恋をするなら⑧
ラウンジ「リリア」から達也のマンションへ戻ると、百合は早速荷物をまとめ始めた。
百合の準備ができたら、栄一がわざわざ迎えに来てくれるらしい。栄一は達也に「百合を匿ってくれてありがとう」と礼を言ったものの、その表情は気まずそうなままだった。
いくら栄一との喧嘩が百合の家出の原因とは言え、愛娘の百合を泊めたことを快くは思っていないらしい。
達也は慌てて「泊めただけです! 何もありませんでした!」と念を押したが、その場にいた顕と中津川まで達也をジロジロ見ていた。
高畑だけがいつも通りの笑顔で、達也の様子を見守ってくれていた。
百合も栄一に弁解してくれたので、栄一は信じてくれたようだ。しかし、しばらく栄一とは気まずい雰囲気になりそうだ。
(――まあ、それは仕方ないか)
達也は気を取り直し、百合が荷物の整理をしている間に、リビングの棚の上を整理した。
そして、空いたスペースに「マンハッタンの少女」の絵を飾る。
もう二度とこの絵とは再会できないと思っていた。しかし、今は自分の部屋に飾られている。達也は絵を見ながら、自然と笑みがこぼれて来るのを感じた。
「絵、そこに飾ったのね」
荷物の整理が終わったのだろう。百合がスーツケースを引きずりながら寝室から出て来た。
「百合、本当にありがとう。この絵を見つけ出してくれて」
「私こそ、ずっとお邪魔させてもらってありがとう。他にも、いろいろとありがとう。本当に助かった」
「栄一さんが迎えに来たら、そのまま仕事に行くの?」
「うん。中津川さんが来る予定だし。でも、良かった。中津川さんのお父さんが見つかりそうで」
ニューヨークへ行った中津川の父親の所在は、結局栄一の知り合いに頼んで調べてもらうことになった。
調べる代わりに、湊人のゴーストライターの話は口外しないと約束してくれた。中津川も喜んでいる。詳しく話をするために、今日早速事務所へ来るらしい。
中津川は百合の計らいに「本当にありがとうございます」と熱っぽい表情でお礼を言っていた。達也は(――ああ、これは)とちょっとした危険を感じてしまった。
中津川は無理やり抱きつくなどの行為をしたにも関わらず、百合が父親を捜すことに気にかけてくれたのが相当うれしかったらしい。
中津川は本気で百合に惚れてしまったのだろう。
今までの中津川が百合のことを本当に好きだったかどうかはわからない。ただ、これからは本気で百合を口説いてくるかもしれない。
達也はよっぽど「中津川とは、もう会わないでほしい」と言いたかったが、仕事となれば仕方ない。それに栄一も一緒だろうから、まあ今のところは安心できるだろう。
「そうだ! 百合、ちょっとこっちに来て」
達也は百合が絵を取り戻してくれた時から考えていたことを思い出すと、百合を手招きした。そして、寝室に再び百合を入れた。
「どうしたの?」
達也はクローゼットを開けると、小さな箱を持ってきた。
「これ、百合にあげようと思って」
達也が箱のフタをあけると、そこにはあの「マンハッタンの少女」で桃恵が首にかけていたカトレアのネックレスが入っていた。
窓から差し込む光がネックレスのダイヤモンドに反射し、あちこちに小さな虹を作っている。
「このネックレス、あの絵で桃恵さんがつけていたもの?」
「うん。百合が『マンハッタンの少女』を取り戻してくれたから、そのお礼にこれをあげようと思って」
達也は何でもないような表情で言ったが、百合は首を横に振った。
「そんな、こんな高価なもの、さすがにもらうことできない」
「ううん、百合にもらってほしいんだ。母さんの形見だけど、僕はネックレスつけないし、百合につけてもらえるとうれしい」
達也が何度も言うと、百合はネックレスの入っている箱を受け取った。
「ありがとう。大切にする」
「もしよかったら、今つけてみて」
「あっ、うん」
百合は少し頬を赤くしながら、箱の中のネックレスと取ろうとした。それよりも早く達也がネックレスを手に取り、百合の後ろに回るとその首元にネックレスをかける。
ネックレスをつけ終え、達也が百合の両肩に手をかけて自分の方を向かせる。
百合はさっきよりも顔を赤くしていた。
ネックレスは百合の赤くなった首元で、ますますキラキラとした輝きを放っている。まるで、元々百合のために作られたネックレスだったかのように似合っていた。
「ネックレス、すごく似合っている」
「ありがとう」
百合が小さな声で言うのを聞きながら、達也は自分が百合の両肩に手をかけたままなのに気づいた。
このまま手を離そうか、とも思った。しかし、そうするには今の百合はあまりにも可愛らし過ぎる。
もしかすると、ずっと逡巡してきたことを実行するのは今なのかもしれない。
達也は手を離さず百合を自分の方へ近づけると、そのまま彼女を抱きしめた。突然のことに驚いたのか、百合が耳元で「あっ」と小さな声を上げたのが聞こえる。
達也の腕の中にとらわれた百合は、少し震えているような気がした。しかし、達也を嫌がることはなく、ただ抱きしめられた状態でいる。
「百合、好きだ。ずっと前から好きだった」
達也が百合の耳元でささやくと、百合の身体が熱くなるのを感じた。達也はその熱を受け取るかのように、さらに強く百合を抱きしめた。
「達也、あの……」
「百合はその、僕のことをどう思っているの?」
その時、百合のジャケットのポケットが二人の邪魔をするように震えた。達也が思わず百合から身体を離すと、百合はポケットからスマホを取り出す。
「達也、ごめんなさい、パパが着いたみたいだから、行かなくちゃ。この返事は、また今度……」
「あっ、うん」
百合はまるで真っ赤になった顔を隠すようにうつむいたまま、スーツケースを掴む。そして、「いろいろとありがとう」と震える声で言うと、そのまま達也の部屋を出て行ってしまった。
達也は百合が出ていくのを呆然と眺めていたが、しばらくして我に返るとその場に座り込んでしまった。
まだ身体に百合を抱きしめた時の感触が残っている。
もう少しで百合の返事が聞けたのに、と達也はため息を吐いた。別に栄一は達也が百合に告白しているなんて知らないだろうが、何かしらの虫の知らせを感じたとしか思えない。
あんなにタイミングよく連絡をしてくるなんて。
(――百合「この返事は、また今度」と言っていたよな?)
次、百合に会えるのはいつだろうか?
百合は確か明日、ラウンジ「リリア」でピアノを弾く。明日、演奏が終わった後に「リリア」の楽屋へ行って、百合に告白の返事を聞いてみよう。
達也は立ち上がると、小さく頷いた。




