百六十:希望、それは、絶望の色に染まる時
最終日となり、朝ご飯を食べ終えた後、清は荷物の確認をしていた。
入った当初は何もなかったこの部屋に、今では自分用のベッドと、小さなテーブルと椅子が置かれ、過ごした日常の痕跡を見いだしているようだ。
現在、部屋を隔てるふすまは開き、灯の部屋との繋がりをみせている。
(……心残りがあるようで、それでいて無いのかな)
清は心に突っかかるような事があるものの、静かに胸の内へと飲み込んでしまう。
清の近くに寄ってきている灯は、清の様子を気にしつつも、忘れ物が無いか確認を済ませていく。
秒針の音だけが、刻一刻と迫る、現実世界との別れを告げてきているようだ。
お互いに持ち物の確認を終え、一階へと下りていく。
灯と一緒にリビングに行けば、満星が椅子に座って待っていた。
満星は、清と灯の姿を視認するなり、立ち上がってこちらへと近寄ってくる。
そして、二人の高さに腰を下ろし、抱き寄せるようにして二人を同時に抱きしめた。
母親の温かさという花が咲くように、満星は言葉をこぼす。
「出来る事なら……本当はもっと一緒に居たかったわ」
膝から崩れ落ちるように吐き出された言葉に、清は灯と顔を見合わせる。
灯は満星の姿を見てか、そっと満星の頭を撫でていた。
「満星さん、実家だと思って、また来てもいいですか?」
「お母さん、世界は違えど、気持ちは変わらないままだから。涙の別れは辛いから、私は最後まで笑顔でいるからね」
「本当に、子どもは見ないうちに大人になっちゃうんだから。馬鹿ね、私。ええ、またここに来るといいわ! その時は、二人がもーっと仲良くなった姿を見せてちょうだいね!」
受け入れてくれた満星に、清は涙を流さないようにこらえ、明るい声と笑みで感謝の言葉を告げた。
窓から差し込む明かりは、満星に抱きしめられているのもあってか、とても温かいようだ。
小さな約束を交わし、話もほどほどに「そろそろ外に出ましょうか」と満星の後押しもあり、三人で玄関へと向かう。
満星は、灯が魔法で道を創るのを含め、時間を気にしてくれたのだろう。
灯曰く『現実世界からの帰り道を創るのは時間がかかる』と言っていた為、満星が視野に入れてくれたのだと理解できた。
(……なんだ、この胸騒ぎは)
外に出ようとした時、ある違和感が襲ってくるようだった。
現実世界に来る条件であった、解放者、が未だに鳴りを潜めているのだから。
清は考えすぎだと理解しているものの、魔力探知を常時最大まで広げている状態だ。
魔法使いを襲った、となれば少なからず魔法は使えるだろう。
現実世界の魔力が複雑であるからか、砂嵐のような雑音すら感じてしまっている。
ふと気づけば、靴を履いた瞬間に立ち止まったのもあってか、灯と満星は不思議そうにこちらを見てきていた。
「清くん、どうかしましたか?」
「灯……解放者はさ、魔法を使えるのか知っているか?」
「そこまでは知らないですね」
「……私の知っている限りでは、魔法の本質は使えない筈よ」
灯は満星が知っているのに驚いてか、えっ、といったような表情で満星を見ている。
瞬時に満星から、噂を耳にした時に聞いた情報よ、と言われて灯は納得した様子だ。
満星がなぜ知っているのかは一番理解しているが、秘密事項も含めて口を慎んでおく。
「清くん、考えすぎですよ」
「そうか、な?」
「そうです」
自信満々に断言し切る灯に手を引かれ、外へと出る。
(考えすぎだったのか)
庭は愚か、道路沿いにすら人影もなく、聞こえてくるのは小鳥のさえずりだけだ。
考えすぎだった、と理解できたせいか、清は思わず息を吐きだしていた。
後から庭に出てきた満星に優しく背中を撫でられ、肩の力が抜けていくようだ。
灯の隣に立って満星を見れば、柔らかな笑みを見せてくる。
「灯、清くん、気をつけて帰るのよ」
「満星さん、お世話になりました」
「お母さん、本当にありがとう。また帰ってくるからね」
「ええ、約束よ」
三人で約束を交わせば、灯は庭の端へと寄り、足元に魔法陣を展開して見せる。
そして、静かに詠唱を口にした。
「星と星は――」
「――灯、危ない!」
「きゃっ!?」
灯が帰り道を創ろうとした瞬間の出来事だった。
音もなく魔法玉が灯めがけて飛んできたのが目に映り、清は反射的に灯の方へと駆け寄り、魔法玉を片手で宙へと弾いてみせる。
突然の出来事だったのもあり、元居た場所の土が抉られていることから、その場の混乱を物語っているだろう。
灯を庇うように前に立ち、魔法玉が飛んできたであろう位置に目をやる。
その位置――家の庭の前に、先ほどまでは居なかった、額に白い羽のマークが入った灰色のフードを着た集団が姿を見せていたのだ。
満星も現在起きた出来事に困惑しているらしく、驚いた様子を隠せないでいる。
「よく反応したな」
「これくらいでくたばられたら、ここまで泳がせた意味が無いだろ」
「お前ら、口は慎め」
見た限りで数十人と居る中、フードを着た人物の一人が前に出てきていた。
清は警戒しつつも、動揺している灯に小声で耳打ちをする。
「灯――家に魔法の結界をかけて、もしもの場合は夜のベールを創り出してくれ」
「え、どうして……」
「理由は後で。それと、満星さんを家に避難させてくれ。仕方ないが、別れを惜しんでいる時間が無いみたいだ」
「……わかりました。清くん、無理だけはしないでくださいね。私もすぐに戻りますから」
灯との相談を終え、清は目の前に出てきた人物に目線を戻し、鋭い目つきで圧をかける。
初対面の相手に不本意であるが、灯に手をかけようとした時点で、致し方ない対応だろう。
清からしてみれば、少しでも反応が遅れれば、大事な存在を傷つけられたのだから。
フードの人物はこちらが見たのを合図と受け取ってか、言葉を口にする。
「黒井清に星名灯、星の魔石使いだな。魔法世界に帰らず、我々、解放者と一緒におとなしく来てもらおうか」
「解放者、お前らは何者だ? それと、なぜ俺と灯の事を知っている?」
「質問するより先に、答えたらどうだ? 来るのか、来ないのか?」
緊迫した空気の中、灯は足元に魔法陣を展開した状態だったのもあり、性質を変えて家に結界をかけたようだ。
灯が家に結界をかけた以上、後は満星の安全確保だけであるため、時間を稼ぐ必要は無いだろう。それは、一言だけで理解できたからだ、彼らは正気で無いと。
「悪いが、得体の知れない存在と一緒には行けないな」
「そうか、交渉決裂か――ならば、力づくでも連れていくまでだ!」
一つの区切りを合図に、各々が一斉に動き出す。
解放者は集団で魔法玉を構え、こちらを標的にして一点に集中しているようだ。
一点に集中しているのもあってか、灯は瞬時に見抜き、満星の方へと駆け寄り、魔法陣を手に展開する。
灯が満星を保護したのを確認し、清は一気に息を吐きだし、目の前の相手に集中して見せた。
「――魔力シールド展開」
魔力シールドは、清の身体に纏うように渦巻き、透明と化した。
「全員、標的黒井清、容赦なく打て」
「う、嘘だろ。――魔法の壁」
一瞬の動揺は見せたが、灯と満星を守るようにし、横一線に大量の魔法の壁を創り出す。
灯は見計らってか、夜のベールを無詠唱で生み出し、その勢いで満星を家へと引き連れていた。
解放者は魔法玉らしきものを打っているらしく、守りゆく魔法の壁は激しい音を立てている。
風は泣き、地面は揺れ、太陽は雲へと姿を隠していた。
灯は家だけではなく、庭にすら結界をかけていたのか、庭は現状を維持し続けているようだ。
(……魔力シールドを展開しないって、何なんだ)
心の隙間に生まれた動揺は、魔法世界では当たり前だと思っていた魔力シールドを、解放者が誰一人として使用しなかったからだ。
魔力シールドがあったからこそ、魔法世界では誰一人として犠牲者が出ていなかった。だからこそ、困惑するしかないのだ。
魔力シールドを展開しない生身の体を魔法で攻撃するというのは、悲劇を生み出すのと同意味なのだから。
過去に力が弱かったとはいえ、清は他人を魔法で傷つけた記憶があるからこそ、手が震えるようだった。
過去と同じ悲劇を繰り返したくない、と心が叫んでいるようだ。
解放者はこちらの事情を知る由もないため、今も尚、鳴りやまぬ音と地響きを生み出すような魔法玉を打ってきている。
防戦一方であれば、灯の結界が崩れるのは愚か、魔法の壁が壊れるのも時間の問題だろう。
魔法の壁で侵入を拒んでいるものの、刻々とヒビが生えるような音を立てている。
(考えろ……相手を傷つけず、魔法を使う方法を)
解放者は、魔法の壁の一点に魔法玉を集中し始めたのか、重く険しい砕ける音が鳴り響く。
そんな中、清は意識の海、魔力の泉に気持ちを静めていた。
偽善者と言われてもいい、相手を傷つけない方法を模索するために。
ほんの数秒の時間ですら、長い時間を与えてくるようだ。
今までの経験もあってか、一つの希望を見いだした。
「これしか、ない!」
清は両手に魔法陣を展開し、胸元に近づけ、一つの魔法陣へと変換する。
魔力覚醒をしていない状態での一か八かの賭けに出るため、魔法の壁を一瞬解除した。
(星夜の魔法――星粒【スターダスト】プラス魔力シールド――)
星粒に魔力シールドを合成し、魔法陣から無数の光の玉を放つ。
星粒は一点に集中した魔法玉を瞬時に消し去り、解放者の元へと向かっていく。
「ぐっ」
「ああっ!」
星粒は数名に当たり、まばゆい光と共に爆発音を立てる。
爆風が収まれば、魔力シールドを混ぜたのもあってか、直撃した数名は無傷で気絶しているようだ。
それでも、解放者は気絶した仲間に気にした様子も見せず、再度構えようとしていた。
数名気絶させたところで、相手は数十人といる集団だ。
また清は、魔力覚醒状態で星夜の魔法を使わなかったのもあり、息が上がっていた。
残留魔力からの回復明けなのもあり、体が無理に耐えかねていたのだろう。
(一対数十、って限度があるだろ)
心の中で疲れを見せ、息を上げて膝をついた――その時だった。
解放者の一人が「そ、創設者様!」と言った瞬間、解放者の集団は真ん中の道を開けたのだ。
開いた真ん中の道には、明らかに周囲と一線を画す、白いフードを被る人物がこちらに近寄ってきていた。
魔力の気配がない、ただの迫力だけに、清は息を呑んだ。
白いフードの人物は、こちらに近寄るなり、静かに見下ろしてくる。
「……おい、嘘だよな」
フードの中に映った素顔に、清は言葉を失った。




