近づくことが出来ても、その人になれないのと同じだろう。
ふと清は自分の手を見て、ぎゅっと握って拳をつくっていた。自分が自分である、といった確信を欲しがってしまったのだろうか。
「……人に頼るという恵まれた環境が清くんにはあるわけですから……ただがむしゃらに努力をするのもいいですが、先人のやり方を見て、自分にあったやり方として改良していくのも一つの手ですよ」
灯はそう言って、マグカップに入った氷を小さく響かせている。
清自身、灯の言葉に救われているため、静かに聞き耳を立てていた。
ふと気づけば、灯はマグカップを清のマグカップに寄せるようにテーブルに置き、そっと清の手を包み込んでくる。
「一応言っておきますが、先導者の真似事だけで強くなれたりするのは、お門違いってものですよ?」
「そうなのか?」
「真似することを否定するわけではありませんが……先導者が新たな開拓をして、皆が真似をして広まっても、皆が受け入れやすい形となった二番煎じの効力があってのものですから」
「二番煎じ……俺の魔力覚醒が心寧の真似だから何も言えないな……」
「でしょう? 先導者にあったオリジナリティは一度きりですから」
久しぶりに聞いた灯の毒舌に、清は苦笑するしかなかった。
灯の言っていることはもっともであり、いくら凄い技や仕草を真似ようとしたところで、そこに至るまでの道のりは先導者が築きあげたからこそ出来たのだから。
だからこそ清は清にしか出来ない、灯を守るための力を欲しているのだろう、と改めて思わされるようだ。
灯は清の手を包んでいた手をゆっくりと離し、テーブルにいつも置かれている灯が持参している本を撫でていた。
「読んでいるだけの私が言うのもなんですが、小説や漫画だってそうです。最初は受け入れてもらえなかったのに、いざ受け入れられて人気になったかと思えば、真似たようなオリジナルが他者から量産されるのですから」
「はは、まあ……似たような物が出回っているのは、事実だよな……」
灯がありとあらゆる本を読みつくしては積んでいる。そのため、今では庭に灯専用の本置き倉庫を設置しており、説得力が群を抜いて違っているようだ。
タイトルだけを見てとやかく言うのならともかく、内容まで目を通しているのだから尚更だろう。
清は不安な空気を感じてしまい、気づけば話を逸らしたくなっていたため、何かないかと目を泳がせていた。
清が首を不自然にかたむけているのもあってか、灯は小さく笑みをこぼしている。
「あ、そう言えば灯、魔法の庭の手伝いの方はどうなんだ?」
灯は清と違い、少し後から手伝いを開始したため、話題に上がる機会が無かったのもあって清は気になっていたのだ。
灯は清の質問に不意を打たれたような表情をした後、そっと天井を見ながら、ゆっくりとマグカップを手に取る。
灯の小さな手に包まれたマグカップは、物質であるのに嬉しそうな感じを氷で伝えてきていた。
「今は魔法の庭の自然管理に、環境の調査を心寧さんに教えてもらっていますね」
「管理に調査か、大変そうだな」
「ふふ、慣れれば早く済みそうですよ」
灯が笑みで言い切るため、苦とは思っていないのだろう。
灯が嬉しそうな笑みを宿しているのもあり、清はついつい灯の頭に手を伸ばし、気づけば撫でていた。
灯は嬉しそうに頬をとろかせ、ゆったりとした表情で目を細めている。
灯の頭を撫でている時、清はふと気になっていたことを思い出した。
「そういや、最近灯から甘い匂いがするのはそのせいか?」
「え、えっと……魔法の庭で花に触れるのが多かったせい、でしょうか、ね……」
灯は何かを誤魔化すように首をかしげているため、清は不思議でならなかった。また、言葉が不自然に途切れ途切れだったのもあり、尚更気になってしまうだろう。
清が灯の頭から手を離して瞳を見れば、目を逸らすように灯は持っていたマグカップの中を覗き込んでいる。
(まあ、知らぬが仏か)
灯が何をしていようと束縛をする気はないため、清はこれ以上深入りする予定はなかった。
灯は清に深入りする意思がないとはいえ、灯自身話したことが気が気では無かったのか、恥ずかしそうに両手で頬を抑えていた。
そして灯は「そう言えば、明日から新学期ですね」と言ってくるため、どうにかして話を逸らしたいのだろう。
「明日か……四人で学校生活を送れるのは良いけど、運動や魔法、勉強も今まで通り頑張らないとな」
「ふふ、私は明日の九月一日が一番楽しみですよ」
「そうなのか」
灯に理由を聞けば「どうしてでしょうね」と言ってくるため、話す気は無いのだろう。
無理強いをして聞く気が無い清は、笑みを宿している灯を嬉しく思いながら、ゆっくりと紅茶を飲み干した。




