百十四:君との間にある壁
翌日、清は自室でテスト勉強をしていた。
灯とは昨日話した通り、お互いに個人で勉強をすることになっていた為、朝ご飯を一緒に食べてから解散している。
勉強机に置かれた教科書や、灯から借りている参考書と向き合っているが、清はどうも落ちつかなかった。
灯から言われた『清くんを支えるためですから』という言葉が未だに脳内に残っているのだ。
考えすぎは良くない、と理解していていても、気を抜けばすぐに頭の中に浮かんできている。
清は椅子の背もたれに寄り掛かり、天井を見ながら、手を上にして持っていた黄色のボールペンを眺めていた。
(灯からこの世界で、初めてもらった宝物だよな)
ふとそんな事を思った自分に、清は鼻で軽く笑った。
思い出に浸るよりも、今も近くに灯という大切な人が居るのだから。
壁に挟まれていようが、同じ空間に存在している、という事実に変わりないだろう。
清は首を軽く横に振り、再度教科書などと向き合った。
灯に言われた言葉を自分の中から追い出すように、息を吐いて一つに集中する。
雑念として追い出し、今あるべき壁を超えるために。
ページをめくりゆく音と、ボールペンと紙の擦れる音が協和音となり、静かな部屋に旋律を奏でる。
集中していたのが功を奏したのか、近くにあった時計に目をやれば、針はお昼が少し過ぎたくらいを刺していた。
「……疲れた」
少しの雑念があったとはいえ、疲れを実感できる努力は良いものだろう。
ふと腕を上に伸ばした時、目の前の視界が温かな声と感触と共に暗闇に染まる。
「だーれだ?」
「灯」
「正解です」
そう言って灯が手を離せば、視界には光が差し込んでくる。
後ろを振り返れば、エプロンを着用した灯が立っており、頬を薄っすらと赤くしていた。
「お昼を作ったので呼びに来ました」
「ああ、いつもすまない。ちょうどキリも良かったし助かる」
「ふふ、じゃあ、行きましょう」
「そうだな」
灯は部屋に入ったのが恥ずかしかった、というよりも、目を隠して驚かせようとしたのが原因だろう。
誰かを故意的に驚かせるのが苦手らしく、こちらに仕掛けた灯自身が動揺しているようだ。
リビングに下りれば、テーブルにはオムライスが並べられており、優しい香りが鼻を刺激してくる。
いつものように、灯と相向かいで椅子に座り、互いに姿勢を正す。
「いただきます」
「いただきます」
食に感謝を込め、清はスプーンでオムライスを食べ進めていった。
また、美味しく食べる清の様子を、灯は微笑ましそうに頬を緩めて見ていた。
お昼を食べ終えた後、灯と一緒にソファ前にあるテーブルに集合している。
食べている最中に『午後は一緒に勉強しませんか』と灯に誘われて、今に至る形だ。
お互いに勉強は出来る方だとしても、清がつまずかないように、という最終的な地固めに近いだろう。
「清くん、どこか不安なところとかありますか?」
「……ここを詳しく知りたいかな」
「そこですね、えっと……」
知りたい場所を指で指し示せば、灯は自身のノートを開き、まとめているページを見せながら説明をしてくれている。
清としては、灯の説明はいつ聞いても理解しやすいため、天からの恵みと思えてしまう。
また、先ほどはエプロンをしていて気づかなかったが、灯は現在パーカーを着たシンプルな服装だ。そのため、目のやり場に困らないのは救いだろう。
灯を不埒な目で見ているわけではなく、心臓の負荷を考えて、の意味合いが大きい。
お互いに得意な範囲や苦手な範囲を教え合っていれば、気づけば数時間は過ぎていた。
「時間も良いですし、一旦休憩でも挟みますか?」
「三時だし、休むのには丁度いいか」
灯が「そうですね」と言えば、その場から静かに立ち上がり、キッチンの方へと歩いていく。
清も灯を手伝おうと思い、灯の後に続いた。
お茶と軽くつまめる茶菓子を用意してから、お互いにソファに着いた。
お茶を飲んで一息つけば、灯がこちらをじっと見てきている。
「灯、どうしたんだ?」
「あ、いえ……清くんの全体の順位が高かったら、ご褒美の質を上げようかな、と思いまして」
「ご褒美の質を上げる、って……」
心臓は鼓動を速く打ち、清は息を呑み込んだ。
以前のご褒美だけでも清はだいぶ追いつめられており、それよりも上となれば耐えられる自信は無いだろう。
「その順位って……誰基準だよ?」
「私の思う基準です。まあ、今の清くんなら、へましない限り心寧さんの下には付けますよ?」
「灯の下じゃないんだな」
「心寧さんは、私から見ても強敵ではありますから」
灯が保険をかけているのは、心寧が難関の壁になる、と予測しているからだろう。
現に前回のテストでは、灯と心寧が同率で一位となっており、清は手が届いていないのだから。
それでも、今回のテストはツクヨが作っているわけではないため、努力が結果を生むと理解しているからだろう。
手を抜こうと微塵も思っていなければ、あわよくば灯を抜かす気でいる。
「俺は今を頑張っていきたいし、灯にも手を伸ばして見せるからな」
「ふふ、楽しみにしていますね」
灯は余裕そうな笑みを浮かべ、幸せそうにお茶を飲んでいた。
いずれ思いを伝える、という遠回しの言葉は、恐らく灯に伝わっていないだろう。
ふと気づけば、灯が片方の手で清の手のひらを包み込み、指を絡めてきていた。
灯は知らないふりをしているが、赤くなった頬が真実を物語っている。
「そういや……灯が俺の時間を欲しい、って言った時点で、俺は二回ご褒美をもらえるよな」
「ば、馬鹿! サラッと言わないでくださいよ……もー」
清は「はいはい」と言って灯を宥めた。
灯のご褒美は清のご褒美であり、拒否する気は一切ない。お互いに幸せであれば、それで十分だから。
「休憩済んだら、ここ教えてくれないか?」
「ふふ、しょうがない人ですね」
小さく笑みをこぼす灯は、見ていて心が和らぐようだった。
一人で勉強するよりも、灯と楽しく勉強して、一緒に居られる今が幸せだからだろう。




