8話 窓の彼方
朝日が王城の窓から静かに差し込んでいた。
テオは目を覚ますと、すぐに今日が約束の日だと思い出した。
「今日だ。」
身支度を整える手は、いつもより少しだけ軽かった。
食堂では、いつものように国王や公爵たちと朝食を囲んでいた。
焼きたてのパンの香りが静かに広がる。
テオは手元のパンへそっと視線を落とした。
(これもエディのお父さんが焼いたパンなのかな。)
そのまま一口食べる。
いつもと同じ味なのに、不思議と少しだけ嬉しかった。
(エディも来てるのかな。)
厨房の方が気になる。
けれど国王や公爵の前でそんなことを聞くわけにはいかない。
テオは何事もないようにパンを口へ運んだ。
それでも心は落ち着かなかった。
朝食を終えると、いつものように王妃の朝食を運ぶ。
扉を開けると、王妃が優しく微笑んだ。
「おはよう、テオ。」
「おはようございます、お母様。」
朝食を並べ終えると、王妃はテオの表情を見つめ、くすりと笑う。
「今日は、とても楽しそうね。」
テオは少し照れくさそうに笑った。
「うん。」
「一週間、ずっと楽しみに待ってた日なんだ。」
「まあ。そうなのね!」
王妃は嬉しそうに目を細める。
「きっと素敵な一日になるわ。」
「うん!」
テオは嬉しそうに頷いた。
エディのことは話さなかった。
二人だけの、大切な約束だったから。
午前の授業が始まる。
教育係は歴史書を開き、王国の成り立ちについて静かに語っていた。
けれど、テオの心は別のところにあった。
(もう来たかな。)
(今ごろどこにいるんだろう。)
「…… テオ王子殿下。」
教育係の声に、はっと顔を上げる。
「申し訳ありません。」
慌てて姿勢を正す。
けれど授業が終わるまで、心はどこか落ち着かなかった。
午前の授業を終えると、テオは何気ない様子で西側の使用人用通用口へ向かった。
誰かが出入りするたび胸が高鳴る。
けれど現れるのは使用人ばかりだった。
(もう少ししたら来るのかな。)
そう思って部屋へ戻る。
それでも数歩歩くたび、思わず通用口を振り返ってしまった。
昼食前。
厨房では、エルが昼食の準備を確認していた。
テオはできるだけ何気ない様子で声を掛ける。
「今日のパンはいつもの城下街のパン屋さん?」
エルは微笑みながら頷く。
「はい。本日も王室専属のパン屋さんがお届けくださいました。」
テオは少し間を置いて尋ねる。
「……もう帰っちゃったの?」
「はい。少し前にお帰りになられました。」
「……そうなんだ。」
少しだけ肩を落とす。
エルは不思議そうに首をかしげた。
(今日はパンが気になるのかしら。)
けれど、それ以上は何も尋ねなかった。
午後になっても、エディは現れなかった。
西日が王城の石壁を赤く染めていく。
朝は賑わっていた通用口も、今は人影がまばらだった。
(……まだかな。)
テオはもう一度だけ、通用口へ足を運んだ。
けれど、そこにエディの姿はなかった。
(あれ……。)
少しだけ首をかしげる。
(私が今日だと勘違いしちゃったのかも。)
そう思いながらも、約束を疑うことはなかった。
夕食を終えた王城は、いつものように静まり返っていた。
テオは一人、自分の部屋へ戻ってきた。
昼間は歴史書が広げられていた机も、今は静かな月明かりに照らされている。
テオの足は、自然と大きな窓へ向かっていた。
床まで続く窓の前へ腰を下ろし、窓枠へそっと身体を預ける。
ひんやりとした夜風が頬を優しく撫でる。
遠くでは虫の声が静かに響き、見上げた夜空には無数の星が瞬いていた。
テオはしばらく黙って星空を見上げる。
昼間のわくわくした気持ちは、いつの間にか小さな寂しさへ変わっていた。
「約束したもん。」
きっと、何か理由がある。
そう信じて、テオはもう一度夜空を見上げた。
「明日は来るかもしれない。」
静かに窓を閉めた。
◇ ◇ ◇
――祝典の日 使用人用通用口。
使用人用通用口から、一人の少年が駆け出してきた。
「間に合った!」
嬉しそうにテオが見送ってくれた通用口を振り返る。
さっきまでいた王城を見上げると、思わず笑みがこぼれた。
また会える。
今度はもっと街の話をしよう。
パンも持って来ようかな。
そんなことを考えながら、足取り軽く荷車の方へ向かう。
その時だった。
「エディ。」
低い声が響く。
「……!」
エディの足が止まる。
荷車の横には、腕を組んだ父親が立っていた。
「父ちゃん……。」
「お前。」
父親はゆっくり歩み寄る。
「どうやってここへ入った。」
エディは気まずそうに目をそらした。
「その……。」
「荷車に、こっそり隠れて……。」
父親は大きく息を吐く。
「一体何を考えているんだ。」
その声は決して大きくはなかった。
けれど、いつになく厳しかった。
「もし騒ぎになっていたらどうする。」
「王家の祝典を何だと思ってる。」
「私まで責任を問われるところだったんだぞ。」
エディは肩をすくめる。
それでも、小さく反論した。
「でも……。」
父親は眉をひそめる。
「でも、何だ。」
エディは顔を上げた。
「友達ができたんだ!」
その一言に、父親は少しだけ驚いた表情を見せる。
「友達?」
エディは嬉しそうに頷く。
「うん!」
父親は困ったように苦笑した。
「祝典でたまたま王城へ来ていた貴族か、どこか別の街から来た子かもしれん。」
「そういう縁もある。」
「だが、それで終わる縁もある。」
エディは首を横に振った。
「また会いたい……。ねぇ、だめ?」
その一言には、幼いながらも強い想いが込められていた。
父親は静かにエディの肩へ手を置きゆっくりと話し始める。
「エディ。」
「王城は遊び場じゃない。」
「今日のことが知られれば、お前だけじゃない。」
「私も罪に問われる。」
父親は一度辺りを見渡し、再びエディの目をまっすぐ見つめた。
「もう二度と、勝手について来るんじゃない。」
エディは何も言えなかった。
ぎゅっと拳を握る。
悔しい。
父ちゃんの言うことも分かる。
でも、また会いたい。
父親は荷車へ乗り込む。
「帰るぞ。」
エディも黙って荷台へ腰を下ろした。
荷車がゆっくりと動き出す。
石畳を進みながら、エディは何度も王城を振り返った。
夕日に照らされた高台の王城。
そのどこかに、テオがいる。
荷車は止まらない。
王城は少しずつ遠ざかっていく。
エディは小さく拳を握り締めたまま、何も言わずその姿を見つめ続けていた。
◇◇◇
あの日から、数日が過ぎた。
朝になれば、テオは西側の使用人用通用口へ足を運ぶ。
昼になれば、厨房の近くを通ってみる。
夕方になれば、もう一度通用口を見に行く。
けれど、エディの姿はどこにもなかった。
「テオ様。」
エルが優しく声を掛ける。
「最近、使用人用通用口の方へよく行かれていますね。」
テオは少しだけ驚いたように振り返る。
「あ……うん。」
小さく笑う。
「ちょっと気になることがあって。」
「そうなんですね。何かお手伝いしましょうか?」
エルは優しくテオの顔を覗き込んだ。
「あ、ううん。大したことじゃないから大丈夫!」
首を大きく横に振り、とっさに目をそらした。
「そうでしたか。また必要でしたら言ってくださいね。」
そういって優しく微笑んだ。
エディとの約束は、二人だけの秘密だった。
それからも毎日待ち続けた。
通用口を通る使用人を見るたび、思わず顔を上げる。
厨房からパンの香りが漂ってくるたび、足を止める。
けれど、その中にエディはいなかった。
◇ ◇ ◇
――夜。
いつものように自室へ戻る。
静かな部屋。
大きな窓の前へ歩み寄る。
窓を開けると、ひんやりとした夜風が頬を撫でた。
見上げれば、あの日と変わらない満天の星空。
テオは窓辺へ腰を下ろす。
街の灯りが、小さく瞬いていた。
(来なかったな……。)
少しだけ寂しくなる。
けれど、不思議と怒る気持ちは湧いてこなかった。
(きっと何か理由がある。)
そう思えた。
約束を交わした時の、あの真っ直ぐな笑顔が頭に浮かぶ。
『また来る!』
そう笑っていたエディが、嘘をつくとは思えなかった。
テオは静かに街の灯りを見つめる。
王城から見える街は、思っていたよりずっと近くに見えた。
手を伸ばせば届きそうなのに。
(待ってるだけじゃ……会えないのかな。)
その言葉が、ふと胸に浮かぶ。
しばらく黙って夜の街を見つめる。
やがて、小さく息を吸った。
「今度は……。」
その声は夜風に溶けていく。
「私が会いに行こう。」
夜空の星が、静かに瞬いていた。
(今度こそ、会えますように。)
テオは窓を閉めた。
第一章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
テオの物語をここまで見守っていただけたこと、とても嬉しく思います。
次回より、第二章が始まります。
テオの旅は、まだ始まったばかりです。
引き続き、一緒にこの世界を旅していただけたら嬉しいです。
第二章・第9話は、11月11日(水)20時更新予定です。




