百五十四:小さな悩みすらも混ざりゆく世界
灯とリビングに下りた後、清は満星の作ってくれた朝ご飯を食べていた。
朝ご飯は和食がメインとなっており、灯がよく作ってくれる味にそっくりとすら言える。
進める箸は小さな音を立て、開いた窓から入る温かな風が食卓を祝うように囲んでいるようだ。
清は朝の出来事を引きづっている感情があるものの、灯と満星と一緒に食べられる、というだけで心が落ちついていた。
一人で食べていたら美味しさを感じないのに、皆で食を囲んでいたら美味しく感じられる目に見えない魔法があるからだろう。
気づけば、清はご飯を口にしている際、満面な笑みをこぼしていた。
隣でチラリと見ていた灯や、正面から見ていた満星からは、微笑ましいような温かな視線が飛んできている。
笑みを携え黙々と箸を進めていれば、満星が思い出したように口を開いた。
「そう言えば、二人とも一緒に寝ていたのね?」
「え、あ――うっ」
「ま、清くん水を!」
満星から不意に落とされた爆弾により、何気なく食べていた清は喉に詰まりそうになり、灯が慌てて水を手渡してきている。
灯と昨日一緒に寝たのは事実であるが、満星がなぜそれを知っているのか、という疑問が脳裏を駆け巡るようだ。
灯も驚いた顔をしている為、満星に知られていると思っていなかったのだろう。
清はコップの水を飲みつつ、慌てふためく気持ちを落ちつかせていく。
水を飲んでいる際、満星が微笑ましいような視線を飛ばしてきている辺り、鎌をかけられたのだろう。
「冗談のつもりで言ったけど、本当なのね?」
驚きながらも嬉しそうな顔をして見せる満星は、灯との関係に何を期待しているのだろうか。
期待しているというよりも、これがいつも通りとすら錯覚させられそうだ。
「……お母さん、何で嬉しそうなの?」
「ふふ、娘が自由に成長していると思えば微笑ましいものよ?」
「灯のお母様……満星さん、本当に優しい人なんだな」
「超がつく程のポジティブ思考なだけですよ……娘としては誇らしい程の鏡ですけどね」
「あら! やっぱり、灯ったら清くんの前だと私にも素直なのね!」
満面な笑みを浮かべている満星を横目に、灯は呆れたようで、それでいて嬉しそうな表情をしていた。
小さなため息ですらも、この空間では雑音にならず、混ざりゆく世界の色へと変わっている。
平和な自然の中で生きる者は、優しさを当たり前のように受け取っている。だが、ここではその優しさ一つが好ましく思えるからだろう。
言葉に火を灯せば、人の心を温め、繋がりを生み出す産声となるのかもしれない。
この数日の中で、灯と満星と一緒に過ごす魔法のような世界を見たからこそ、清だけが感じられる特別な感情だ。
横で灯と満星が言葉に花を咲かせ続けていた時、灯が呆れたような表情をしつつ、話を逸らしていた。
「お、お母さん……今日の朝ごはんも美味しいよ」
「灯が珍しく起きてこなかったから、頑張って作った甲斐があるわ」
「満星さん、美味しいごはんをありがとうございます」
清がそう言えば「皆で食べるから美味しいのよ」と笑みで言い切る満星は、一人で食べる寂しさを知っているのだろう。
家族でする食卓に、小さな花を一つ添え、笑顔で話し合える。そんな至極当然のようで、当たり前のようなことですら、好ましく手を伸ばしたかったのかもしれない。
灯と一緒に帰省しなければ、自分は過去に捕らわれたままだったのだろう。
(……ありがとう)
命にありふれた世界で生きていく中、当たり前、とは何を指すのだろうか。清は心の中で、つくづく考えさせられた気がした。
そんな小さな悩みの種を一つだけ土に埋めた清を、灯は小さく微笑みながら見て、ゆっくりと箸を進めている。
朝ご飯を食べ終えた後、中庭に続く開いた窓の縁に腰をかけ、清は灯と一緒に花を眺めていた。
花を眺めていれば、目の前にはホースを携えた満星が、水のアーチを作って花に水をあげている。
跳ねゆく水しぶきは星のように輝き、子どものような若々しさを連想させてくるようだ。
「少し早いけど、清くんは現実世界……うちに来てよかった?」
水やりをしながら背で聞いてくる満星は、現実世界に居る残り日数を加味して聞いてきているのだろう。
残り一週間を切ろうとしているからこそ、話せるうちに声をかけてくれる満星は、誰よりも周囲に目を配っているようだ。
灯が自分に対して何気ない気配りしてくれていたのは、優しい親の背を見て生きてきたからだろう。
「来てよかったです。……おかげで、家族で生きていくことの大切さを学べましたから」
「それなら良かったわ。灯と清くんには、今後もたくさんの困難や幸せが待っているかも知れないけど……何か困ったことがあればいつでもうちに来るといいわ」
「何から何までありがとうございます」
満星が嬉しそうな声で「親として当然よ」と言ってくるため、自分も実の子どもとして見てもらえていたと受け取れ、気づけば清は小さな笑みをこぼしていた。
その時、清は隣で見ていた灯が悩んだ様子をしていることに気が付いた。
「灯、どうかしたのか?」
「ああ、いえ……解放者の件が気になって」
「そういえば、陰も形もないよな」
「お忍びで来ているわけじゃないですし、そこがどうにも引っかかるのですよね」
灯は小さく「ううん」と言いながら首をかしげていた。
灯の言っている通り、現実世界に行ける理由がすんなり通ったのは解放者も関係しているため、清も不思議でままならない状態だ。
その時、満星が水やりをする手を止めたようで、地面に水が落ちて音を立てていた。
こちらを見る満星の表情は驚きを隠せないでいるらしく、手がホースを持ったままピタリと止まっている。
「……二人共、解放者のことを知っているのね?」
「知っているというよりかは……魔法世界で噂になっている組織らしいです」
「お母さんも解放者について何か知っているの?」
満星は珍しく悩んだ様子を見せ、こちらをジッと見ている。
「いえ、知らないわ。……私の思い違いかしら?」
「お母さん、大丈夫?」
「大丈夫よ! この後、皆で買い出しにでも行こうかしらね?」
と、話を逸らす満星は、余り深入りされたくないのだろう。
解放者は現実世界でも活動していると聞いているため、満星も何かしらの噂を耳にしているのだろうか。
話の逸らし方や不自然な流れを清は直感で理解していた為、どうも腑に落ちずにいる。
清が眉間にしわを寄せていれば、隣から温かく手を包み込む感触がした。
ふと手を見れば、灯が小さな笑みを携え、こちらの手を両手で握ってきていたようだ。
「清くん、夜ご飯やお昼ご飯は何がいいですか?」
満面の笑みを咲かせて言う灯は、満星の事を特に気に留めていないのだろう。
「灯が作ってくれるものなら何でも嬉しいよ」
「もう……張りきって作っちゃいますからね」
「ふふ、灯ったらやる気満々ね」
微笑ましく温かな声で言う満星に恥ずかしくなったのか、灯は薄っすらと頬を赤らめていた。
清がそっと灯の頬を撫でれば、灯はやんわりとした表情をするため、気が落ちつかなくなっていたのだろう。
解放者の話は結局逸らされたままだが、この後に買い出しすると決まったため、清は灯と一緒に庭へと下りた。
そして、お花の水やりを手伝っていく。
悩みの種はそっと芽生えていたのか、現実世界で起きた出来事を振りかえさせるようだ。
(……俺の考えすぎだよな?)
ふと空を見上げれば、小鳥は空を低く飛び、太陽に灰色の雲が被さろうとしていた。




