心臓
降り立ったのは、枯れた大地とでも言うのが合う荒地だった。
緑が一片も無く、人の気配も無く、魔物の気配すらも無い。ただひたすらにだだっ広い荒地が広がっている。
「ここは?」
「こっちだ」
返答は無いまま、マリンスノーはルシアンに腕を引かれて歩いて行く。
掴まれた腕の痛みからしてまた痣が出来そうだが、そうやってすぐに力加減を忘れるところが可愛らしくて愛おしい。
「……ここだ」
到着したのは、小さな丘の頂上。そこには何も花をつけていない、一本だけの枯れ木があった。
マリンスノーの腕を離し、ルシアンはその枯れ木にそっと手を添える。
「手前達に残ったのは、この木だけだった」
「……どういう事?」
「聞いただろ」
ルシアンは眉間に皺を寄せ、見たくないものを見るかのような表情で、周囲の何も無い荒地を目だけでぐるりと見渡した。
「ここは、手前とカルーアの故郷だ」
燃やされたという、故郷。
表向きにはポーション材料の為。裏向きにはスラム潰しの為。そして真相は、奇形と仲良くする健常人なんてものが増えない為に燃やされた。
「ここが……?」
「一度燃えて全部無くなった。その後しばらくして地位と力を得て奪い返したが、ポーション材料の為といって無理な運営をしていたせいで土地は痩せた。後からここに作られた全ては撤去したが、それでも自然は戻らねえ」
ぐ、とルシアンの眉間に刻まれた皺が一層深まる。
「……手前達が知っている故郷は、もうこの枯れ木だけだ」
「その木だけは残ったの?」
「昔はもっと沢山あった。この木だけは若かった。他の木々とは場所も離れていたし、畑作りの邪魔になる位置じゃなかったからと結果的に見逃がされた。だが、唯一残ったこの木も、花を咲かせないまま死にかけている」
マリンスノーは周囲を見た。本当に荒れ果てた土地だ。砂漠というわけではないが、荒野に近い気配がする。
「この木、桜よね」
「異世界人だからわかるのか」
その通りだ、とルシアンが頷いた。
「手前達と一緒に暮らしていた健常人は、異世界人の子孫だと言う奴が多かった。奇形に怯えるどころか、普通の人間と居るよりもずっと楽しい、なんておかしなことを言う奴らだった」
親から遺伝した性癖かしら、とマリンスノーは思ったが言わないでおいた。綺麗な思い出に水を差すつもりはない。
まあ、奇形の皆の方が見ていて視界が派手なのは確かである。人外趣味からしたらさぞや好みだろう。
もっとも、異世界人の能力が遺伝しやすい事や異世界人は基本的に王族に囲われる事等を思うと子孫というだけで実力や立場がありそうなので、そんな人達が奇形に好意的だというのも目を付けられた理由なのだろうな、とは思う。
「そいつらの手でこれは植えられた。毎年子供達の手で新しい苗木を植えて、桜並木を広げて、いつかそれだけ大きな場所にしていこうと話したりもした」
ルシアンは拳を握る。
「この木以外、切り倒されちまったがな。一部は根ごと引き抜かれて売られたと聞いたが、どこに売られたのかはわからず仕舞いだ」
枯れ木に額を当て、ルシアンは言った。
「……手前は何も出来なかった」
「奪われたここを取り戻したんでしょ? どこが何も出来てないのよ」
「場所を奪い返しても、本当の意味で故郷を奪い返せたわけじゃねえ。国が運営する場所って扱いにされていたから交通規制がされていて、それを維持して、これ以上誰かが入り込むのは防いだ。だが、それだけだ。この場所の時間は止まっちまった」
「…………」
無言のまま近付き、マリンスノーはルシアンの背に手を添えた。
拒否されなかった手を上下に動かして背中をさすれば、顔を上げたルシアンが眉を下げた顔でマリンスノーを見る。まるで、迷子になった子供のような顔で。
「マリンスノー」
ルシアンの手が伸ばされ、マリンスノーはその腕の中に抱きしめられる。
ぎちりと音がする程に抱きしめられ、頬擦りをされ、ルシアンはマリンスノーの耳に縫われた唇を寄せた。
「……ここが、この場所が手前の心臓だ」
脳に響くような、掠れた低い声。
「手前がお前に抱く愛をもう少し明言化しろとカルーアに怒鳴られた。だが、愛してるだのを囁く程度じゃ手前の想いは伝えきれねえ」
だから、
「だから、ここに連れて来た。ここが手前の心臓だ。お前には剥き出しの心臓を見せても良いと思ったから見せている。……伝わるか」
「……ええ、これ以上無い程にね」
口に笑みを浮かべたマリンスノーはルシアンの胸に頬を寄せ、身を預けながらそう返した。
それだけ大事な場所なんだろう。
覚悟が要るようなトラウマの地。それでも大事な思い出の地。そこに連れてきて、それを見せて、語って聞かせて。
一体どれ程の覚悟が要っただろう。
一体どれ程の気持ちで伝えてくれたんだろう。
その全てを十割完全に理解出来ているとは思えないけれど、それでも、それだけ大事な心臓部分を見せてくれた。それだけの誠意を見せてくれた。
それがどれだけ嬉しい事か。
「……私は、ルシアンを喜ばせるつもりで何かをしたくても、勝手に何かをして逆に迷惑を掛けるような事はしたくないの」
「何だ、いきなり」
「良かれと思って、をしたくないって話よ。だから聞くわ」
マリンスノーはルシアンの顔を両手で引き寄せ、その目を下から覗き込む。
「ルシアンは、花が咲くのをまた見たい?」
「……見れるもんならな」
「そう。なら、後は勝手にこっちでやるわ」
微笑み、マリンスノーは口を開いた。
「『ぶわっ』」
瞬間。
『ぶわっ』と強い風が吹き、ルシアンは思わず目を閉じる。同時、通り過ぎるように皮膚に触れる無数の柔らかく小さい何かの感触。鼻を掠める覚えのある香り。
風が止んだのを感じて目を開ければ、
「…………っ!」
目の前の枯れ木が、『ぶわっ』と満開の花を咲かせていた。
「ふふ、思った以上に気合いが入っちゃったみたい。桜だけじゃないわよ」
マリンスノーの言葉に周囲を見渡す。直後視界に入って来た光景に、ルシアンは言葉を失った。
周囲に、緑が戻っていた。
剥き出しの乾いた土が緑に上書きされている。柔らかな草が絨毯のように視界いっぱいに広がっていた。それは、そう、まだ幼い頃、カルーアや他の友人と遊び回っていた頃のように。
桜並木が戻ったわけじゃない。あの時の人々が居るわけじゃない。覚えのある家々も無い。
でも、見覚えのある自然がある。草花がある。あの日あの時、未来を憂う事も無く走り回っていた頃の記憶の通り。
「……ハハ、最高じゃねえか。最高だぜ、マリンスノー!」
「きゃっ」
リフトするように抱き上げて腕に乗せ、落ちないよう腰を支えながら湧き上がる感情のままにくるりと回る。踊るように。昔何の理由も無く転げ回って笑っていた頃を思い出して。
「枯れ木がどうにかなればとは思っちゃいたが、まさかここまでやるとはな!」
「あら、やり過ぎた?」
「なわけねえだろ」
間違った事はしていないと自信に満ちているマリンスノーの顔にキスを落とし、ルシアンは笑う。
「手前の腕の中に居るお前含めて、最っ高の贈り物だ!」
その言葉に微笑んで、マリンスノーからもルシアンの顔へとキスと落とす。
ツノ、額、耳、瞼、頬に口付けてから、最後に唇へとキスを贈って、二人揃って幸せだとほころぶように笑い合った。
ああ、なんて最高のパートナーだろう!