百四:君と答えの無い願い
休憩スペースに着き、清と灯は隣同士でベンチに腰を掛ける。
傍から見れば付き合っているのではないか、と思わせるような距離感だろう。
周囲に人が居ないからか、花畑に咲き誇るペチュニアの光景は、ベンチからでも綺麗に輝いて見える。
ふと隣に目をやれば、灯がふわりとした笑みを宿していた。
そして、灯の方に置いていた手を優しく包んでくる。いつも隣で支えてくれた、心が温かくなるその小さな手で。
花を揺らす風は、透き通る水色の髪をゆるやかになびかせた。
「灯、具合とか大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですよ」
「そうか……なら良かった。疲れたり具合が悪かったら早めに言ってくれよ」
「……清くんの優しさ、好きです」
灯から不意に呟かれた言葉に「そうかよ」としか言葉が出なかった。
気づけば清の頬は赤さを増して、湧いているような感じがしてくる。
風に揺れた葉がかさかさと擦れる音を立てる度に、くすくすと笑っているのではないかと思えてしまう。
自然というのは、嘘をつかない優しい存在だ。
清は温かくなりすぎた体内を落ちつかせるように、ゆっくりと息を吐き、軽く空気を吸い込む。自然的な動作であるのに、どこかぎこちないようにすら思える。
「そう言えば灯はさ、今は魔法をどう思っているんだ?」
「きゅ、急ですね……何かあったのでしょうか?」
「あ、いやそういう訳じゃないんだ……ただ、お互いに魔法は共通認識で嫌いだったけど、今はどうなんだろうって思ってさ」
灯は目をつむり、小さく首を傾げてみせる。
この質問は、ここで聞くべきでは無かったのかも知れない。だが、ここだからこそ聞いてみたかったのかも知れない。
一緒に見るこの花咲く世界で、今の魔法についての心境を。
魔法は確かにお互いを苦しめてきた。灯に救って欲しい、助けてほしいと言葉を出して頼まれるほどに。
本当の記憶が戻って聞く機会が無かったからこそ、知ってみたかった。灯という命の恩人を救えているのか。
最近の灯の様子からして、魔法を極端に嫌っているというのは無いだろうが、念のためでもある。
ふと気づけば、灯は透き通る水色の瞳でこちらを見てきていた。
灯の表情は柔らかく、黒い雲一つない。
「今は別に魔法を嫌っていません。だって……魔法があったからこそ心寧さん達に出会えて、清くんと一緒に過ごせている今という名の現実がここにありますから」
「灯……ごめ――」
灯の心境を聞いてしまった事を謝ろうとした時、灯は清の唇を右手の人差し指で触れてふさいでくる。
優しく柔らかな指が触れたところから、神経が刺激されるかのように心臓の鼓動を早くしてくる。
「清くんが謝る事ではありませんよ。いずれ私から話していたと思いますし、聞いてもらえて良かったと思っています」
「そ、そうか……なら良かったよ」
「ところで、清くんこそ今はどう思っているのですか?」
「俺も灯と同じ考えだ」
灯の言った通り、魔法があったから常和や心寧と出会えて、灯と一緒に過ごせている。それは、何事にも代え難い、運命に過ぎないのだから。
澄みわたる青空のようにどこまでも果てしない中で、最高の出会いだから。
灯と目を合わせ、お互いにくすりと笑みをこぼした。
幸せで笑い合える優しい世界が、ここには広がっている。
その時、灯は笑みをこぼしながらカバンの中をさぐり、水筒と紙コップを取り出した。
水筒から静かな音を立て、紙コップにお茶が注がれていく。
そして、灯は小さな微笑みを見せて清に紙コップを手渡してくる。
灯に「ありがとう」と感謝を述べ、ゆっくりと口にした。
思っていた以上に体温は熱くなっていたのか、ひやりとした感触が口を通じて全身に伝わってくる。
体に染みわたる水分は、気持ちを静めるように優しかった。
清はゆっくりと息を吐き、コップに残ったお茶を眺めた。
「魔法の存在しない世界……灯は今も目指しているのか……」
「そうゆう清くんは、魔法を望まない世界を今も目指しているのですか?」
灯の言葉に対して、青空に手を伸ばし、掴むような仕草をしてみせる。
「俺はさ……魔法世界で暮らして知っていくうちに、答えに正解などなく、一つを思い求めるのは間違いなんじゃないかと思ったんだ」
「そう言いますと?」
「今は分からないけど、まだ見ぬ考えに無い世界があるんじゃないかって思っただけだ」
清が話終われば、灯はお茶をゆっくりと口にした。
魔法世界で暮らしてきた時間があったからこそ、清は今の考えに辿りつけたのかも知れない。
簡単な話をしてしまえば、魔法世界は愚か、自分たちが持っている星の魔石の事すら理解できていないのだ。
その時、揺れた花々が葉を擦れる音を立てて聞かせてくる。
「清くん……私も今で満足をし始めていますが、魔法の根本的な壊滅は意味が違うと理解したのですよね。魔法合宿で歴史のありとあらゆる本を読み漁り、答えが分からなくなりました。だから、今はこのままでいいのです……」
「俺も灯との今を大切にしたいから、今はこのままでいいかな」
そう言って、お互いに紙コップを持っていない手を近づけ、指と指の隙間を通して絡め合わせる。
灯と近づいたこの距離感を崩したくないと思い、気づけば愛おしい小さな手を求めてしまったのだろう。
正解がなくとも、生きているこの瞬間が、最高の答えだから。
笑い合って、助け合って、支え合って、息をして生きていく何気ない日常の時間が唯一の答えとしてある。
「この世界をもっと見る必要があると思っているから、俺は灯の隣で見ていたいって思っているよ」
「ふふ、同意見です。魔法世界の歴史や現実世界との関わりを、私は清くんの隣で知っていきたいと願っています」
分け合った意見を前に、お互いに顔を見合わせ、小さく微笑み合う。
本当に今見て知りたい相手は灯だ、とでも言ったら、灯は頬を赤くして照れ隠しをしてしまうだろう。
清はふと思ったことを心の中にしまい、お茶を飲み干した。
「時間も時間ですし、そろそろ次の場所に行きましょうか」
「そうだな。灯」
「なんでしょうか?」
「今を一緒に楽しんで……幸せを分け合って感じていきたいな」
灯にそう言えば「馬鹿」と小さく呟くように照れながら言われる。
二人でベンチから立ち上がり、清は灯の手を優しく握った。
そして、灯は魔法陣を足元に展開する。
「……清くん」
「どうした?」
「お花畑を選んでくれて、ありがとうございます」
「お礼を言うのは俺の方だ。次のショッピングは迷いなく楽しもうな」
灯は頬に赤みを宿しながら、小さくうなずいた。
その時に吹いた風は、灯の透き通る水色の髪とシャツワンピースをなびかせ、彼女を可憐に見せてくる。
始まったばかりのお出かけは、音が鳴りやむのを知らない。




