表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月の記憶  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第5章 微睡みの蒼湖水
41/152

02:結晶石に秘められた真実

 真っ白な世界。振り向いても見上げても、そこに色を落とすものは何もない。足元に、ふわりと羽根が舞う。白い羽根に覆われた世界だ。その中でレティシアだけが、銀色の色彩を異物として残している。


 夢を見ていたはずだ。月下大戦の終幕を。

 絶叫と鮮血に満ちた灰色の世界を、まるで一筋の希望のように切り裂いた白と銀色の軌跡。あれは神龍イルヴァールと、彼を従えた神界の姫ラスティーンだ。

 彼らの敵。真紅に染まった魔界王ヴァレスの姿を思い出すと、その悍ましい魔力にレティシアの体が震えた。


『……シア……』


 遠くから、自分を呼ぶアレスの声がする。戻らなければと、足を一歩踏み出したところで、レティシアはふと背後に視線を感じて振り返った。

 白い羽根が舞うその向こうに、レティシアと同じ長い銀髪をした女が立っていた。


「……エルティナ?」


 夢の中で、ヴァレスが愛おしく抱きしめていた体――エルティナが、青い瞳をしっかりと開いてレティシアを見つめていた。何か言いたげに眉を下げるその表情は、今にも泣きそうなほど悲しみに満ちている。

 けれどエルティナが声を発することはなかった。ただ悲哀に満ちたその顔は正体のわからない焦燥感を生み、レティシアの心に深く刻まれていった。



 ***



「目が覚めたか」


 ゆっくりと瞼を開いた先に、心配そうに見下ろすアレスの姿があった。

 さっきの白い世界ではなく、いまレティシアがアレスたちといるのは薄紫色の壁に覆われた空間だ。半透明の壁の中には細い管のようなものが幾つも伸びていて、時々その管の中を白い光が流れていく。床は少しぼこぼこしていて、まるで太い枝が絡み合ってできているようだ。


「ここは……」

「たぶん、あの樹の中……なんだろうな」


 言われてみれば、確かにこの場を包む薄紫色は微睡みの蒼湖水(エルスフォーリア)から現れた大樹を思わせる。あのとき湖に立ち込めた霧もうっすらと漂っていて、今いる場所の全貌を見ることは叶わない。


「気が付いたら、みんなここにいた」


 アレスの後ろでは、ロッドが心配にこちらを見ている。薄紫の空間は一部屋くらいの大きさしかないので、おそらく飛竜だけが外に取り残されているのだろう。

 アレスに支えられながら起き上がると、思いのほか視界が霞んで足元がふらついた。


「大丈夫か」

「すみません。少し……ぼぅっとして」


 支えられるかたちで、アレスに体を抱きしめられる。そんな二人をいつもなら一番に茶化しそうなロッドが、この時ばかりは真面目な表情を浮かべて探るように声を落とした。


「なぁ……。さっき、夢を見たか?」


 一瞬の沈黙の後、アレスとレティシアは揃って首を縦に振った。


「神龍とラスティーン。……月下大戦の夢だった」

「私も同じです」

「赤い髪の男……あれ、魔界王って呼ばれてたよな」


 名を発することすら恐ろしいのか、ロッドが声を潜めて自身の両腕を抱いた。

 多くの神界人を屠り、その鮮血にまみれたような赤い姿。神龍イルヴァールの聖火にまかれてもなお激しい怒りは収まることを知らず、執着に似た呪いの言葉を残して消えていった魔界王ヴァレス。夢だとわかっていても、その怨嗟の声は未だレティシアたちの鼓膜を不気味に震わせている。


『俺は諦めないっ。必ず石を……エルティナを取り戻す!』


 耳に残るヴァレスの声に、レティシアの中にある結晶石がざわめいた気がした。


「メルドールが知りたがっていた結晶石の謎が、まさかこんなところで明らかになるとはな」

「魔界王が結晶石を作った意味か。それってやっぱり、エルティナを復活させるためなんだよな。そのために何年も……」

「魔界王ヴァレスとエルティナは、おそらく親しい仲だったんだろうな」


 経緯はわからないが、愛し合う者同士が引き裂かれた。その結果、引き起こされたのが月下大戦であるなら、ヴァレスの思いはどれほどに強いのだろう。そう思えば、わずかな畏怖と同情がアレスの心にひとしずくの波紋を揺らした。


「エルティナを理不尽に奪われ、取り戻したいと願う気持ちは分からなくもないが」


 その言葉にぎょっと目を剥いて驚いたのは、やっぱりレティシアだった。


「どうして!? 彼は目的のために罪のない多くの人を手にかけたのよ! 体を取り戻すためにガルフィアスを国ごと滅ぼした彼を許すというの!?」


 アレスの放った一言に怒りすら感じたのか、レティシアの口調がいつもよりも荒々しい。穏やかな青を湛える瞳は冷たい光を孕んでアレスをじとりと睨み付けている。


「まぁ、待てよ。許すとは言っていない。奴の気持ちがわかると言ったんだ。愛した女が殺され、体も魂も封印されたんだろ。もう一度触れ合える手段があるなら、それに縋ろうとする気持ちは理解できる」

「でもっ」

「だからといって、罪もない人の命を奪ってまで成し遂げるべきではないということは俺にもわかる。奴は道を踏み外した。それだけだ」


 アレスの言わんとすることは、何となく理解できた。大切なものを奪われたヴァレスが、それを取り戻したいと願う気持ちも。その思いはきっと、天界の皆を失ったレティシアの哀切と変わらないだろう。


「誰も傷つけずに愛した女を取り戻す方法があるのなら、俺だってそうする」


 そう静かに告げられた言葉に顔を向けると、真剣な深緑の瞳がレティシアをまっすぐに見つめていた。

 ヴァレスの思いは誰もが抱く、自然な願いだ。ただそのやり方が歪んでしまっただけ。レティシアにだってそれはわかっている。けれど結晶石を守る天界人としての宿命が、素直に彼の存在とその思いを許すことができない。

 神界の姫ラスティーンも、同じように迷っただろうか。夢の最後に切なく呟いた謝罪は、もしかしたらヴァレスに向けられたもの……だったのかもしれない。


「彼の願いが純粋なものだったとしても、私はそれを許すことはできません。死んだものをよみがえらせることは自然のことわりに反します。彼がそのために結晶石を使ったとしたのなら、均衡は崩れ、世界は滅んでしまう」

「なぁ、でもさ……。魔界王は神龍の炎にまかれて死んだんじゃないのか?」

「そうだといいがな」

「えぇ!? 何だよ、その含みのある言い方!」

「考えてもみろ。エルティナを復活させたいがために、自身の命を引き延ばして結晶石を作った男だぞ。やっと体を取り戻したのに、残りを諦めると思うか?」


 炎にまかれてもなお、少しも揺らぐことのなかった真紅の瞳。体は焼け爛れていたはずなのに、彼の死を全く想像できない自分がいることに気付いて、ロッドは背筋を震わせた。


「魔界王はまだ……生きてるってことか?」


 否定も肯定もしない、嫌な沈黙が流れた。

 神龍イルヴァールの炎でさえ葬ることのできなかった魔界王ヴァレス。その彼が今、どこかでひっそりと生きているとしたら。神龍のいないこの世界。彼に太刀打ちできるだけの力をアレスたちは何も持っていない。


「こうなったら、クラウディスの変貌も怪しいな」

「兄は、魔界王に操られていると?」

「可能性がないわけでもない。でもそうなると俺たちの力だけでは到底太刀打ちできない」

「ではやはり、ここにあると言う神龍の加護を手に入れることが重要なのですね」

「そういうことになるな。とりあえずここにいてもしょうがない。少し進んでみることに……って、おい。ロッド? お前、何してる?」


 振り返ればロッドはいつの間にか少し奥の方に移動している。薄い靄が漂う視界の悪い中、彼の小麦色の肌がかろうじて見えるくらいだ。


「なぁなぁ! 二人とも、ちょっとこっちに来てくれよ。何かそれっぽいの見つけたぞ」

「それっぽいのって……」


 相変わらずのロッドに呆れながらも近付けば、そこには木の根が絡まって出来た台座が不自然に置かれていた。台座の上には水晶球がひとつ。透明なその中には、六枚の白い翼を広げた龍が閉じ込められている。


「これは……神龍? でも小さすぎますね。ただの置物でしょうか」

「置物にしても、こんなトコにいきなりあるなんて不自然だろ。絶対何かあるって! ちょっと触ってみようぜ」

「おい、待て。お前はもっと慎重に……」


 アレスの制止も間に合わず、ロッドの手は既に水晶球に置かれていて。意味合いの違うふたつの「あ……」が見事に重なった。


「だからお前はもう少し考えてから行動しろ!」

「わぁぁ! ごめんって! でもほらっ、何にも起こらな……」


『わしを呼び覚まそうとする者たちよ』


 ロッドの反論も虚しく、彼の手の下で水晶球が淡い光を放ちはじめる。同時に直接頭に響くしわがれた声に、アレスたちは揃って目を見開いた。

 何かを呼び起こしてしまったらしい。そう理解するよりも早く、アレスたちの視界はより濃密な薄紫色の靄に覆い隠されていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ