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月の記憶  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第4章 神龍を求めて
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09:かさなる思い

 精霊界を包み隠す広大な時忘れの森。その果てにある微睡みの蒼湖水(エルスフォーリア)に、歴代の精霊王が守り続けてきた「龍のゆりかご」があると言う。

 龍のゆりかごを()()()ための「鍵」を作るのに少々時間がかかるということで、アレスたちは精霊界にもう一泊することとなった。足止めのような形だったが、治癒力を高める精霊界の空気と何者にも脅かされることのない平穏な時間は、レティシアの心にも穏やかな影響を与えたようだ。


 元気な精霊アンティルーネと共に精霊界を散策するレティシアは、以前よりも随分と自然な笑顔がこぼれるようになった。反対にアレスを見れば途端にぎこちなく顔を背けることも多くなったが、その横でアンティルーネがにやにやと笑っているので嫌われているわけではなさそうだ。

 本音を言えばもう少し落ち着いて話をしたかったが、今はレティシアの気持ちが落ち着くのを待つ方がいいだろう。それに精霊界を出たあとは、否が応でも二人きりなのだ。話す機会などいくらでもある。


 次の日の夜、精霊王イエリディスから「鍵」が完成したと告げられたアレスたちは、十分過ぎる休息を得て、ようやく出発の日を迎えた。


「思った以上に時間がかかってしまったが、これで龍のゆりかごに触れることができるはずだ」


 精霊界の入口である花畑の中、精霊王自らがアレスたちを見送りに来ていた。ここ数日でレティシアとすっかり仲良くなったアンティルーネも一緒だ。

 精霊王から受け取った「鍵」は、瑠璃色をした一枚の葉だった。精霊界に咲いていた蒼水晶に似ていて透明度が高く、光にかざしてみるとまるでガラスのように視界を青く切り取った。


微睡みの蒼湖水(エルスフォーリア)についたら、それを湖へ浮かべるといい。何が起こるか……あるいは何も起こらないかもしれないが、その先はお前たち次第だ」

「ありがとう。感謝する」

「いや、私も久しぶりに外の世界に触れて楽しかった。旅に疲れた時にはまた来るといい。お前たちならいつでも歓迎しよう」

「そうよ。絶対またお姫様と一緒に遊びに来てね!」

「全部落ち着いたらな」


 アンティルーネにそう告げて、アレスは後ろで待機していた飛竜を振り返ると、そのまま視線を上空へと滑らせた。魔法で入口を隠しているためか、時忘れの森の中だと言うのに視界を遮る木々がない。アレスの瞳に映るのは、どこまでも晴れ渡った青い空だ。上空から見れば、今もこの黄色い花畑は鬱蒼とした森に覆い隠されているのだろう。


 月の結晶石に秘められた謎を解き明かすための旅。永劫封印以外の道を探す目的の旅は、レティシアを宿命から解き放つための旅でもある。

 アンティルーネに言ったように、いつかすべてを終わらせてレティシアと共に世界を巡る。そんな未来を思い描いてしまうほど、アレスもこの旅の終わりに淡い期待を抱いてしまっていた。


「レティシア」


 飛竜に跨がり、手を差し伸べると、一瞬の躊躇いのあとにレティシアがそっと手を握り返した。慣れた手つきで自分の前に座らせると、ふと鼻腔を掠める甘い匂いがする。見ればレティシアの銀髪に、あの白い花が飾られていた。


「その花……」

「記念に、アンから頂いたんです。ルーフィアといって、『希望』という意味を持つ花……らしいです」

「そうか。出立にぴったりだな」


 神龍の加護を求めて向かう微睡みの蒼湖水(エルスフォーリア)に、そしてレティシアの未来に希望があらんことを。そう願い、アレスは飛竜の手綱を引く。

 羽ばたきに舞い上がる黄色い花吹雪を道標にして、飛竜の巨体が青空めがけて一気に駆け上がった。はらはらと頬をくすぐって落ちていく花びらを目で追うと、もう眼下には鬱蒼とした森が広がるばかりだった。



 雲ひとつない青空は、飛竜日和だ。精霊界の空気に触れて、アレスの飛竜もいつも以上に活気に満ち溢れている。時折喉を鳴らして風を切る上機嫌の飛竜に比べて、レティシアは精霊界を出てから一言も喋っていない。特別会話することもないのだが、あえて沈黙を貫いているような、そんなかすかな違和感が滲み出ているような気がした。


「随分とおとなしいな。気分でも悪いのか?」

「い、いえ。そういうわけでは……」


 大方予想はついていたが、手綱を握り直すふりをして、両腕の間隔をわずかに狭めてみる。すると予想に違わず、アレスの腕に触れたレティシアの体がおかしいくらいに跳ね上がった。


「ひゃっ」

「……そんなに身構えられると、さすがに傷付くんだが」

「そっ、それは……アレスのせいじゃ、ないですか」

「あの夜のことか?」


 少しの躊躇いもなくそう返せば、またレティシアの肩が震える。表情を窺い見ることは出来なかったが、前に座るレティシアのわずかに触れた肌が熱を持ったのがわかった。


「もう、あんな冗談はやめてください。身が持ちません」


 嫌われているわけではないと思っていた。わかりやすく頬を染めて挙動不審になるレティシアを、もっと困らせてやりたいと思ったこともある。子供じみた感情を持て余したことは自覚していたが、それがただの冗談として受け取られていたことは正直予想外だ。


「冗談ではないんだが……」


 若干の焦りと、一抹の寂しさ。そんな思いがない交ぜになった声を落として、アレスは唐突に飛竜の進行を止めた。

 進むでもなく、降りるでもない。ただその場で止まってしまった飛竜に、何事かとレティシアがアレスを振り返った。わずかな逆光に影となった深緑の瞳が、より深い色を帯びてレティシアを見つめている。


「確かに性急すぎたとは思うが……」


 いつもの堂々としたアレスにしては珍しく、こぼれ落ちる声音は少し頼りない。それでも重なり合った視線は一時いっときも逸らされることなく。


「お前に触れたいと思ったのは、本当だ」

「……っ」


 真摯に告げられた思いは、反対にレティシアから言葉を奪う。


「あの夜の続きをしたいと言ったら、お前はどう答える?」


 レティシアの世界から、一瞬だけ音が消えたような気がした。飛竜の羽が風を抱く音も、自分の激しく脈打つ鼓動も聞こえない。ただ、体の中でアレスの声だけが響いている。

 あの夜に落ちた、たった一粒の水滴のように。それはレティシアの体を震わせ、心の奥にまで緩やかな波紋を広げていく。未知の感情に血が沸騰しそうなほどの目眩すら感じたが、その刺激は苦痛と言うより硬い蕾がようやく花びらを広げて芽吹くような感覚に似ている。


「……なに、を……言ったらいいのか、わかりません。こんな……こんな気持ちは、はじめてで」


 恥じらい頬を染めて俯くレティシアの、長い銀髪がさらりと肩からこぼれ落ちる。その耳元に飾られた白い花を綺麗に挿し直してやると、耳朶に触れたアレスの指先に反応してレティシアがまだぴくりと震えた。


「嫌じゃなければ、それでいい」


 そっと、髪に触れた手が背中に回る。そのままどこかぎこちない動作で体を引かれ、抱きしめられた。一瞬からだは硬直したものの、背中に回る両腕があの夜よりも随分と優しくて。まるでふんわりとしたあたたかな空気に包まれているようだ。

 怖くはない。嫌でもない。

 驚きと恥ずかしさで鼓動はさっきから鳴り止まないが、頬を寄せたアレスの胸元からも自分と同じ音が同じ速さで聞こえてきて。それを嬉しいと思った瞬間、本当にまったく意図せず、レティシアの背中から二枚の白い翼が飛び出した。


「……どこへ行くつもりだ?」

「あっ、あのっ……違います! 勝手に出ちゃって……私も何が何だかっ。たぶん、緊張したので、その……いやじゃ、ない……んです」


 抱きしめられたことに対して、拒否を示したわけではない。そう、ちゃんと伝えなくてはと思った。言葉はしどろもどろで、声も消え入りそうなくらいだったが、それでも思いはアレスに伝わったようで。

 俯いたままのレティシアに、ふっと声を漏らして笑う吐息がこぼれ落ちる。


「動揺しすぎだ」

「……っ、すみません。すぐ、しまいますから」

「そのままでいい」


 疑問を問いかける前に、背中に回った腕がくいっとアレスの方へより近く引き寄せられた。さっきよりもぐっと近くなる距離、見開いた青い瞳にアレスの影が落ちる。

 レティシアの心を表すように、白い翼が忙しなく羽ばたいた。


「俺たちを隠すには十分だろう?」


 アレスの明るい茶色の髪が、陽光を浴びてきらきらと輝いている。反対にその深緑の瞳はレティシアの広げた翼の影になって――その奥に揺らめく熱に引き寄せられるようにして、レティシアも睫毛を震わせながらそっと瞼を閉じた。



「アレス! レティシア! 良かった、やっと見つけたぁ!」


 突然湧いて出た元気な声に、甘い空気が一瞬にして吹き飛ばされた。小さな悲鳴を上げて腕の中から飛び出していくレティシアを再度抱きしめる気にもなれず、アレスは聞き覚えのある声にたまらずがっくりと項垂れてしまった。

 そんな二人の様子を知りもせず、声の主――ロッドは、いつもと変わらない無邪気な笑みを浮かべて飛竜をアレスの横へ近付けた。


「いやぁ、もう精霊界なんて見つけられないかと思ったけど、ちょうど遠くにアレスの飛竜とレティシアの白い翼が見えたからさ。俺、慌てて飛んできたんだ!」


 再会を喜ぶロッドとは裏腹に、アレスは眉間に刻まれた皺を隠すように額に手を当てている。心なしか哀愁のような、苛立ちのような、そんな感情が伝わってくるようだ。レティシアと言えば、もう見える肌すべてを真っ赤に染めて俯いてしまっていて、そこでようやくロッドは二人を包む微妙な空気を感じ取ったのだった。


「あれ? ……もしかして俺、邪魔しちゃったかな?」

「そう思うんなら、もう少しどこかに行ってろ」

「ち、違うんです!」


 おかしいくらいに慌てるレティシアは見ていて可愛らしかったが、その横から射抜くような冷たい視線を感じて、ロッドは緩んでいた頬をきゅっと強張らせた。


「あのさ、いい雰囲気をぶち壊すようで悪いんだけど……」


 既にぶち壊しているだろう、と。そう言いそうになったアレスだったが、ロッドからいつになく真面目な空気を感じて無意識に口を閉じる。

 そもそも、なぜアーヴァンで別れたはずのロッドがここにいるのか。その理由は決していい報せではない気がした。


「ロゼッタが攫われた」

「何だとっ!」


 悪い話だとは思っていたが、あまりに予想外の内容にアレスが思わず声を張り上げた。自分に対してではないと分かっているのに、怒気の孕む声音にレティシアがはっと息を呑む。

 誰に、と言うことは考えなくてもわかる。――クラウディスだ。


「ロゼッタだけじゃない。セリカも連れ去られてた」


 月の結晶石を狙うクラウディスの標的は自分だけだと思っていた。自分さえ逃げ切れていれば大丈夫だと、そう考えていたのに、クラウディスの魔手はレティシアをすり抜けてアレスたちの大事な人へと及んでしまったのだ。

 体が震えるのをとめられない。彼らの顔を、まっすぐに見ることができない。


「話は全部ガッシュから聞いたよ。クラウディスが月の結晶石を狙っていることも。ガッシュはクラウディスを止めようとして怪我をしたけど、命の心配はない」

「レティシアの手助けをしている俺たちへの報復か?」

「いや、それは違うと思う。ガッシュが聞いたっていう言葉に気になるところがあるんだ」

「気になるところ?」

「クラウディスはセリカやロゼッタだけじゃなく、おそらく魔法都市と精霊界の力も手に入れている」


 吹き抜ける風が、やけに冷たく感じた。視界の端に揺れるレティシアの銀髪が、まだ見ぬクラウディスのものと重なって、アレスの心を激しく急き立てる。

 ロゼッタたちが攫われた理由はわからないが、それはレティシアの中にある結晶石を奪う手段として使われるはずだ。ならばアレスたちがやるべきことは、レティシアを守りつつ、攫われた者たちを奪還すること以外にない。


「……すみません」

「何を謝る」

「兄が……みんなを」

「クラウディスとお前は切り離して考えろ。お前のせいじゃない」

「でも……」


 言葉の続きを許さないとでも言うように、アレスがレティシアの手をぎゅっと強く握りしめる。


「みんなは無事だ。信じていろ」

「アレス……」


 不安なのは誰もが同じだ。唇を噛むことで否定的な言葉を押し込めて、それでも抑えきれない後悔に押し潰されないよう、レティシアは重ねたアレスの手をきつく握り返した。


「そうだぞ、レティシア。それにクラウディスは、用が済めばみんなを解放するとも言ってた。まぁ……早いほうがいいに越したことはないんだけど」

「そうか。……なら、当初の目的通り、俺たちはこれから微睡みの蒼湖水(エルスフォーリア)へ向かう。クラウディスに対抗するには、それなりの力が必要だ。微睡みの蒼湖水(エルスフォーリア)に神龍の加護が残されていることを祈ろう。……ロッド、お前はどうする?」

「もちろん一緒に行くよ! 当たり前だろ! 仲間なんだから」


 手綱を握り直したアレスに後れを取るまいと、ロッドもガッシュから借りた飛竜の背を軽く叩いて指示を出す。相変わらず飛竜と交わす意思の疎通が大雑把だ。それでも頭の良い飛竜はロッドの意図を汲み取って、アレスの飛竜に並行して飛んでいく。


「心配するなとは言わない。だが今は神龍のことだけ考えていろ」

「……はい」


 強力な白魔法の使い手であると同時に、失われたはずの黒魔法をも扱う天界王クラウディス。彼の前に立ちはだかるには、アレスはあまりにも無力だ。だからこそ、最優先で神龍の加護を手に入れなくてはならない。


 微睡みの蒼湖水(エルスフォーリア)にある、龍のゆりかご。それが神龍の加護であり、アレスたちの力になると信じて、今はただ前に進む。




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